第七話:緑と生きる
小さな家の中には2人がけのテーブルとイス、小さな暖炉。
どうやら私は彼女と2人で住んでいるらしい。
座る気にもならず、僕はテーブルの周りを歩き回った。
彼女は鍋から料理をよそっている。思いのほか、いい匂いだ。
「どうしたの? 座りなよ」
「ああ、うん」
落ち着かないが、座ろう。
「今日はそっちに座るの?」
しまった、いつもは反対側のイスに座っていたのだろうか。
「ごめん、逆だね」
反対側の席に移動した。
二人分の皿が運ばれてくる。
更には野菜とソーセージを煮たスープ。ポトフだろうか。
テーブルの中央に切り分けたバケットが置かれた。
彼女もイスに座る。
「さあ食べよう。いただきます。
今日は手抜きでごめんね」
「…いただきます」
けっこうちゃんとした食事だと思うのだけど。
食糧事情は豊かな世界なのだろうか。
スプーンで具を確かめる。
ソーセージ、ベーコン、じゃがいも、玉ねぎ、カブ、白菜。
人間の作るポトフと変わらない。
何の動物の肉なのかが気になるが、もう気にしてもしょうがないだろう。
ソーセージとスープを口に運ぶ。
「…おいしい」
ブタの脂のような旨味が染み渡る。
スパイスにコショウが使われているのも分かる。
転生後に口にしてきた食事の中で一番美味しい。
謎肉入りミラノ風ドリア、収容所の囚人メシ、トリカブト入りのお茶…
まだ空腹感があるのは、吐いたせいなのか、
身体が別物にリセットされたせいなのか。
「おいしいなら良かった。
長めに煮込んだから、塩辛いかもって心配してたんだけど」
ふと、彼女のポトフが私の半分ほどしか入っていないことに気づいた。
「どうしたの?」
皿を見つめる僕を見て彼女が言う。
「もっと食べないのかなって」
率直な感想を述べた。
「だって、たくさん食べると吐いちゃうでしょ、今は。」
どういう意味だろう?
「吐いちゃう? なんで?」
「なんで、って言われても… 赤ちゃんが拒否してるんじゃない?」
聞き取った言葉を理解するのに少し時間を要した。
…赤ちゃん?唾を飲み込みながら答える。
「そっ、そうだよね。辛いのにごめん」
沈黙。
スープが減るにつれ、スプーンと食器が触れる音が大きくなる。
結局、バゲットに手をつけずにポトフを食べ終えてしまった。
彼女の皿にはまだポトフの具が残っているが、手が止まっている。
さらに少しの沈黙のあと、彼女が口を開いた。
「ねえ、辛かったら今日は答えなくてもいいんだけど。
見た目も話し方も同じ人なのに、別人みたい」
「…そっか」
「何か、あったよね?」
「…うん」
本当のことを話すべきか。
この人なら受け入れてくれそうな気もする。
「信じてくれないかもしれないけど…」
大きく息を吸い込む。
「僕は別の世界から来た、"人間"なんだ」
一呼吸あって、彼女が答えた。
「…とりあえず、信じてみる。
やっと、目を見て話してくれたから」
こんなにあっさり受け入れてもらえるものだろうか。
この世界で暮らしていたゴブリンの自分は、よっぽどの果報者だ。
目を見て話ができなかったのは彼女のゴブリンの見た目に慣れないから…
なのだが、それは言うまい。
「ついさっきまで、別の世界で人間として生きていた。
その世界には人間しかいなかったんだ」
彼女は黙って真剣に聞いている。
「その世界で僕は…死んだんだ」
別世界に転生したくて死んだ、というヤケクソな理由は伏せた。
「でも、時間が巻き戻って、死ななかった。
その代わり、死ぬたびに違う世界に移動するみたいなんだ。
これまで5回死んで、ここは僕にとって、6つ目の世界。」
彼女は少し首をかしげた。
「最初は人間だけの世界だったんだけど、
死ぬたびに人間が少ない世界に移動するみたいで…」
彼女の口が半開きになっている。
あっけに取られた表情、とはこのことだろう。
「ごめん、わけが分からないよね」
「つまりそれって、あなたは今、誰なの?」
もっともな疑問だ。
「僕はたぶん…この身体を乗っ取ってしまったのかもしれない。
この姿になったのも、この世界に来てからなんだ」
しまった、はっきり言い過ぎたかもしれない。
「じゃあ、前のあなたは…」
彼女は涙声になった。
「お別れを言うことも、赤ちゃんを見ることもできずに
いなくなったってことなのね」
僕には何も答えられなかった。
大事に思ってくれる人がいるのに突然いなくなるというのは、
罪深いことなのだ。今まで考えもしなかった。
「僕にも、どうしたらいいか分からない」
………
二人とも無言でうつむいたまま、時が流れる。
「初対面の人にこんなことを言われると、気持ち悪いかもしれないけど」
と、彼女が前置きして言った。
「別人だけど、変わってない気がする。隠し事が下手なところとか。
スープを飲むときにスプーンをちょっと高く上げるクセも。
だから…」
僕は顔を上げた。
「だから、もう少しここにいて欲しい。
代わりになってほしいってことじゃないんだけど…」
ここから出ていくことになると思っていた僕にとって、願ってもない申し出だった。
ゴブリンだった頃の見知らぬ自分に申し訳なく思いながら、感謝する。
「ありがとう。じゃあもう少し、ここにいます」
そうは言っても、過去の転生では短いスパンで何かしらの事故が起こり、殺されてきた。今回もいつ彼女の前から姿を消すことになるか分からない。
だが、この懸念は当面自分の中にしまっておこう。
今は身重の彼女にこれ以上負担をかけたくない。
「私の名前はエリカ、よろしくね。
それと…はじめまして?」
彼女は少し微笑んだ。
この人が無事、子供を産むまで見届けよう。