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ラヴィンキリユ

作者: 樟アベリア

「ゾンビ?」


『そう。ゾンビ』


 半年ぶりに電話をかけてきたと思えば、我が親友は頭がおかしくなってしまったようだ。


『とりあえず、今そっち向かってるから』


「あー、うん?」


 曖昧な相づちを打つ。


 沈黙。車の走る音がかすかに聞こえる。無駄を嫌う彼女が電話を切らないということは、冗談ではなくそれなりに緊急事態なのかもしれない。今切れば、次繋がるかわからないような。


 何にせよ、とりあえず情報を得ることだ。テレビをつけるためにパソコンの前を離れ、リモコンを探す。見当たらずにパソコンの前に戻れば、そこにあった。落ち着け、落ち着くんだ私。


 テレビをつけた。何事もなく、お昼のワイドショーが聞こえ出す。画面に映像がうつり、それを見てはっと息を飲んだ。


「ゾ、ゾンビ……?」


『だから言ったでしょ、ゾンビ化で大変だって。ゾンビというか、謎の伝染病ね。見た目がゾンビみたいだから、みんなそう呼ぶ』


 電話越しに解説が入った。そういえば繋がっているのだった。


 いつも通りのワイドショーだ。アナウンサーも、芸人も、アイドルも、いつも通りに笑ってしゃべっている。いつも通りだ。見た目がゾンビであることを除けば。

 チャンネルを替えてみても、生放送のワイドショーはみんなゾンビだ。再放送のドラマにはゾンビがおらず、安心した。


 生気のない肌。程度は違えど、何かしら傷を負った体。まるで、ゾンビに噛まれて、もしくは傷つけられて、ゾンビの仲間入りを果たしたような姿ではないか。ゾンビゾンビと言い過ぎて、ゾンビとは何だったか怪しくなってきた。


『心臓は動いてないんだって。血も流れてない。怪我なんかして流血したら、固まらずに全部出てっちゃうらしいわ』


「マジか」


『もう三日も前から騒ぎになってるんだけどね。さすが、田舎に山買って小屋建てて住んでる引きこもりさん。ネット見てない?』


「いや、今調子よくて、ずっと書いてたから……」


『あらそう。そっち着いたら読ませてもらおうかな、新作』


「ああ、うん」


 まだ書き上がっていないのに、生返事をしてしまった。とはいえ、彼女が来るまでには、読める形になるだろう。一行か二行、終わりをどうするか迷って手を止めているだけだから。


「それで、何しに来るの? 鹿やら猪が訪ねてくるほかは平和な我が家に、避難? それとも、銃が目当て? さすがに渡せないよ」


『銃はいいわよ、使い方わからないし。それに、ゾンビたちは別に、人間を食らって回るわけじゃないの。化け物になったというより、進化してるんじゃないかって話よ。ワイドショー見たでしょ? 普通に笑って、普通に会話してる。困ったことと言えば、家族や恋人とか、友人なんかの親しい人を、ゾンビ化させようとする癖があるらしいってとこ。オーソドックスに、噛まれたら感染するのよ。時々、誰彼構わず噛んで回る迷惑な奴が見つかってるけど、それはまあ、警察も働いてるし』


 なるほど、親しい人しか取り込もうとしないのなら、三日で爆発的にゾンビ化が進むことはないはずだ。誰彼構わずの誰かさんが、愛情の多い人だったとか、全人類を愛していたという可能性もあるけど。ところで警察もゾンビなのだろうか。


『見た目以外で何が変わったかって、強いていうなら、みんなちょっと動きが鈍った? 車も、飛ばしてるやつ全然いないの。なんか、ゾンビらしい感じはするよね。心臓が止まってるからかも』


「ほおー」


 ゾンビだらけのワイドショーが目の毒なのでテレビを切った。何が目の毒って、アイドルの女の子が傷だらけなのだ。愛され過ぎて大変だったのだろうと哀れむ。


 それにしても、聞いた感じでは、とくに緊急事態でもないのかもしれない。少なくとも彼女の声に焦りはない。それどころか、いつもよりのんびりした口調だ。

 私も彼女も、親兄弟はもういないし、大切な友人もおそらくはお互いだけだ。どちらかと言えば二人して人間を避ける方で。ゾンビ化の心配はなさそうだ。時代に置いていかれるのも、寂しい話ではあるが。ほんの少し。


 閉めきっているカーテンをわずかに開けて、隙間から外を覗く。小屋は山の麓にあるとはいえ、前の道路の人通りがないのはいつものことだった。


 パソコンのそばに置いてあったグラスの中身が空だ。わけがわからない時はわけがわからない気分になるのが一番だと思い、足元の瓶を拾ってグラスに酒をついだ。その前に水が飲みたい。

 わけがわからない気分になりたかったのは、たしか半年前に彼女から電話があったときもそうだった。酒のおかげで、電話の内容は都合よく忘れてしまった。記憶にございませんという答弁も理解できなくはない。いっそ記憶から抹消したいこともある。


『あ、そろそろ着く』


「はいはい」


 電話を手にしたまま、冷蔵庫に向かった。ミネラルウォーターのペットボトルを出す。片手で蓋を開けて、口をつけてぐっと飲んだ。半分くらい減った。


 それで、我が親友はいったい何をしに我が家に訪ねてくるのだろうか。パソコンの前に戻り、酒を一口飲んだ。


「あのさあ」


『着きましたよー』


「ああ、はい」


 車が近づいてきて停まった音が聞こえた。聞き慣れた音だ、もう十年くらいは同じ車に乗っているのではないだろうか。

 残念ながら、訪ねてくる理由を聞く前に到着してしまったようだ。酒を飲み干して、ペットボトルの水もすべて飲み干した。


 車から人が降りてくる。ドアが開いて、閉まる音がした。足音がゆっくりと玄関へ向かってきている。私も玄関へ足を向けた。ノックされるよりも前にドアを開けた。彼女が立ち止まった。


「よかった。まだだったね」


 彼女が言った。

 間違いなく彼女であることはわかった。元来の色白の肌は、よりいっそう血の気を失っていた。だが、笑顔が一緒だ。何も変わらない。安心、できる。


 問う。


「なぜ、来たの?」


「それは、だって……親友でしょ? 何より大切な、唯一の」


 彼女の顔を見た瞬間に、その答えは予測できていた。家族や、恋人や、友人を、自分と同じ存在にしたがる癖があるというから。


「痛くしないから。ね?」


 私の手を取って、彼女は首を傾けて笑った。その右手の甲にはキスを受けたような傷。その薬指には銀色の指輪がはめられていた。半年前の電話を思い出した。結婚することになったと、彼女は言ったのだった。彼女には彼女を強く思う誰かがいて、だから、そのせいで、私の世界は彼女と私だけでは完結しなかったのだ。


 自分の手が彼女の口元へ導かれるのを、私は黙って見ていた。

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