第5話
5
この夏は越せないと言われていた祖母ですが、八月も半ばを過ぎるまでは短い時間の中ではあっても、意思疎通がしっかりと出来ていました。確かに眠っている事が殆どでしたが、それまではお見舞い中一回か二回かは言葉を交わせてはいたのです。
癌というのは酷い痛みを齎すと言います。常々私達は、痛みはないのかと聞いていました。祖母は痛くないと言いましたが、実際は違うと看護師さんは言いました。あの症状で痛みを感じない訳はない、と。ですから鎮痛剤が処方されているのは分かっていました。けれど、夏の終わりになる頃、私達は先生と看護師さんに呼び出され、モルヒネを投与するか否か、重い決断を迫られることになったのです。
モルヒネを投与したら、最期まで意識が戻る事はほぼありません、という説明に誰もがその場で答えを出す事は出来ませんでした。また、祖母はそもそも肝臓癌を患っているのですから、強い薬は症状を進行させるものでもあったのです。意識を奪うだけでなく、死を早める事でもありました。
痛くないという祖母の言葉、しかし通常なら痛い筈だという説明に私達はどちらを信じれば良いのか分からず、結論が出るまで数日かかりました。
祖母の言葉を信じ、最期まで意識を持たせるか。しかし、その時は既に眠っている事が殆どでしたから、今と何が変わるのだろうか。もし痛みを感じているのなら、投与した方が良いのではないか。
生きていて欲しい。けれど、もう楽にしてあげたい。そんな相反する気持ちのどちらが正解なんて分かる筈がありません。どっちを選んでも、選ばなかった選択肢が正解に見えるのでしょう。
私としては、どうしても祖母と樹さんを重ねて見ていたので、モルヒネの投与には納得し難い部分が大きかったのは事実です。けれど、祖父や母達がどんな決断をしようとも、私はそれを支えようと思いました。
決断までの数日、気分が晴れる日はありませんでした。余程酷い顔をしていたのでしょう。病床の、と言うのが適切なのかは分かりませんが、青白い顔をした樹さんにまで大丈夫と心配されてしまったのです。そんな樹さんに、祖母の死期がすぐそこまで来てしまっているのだと、到底言えませんでした。彼には少しでも死を意識して欲しくなかったのです。
ですが、私は既に祖母の事を話していましたから、樹さんは私の暗い顔の原因など直ぐに分かってしまったようでした。
祖母のモルヒネ投与に唯一利点が、それも私達にとってですが、あるとするならば死期がはっきりと分かるという事でしょうか。
「その日」が二週間以内には確実に、先生は明確には言いませんでしたが、やってくる。それだけで心持ちは違いますし、もっと現実的な事を言えば、お葬式やお金などの様々な手配が出来ます。
嫌な利点ではありますが、疲れ果てた祖父や母を見ると有難いとすら思ってしまうのでした。ですが、その準備だって祖父や母は苦しかった筈でしょう。
私も樹さんがいなくなるその日の為に、一つだけした事がありました。樹さんには知らせなかったのですが、もし何かあった時の為に、お爺さんに私の携帯の番号を教えていたのです。きっと樹さんに何かあったら、最初に見つけるのは私ではない。私は彼の最期の瞬間には立ち会えないと覚悟をしていました。
ですから、それがお葬式もお金も必要ない、樹さんの「その日」の為に、私が出来る唯一の準備であり、罪悪感と言えばいいのでしょうか、樹さんに対して酷い事をしているような気がしてなりませんでした。本人は一生懸命生きようとしているのに、本人の意思を無視しているような、そんな気がしたのです。
樹さんは嘘を吐くのが得意ではありません。今までに必要がなかった所為で上達しなかったのでしょう。樹さんの問いかけはストレートであり、はっきりとお祖母さんの事?と問われれば、私としても嘘を吐く訳にはいきませんでした。
祖母が危篤なんです、と樹さんを見ないまま私は言いました。それに対して樹さんは、そう、とただ一言だけ返してきました。たった一言でしたが、誰にも言えなかった沢山の事、祖母の事や、樹さんの事、その二つによって近くなってしまった死という事、について言葉に変えたいと強く思いました。誰かにずっと聞いて欲しかったのです。
「分かっていた事なんです。でもいざはっきり分かってしまうと……」
「そっか。僕も母さんが枯れた時、一生分の感情が押し寄せてきた気がした。誰かがいなくなる、いや、この世界のどこを探してもいないって何であんなに辛いんだろうね」
「私は、母や祖父に比べたらきっと辛いなんて言えないんでしょうけれど、」
「いいや、君は辛くて悲しい。それで十分じゃないか。誰にも今まで言えなかったんでしょう?家族の人にも、僕にも。きっと僕の事を気にして」
「……だって、樹さんといる時は楽しい話をしたかったんです」
「ありがとう。でもね、いなくなるとその人の話をする事が全くなくなってしまうんだよ。思い出す事だって。忘却に罪の意識を感じる事がこれからきっとある。僕も母さんの事を思い出さない日が多くなって、酷い息子だと思った。けど、今になって思うのは、見送られる側になるとそうあって欲しいなって。さっさと忘れて欲しいって」
「忘れてって……忘れられないですよ、私は。おばあちゃんも、樹さんも」
「僕は、忘れて欲しい。先に生まれた人は、後に生まれた人を守って育てる役目がある。その代わり、後に生まれた人は先に生まれた人を見送ってあげる役目があるって僕は思っている。だから君のお祖母さんが先に逝って、君が見送ってあげるのは孝行だって思うよ。でも、僕たちは違う。まあ、僕は君より先に生まれているけれど、僕は君に何もしてあげられていないのに、辛い役目を背負わせてしまう。ならいっそ忘れて欲しいし、最期の瞬間だって来て欲しくない。どうやっても君を悲しませてしまうのが僕は死ぬより辛い。だから、せめて忘れて欲しいんだ」
「そんな事言わないで下さい。忘れるだなんて」
「ごめんね。先に死ぬから忘れろって、本当に勝手だね。僕が死ななければいいのになあ」
私の辛さと、祖母や樹さん、先に逝く人達の辛さはどちらが辛いのでしょうか。後に残って、大切な人と二度と会えない現実に嘆き、忘却に怯える辛さと、大切な人を残し、側にいられない辛さは。
私には今だって分かりません。ただ、嘆くでもなく、諦めたように自分の死を受け入れる樹さんは、祖母と違って不憫に見えました。樹さんの言うとおり、祖母は役目を果たしたからなのかもしれません。愛する人と共に、子供や孫を見守ってきたのです。子供や孫の誰もが自分の足で立って生きていけるようになるまで、ずっと。
樹さんは何を果たせたのでしょう。私やお爺さんが忘れたら、誰も樹さんの存在を知る人はいなくなります。それなのに、忘れて欲しいと願う。死に逝く人というのは皆そんな気持ちなのでしょうか。
「私は、絶対何があっても樹さんを忘れません」
私はもう一度繰り返しました。忘れろと言われると、どうしてもさようならを告げられているようで、曖昧に笑い、黙ってしまった樹さんを見ていると、自分の予感が正しいような気がしてしまったのです。
樹さんがまだ、さよならを告げる選択肢を持っていたら。自分の事を勝手だと言う樹さんは、私の為に自分の心を殺す事なんて厭わない筈です。本当は、一人で死ぬ事を受け入れているのかもしれません。
彼がそんな覚悟をしているとしたら本当に悲しい事ですが、それは同時に私の中で生まれていた覚悟をより強固にするだけです。樹さんが私を遠ざけようとすれば、私はその分側に近寄るのだと彼は、知りもしないでしょう。
私の覚悟とは、木になる事です。その覚悟が正しかったのか、それより良い方法なんてあったのかなど今も分かりませんが、私が彼と歩みたいと願う限り、その想いの行き着く先には、いくら考えてもそれしかなかったのです。
樹さんが本当に自分勝手で、自分の望みを一番にするような人であれば良かったのに。いや、私が覚悟を決めるのが遅すぎたのです。
残された時間を考えれば、彼は勝手にさようなら、と死んでしまうかもしれませんし、そもそも私が木になる為には、樹さんが答えてくれなければならないのです。
覚悟が強くなればなるほど、少しは変われたと思っていた私の今までとの変わりなさに、無力感も強まりました。
いつだってそうなのです。やりたい事、本当に欲しかったもの。それに気付くのがいつも少し遅かったのです。今からだったら取り戻せる、そんな時には決して気付けません。もう二度と手に入らない、そんな時にならないと私は気付けないのです。
祖父の言葉で気付けたはずなのに、何度失っても後悔だけしか私には手に残らない。さようなら、なんて嫌なのに、記憶の奥底に沈んで積み重った「やりたかった事」達が、きっと今回も後悔しか残らないのだ、とまだ見ぬ未来を見せようとします。
たった一回でも、「やりたかった、欲しかった事」を逃すことなく手に入れられたなら。―――いえ、私の人生は諦めていただけであり、それは自分自身の責任だったのです。それにやっと今気付いた事だって既に遅く、何も変えられないのです。
諦めるのも、運命。いくらそう思っても、今更の覚悟がそれを受け入れようとする私の余計な枷になりました。
その時の私にとって祖母の死と樹さんの死は同じものであり、祖母のモルヒネ投与の結論が出るまでの数日間は本当に息苦しいものでした。祖母はモルヒネ投与されれば、樹さんだって。そんなありえない考えに取り憑かれ、やがてやってくる逃れられない結末に、心など無視して、私を置き去っていく。
結局数日の後、祖父や母達はモルヒネの投与へ同意しました。そこに私の意思はもちろんありませんし、孫である私より祖父や母達の意思が尊重されるべきです。けれど、モルヒネの投与が決まった時、樹さんの死が決まったようで目の前が真っ暗になりました。
祖母と樹さんは、違う。何度も言い聞かせていても、祖母の見舞いに行き、息をしているのを見ると、例え土気色のむくんだ顔であっても、樹さんも生きていると思え、安堵できたのです。
祖母のモルヒネ投与が明日に迫った日、私は一人で祖母の病室にいました。八月の昼下がり、祖母に見舞いに行けば強い日差しが嘘のように、病室は涼しかったものです。適温というのでしょうか、寒過ぎもなく、暑過ぎもなく春の心地良い頃のような温度に身を預けながら、少し暑い窓際から見える景色は見慣れた田んぼと濃い青い空が広がっていました。
ですから、祖母を見舞いにいくと自分が今どこにいて、いつを生きているのか酷く曖昧になったものです。特に祖母と二人きりの時はそれを強く感じました。
人にとって「いつ」「どこで」生きるのはあまり重要ではないのかもしれません。今、どこでもない「ここに」生きる、それしかないのだと祖母を見ている中で何度かそう思わされました。
祖父は着替えを取りに家へ帰り、母は買い物にでかけ、その時、私は祖母と二人っきりでした。祖母の病室で流れる曖昧な時の中でも、時間は確実に進んでいます。祖母の病状はゆっくり、しかし確実に進行していきましたし、今こうして生きている祖母は明日になったら点滴にモルヒネが混ざり、最期の時まで眠り続けるのです。
すっかり眠っている祖母の呼吸に耳を澄ましながら、私はレシピ本を読んでいました。祖母沢山の料理を作って、振る舞うのが好きな人でした。ですから入院中の祖母が楽しく読めるものの一つとしてレシピ本を持ち込んだのですが、眠り続ける事が多くなった今は専ら自分が読むようになっていました。
私は食べる事が好きでしたが、制作過程を見るのも好きでした。幼い頃はよく、祖母や母が夕飯の支度をしている側で、シンクの縁に手をかけながら包丁捌きに驚き、味見をねだったものです。出来立ての美味しいおかずを小皿や小さなスプーン分けて渡してもらうのはその頃の小さな幸せでもありました。
ページを捲る度に現れる、たくさんのカラー写真に写った美味しそうな料理達。そして、その工程が丁寧に記されているレシピ本は魔法の本のようだと言ったら大袈裟でしょうか。
祖母が目覚めたのはキッシュのレシピのページに差し掛かる時でした。私は写真を見ていたので、祖母が起きた事に気付けませんでした。目覚めに気付けたのは、祖母が私の名を呼んだからです。それも寝起きの弱々しい声ではなくはっきりと、力を絞るような感じでは全く無く、かつてのように私の名を呼んでくれたのです。
「みきちゃん」
「あ、起きたの?」
「うん。ねぇ、みきちゃん。お嫁に行くの?」
「お嫁?何で?」
「料理の本ばかり読んでいるからねぇ。……お嫁に行くの?」
祖母の問いは全く予想外でした。私が料理本を読んでいるのは、祖母の為でしたから、全く料理と結婚が結びつかなかったのです。それにお嫁、花嫁、そんな言葉は私とは縁が無い言葉でしたから、余計にそう感じたのだと思います。けれど、同時に戸惑いながらも祖母の問いかけに目の前が晴れた、窓の外に吹く、首を垂れた稲穂を揺らすような大きな風がここにも吹いた気がしたのです。
ざあざあと音を立て、余計なものを吹き飛ばす秋の風が、今まで悩んでいた樹さんについての全てをどこかへと飛ばしてしまったのでした。
死に行く人に嘘はつけませんでしたから、いいえ、と答えなければなりません。けれどそのお嫁に行くの?という問いに、いいえ、とはどうしても言えませんでした。私には、お嫁さんになりたい人がいたのです。木になるのではなく、私は樹さんのお母さんのように、お嫁さんになりたかったのです。少しの逡巡の後に、私は口を開きました。
「おばあちゃん、私、お嫁さんになりたい人がいるの」
「そうなの?良かったわ」
「でも、なれるかな」
「相手の人はみきちゃんを好きなんでしょう?それなら、お嫁さんになれるわよ」
「そうだけど…」
「みきちゃんがお嫁さんになりたかったら、なれる。ならなきゃ。あんたはいつも諦めてばかりいたでしょう?生きてるんなら、諦めちゃ駄目」
「……うん」
「お嫁さんになりなさい。なりたい人がいるなら」
「うん、頑張ってみる」
「それでいいの。でも、みきちゃんの花嫁姿を見られないのは残念だね」
「ごめん、もうちょっと早ければ」
「結婚に遅いも早いもないのよ。みきちゃんのタイミングが今なんでしょうよ」
樹さんの事を誰かに話すのはこの時が初めてでした。本当はずっと誰かに話したかったのです。これからやってくる未来は不安しかなかったので、話して楽になりたいと言うよりも、助けて欲しかったのです。
祖母の言葉は私を救うものでした。身体は冷たいはずなのに、諦めきった心にもう一度熱を灯すには十分で、私が間違いなく歩める程の灯りを祖母は言葉にしてくれたのです。
一度何かに気付くのが遅かったからと言って、次もタイミングを逃すかと言うとそうではありません。ただ、そのタイミングを掴む勇気が出せなくなるだけなのです。
私がずっと逃し続けていたのは、今回もどうせダメだろうという勝手な予測に縛られていただけで、自分で樹さんには生きているからと言った癖に、私達の本当の終わり、つまり命が果てるまで、諦めなくてもいい事を祖母が気付かせてくれたのです。この暖かさは、勇気と言い換えてもいいかもしれません。
誰かのお嫁さんになる。それは私の人生であり得ない筈の事でした。ですが、私が望むのであれば、それは充分起こりうる出来事へと変わるのです。
――私は木になるのではなく、樹さんのお嫁さんになるのだ。
ただ言葉を、「木」になるから「お嫁さん」になる、という風に変えただけかもしれませんが、やっと答えを見つけた気がしました。
好きな人が皆と同じでなくたって、一緒になる事は私にとって幸せであり、どんな理由にも妨げられる事も、諦める事も無いのです。好きだから、一緒にいる。例え人と同じではなくても。私にはその勇気が無かったのかもしれません。けれどお嫁に行くというありふれた言葉が、私の中にあるわだかまりを砕いてしまったのでした。
「みきちゃん、幸せにね」
「うん、幸せになるよ。……おばあちゃん、眠い?」
「そうねえ、嫌になっちゃうけど、お話しするだけで疲れちゃうの」
「大丈夫だよ。もうすぐおじいちゃんも帰ってくるから」
「そう。じゃあ少し眠ろうかしら」
そう言うと祖母は目を閉じました。そして、その日の夜からモルヒネの投与が始まり、祖母はもう、最期の瞬間まで二度と目を覚ましませんでした。これが私と祖母が交わした最後の言葉になったのです。
モルヒネ投与が始まって、二週間、眠る祖母を見守る事が続きました。投与が始まった次の日、樹さんには祖母の話をして、しばらくは来られない事を伝えました。樹さんの事も心配でしたが、彼の大丈夫、という言葉を信じるしかありませんでした。
祖母の病室はビジネスホテルよりも広く、家族も過ごせるスペースがちゃんと作られていたので、私達は祖母の近くで、投与が始まってから口を開けて息をするようになった祖母の大きい呼吸を聴きながら過ごしました。
もう、レシピ本を読む必要もありません。何時その時が来てもおかしくないのですから、祖父も母も祖母から離れるように座り、その日を、―――待っているようにも見えました―――迎えようとしていました。
そしてきっかり二週間経った日の深夜、祖母は亡くなりました。呼吸が止まった祖母を見ながら、人が亡くなるのは何故深夜が多いのか、いつか誰かに聞いた理由を私はぼんやりと思い出していました。
祖母の病室に集まった皆は、あまり泣いていなかった様な気がします。私達が病室に着いた時には、皆疲れていたのか、覚悟が出来ていたのか、それとも泣き止んでいたのか、夜の静けさが耳に痛い程静まり返っていました。そんな中でしたから、母が一人だけ泣いていると突然祖父が怒鳴りつけた声や、それを諫める伯母さんの声だけがはっきりと聞こえ、余計にこの時の祖父は私の知らない誰かに見えたものです。
人は生きるのも大変ですが、死んだ後も大変です。残された人々は悲しみの中で様々な手続きをこなさなければなりません。しかし、そのおかげで大きな悲しみに直面していながら、悲しみを麻痺させる事ができ、平常な心を取り戻すきっかけを掴もうともがいているのかもしれません。それが良いかどうかは別の話ですが。
私も葬式の後、火葬場に行き、祖母の骨を見た時でさえ、祖母がこの世にいないという実感はありませんでした。一番ショックを受けていたのは祖父でした。どれだけの悲しみが祖父の中にあるのかは私には分かりません。ですが、祖母が死んだ夜から人が変わってしまったように振る舞う祖父に私達は混乱させられることになりました。
あんなに陽気でしっかりした人だったのに、様々な手続きの中で気分の浮き沈みが激しくなり、母や叔母さんに対して酷く当たるようになりました。あれも悲しみの表れだと今はわかりますが、祖母の死よりも、祖父の変わりようが悲しかったのをよく覚えています。
祖父は社交的で女性が好きな人でした。やきもち焼きの祖母は、祖父が女性と話していると良い顔をしなかったのを良く覚えています。しかし入院する前まで、二人は連れ立って旅行に行っていましたし、お気に入りのカメラで祖父が撮る写真には決まって祖母の姿が収めてありました。祖父は祖母が一番大事だったのだと思います。だからこそ、私にあんな事を言ったのでしょう。
祖父とは対照的に、祖母が亡くなり、母は大泣きをしていましたが、数日も経てばどこか晴れやかな顔さえしていました。看取った、という気持ちが強かったのかもしれません。祖母が一生懸命生きた事を最後まで見届けられたのがある意味良かったのでしょう。ちゃんと大泣きをした事で、流れた涙は悲しみを溶かしてくれたのです。予期された死というのは私達に死と向き合う時間を嫌でも与えます。その時間をどう過ごすかで悲しみ方は大きく変わってしまうのかもしれません。
初七日も終え、気が抜けたような日常が戻って来た頃には八月も終わりを迎えていました。祖母の死と夏の終わりは、初夏に始まった全ての終わりを予感させました。樹さんと私の物語も、一つの結末を迎える時がやってきたのです。