第1話
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百日紅が咲くのを忘れるほど暑い夏、それが平成最後の夏でした。
初夏から夏にかけて天災が多く、平成最後の年を語る時、きっと夏ばかりが人の口に上る事でしょう。地震や大雨による水害、記録的な猛暑。そんな文字ばかりが新聞の一面を飾っていましたが、幸い、私が住む×××県は、連日の猛暑に悩まされるだけでした。
私が住む×××県、もう少し住所を詳細に言えば×××県のO市になり、O市といえば明治時代には避暑地として文豪達が訪れる事も多かったそうですが、そんなこの場所も三十度を超す日が何日も続いたのです。
本当にこの夏は暑かった。肌を焼く暑さは痛い程で、そして私個人にも大きな事ばかり起きた所為か、この平成最後の夏というのは五感すべてを支配するような記憶が残っています。
祖母が亡くなったのも、私が最初で最後の恋人になる人と再会したのも、この夏でした。終わりと始まり、悲しみと喜びが入り混じっている所為で、私の身にあった事を振り返る時、私は泣けばいいのか、笑えばいいのか分からないのです。こうして思い出しながら書いている今でさえも、戸惑っているぐらいですから、これからどうやって書き続ければいいのか、正直分かりません。
けれどその戸惑いは、全ての始まりがあの夏にあると思うからなのでしょう。祖母の病気は平成の終わる二年前から、私の恋人、名前は樹と言うのですが、樹さんに出会ったのはもっと前、二十三年前になり、偶々それぞれの出来事の実りが重なっただけなのです。
とは言え、書き慣れない身では、取り敢えず書き始めたものの、起こった出来事を何から話せば良いのか本当に見当が付きません。それでも私は全ての出来事を書かなければならないのです。読んだ人が私の身にあった事、これから迎えるであろう結末を正確に知ってもらう事で、起こりうる様々な誤解や疑問を解消する為に。もしそれが出来なければ、必ず樹さんに迷惑が及び、彼が悪人になってしまうでしょう。私自身が望んだとしても、何も知らない人が事の顛末を知ればそうなるのは致し方無いのです。
私が選んだ道は間違いなく、私を幸せに導くと信じてやまないものですが、他人はそう思えない筈でしょうから。人生百年と言われるこの時代、長い一生のうち、全てを投げ打ってしまえる人に私は出会えたと言ったところで、失笑を買うのは目に見えています。身の丈にあった平凡な幸福こそが至上だと、それは大方正しいのですが、押し付けられるだけ。だから、例え滅茶苦茶であったとしても、私はこの出来事を書き上げ、残さなければならないのです。
兎にも角にも、悩んでいても始まりません。一番初めに起こった事から、書く事にしましょう。それが良い気がしますし、私も話しやすいですから。
この夏に起こった全ての出来事の発端の中で、最初に起こったのは、今から二十三年前の夏の日、私が初めて樹さんに出会った日の事になります。
その年に小学校へ入学したばかりの私は、人見知りだった所為で中々友達が出来ず、夏休みに入っても三つ上の姉と遊んでばかりいました。母はその事をかなり心配していたようです。しかし当の本人が大して気にしていない事、それに本人が望んでいないのに無理矢理させるのも可哀想で、友達の輪に入れるような事が出来なかったとも言っていました。
その日は姉がおらず、また母はビデオ屋で借りてきた邦画を観ていたので、酷く退屈だったのを良く覚えています。冷房の効いた部屋から見る窓の外は、太陽が燦々と輝いていて、子供には魅力的に映っていたのでしょう。いつもは母にべったりの私も退屈には勝てません。母に近くの公園へ行ってきてもいいかお願いするか、それが駄目なら連れて行って貰おうと思ったのです。
横になって映画を観ていた母を揺すり、公園に行きたいと言うと、少し考えて一人で行ってきなさい、と母は言いました。公園には近所の子供達が集まっていましたから、友達が出来るかもしれないという期待、また一人で行かせても危なくないと思ったのでしょう。
母は私に帽子を被せながら、山の方へ行かない事、川に近寄らない事を約束させました。川はしっかりとフェンスに囲まれていましたし、川辺へ降りる階段もありません。また公園に向かう道の、一本手前の道を流れていました。一方で山へ向かう道は公園へ向かう道と途中まで一緒です。ですから、母が取り分け危険だと思っていたのは山でした。
山の入り口や途中までは人家があるのですが、公民館とお寺を過ぎると人気が一気に無くなるのです。あとは木々と道路があるだけで、地元の人でもその道はあまり通りません。確かに隣町への近道なのですが、車同士すれ違うのがやっとの幅に、電灯もない、少し怖い道なのです。
だから母は私に山へ入らせない為に、まるでお呪いのように酷く真面目な顔をしては、お寺さんの付近にはおばけが住んでいて木に変えられてしまう、そして二度と家に帰って来られなくなる、と言うのでした。
何故「食べられてしまう」などもっと良く言われているような事ではなく「木に変えられてしまう」なのか。これにはちゃんと訳があって、この地域に伝わる伝承がベースになっているのです。
昔この辺りには鬼が住んでいたと言います。鬼は、山の神をわざと怒らせては強風を吹かせ、その風は集落の家々を壊す程のものだったので、人々は大変困っていました。しかし、集落に住むある娘をその鬼が見初めた事から、娘は生贄として送り出されました。娘は自分が食われたら、また鬼は悪さをすると思ったのでしょうか、山の神に頼み、不思議な力で木に姿を変えてしまったそうです。そして鬼は生まれて初めて見初めた相手を失い、三日三晩泣き続け、とうとう死んでしまった、という話があるのです。
ちなみに、山の中腹には公民館とお寺が向かい合って建てられていて、そのお寺には立派な御神木があり、それが娘の木といわれています。鬼と娘の話は、この周囲に住む人なら誰もが一度は聞いた事がある昔話でしょう。ですから、あの辺りは昔から鬼の住処であるという事であり、そして、そんな昔話を納得させてしまう雰囲気が今も残っていました。
子供というのはそういうものに敏感なのか、いたずら好きな子供たちでさえ近寄る事はなく、私も大層怖がりだったので、母に言われなくても山の中へ行こうとは一度も思いませんでした。
しかしあの日、山か公園へ進む道の岐路に立った私は、公園ではなく山を選んだのです。何故かと問われたら、しっかりとした理由は答えられません。強いて理由を上げるのであれば、あの岐路に立った時、涼しい風が吹いていた事でしょうか。夏なのに、秋に吹くような風が汗を拭うように袖を通り、帽子の縁を掠めていきました。たったそれだけだったのに、母が私を呼ぶ時より強く、そして懐かしさすら覚える程に、呼ばれている、行かなければならない、そう思ったのです。
お寺で行われる夏祭りに行く為に数回程しか通った事がない緩い坂道を、私はどんどん登って行きました。お行儀良く並ぶ家々は昔ながらの日本家屋が多く、坂道を進めば進む程、今がいつなのか、ここは自分の住む町なのか曖昧になって、何度も足を止めようとしました。それでも歩き続けたのは、引き返せば良いのに、振り向いたら道が無いような、そんな恐ろしさもありましたし、この感覚を無視してはいけない、という強い想いもあったのです。
歩いて、歩いて、夏の一番暑い時間帯という事もあり、誰ともすれ違わずに私は歩いていきました。アスファルトの上を揺らめく陽炎を幾つもくぐり、髪が汗で肌にすっかりくっついてしまった頃、ようやくお寺へと辿りつきました。
涼しい風はここから吹かれていたのでしょうか、境内に入れば少しずつ汗が引いていきました。地面が、境内に続く道以外は、アスファルトではなく土である事、また木陰が多いので風がそこを通り抜ければ温度が下がるのでしょう。
流石に歩き疲れた私は、一番涼しそうではありましたが、お寺の真ん中にある御神木には寄りかかれなかったので、少し離れた場所にある御神木より一回り小さな木の下に腰かけました。そこに座ると丁度真正面に御神木があり、汗が引くまでずっと私はそれを見続けていました。夏祭りで来る時は宵闇でしたから、その時初めて御神木が寺の木々の中で一等大きく、太陽の光に負けないほど濃い緑色をした豊かな葉を持っていると知ったのでした。
境内には誰もいませんでした。やっと一息つき、汗が引くと同時に私は母との約束を破ってしまったという罪悪感に、暑さが遠のくような感覚を覚えました。大人との約束というのは、少なくともその頃の私にとっては、破る事など許されない、守らなければならない大切なものでした。これがばれてしまったら母は大層怒るに違いない、そう思うと私は直ぐにお寺を出ました。
出たのですが、ここに来るまで気付かなかったのに、今度は丁度真正面にある公民館の奥、見た事のない赤い花に目が奪われてしまったのです。幼い私はその花の名を知らなかったのですが、百日紅の花が見事に晴れ渡った青空に映えていました。さらに良く見れば、公民館の脇に細い道があり、その道の先に百日紅があったのです。
もっと近くで見てみたい、私はそう思いました。こんな真夏に咲く花があるのかと、酷く珍しく思ったのでしょう。百日紅は決して特別な木ではありませんから、見た事が無かったとは考えにくいのですが、私の記憶の中で、初めて百日紅が現れたのはその時でした。夏はどこも緑ばかりですから、なおのことその赤い花は鮮やかに見えたものでした。
伸び盛りの雑草に埋もれそうな道を赤い花を目印に進むと、公民館の裏手というには少し離れた場所にその木はありました。そしてそれは意外なことに、庭に植えられていました。道は今にも埋もれそうな程でしたが、牧場で見るような、私の肩より低い木の柵が現れ、それは平屋と百日紅を囲んでいたのです。
突如現れた木の柵に驚いた私は、玄関らしきものを見つける事が出来ませんでした。いくら近くで見たいと言っても柵を飛び越える勇気もなく、私はじっと柵越しに百日紅を見つめていました。赤く見えた花は若干桃色が混じり、図鑑で見た海の向こうの花を想起させ、滑らかな、まるで人の肌のような幹や枝は触れてみたいと思う程でした。
目を引いた鮮やかな花から枝、幹と視線を下していくと、私は再び驚かなければなりませんでした。百日紅の根元に、男の人が座っていたのです。眩しい日差しに隠れるよう、木陰の下に座っているその姿は、強い日差しの所為であまり良く見えなかったのですが、何とか格好だけ、白いシャツに私の麦わら帽子と同じ色のズボンを履いているように見えました。
年齢はというと、父より若く、私が通っていた小学校の国語の先生ぐらいで、大学を出たばかりのその先生は大層子供たちに人気があったものです、少しだけ親近感を覚えました。それでも私は声を掛ける事はせず、男性が気付かないうちに立ち去ろうと思いました。
私の知る大人と言うのは、子供が一人で歩いていると親切に声を掛けてくるもので、それは知らない人と話すのが苦手な私にとって、今思い返せばありがたいことなのですが、とても怖い存在でもありました。だから、そっと立ち去ろう、そう思ったのです。しかし、彼は私の気配に気付いたのか、こちらに目を向けてしまいました。
直ぐに逃げれば良かったのです。いえ、きっといつもの私なら話しかけられないようにそうしていたでしょう。けれど私の目と彼の目が合った時、あの岐路で吹いていた風が体を通り抜けていき、あの風はお寺からではなく、ここから吹いていたのだと分かりました。彼が私を、母より強く呼んでいたのです。胸の奥が締め付けられるような、息が止まるような感覚が体を駆け抜け、逃げ出すという考えも私を呼ぶ涼しい風に奪われ、私はそのまま彼を見ていました。
先に動いたのは彼でした。動いたといっても私に近づくことはせず、ただ知り合いにするように、それにしては随分と丁寧にゆっくり頭を下げました。私は大人同士がするような挨拶をされた事に驚き、いつもの私に戻ることが出来たのです。戻った私は直ぐに、彼へ挨拶も返さず逃げ出しました。たったそれだけの事が、時間にすればほんの数分の出来事の全てが、色を落とさずに私の網膜に焼き付いたのです。
母との約束を破り、辿り着いてしまった百日紅が咲いている秘密の場所。そして知らない男の人。埋もれそうな道を戻り、お寺に出ても、緩い坂道を下っても、あの百日紅と男性がいる庭の残像が消えませんでした。
それが何よりの約束を破った罰に思え、恐ろしさと、それなのに私を惹きつけてやまない百日紅の美しさを忘れたくない気持ちが入り混じって、どうしていいか分からないまま私は坂を下りました。今でも思うのですが、あの混乱の中、よく一度も転ばずに戻れたものです。
家に戻った時、すっかり映画は終わっていて、母は夕飯の支度をしていました。台所に立つその姿は日常そのもので、私を落ち着かせましたが、完全に元通りとはいきませんでした。
公園は楽しかった?と聞く母に、うん、とだけ言うのが精一杯で、ずっとエプロンの裾を握り締めるだけでしたから、母はまた私が友達の輪に入れなかったのだと思ったのでしょう、それ以上何も聞いてきませんでした。母の勘違いに私は救われた形になったのです。
いえ、例え口が聞けたとしても、何も言えなかったでしょう。当時は、その日あったことを全部話すのが母との約束だったのですが、あまりにも非日常な出来事が連続してしまって、これを書きあぐねていたように、数少ない話し相手である母に何から話せばいいのか途方に暮れていました。結局、私は誰にもその日の事を話す事はなく、この時、生まれて初めて母には言えない秘密を抱えることになりました。
子供の毎日は日々新鮮で、未知のもので溢れています。だから、明日がやってくれば昨日の興奮は遠くなる筈なのに、あの赤い花と彼の姿は遠くなるどころか、鮮やかなままでした。もう二度と恐ろしくてあの場所には行かない、行ってはいけないと思う程心の底にしっかりと根付いてしまったのです。
それが、彼、樹さんとの出会いでした。
二度と一人であの岐路の先に行く事はない、あったとしても埋もれそうな道を進む事はない。鮮烈過ぎる記憶を封じ込める為に何度も何度もそう言い聞かせなければ、私はもっと早く樹さんと再会していたでしょう。
結局二十数年経つまで忘れられず、私はあの場所に一人で訪れる事はしませんでした。
お寺には行ったのです、夏祭りや地元の小さなイベントは大抵そのお寺で開催されていたので、行かない訳にはいきませんでした。年を重ねるごとに記憶の色は鮮やかさを落としたとしても、網膜に焼き付いた光景は消せません。あの緩い坂道を登ると、鼓動は跳ね、吹いていない涼しい風を感じ、母や父、姉に手を引かれお寺に来る度、私は公民館の向こう側へ、あの時見えた百日紅を探してしまうのでした。流石に細い道を辿る勇気はありませんでしたが、恐ろしい筈なのに、私を惹きつける何か、呪いとも言っていい程のものがありました。そうです、私は樹さんに呪いをかけられたのだと思います。目が合った時、心の一部に樹さんは根を張ったのです。
誰かに心を奪われる事、それは美しい言葉で幾らでも表現出来ますが、私にとって樹さんに纏わる全ては至上の喜びをもたらすものであり、私の全てを捧げなくてはならないものでもありました。だから、ありきたりな言葉で片付けるぐらいなら、呪いと言った方が余程しっくりくるのです。
木々は冬になると葉を落とし、春を待ちます。樹さんの張った根は枯れる事はありませんでした。彼は私が再びあの庭を訪れるまでの二十三年の間、春を待ち続けたのです。
小学生などとうに過ぎ、中学、高校、大学、そして社会人へ。二十三年という月日は私をすっかり大人へ変えていきました。地元に同級生達は誰一人残りませんでしたが、私だけ同じ場所にとどまり続けたのも、何か運命的なものを感じます。
三十年間、私の人生は平坦な道でした。とびきり不幸でもとびきり幸福という訳でもありません。姉は誰もが憧れる、選ばれた人しか出来ない仕事をしておりましたから、何か私の人生で起きる筈だった刺激的な出来事は全て姉にもっていかれたのだ、そう思って「特別」を期待せず、些細な事に悩み笑う日々を過ごしていました。
しかし、そんな事は私の勘違いに過ぎませんでした。誰もが、とは言えませんが、一生に一度、全てを賭けるべき、そしてその結果は人生を大きく左右してしまう出来事があるのです。私にとって、それが樹さんとの再会だったのでしょう。
あの百日紅に誘われた日から二十三年後の初夏。一年の中で一番気持ちの良い季節の、更に一等美しい時間である、夕方の少し前に私達は再会したのです。
私はその日、日課である夕飯前の散歩に出かけていました。近所に何故かクチナシを植えている家が多かったので、初夏になると甘い匂いが濃く漂い、まるでそれに誘われるかのように、休日は近所を散歩するのが習慣だったのです。ふらふらと決まったコースを歩いていると、公園と山への岐路に差し掛かりました。いつもは決して足を止めません。何故なら二十年以上経った今でも白昼夢にしては鮮やかなあの場所がまだ恐ろしかったのです。それなのに、歩きやすいサンダルを履いていたからでしょうか、何も考えずに歩いていたからでしょうか。
いえ、涼しげな風が吹いていたからでしょう。日が傾きかけ始める、美しい時間を飾るような、クチナシの甘美な香りを多分に含んだ涼やかな風が吹いていたのです。
その涼しさはあの日と同じでした。大人になったといえど、幼い私が強く誘われたように、抗えない何かがありました。樹さんは私の心に根を張った日から、いえ、その前からずっと私を呼んでいてくれたのでしょう。涼しい風はかつての私にとって母との約束より強いものでしたが、きっと大人になった私を呼ぶには涼しいだけでは物足りないと、甘い香り、大人になったからこそ分かるその匂いをのせて樹さんは風を吹かせたのです。
私はこの三十年、誰かに恋われた事はありません。母も父も姉も、私を愛してくれましたが、赤の他人から私の全て、頭のてっぺんから爪先まで必要とされた事がなかったのです。だから恐ろしさの中に、無意識のうちに向けられた好意を感じて、山へと歩いていったのかもしれません。
家族から必要とされる、愛されるのはある意味生きていく上で当たり前、と言ったら語弊がありますが、それに比べると他人から必要とされるのはとても難しいと私は思います。家族の愛より必要が無いかもしれませんが、周囲の人々は簡単に得ているように見え、そしてそれを得られない事に寂しさを覚えていたのです。私はその誰にも言えない寂しさを埋めるものを、ようやく樹さんに与えてもらう事になったのでした。
甘い、涼しい風は止む事はありませんでした。少し汗をかいていた筈なのに、私の髪を通り抜けるだけではなく、まるで風が柔らかなハンカチとなり汗を拭き取っていくかのように、髪を少し持ち上げては揺らし首筋をさらっていきました。
幼い時は十五分程度かかる道も、今は十分もかかりません。道を歩きつつ、一つ、二つと植えられているクチナシの花を数えていくと、お寺の鐘が重く鳴り響きました。花を追う事に夢中で歩いていた私は、ようやく目的地に着いた事に気付き、辺りを見回しました。鐘は誰かが鳴らしているのでしょうが、ここからは誰も見えません。ですから、あの日と同じく境内には人気はなく、緑だけが圧倒的な存在感を放っていました。
お寺に入っていないのに、大きな御神木が境内を隠すようにそびえ、鬼の話を否が応でも想起させます。それはここに来ればいつだって思う事で、夏祭りに家族と一緒に来た時と何も変わりません。ここは、そういう場所なのです。ただいつもと決定的に違うのは母も姉もおらず、あの日のように私だけがこの場所にいる、ということでした。
鐘の音に背を向けると、やはりどうしても気になるのは公民館の方です。そこにあると思って見なければ気付かない程の細い道は、草に覆われていましたが確かにありました。
しかし百日紅が咲くにはまだ時期が早く、その為何も目印になるものはなかったので、道は確かにあるものの、あの庭は白昼夢であったのではないかと私は思い始めていました。恐れていたものなど無いと期待していたのです。友達がいなかった寂しい子供の妄想だったと、そう思いたかったのです。その為には目の前にある埋もれそうな道を進まなくてはなりませんでした。ここまで来てしまったのだ、この先に庭がないと確かめなければ、と私は二十三年前と同じ道を辿る事にしたのです。
真夏ではないのに、長いものは膝上まで伸びた草を踏み、どこにも咲いていないはずのクチナシの匂いを微かに感じながら一歩ずつ奥へと進んでいくと、見覚えのある柵に私は歩みを止めました。
白昼夢ではなかったのです。この先には幼い頃見た景色と同じものがある、全てを見る前に確信に近い予感が私を動けなくさせました。それでもここまで来たら引き返す訳にはいきません。
果たしてそこには、記憶と同じく平屋と庭がありました。しかしあの百日紅の木はありませんでした。確かに木は無かったのですが、代わりに男性が立っていました。白いシャツに、ベージュのズボン。彼は私の来訪を知っていたかのように、こちらを見ていました。驚くべきは、その顔が二十年以上経っているというのに、小学校の国語の先生を彷彿とさせた事でした。つまり、彼は全く年を取っていなかったのです。百日紅は折れて朽ちたのか分かりませんが、消えてしまったというのに、彼だけはあの日のように庭に立っていました。そして過去をなぞるように、私を見てゆっくりと会釈をしました。
私は驚いてはいましたが、不思議と恐怖は感じていませんでした。恐ろしかった筈の道の先を確かめた事で、恐怖より、長い間胸につかえていた嫌なものが消え、確かに存在していたこの不思議な庭と彼がはっきりと輪郭を持ったのです。胸のつかえが樹さんの「呪い」だったとするなら、その瞬間にそれは完成され、異分子だった樹さんの根が私のものになったのでしょう。
私はもう、子供の私ではありません。ぎこちなさは否めませんが、逃げる事無く会釈を返し、ずっと彼を見つめていました。目を離せなかったのです。その体は透き通ってはいませんでしたし、まして鬼のような姿でもありません。どこにでもいる男の人でした。
「どうぞ、こちらにいらっしゃい」
透き通った高めの声は、涼しい風のようで、やはりあの風はここから吹いていたのだと思いました。私は言われるがまま、小さい頃は見つけられなかった戸を開き、百日紅が咲いていた庭へと入りました。そこは殺風景というのでしょうか、緑ばかりの周りと違って、木が無い所為で白茶けているように見えました。草一つ生えていない庭は手入れされていると言えば聞こえはいいのかもしれませんが、奇妙な印象が、山の中の緑深い場所で、ここに来るまでの細い道には雑草が生い茂っているというのに、まるでここだけ不毛の地という感じを受けたのです。何もない庭は体温だけでなく、心の温度を奪っていくような寂しさがありました。
かつて木があった場所に私達は立って、ようやく初めて言葉を交わしました。二十三年前の夏の日の事はお互いに言わず、まるで初対面のように、そうしないと説明できない事が多過ぎて、今はそうするしかないように思えたのです。
彼は樹、と名乗り、私も名前を彼に伝えました。その時ーー私の名は美木子というのですがーー宝物を見つけたような瞳で、美木子と彼は呟きました。きっとこの瞬間、私は彼に恋をしたのです。奇妙な程殺風景な庭に、得体の知れない男の人。私の平坦な人生に突然訪れた異質なものは吊り橋のように、私の心を揺さぶるには十分でした。
この庭のような寂しさを抱えた私にとって、彼の声はどこまでも吹き抜けていきました。幼い頃、母の声より強く惹かれたあの風は、私の名を呼ぶ彼の声だったのです。
二十年以上前の出会い、そしてこの再会は運命という言葉で表すのは簡単です。しかし、運命は出来事を連れてくるだけで、何かが変わるとするなら自分がどう感じるかに過ぎないのではないでしょうか。
彼に招かれ、それに応え、私の名を呟いた声に、瞳に、その瞬間に意味を感じたからこそ、初めてそこで運命は動き出したのでしょう。動き出した運命の中に私は恋を見出したのです。
誰かを知りたいと願い、出来ればその先を共に過ごしたいと願う。喜びや悲しみの波に翻弄されつつ、ただ樹さんに対してそう願うのですから、人を好きになるという事は誰かの心の中をさまよう事なのかもしれません。
何を話すでもない私達は沈黙ばかりでしたが、寂しいこの庭から逃げ出したいとは思いませんでした。話したい事は色々あるのに、言葉が出ないというのでしょうか。知りたい事、教えたい事が、少なくとも私はですが、多過ぎると、言葉に変えられず途方に暮れてしまうのでした。
冷静に考えてみれば、また此処にくれば良いだけなのに、何だか次が無いように思っていたのです。何か今ここでしないと、彼はもう二度と私の前に現れてくれないのでは、と。焦れば焦る程に言葉は遠のいていきました。
誰かを好きになるという事は、人を酷く不器用にさせるのだと、私はまだ気付いていませんでした。ですから、夕暮れの空を思わず見上げ、帰らなければと思った時、彼にまた来てくれる?と尋ねられた私はどんなに嬉しかった事でしょう。ずっと逃げて、避けていた筈の私は、もう何処にもいませんでした。
―――きっと、来ます。必ず、来ます。
彼の言葉に重ねるよう、思わず前のめりになるよう、そう言ってしまう程でした。そして彼も嬉しそうに頷くのですから、何が何でもここに来なければならない、そう思ったのです。
茜さす夕方、私は彼に見送られ百日紅の庭を出ました。山の夕暮れは刹那で、再び公園と山への道の岐路に戻った時、空の端は濃紺に染まっていました。だから、一日のうち一番美しい時間はあっという間に過ぎていたのに、世界がきらきらと輝いて見えたのは何とも不思議で、あの日から今もずっとそれは変わりません。
鼻歌交じりに歩き、いつもより遅く家に帰った私に母が少し小言を言いましたが、世界を満たす輝きは消えませんでした。中学生の時、初めて顕微鏡を覗いて見た世界のような、いえ、それよりもっと美しくて鮮やかな世界が、樹さんを通して現れたのです。
―――これが私達の再会でした。何も起きそうもない普通の休日、ですが平凡である筈の私の人生が少しずつ変わっていった始めの日。思っていたより人生というのは、呆気なく変わってしまうものでした。
それからというもの、休日が楽しみになったのは言うまでもありません。少し退屈な、やり甲斐を見つけるのに骨が折れるような、私のように人生が終わるまで何も見つけられない人間に与えられた、「仕事」という暇つぶしが、むしろ有り難いように思いました。
確かに休日は待ち遠しいのですが、いくら焦がれても時間の針が速度を増す事はありません。何でもいいのです、何かする事があれば、その逸る気持ち、少しでも再会の日を思い出そうとする意識を辛うじて目の前の仕事へ縛り付ける事が出来るのでした。
職場の人も、家族も、誰も私の心を知りませんでした。樹さんへの気持ちが恋であるとはこの年齢ですから、とうに気付いていました。ですが、それをわざわざ他人に言い触らすような年でもありませんし、何より彼の存在を信じてもらえるとは到底思えなかったからです。
彼に会えない平日は、帰り道に必ずあの岐路に立ち、少し立ち止まるようになりました。それが直ぐに日課になってしまうぐらい、驚いてしまう程の速さで私は彼に惹かれていったのです。三十年というそれなりの人生の中で誰にも必要とされた事が無かったからでしょうか。家族は惜しみない愛を私に注いでくれましたし、暮らしに不自由など一度も覚えた事はありません。ただ、何かがいつも足りない、心の中のどこかに決して止まない雨が降っているような気がしていました。生れつき、心が欠けているような寂しさ、孤独、そういう類の感情があったのです。
樹さんに出会う前までは、こんな感情を抱えている自分は人として欠陥があるのではと考えていました。その欠陥の所為で、皆が簡単に得ている他人からの愛を得られないのだと。けれど、満たされない寂しさを抱えていたのは私だけではないと今は思います。与えられた「何か」では決して駄目で、自分でみつけた「何か」でしか救われない寂しさ。作家は物語を書く事で、絵描きなら絵を描くことで、それぞれにある癒し方を見つけるしかないのだと。私にとっては誰かを愛する事、樹さんを愛する事だったのでしょう。
この話をした時樹さんは、君は悪い男に捕まっただけだよ、と冗談のように―――本当は酷く罪悪感を覚えている癖に―――言いました。自分が私を見初めた所為で、同情に流された、と。しかし、私はそこまで良い人間ではありません。どうでもいい人に同情は覚えませんし、全ての自由を明け渡すような事はしません。樹さんだからこそなのです。
待ち焦がれた休日。私は日課の散歩へ昼ご飯を済ませると直ぐに行きました。みっともない、と自分でも思いましたが、明るいうちに行って、少しでも彼の側にいたかったのです。
緩いと言っても坂道を速足で歩けば、普段の運動不足が祟って、公民館に着くころにはすっかり息が上がってしまいました。ですから、急いできたのが分かってしまうのは恥ずかしいと、あの庭と同じ涼しい風が吹いているお寺へと足を運びました。
お寺にはお祭り以外で人がいるのを見た事はありません。ですが、この日は境内を掃除している人がいたのです。年は八十ぐらいでしょうか、色あせた作業服を着た男性が黙々と御神木の周りの雑草をむしっていました。相変わらず周りがとても静かだったので、直ぐに私の足音に気付いたようでした。お爺さんと目が合った私は、二人きりという事もあって目を逸らす訳にもいかず、軽く会釈をすると、お爺さんも少しの間の後に頭を下げました。
幼い頃からずっと御神木は立派でしたが、こういう人達が連綿とこの木を守ってきたのでしょう。鬼に見初められた娘の木、その伝承を信じている人は今やいなくても、存在に価値があると思うと少し羨ましい気がしました。
上がった息を整えた後お寺を出て、公民館の脇の、有るか無いか道を進みました。古い柵、古い平屋、そして何もない庭が見えてくると途端に心臓が早くなります。庭に彼の姿は見えません。躊躇いながら、玄関代わりの戸に手を掛けると声がしました。縁側に彼は腰かけていたのです。サンダルというより、つっかけを履いた樹さんは手に顎を乗せ、ぼんやりと何もない庭を見ていました。古い戸は良く軋むので、それが呼び鈴代わりになったのです。
「こんにちは」
「こんにちは。今度は直ぐに来てくれた」
花が咲くような、と言えばいいのでしょうか。ある程度年を重ねた男性にしては余りにも素直な笑顔を樹さんは浮かべていました。自分が息をあげてここに来たのを恥じたのとは逆で、私は驚かされました。それから何度も彼と会って表情や言葉を交わしても、それは変わる事はなく、彼はどこまでも真っ直ぐで明確でした。
誘われるまま彼の隣に腰掛けると目に映るのは、薄茶の庭とその奥に広がる山々の緑、そして空の青しかありません。百日紅の木が枯れてしまった後、彼はたった一人で静かな庭から、この景色を毎日毎日見ていたのです。そう思うと、いったいどうやって生きてきたのかと微かに目の奥が熱を持ちました。
好きな人の事を知りたいというのは、その人と同一になりたいと思うからだけではなく、自分の中に生まれた不安や痛みを癒すためでもあるのでしょう。私は目の奥の熱が胸の痛みになる前に口を開きました。
「私達、先週名乗っただけですから、もっとお話ししようと早く来てしまいました」
「そうだね、二十年以上も待ったのに名前しか聞けなかったから」
「樹さんは、ずっとここに一人で暮らしていたんですか?」
「いや、五年前ぐらいまでは母さんと暮らしていたよ。……でも枯れて、いや居なくなってからは一人でずっと。後は叔父さんが偶に来てくれるぐらいかな。君は?」
「私は父と母、姉の四人家族です」
「そう、ねえ君の事を教えてくれない?僕はこんな場所に住んでいるから色んな事に疎くて」
自分の事を話すのは得意ではありません。が、彼の頼みなら、と一生懸命話しました。家族の事、仕事の事、毎日の事。そして二十三年間、ここに来なかった理由も、記憶の欠片を拾い集めるように、たどたどしくも彼にせがまれるまま、また、彼が大変良い聞き手だったのもあり、私はなんとか言葉にする事が出来ました。そして今までの人生で、こんなに自分の事を語ったのは初めてでした。
彼は確かに大変良い聞き手でしたが、話す最中、一つ気になった点がありました。それは彼が余りにも、言い方は悪いですが、無知であったという点です。私が使う言葉の意味を知らない事が多かったのです。テレビや新聞、ラジオなどから情報を得ていなければ知らない事は多いでしょうし、そういう人は思うより少なくありません。
彼の無知、というのはそうではなく、現代の感覚がないと言えばいいのでしょうか。それに気付くと、浮かれた気分がすっと熱を失って、彼に対する違和感や疑問が──見た目が全く変わらない事や、二十年以上もの間私を待ち続けた意味──私の心を占めていきました。私こそ、彼に尋ねるべき事があるのです。
しかしそれを聞く勇気はありませんでした。聞く意味はあっても、言葉にするのはまだ早い気がしました。余計な事を言ってここに来られなくなるよりも、生まれ始めた、隣に並んで言葉を交わす心地よさの方がその時には大切だったのです。
私達の間には言葉がまだ必要でした。好きなものや、嫌いなもの。語れば語る程違和感が増しても、共通点が無くても私は語り続け、彼は聞き続けました。唯一の共通点と言えば百日紅の花の色でしょうか。百日紅の花の色には白、桃、赤とありますが、私は百日紅の花の中で、この庭にかつて咲いていた赤が一番好きな色でした。夏の空の下、あの赤の鮮やかさは初めてこの庭で見た時から忘れられませんでしたし、私にとって百日紅と言えばあの赤い花だったのです。また、彼にとっても思い出深いようで、私がそう言うと、とても喜んでくれました。
語りながらお互いを知り、共通点がたった一つあるだけで良かったこの時が一番幸せだったのかもしれません。この先、私達がまったく違う存在である事に苦しめられるなんて思っていませんでした。何も犠牲にせず好きでいられるというのは本当に幸せな事です。何かの犠牲が思いを強めるのかもしれませんが、犠牲は必ず痛みを伴い、そしてそれは私達どちらが感じるものではなく、誰かを巻き込むことになるのです。
もし私達がもっと普通の状況で出会っていたら、私は樹さんに惹かれるでしょうか。惹かれるかもしれませんし、何も交わらずに別れるかもしれません。ただ、こんなにも強く惹かれ、何もない箱庭で生まれた恋が消えなかったのは、私達が違う存在だとはっきり知れたからでもあったのです。
O市は初夏から夏にかけて、午後五時になると市の歌が流れます。スピーカーの所為でしょうか、それとも夕方という時間の所為でしょうか。それはいつも寂しげで、家に帰る気持ちを強くさせます。彼もそれは同じなのか、歌が流れ出すと、もうお帰り、と言いました。本当はもっと側にいたかったのですが、彼が言うのです。私は頷き、また明日、と言いました。土日休みである事をこれだけ感謝した事はないでしょう。彼は目を大きくし、また花の咲くような笑顔を浮かべてくれました。
次の日、私は再び緩い坂を上り樹さんの元へ行きました。やはりまだ息を切らして会うには恥ずかしく、お寺に立ち寄れば、また昨日と同じくあのお爺さんが境内を箒で掃いていました。お爺さんは若い女性がこんな場所に一人で二日も訪れるのは珍しいと思ったのか、帽子のつばを引っ張り挨拶した後、そのまま声を掛けてきました。
「この辺りの人ですか」
「はい、ちょっと散歩に」
「そうですか、それは。ここら辺は静かでいいんだけど、少し寂しすぎる」
「確かにそうですね」
「私はこの寺のもんじゃないんだが、誰も手入れしないのも可哀想で。まあ、暇つぶしでもあるんだけども。ああ、引き留めて悪かったね。珍しくてつい声を掛けてしまった」
「いえ、こちらこそお掃除の邪魔をしてしまって」
「いや、とんでもない。……あ、知ってるかな、公民館の裏は崖になっているから近寄らない方がいい」
「え?」
「知らんかったか。確かにあそこらへんは行こうとするもんもおらんしな。まあ、気をつけなさい」
私は思わず、首を傾げてしまいました。公民館の裏は崖である筈はありません。崖などなく、樹さんの家があって、庭の奥は山へと繋がっています。お爺さんは嘘を私に教えたのです。それは母が幼い頃の私に、山に行くと木にされてしまうと言ったように、公民館の裏には近づくなという事でしょうか。私は戸惑いながらも、ありがとうございます、とだけ返して、崖と言われた公民館の裏に向かいました。細い道の向こうには古い柵があって、やがて白茶けた庭が現れて、やはりその先は山の裾が広がっています。首をかしげながら、また彼の待つ庭へと入っていきました。
彼は昨日のように縁側に腰かけ私を待っていてくれました。専ら私の方が良く話していましたが、話していても妙に気になったのはあのお爺さんの言葉でした。母は山へ行くなといいました。その理由は今なら良く分かります。しかし、お爺さんは公民館の裏に行くなと言いました。しかも有りもしない崖があると言って。この家が出来る前にあったのでしょうか。私一人で悩んでいても埒が明きません。ですから、私は彼に尋ねてみたのです。ここの辺りは昔崖だったのか、と。
「崖?いいや、母さんがここに嫁ぐ前からこの家は在ったみたいだよ。誰かに聞いたの?」
「はい、ここに来る前お寺に寄って、その時お爺さんに公民館の裏は崖だから近寄るなって」
「そう……。まあ、ここの辺りは君も近寄らないように言われていたんだろう?なら、同じような意味なんじゃないかな」
「そうでしょうか」
「ああ。きっとそうだよ。だからここは静かで、誰にも見つからない。良い場所だよ、僕にとってはね」
樹さんは嘘が下手な人でした。本当に嬉しい時、彼は花が咲くように笑います。けれど、何かを誤魔化そうと笑う時、誤魔化したかったはずの感情が笑顔に必ず混じりました。樹さんはずっと寂しかったのでしょう。こんな静かすぎる場所で、私以外に会う人もおらず、一人で暮らしているのですから。山を下りたらいいのに、そう思いますが、樹さんが望んでいたらとうにそうしている筈で、それでもここに暮らしているのは、彼の言う通り、良い場所だからか、それとも下りられない理由があるからだと私は思いました。
「良い場所」というのは確かに時を止めてしまいます。私の母校は山の中にありました。自然に囲まれた小さな、笑いの絶えない、私のような人間でも受け入れてくれる場所でした。そこは山の下より時間がゆったりと流れているのか、卒業して十年経っても、先生に会いに行けば歳を重ねている筈なのに、何一つ全く変わっていないのです。並ぶ教室も、その中に並べられた椅子やロッカーも、私が学生として過ごしていた時のままでした。
二十三年前、私は柵の外から樹さんの顔を見ました。だから樹さんが全く年を重ねていないように見えても仕方ないのかもしれません。しかし、「誰にも見つからない」と言う言葉には引っかかるものを覚えたのです。
会う度に樹さんの謎は深まっていくばかりでした。再会の日から一か月間、毎週休日は会いに行きました。息を整え、寺に寄ってお爺さんがいる時はお爺さんと言葉を交わした後に、彼の家に行き、縁側に並んで他愛もない話をするだけ、そして五時の市歌が流れたらさようなら、と私達は茶飲み友達のような関係でした。お互いが同じ気持ちを持っていたとしても、何か決定的な事が無ければ進む事はありません。普通なら数回のデートの後の告白に当たるのでしょうが、私達には何もない白茶けた庭しか世界がありませんでした。
樹さんの謎を解き明かす時、それが決定的な出来事になると私は予感していましたが、そのきっかけは中々やってきませんでした。そしてそのまま一月が流れ、梅雨の時期がやってきました。私はその頃になると休日二日とも樹さんの元へ訪ねるのが難しくなってしまいました。祖母が入院したのです。末期の腎臓がんでした。