君の隣にカラフルな恋心 〜 私と君の恋心
「すみません、教科書忘れました」
サユリに日本史の教科書を貸した結果、入れ違いになってしまったのか休み時間に教科書を返してもらえず、その日の日本史の授業では先生にそう言うしかなかった。教科書の貸し借りは禁止だと言われていて、それでも貸してしまった私も悪い。
「山辺君、推薦を受けるからと言ってそんな態度じゃあ、受かるわけがないぞ? はっきり言って弛んでいる」
「すみません」
日本史の先生のネチネチとした説教に正直うんざりする。今まで一度も忘れ物をしたことがない私でもこれなのだ。結構忘れ物をしがちなサユリはもっと色んなことを言われるのだろう。
「聞いてるのか、山辺! 」
「はい、すみませんでした」
虫の居所が悪い先生は、まだ説教を続けるつもりらしい。謝る以外に何も言うこともないので、このまま聞き流すつもりでいた私の耳に、安曇野君の声が聞こえた。
「先生、山辺さんは忘れたわけではありません」
「安曇野君、ちょっ」
「何だと? どう言うことだ、安曇野君」
私の声を遮るように安曇野君に詰め寄った先生に、安曇野君は挙げていた手を降ろして昼休みにあったことを洗いざらい話し出した。もちろん私は安曇野君に「話さないで」と身振り手振りでアピールしたけど、先生の矛先はすっかり安曇野君に変更される。
「6組の友達が僕に教科書を借りに来たんです。でも僕も教科書を忘れてしまってて、それを僕に代わって山辺さんが貸してあげただけです」
「安曇野、お前も忘れ物か! 貸し借りは禁止だろう」
「僕が山辺さんに貸してあげるように言ったので、山辺さんは断れなかったんだと思います」
「安曇野君、ちが」
「先生! 後から指導室に行きますから授業を進めてください。これ以上みんなに迷惑をかけられません」
「分かった、放課後に生徒指導室に来い。いいな」
「はい」
安曇野君は私の方を見て、先生に分からないように小さく首を横に振った。他のクラスメイトたちは興味はあるものの完全に傍観している。そして私は安曇野君の言う通り、これ以上迷惑をかけない為に口を挟むことを控えた。
でも、安曇野君が私を庇う為に説明したことは全て嘘だ。それだけは絶対に訂正しようと、私も安曇野君と一緒に生徒指導室に行くことを決めた。
◇ ◇ ◇ ◇
ホームルーム終了後、一人で生徒指導室に向かう安曇野君に着いて行きながら、私は必死に説得した。
「安曇野君、私も一緒に行く! 」
「山辺は来なくていいよ。あの時俺が貸してやってればよかったんだし」
「断れなかった私も同罪だよ」
「山辺」
追いすがる私に、安曇野君が立ち止まって少し怖い顔になる。そんな顔を見たことなかったから、私は何も言えなくなってしまった。
「あの先生は色々としつこいだろ? 山辺は推薦なんだから、内申点が落ちるとヤバいだろ」
「そんなの安曇野君も同じじゃない。待ってて、サユリを連れて来るから」
「待てよ、山辺! 」
これはサユリが意地悪をしたに違いないと、ふっと思った。6組は体育も移動教室も入っていなかったから、休み時間ギリギリまで待って帰って来ないなんておかしかったのだ。
私は呼び止める安曇野君を置いて、6組の教室まで走った。
「サユリ、いる? 」
「何よいきなり、何の用? 」
6組の教室の引き戸を開けると、そこには数名の女子と一緒にサユリがいた。私の姿を見て慌てて背中に何かを隠したけど、何なのだろうか。
「日本史の教科書を返して欲しくて」
「ごめんねマヤ。教科書、あ、あれね、あたしがトイレに行ってる間に誰かが持って行っちゃって、そうそう、1組の名前何だっけ? とにかくその子がマヤに返しておいてあげるって」
「サユリ、嘘をつかないで! 」
私は今まで出したことのない声を出した。よく癇癪を起こしていたサユリに、私は声を荒げたことはない。でも、今日ばかりは許せなかった。私だけじゃなく、安曇野君まで巻き込む結果になってしまったのだ。
「何よ」
「安曇野君ね、日本史の教科書忘れてなかったんだよ」
「はぁ? 何それ」
「貸し借りは禁止だって言われてるから、わざと忘れたふりをしたの。だから、最初に貸してあげなかった自分のせいだからって、生徒指導室に行ってるのよ」
「何で? あんた、シンに責任を負わせたの?! 最低、馬鹿じゃないの! 」
「だから責任を取りに行くんだって! 一緒に来てもらうからね」
私はサユリの手首を掴み、引きずるようにして歩いて行く。力は私の方が断然強い。ゴリラパワーと言われて悔しかったけど、今ならその力も悪くはないと思う。
「この、ゴリラ女! 離しなさいよ、ちょっと、助けて」
「山辺さん、離してあげなさいよ! 」
「そうよ! やめなさいよ! 」
周りにいた女子がキャーキャー騒ぎ、サユリは空いた方の手をブンブンと振り回して女子たちに助けを求める。伸ばされた手を掴もうとして、手に持っていた何かが邪魔になったらしい。サユリがポイッと捨てたそれが、バサバサと音を立てて廊下に散らばった。
「それ、私の教科書? 」
安曇野君ほどではないけどそれなりにカラフルな書き込みが書かれた教科書が、不自然にくっついたページを上にして開いている。私はサユリの手を離し、呆然としながら教科書を拾い上げた。そのページには、まだ生乾きの糊が付いていて、端の方がよれよれになっている。
「どうしてこんな風になってるの? 日本史の授業で糊なんて使わないよね? 」
私の質問に、サユリはサッと唇を尖らせて目を逸らす。集まってきていた周りの女子たちも、気まずそうに一人、また一人とその場を離れて行った。
「サユリ、これはどういうこと? 」
私は一歩も引かなかった。今まで不自然なくらいに抑えていた気持ちは、もう我慢できないくらいに膨らんでいた。
「あたしがやったの」
いつにない私の追及に困惑したのか、庇ってくれる友達がいないからか、サユリは私の目を見ないようにして小さく呟いた。
「どうして……」
「だってあんた、シンと仲良いんだもん」
「私はサユリみたいに話したことないよ? 」
私はなんとも言えない気持ちになった。やっぱりサユリも安曇野君のことが好きなのだ。
「嘘よ! だってこの教科書、シンと同じじゃない。同じペンでたくさん書いてあるじゃない! 二人で隠れて勉強してるんでしょ? 」
サユリの邪推に、私はポカンと口を開けてしまった。どうやらサユリの中では、私と安曇野君がそこまで仲が良くなっているらしい。でも残念ながら、安曇野君と二人きりになるとか何かを約束するとか、そんなことはしたことがなかった。
「違うよ、隣の席にいた時に安曇野君が私の色ペンを使って書いたんだよ。それだけなの。二人で勉強なんかしたことない」
「じゃあ、なんでスポーツ推薦を蹴って一般受験に変えたのよ。シン、公立高校の特進クラスに行くって」
「それもサユリから今聞いて初めて知ったよ。私って安曇野君とそんなに話したことないから、どこの高校に行くのかとか全く知らなかった」
私の顔を見て嘘をついてないと分かったのだろう。サユリな気が抜けたように俯いて、それから「ごめん」と一言呟いた。
サユリは私なんかに嫉妬していたのだ。ただカラフルな色ペンだけで繋がっている私と安曇野君の関係を。その切ない気持ちはよく分かった。好きな人が誰と仲良くしてるのか気になるのは、私も同じだったから。
でもだからといって、嫌がらせをしていいわけじゃない。
「サユリ、私も安曇野君のことが好きだよ」
「マヤ……」
サユリが顔を上げて私を見る。その目はたくさんの不安が詰まっていた。一方の私は初めて声に出して安曇野君を好きだと認めたことで、妙な自信が湧いてくる。
「サユリみたいに下の名前で呼ばれたことないし、ただの便利なクラスメイトでしかないけど、受験が終わったら気持ちを伝えようって思ってる」
別にサユリが安曇野君を好きでも、私が好きになっては駄目な理由はない。私の真剣な顔に、サユリも唇を噛んで黙って聞いていた。
「この件は、安曇野君には言わないよ。私とサユリの問題……でも私、受験だって頑張るし、安曇野君を好きって思う気持ちも、絶対に諦めないから」
それだけ言い残すと、私はサユリを置いて安曇野君がいるであろう生徒指導室に向かった。サユリからあからさまな敵意を向けられたことはショックだったけど、自分の中で燻っていた想いを全部吐き出したことで、詰まっていた胸がスッとする。
生徒指導室に勢いよく駆け込んだ私は、安曇野君が私を庇ってくれたことを先生に正直に伝えた。そして安曇野君と一緒に仲良くお説教を食らい、資料室の掃除を言い渡される。
夕暮れの中、二人で埃っぽい資料室を掃除していると、安曇野君が憮然とした様子で聞いてきた。
「なあ、山辺……サユと何かあったのか? 」
「何もないよ」
「だってその教科書」
糊を洗い流したせいですっかり濡れてしまった教科書を横目で見ながら、安曇野君は気になって仕方がないようだ。でも私は告げ口する気はない。
「なぁ、山辺」
「んー、内緒。女子の内緒話は詮索したら駄目なんだよ? 」
「何だよそれ」
拗ねたように口をムッとへの字にした安曇野君がおかしくて、私は思わず笑ってしまった。それが恥ずかしかったのか、明らかに夕暮れのせいだけではないくらいに耳を赤く染めて後ろを向く。この三年間で初めて二人きりになったことを意識して、私もつられて顔が熱くなった。
「今日はありがとう」
「結局お節介にしかならなくてさ、カッコ悪いな、俺」
「そんなことないよ、安曇野君の気持ち……嬉しかったから」
「……おう」
お互いに背を向けた心地よい静寂の中で、やがて私たちは今までにないくらいたくさん話した。進路のこと、部活のこと、将来の夢、好きな食べ物、好きな音楽。
話は尽きることなく、すっかり陽が落ちてから資料室を出て帰る途中もずっと話していた。お互いの家路への分岐路で、何となく離れ難くて立ち止まる。安曇野君も私と同じ気持ちなのか、30センチくらい離れて横に並んだ。
「お前さ、もうすぐ推薦入試だよな」
「うん、ここが頑張りどころ。絶対受かってやるんだから」
「あんまり役に立てないけど、応援してるぜ」
「ありがとう! 」
もじもじしながら、私は横に立つ安曇野君を少し見上げる。すると安曇野君もチラリと私を見て、すぐに正面を向いた。
「じゃあ、また明日」
「お、おう……また明日な」
30センチの距離が1メートルになり、5メートルになり、ゆっくりゆっくり歩いていると、安曇野君が急に私を呼び止めた。
「山辺! 」
「な、何? 」
「あの、さ、お前のこと、下の名前で呼んでいいか? 」
「い、いいよ……じゃあ私も、下の名前で呼んでいい? 」
「いいぜ」
10メートルは離れたところから、少し声を張り上げる。心臓は鳴りっぱなしで、絶対に顔は真っ赤になっているけど、暗いからよく見えない。安曇野君の顔もよく見えないから、恥ずかしさも見えなくなった。
「あー……ま、マヤ」
「何かな、シン君」
「き、気をつけて帰れよ、マヤ」
「うん、シン君も気をつけて」
それから、どうやって帰って来たのかよく覚えていないけど、玄関の扉を開けた時に肩で息をするくらいだったから、多分全速力で走って来たのだろう。玄関先でぐったりしている私に向かって「何にやにやしてるんだ? 」と話しかけてきた二番目の兄は、絶対に乙女心が分かっていないと思った。
◇ ◇ ◇ ◇
それからはあっという間に過ぎていった。
本格的に受験モードになり、三年生全体がピリピリとした緊張感に包まれる。私の推薦入試も1月の学年末テストの成績まで考慮されるので、気を抜かずに頑張った。シン君も志望校合格には偏差値が足りないらしく、毎日夜遅くまで塾と勉強に励んでいるようだ。
私は、シン君の机の上に置いてあるペンケースの中身をこっそりチェックしては、足りなくなった蛍光ペンや色ペンを継ぎ足していく。それくらいしか出来ないけど、このカラフルなペンたちに込めた私の想いがシン君の力になればいいと思った。
年が明けた2月半ば、私は担任の先生から職員室に呼ばれていた。
10月末に受けた推薦入試はますまずの出来映えだったと思う。今日は他にも同じ推薦入試組の仲間が呼ばれて行っていたので、合否の結果が出たのかもしれない。職員室に入って私は、脇目も振らずに担任の先生の机まで進んだ。
「山辺君、そんなに緊張しなくていい、まあ、座りなさい」
「はい、失礼します」
緊張するなと言われても、職員室など授業係にならない限り入ることなどない。思わず推薦入試の面接の時のように身体を硬くする私に、担任の先生は苦笑しながら声を潜めた。
「いいか、今から言うことは、親以外に誰にも言ったら駄目だぞ」
「はい」
緊張の為か、膝の上で握った手の平にじっとりと汗が滲む。息を飲んで先生の言葉を待っていた私は、廊下に響く賑やかな声すら気にならなくなった。
「頑張ったな、山辺君。合格おめでとう」
言葉の意味が分からず、ポカンとする私に先生が笑う。
「忘れたのか? 推薦入試に合格したと連絡が入ったんだ。正式な発表は一般入試と同じ日にあるから、それまでは隠しててくれよ」
「はい、はい! 先生、ありがとうございました」
感極まって泣きそうになった私に、先生が慌ててティッシュ箱を差し出してくる。二、三枚ティッシュを引き出して涙が滲む目にあてると、周りの先生が小さく拍手で祝ってくれた。
ふわふわした気分で職員室を出た私は、廊下でばったりサユリと出くわした。秋の教科書の一件から、サユリとはすれ違うことはあってもお互い声をかけることはなかったので、今日も目を合わせないようにして通り過ぎる。
「マヤ……あのさ、少しいいかな」
すれ違う瞬間、サユリの方から声をかけてきた。私は思わず立ち止まって、サユリを見る。
「ずっと色々考えて、それで、話がしたくて」
「分かった。空いた教室に行こう? 」
私の誘いに頷いたサユリは、一番近くの空き教室まで無言で着いてきた。受験勉強の追い込みからか、元気がないようだ。健康的に日焼けしていつもハキハキしていたサユリは、今はすっかり息を潜めている。
「話って何? 」
私の質問に視線を合わせてきたサユリが、ゴクリと喉を鳴らした。それから意を決したように口を開く。
「マヤ、今までごめん! 最初は意地悪するつもりじゃなかったの。でも、自分を止められなくて、マヤにずっと甘えてた。本当にごめん、ごめんなさい」
「サユリ……」
「マヤは頑張り屋で、あたしよりずっと凄くて……ソフトもすぐにあたしに追いついて来るし、勉強だって成績いいし、どうしても勝てないって羨ましかったの」
サユリがそんなことを思っていたなんて、全然知らなかった私は面食らった。
「私だってハキハキしててたくさん友達がいるサユリが羨ましかったんだよ? サユリが努力してピッチャーになったの知ってるし、私はサユリみたいになりたかったんだから」
少しずつ気持ちがすれ違ってしまった私たちは、お互いに嫉妬していたんだと気がついた。ちょっと相手を思い遣ればこんなにまで溝が深まることはなかったかもしれない。
ポロポロと涙を零して謝るサユリに、私は手を差し出した。私の目からも涙が流れてきて、お互いぐしゃぐしゃの泣き顔になる。
「仲直り、しよ」
「いいの? マヤ」
「だってサユリは優しいって、知ってるもん」
「何よそれ……マヤは馬鹿がつくほどお人好しね」
「そうでもないよ」
「あんた本当にシンに何も言わなかったなんて、お人好しにもほどがあるじゃない」
サユリは私の手を握ると、グイッと手を引っぱった。でも力の強い私は踏ん張ると、逆にサユリを引っ張ってギュッと抱き締める。
「こういうとこ、超ムカつく」
「私に力で勝とうなんて思わないことね」
「マヤのくせに」
「サユリこそ」
三年間、ソフトボール部で付き合ってきたのだ。お互いのいいところも、悪いところも全部知っている。泣き笑いで仲直りした私たちは、この日、本当の友達になった。
◇ ◇ ◇ ◇
3月に入り、卒業式が終わった次の次の日。
今日はいよいよ一般入試の合格発表だ。私は既に合格してるけど、みんなは今日結果を知ることになる。
10日前に公立高校の受験を終えたシン君は、卒業式の日はサッカー部の仲間やマネージャー、それから女子たちに囲まれていて、私はその輪の中に入ることができなかった。わいわいと騒がしい教室で「合格発表の日は来るだろ? 」と言われたくらいで、会話らしい会話もしていない。貸していたペンケースも返してもらっていないので、多分今日持ってくるのだろう。
入れ替わり立ち替わり教室に入ってきては一喜一憂するクラスメイトたちに交じり、私も一緒にドキドキしたり喜んだりと忙しい。お昼近くになってほぼ全員が来たところで、シン君たち元サッカー部員が入って来た。
私は自分の合格発表を聞いた時よりも緊張してしまい、息苦しくなって後ろの扉から教室を出る。何でだろう、結果を聞いてしまったらシン君との繋がりがなくなってしまいそうで怖くなった。
図書室へと続く廊下を一人歩いていると、サユリがやってきた。私の様子を不審に思ったようで、心配そうに眉根が寄っている。
「どうしたのマヤ? シンたちが戻ってきたんじゃないの? 」
「うん……そうなんだけど」
「シャキッとしなさいよ! あんた、卒業式の日に告れなかったから、今日頑張るって言ったよね? 」
「う、ん」
そうなのだ。卒業式の日にシン君に告白しようとして人の多さに怖気づいてしまった私は、今日こそは頑張ろうと決めたのだ。
「あたしなんて「ごめん」で終わったんだから、本命はあんたでしょ」
「そうかな……受験で忙しいかったし、初詣とか息抜きとか誘われてないし、シン君の私服とか見たことないよ」
「ふーん。その割には『シン君』って呼んでるじゃん。シンもあんたのこと『マヤ』って呼んでるみたいだし、怪しい」
「と、とにかく緊張しちゃって、教室から逃げて来ちゃった……今から戻るのもあれだよね」
かつてないほど自信のない私に、サユリが飽きれたように溜め息を吐いた。
「分かったわよ、あたしが協力するわ。マヤは図書室で待ってて。あたしがシンに居場所を伝えてあげる」
バンバンと背中を叩かれて咳き込む私に、サユリは「任せなさい! 」と親指を立てた。走り去るサユリを見送り、私は誰もいない図書室の隅っこに座ってソワソワしながら待つ。
これで駄目だったら、どうしよう。
振られたら、ペンケースを返してもらってもいらないし、シン君ももう必要ないよね……。
というか、合格発表はどうだったのかな。
シン君やサユリが先に私立高校に受かっていることは知っている。私立に進学するサユリとは違い、シン君は公立進学校の特進クラスを受験していて、そこが本命だと聞いていた。結局最後の模擬試験でも偏差値が少し足りなくて、志望校を変えるように担任の先生から言われたらしい。
悶々としながら待つこと10分くらい。ガラリと音を立てて開いた扉から、シン君の顔が覗いた。
「こんなところにいたのかよ」
「ちょっと、静かな空気を吸いたくて」
乾いた笑いを漏らす私のところに、シン君がやって来る。それからカバンを開けて取り出したのは、私のペンケースだった。相変わらずパンパンのペンケース受け取って開けると、中には見慣れないパステルカラーのカラフルな色ペンがたくさん詰まっていた。
「ありがとな。使い切ってしまったペンの代わりに、俺が選んで入れておいたけど、気に入らなかったら誰かにあげてくれ」
「ううん! このパステルカラーのペンとか初めて見た。凄く綺麗で可愛い。高校で使うね」
「それは良かった……それでさ、マヤの兄貴の御利益が無茶苦茶効いた」
「本当?! 」
「おう、バッチリだった! 」
「やった! シン君、合格おめでとう! 」
「マヤがたくさん応援してくれたから、特進クラスだぜ! 」
「凄い! シン君がたくさん頑張ってるの見てたから、嬉しい」
喜ぶ私に、シン君は照れたように笑う。
よかった。本当によかった。私はペンケースを握り締めて心の中でカラフルな色ペンたちにお礼を言った。合格はシン君の実力だけど、私の想いが詰め込まれた色ペンも、少しは役に立てたようだ。
嬉し過ぎて泣きそうになった私に、シン君が慌てて声をかけてくる。
「あのさ、マヤ」
「ん? 」
「4月からは別々の高校になるけど、その、なんだ」
シン君は制服のボタンを弄りながら、言いにくそうにしている。私はドキドキして、続きを待った。すると言葉が出て来なかったのか、シン君は制服のボタンを引き千切り、ずいっと私に突き出した。
「う、受け取って欲しい! 」
勢いに押されて受け取ったボタンには、千切れた糸がついていた。
「マヤ! 俺は、お前のことが好きだから! 」
私の手の平の中にあるのは、シン君の制服についていた、正真正銘の第2ボタン。信じられなくて、手の中にあるボタンと、制服のボタンの千切れた跡を交互に確認して、やっと理解した。
「どうなんだよ」
「あ、ありがとう……貰えると思ってなかったから、びっくりした」
「お前以外に誰にやるんだよ。卒業式の日にもらいに来るかと思って、ずっと待ってたんだからな……すぐに帰るとかあり得ねぇ」
「ご、ごめん。なんか、近寄りがたくて」
「好きでもない女子にペンなんか借りるかよ! 一年の頃は自分の気持ちに気づかなくて、クラスが別になって気づいたんだよ。三年でまた一緒のクラスになって、隣の席とかさ……お前もいい加減に気づけよな」
そう言って睨んできたシン君に、私は胸がいっぱいになる。貰った第2ボタンを胸元でギュッと握り締めると、シン君の想いが伝わってきた。
「シン君がね、楽しそうに色ペンを使うから、もっといっぱいあったらいっぱい喋れるかなって思ってたんだ」
「うん」
「私、シン君以外の人に色ペンを貸したことないよ? 」
「うん、それから」
「色ペンの数だけ、私の想いが詰まってるの」
「どんな想いだよ」
焦れたように促したシン君に、私はとびっきりの笑顔で答えた。私のカラフルな恋心を、今こそ伝えなきゃ。
「隣の席になってから、憧れから『好き』になったの……今はもっと、シン君のことが大好きだよ! 」