第五話:他人とまともに話すのは1年半ぶりです
もう日が暮れているというのに、人間たちはまだ働かされる。
オークたちは人間を絶滅に追い込むついでに何か建物を作らせているのだろうか。
それとも、管理できる程度の人口を維持して奴隷のように扱われているのか。
現場作業に戻ると、僕はこっそりと抜け出すことにした。
今よりも人間の少ない世界に転生するのは賭けになるが、
それでもブラック刑務所で一生労働するくらいなら、死んだほうがマシだ。
監視は全く機能しておらず、
僕は誰に止められることもなく、転生から目覚めた場所に戻ることができた。
いや、オークの看守も班長もエンドウも僕に関心を持たなかった、
と言うのが正しいのかもしれない。
現場を離れれば首輪が爆発するのだから、
どうせこの収容所から生きて逃げることはできない。
それ故の、去る者追わず、なのだろう。
覚悟を決めて、収容所のさらに外側へ踏み出す。
死への恐怖は薄れていた。
過去4回の転生に際して、"死ぬほどの重症を負うと、痛みを感じる前に意識を失う"
ということが体感できていたからだ。
収容所は継ぎ目のないコンクリートの外壁で囲まれていた。
だが、高さは4メートルほどで、上に有刺鉄線があるわけでもない。
踏み台があれば乗り越えられそうだ。
しばらく壁づたいに歩いていくと、信じられないものを発見した。
細いワイヤーで編まれた縄梯子がかけられている。
コンクリートと同系色だったため、近くに来るまで気が付かなかった。
壁の向こう側から投げ込まれたものだろうか。
仮に罠だったとしても、首輪が爆発したとしても、失うものはない。
不安定な縄梯子をしっかりとつかんで登る。
壁の向こう側が見えた。
木で視界が遮られている。森…だろうか?
壁の上に手をついた。
まだ、首輪の爆弾は起動していない。
少し身体を乗り出す。
まだ、何も起こらない…。
反対側にも縄梯子がかかっているのを確認すると、
慎重に足をかけて降りる。
まだ、爆発しない…。
収容所の外側に降りることができた。
気味が悪いほど順調だったが、脱獄に成功したと考えて良いのだろうか。
首輪と足輪に変化は無い。
明かりの無い中、森に入るのは危険だろう。
監視カメラも見当たらないことだし、壁伝いに歩いていこう。
………
首輪の爆発に怯えながら、歩く。
左にコンクリートの壁、右に森、という景色が延々と続く。
10分は歩いただろうが、壁は延々と続いている。収容所は相当広いようだ。
この世界に来て2時間ほどになるだろうか。
滞在時間はすでに過去最長だ。
突然のアクシデントで殺されることもない。
殺されるのにもルールがあるとして、いったい何がトリガーなのか。
ここまで月明かりを頼りに歩んでいたが、空が曇って足元が見えなくなってきた。
少し休みたい…と森のほうへ目をやると、森の奥からぼんやりと明かりが見える。
罠かもしれないが、八方塞がりのこの状況では期待せざるをえない。
足元に目を凝らしながら、明かりのほうに近づいてみる… 焚き火とテントだ。
こんな場所でキャンプ?
オークだろうか。
さらに一歩ずつ近づいていく。
人影は無い。
テントの中を覗こうとしたとき、背後から女性の声がした。
「人間?」
ゆっくりと振り返りながら返事をする。声がうわずった。
「そっ…そうです」
女エルフが木の陰でこちらにボウガンを向けている。
身長は人間の女性くらい、160cm前後ほどだ。
年齢は…よく分からない。若く見えるが、100歳だったりするのだろうか。
暗くてはっきり見えないが、迷彩服を着ているようだ。
エルフと言えばスレンダーなイメージがあるが、頬がふっくらして肉付きが良い。
雰囲気はだいぶ違っているが、前の世界で見た"アカネ"の面影がある。
まずはこちらが無害だということを示さなくては。
「壁に縄梯子をかけたのは、あなたですか?」
「そうだけど、一人で出てきたの?」
エルフはゆっくりとボウガンを下げた。
「はい」
ガッカリさせただろうか。
「誰も追いかけてきてない?」
確かに、尾行されている可能性があると思ったが、
ここまで誰の気配も感じなかった。
「たぶん誰も来てないです。というか、抜け出しても誰も気にかけない感じでした」
「そっか~、まぁオークって基本的に怠け者だからね」
くだけた話し方にホッとする。
「あの、ほかに逃げてきた人はいるんですか」
「いないと思うよ。たぶん。
交代でずっと見張ってるけど、1ヶ月待って初めて出てきたのがキミ」
「なんで助けてくれたんですか」
この人と前の世界で恋人関係だったのか、と意識するとニヤニヤしてしまいそうだ。
自重しよう…。
「壁の中の様子が知りたかったから…かな。
疲れてるでしょ、お茶でも飲む?」
エルフはスッと焚き火のまわりの丸太を指差す。
「お言葉に甘えます」
「固いね~、リラックスしなよ」
エルフの身のこなしは一貫してキビキビしている。
軍隊式の訓練を受けているかのようにムダのない動きだ。
僕は丸太に腰掛けた。
「ちょっと待っててね。大丈夫、誰か来たらわかるから」
エルフはテントの中から魔法瓶とアルミのマグカップを取り出した。
何日も見張ってるだけあって、キャンプ設備は充実しているようだ。
「壁の中は… 夜通しで何かの建物を工事させられてます
オークの看守がいますけど、人数は多くない気がしました」
「うんうん。他の人間はどんな雰囲気?」
エルフは紅茶のようなものをマグカップに注いでいる。
実はさっき転生してきたばっかりでよく知らない… とはまだ切り出しづらい。
「そうですね…
淡々と作業してる感じです。無気力というか」
「食事に鎮静剤でも混ぜられてるのかもね」
「なるほど。だから逃げようと思わないんでしょうか
僕は少食なんで、あんまり食べてませんでした」
本当は転生したばかりなのだが、小さなウソをついた。
エルフはマグカップを差し出す。薄い紅茶のような香りがした。
ハーブが4枚浮いている。見た目はヨモギに似ているが、ヨモギの香りはしない。
「いただきます」
マグカップのお茶をすすった。
香りは薄いが、温かさにほっとする。
「その葉っぱ、"蚊取りブタ"?とかいう名前で、滋養強壮に効くんだって。
この森で摘んで、ハチミツ漬けにしてみた」
浮かべているハーブのことだろうか。1つ食べてみる。
なるほど、葉っぱをハチミツに漬けたような、そのままの味だ…。
味に無頓着なのはこの子の性格なのか、エルフあるあるなのか。
だが、脱走で疲弊した身体に滋養強壮はありがたい。
エナジードリンクだと思って全部食べておこう。
「そういえば、言い忘れてたんですけど」
「なに?」
「この首輪、爆弾が入ってるらしいんですけど、外し方分かりますか?」
「げっ、これ以上近づかないで…」
少し距離を取られた。
「壁を越えるあたりで鳴ったり爆発したりしそうなもんだけどね。
機械に詳しい仲間に聞かないとなあ」
「外の世界って、今どんな状況なんですか。種族の割合とか…」
「簡単に言うとね、オーク・ゴブリンが7割。
残り3割がエルフやドワーフ、他の種族。
今は休戦中だけど、また戦争が始まりそうだから偵察してるってわけ」
転生を繰り返したことで、
人間が減っただけではなく種族の比率も変わってしまったようだ。
しかもオークとゴブリンが多数派だなんて。
「残念だけど、人間はオークたちの支配下にあるわ。
収容所は男女に分けられて、数もコントロールされてる。
マジメによく働く種族だから、奴隷にされてるってこと」
僕はうつむいた。
「ごめん。はっきり言い過ぎた」
「いえ。いいんです。いずれ分かることです」
想像はできていたが、さすがに気分が悪くなってきた。
他にも気になることはあるが、少し休みたい。
「ちょっと… 横になってもいいですか。なんだか気分が悪くて」
この数時間で4回死んで、疲労も溜まっている。
「テントで休んでもいいよ。
首輪が爆発しないかちょっと心配だけど」
テントの中にはバックパックが3つ置かれていた。交代要員の分だろうか。
寝袋を敷いてもらい、横たわる。
「ちょっと壁のほうを見てくるね。
落ち着いたら仲間のところに連れて行くから」
「はい」
エルフは出ていった。
そういえば、まだ名前も聞けていない。
それにしても、ファンタジーな世界観で想像するエルフというより、
日本語の上手なブロンドの外国人と話している感覚だった。
目を閉じて一眠りさせてもらう…
…
……
…寒気で目が覚めた。吐き気がする。
足に力が入らない。めまいで立つことができない。
テントの外に這い出した。
なるべく遠くまで離れるつもりだったが、テントから3メートルの茂みに嘔吐する。
一体なんだ?
口の中が熱い。手足が痺れてきた。
昔かかったインフルエンザや食中毒より深刻な気がする。
収容所の食事?
さっきの紅茶?
ハチミツ漬けのハーブ?
あのハーブ、"蚊取りブタ"って言ってたけど…
視界がゆがんできた。
仰向けで地面に横たわり、原因を考える。
『蚊取りブタ』
かとりぶた。
カトリブタ?
トカリブタ?
トリカブタ?
トリ…カブト?
トリカブト? 猛毒のトリカブトなのか?
それなら納得の症状だ…。
栄養ドリンクはありがたい、なんて考えでがっついた結果がコレだ。
彼女はオークたちとグルで、これは脱走者を殺す罠だったのか?
だが、殺すつもりだったら『蚊取りブタ』なんてヒントは出さないはずだ。
きっと、トリカブトはエルフには滋養強壮の成分で、人間には猛毒。
彼女のうっかりした善意で死ぬのだ。
ドク、ドク、ドクン、ドクドク、ドクン。
心臓の鼓動が不規則に高まっていくのを感じる。
仰向けのまま、また吐いた。
吐く力も弱々しく、吐瀉物がノドに詰まった。
横を向かないと窒息死しかねない。
だが、意識を保っていられるのも限界だ。
視界に霞がかかっていく。
名前だけでも聞いとくんだったなぁ…。
…
……
………
…………