第六話:緑の世界
「カハッ」
ノドの奥から息を吐いた。また、転生したようだ。
吐瀉物の詰まった感覚が残っている。
手足の痺れも取れていない。
毒で死ぬのはすさまじく疲労すると分かった。願わくば二度とはゴメンだ。
まだ、森の中で横たわっていた。
ゆっくりと上体を起こして周囲を見回す。
エルフのキャンプは跡形もない。
この世界でもあの子に出会うことはあるのだろうか。
徐々に痺れが取れてきた。
起き上がって収容所の方向に歩く。
月明かりで見えたのは、ただただ広い草原。
壁も建物も無くなっている。
整備されていないであろう草の丈を見るに、公園ではない。
遠くにかすかな明かりが見える。家だ。
大草原の小さな家。
明らかに和風ではない、レンガ造り。
エルフが出るか、オークが出るか…。
窓から中を伺おう。
玄関を迂回し、かがんで明かりのついた窓の下に移動する。
おそらくこの窓がリビングだ。住民を確認しよう。
「おかえりー。どこ行ってたの?」
後ろから若い女の声がした。
しまった、ここに歩いてくるまで中から丸見えだった。全然忍べてない。
「…ていうか何で家入らないの?」
窓からの薄明かりに浮かび上がった姿は、まぎれもなくゴブリンだった。
苔のような暗いグリーンの肌に、尖った耳とワシ鼻。
よく見ると小さなイボがあちこちにあり、毛も生えている。
ゴブリンという種族は、現実に見るとこんなに醜悪な容姿なのか。
だが、ゴブリンが着ているのはボロ布ではなく、ベストとシャツ、丈の長いスカート。
この服装はまるで、ファンタジー世界の女村人そのものだ。
普通、ゴブリンにメスはいないはずだが、このゴブリンは口調からしてメスのようだ。
「どうしたの? 何か怒ってる?」
声と顔のギャップがすごい。
「あ、ああ。ちょっと、外が気になって」
「晩ごはん、できてるよ」
このメスと思わしきゴブリンは、僕とどんな関係なのだろうか。
母親? まさか、恋人?
僕はかがんだ姿勢から起き上がった。
そして、"窓に映ったモノ"を見て「ヒッ」と悲鳴をあげた。
ゴブリンだ。ゴブリンが映っている。
グリーンの肌に、尖った耳とワシ鼻。
目の前のゴブリンよりも肌が土気色に近い。
森の暗闇の中では気づかなかったが、手も緑色になっている。
服装はベージュのシャツとズボン。
首から下はファンタジー世界のモブ村人だ。
僕はまた地面にしゃがみこんだ。
両手で顔を覆う。
ザラザラ、イボイボした不快な質感だ。
予想はできたことだ。だが…。
「どうしたの? 何かあったの?」
メスゴブリンが心配してくれている。
「人間… "人間"って何だか分かる?」
「ニンゲン? 1000年くらい前に絶滅した種族のこと?」
あっさりと答えが出た。
人類は大昔に絶滅したのだ。
そもそも僕は死のうとしていた。
別に人間をやめたってそんなにショックはないはずだ。
なのに、なぜ悲しいのだろう。
ゴブリンでも涙は出るのか。
この先、共感できる人間がいない、その孤独に耐えられるだろうか。
それが怖い。
沈黙が続く。
「わたし、なにか気に障ること言った?
ごめんね。なんで辛そうなのか分かってあげられなくて、ごめん」
メスゴブリンが謝っている。
こちらこそごめん、君が悪いんじゃないんだ。
地面に緑色の手をついて、立ち上がる。
まだ、彼女の顔を見ることはできず、下を向いたまま答えた。
「晩ごはん、食べるよ」