6/No.2のおとこで、ましまし(後)
ぽってりと丸くなって山田准教授の肩にいる、深緑の饅頭は、紛うこと無きメジロである。白い輪のなかは糸目になっている。目を閉じているのだ。
やっくんか? にーくんか? ましましか?
三羽のなかで、若干小柄なのがましましだ。三羽で並ぶと、一羽だけ凸凹の凹になる。難しいのはやっくんと、にーくんだ。二羽とも背格好は似たり寄ったり。
わたしの緊迫した雰囲気になにを悟ったのか、誰も一言も発しない。
そのなかで、丸まっていたメジロがうーんと躯を伸ばした。
その姿に天啓が雷の如く舞い降りる。
「にーくんっ!!」
伸ばした首もとが黄色い。一番黄色いのがにーくん。たんぽぽ色の首筋なのだ。
わたしの声に山田准教授の肩のうえで、メジロがはっと目を開ける。真っ黒いつぶらな瞳が、わたしをとらえた。目と目が合う。
途端メジロが鳴いた。泣くのではなく、囀りをはじめた。
ぴいい、ぴぴちち、ぴいいい。
高く。ひくく。
肩のうえで、せわしなく飛び跳ねながらメジロは歌う。
ぴちちちち、ぴいぴぴぴ。
黄金の声と称される歌声が研究室のなかに響きわたる。
それは初めて耳にしたメジロのまともな歌であった。
あいつらときた日には、おいおいと泣く事はあっても、滅多に鳴かない。
鳴いてもせいぜいが「ちちち」くらいだ。うっかりメジロである事を忘れてしまう要因のひとつは、こいつらの日常における態度のせいもある。
わたしのせいではない。
ところがどうだ。
この美声!!
メジロの歌声は求愛の為だ。愛を高らかに叫ぶ歌声だ。
この黄金の歌声を求め、かつて野性のメジロはマニア達から乱獲された。なかには巣毎卵が持ち去られたりした。捕らえられたメジロ達は狭い籠のなかで、くるはずのない恋人を求めて、喉を震わせる。
歌声を競うために育てられる。
これがメジロの唄会だ。
やがて唄会は、勝負事になり、現金の飛び交う賭け事になった。
その為に野鳥が生涯閉じ込められるなど言語道断。日本でのメジロの捕獲飼育は全面的に禁止されたのだ。
わたしは囀るメジロへ向かって手を伸ばした。
「おい!」
わたしの呼びかけに、にーくんがさっと飛んで来る。
「ご主人。探したであります」
にーくんの言葉に黒崎教授が、「おおっ!」山田准教授が「ええ?」と声をあげる。
とりあえず、二人に背を向け無視する事とする。
「どうした?外で待っている約束だぞ」
「約束を守れなくて、面目ないであります」
一人と一羽。どちらからともなく声をひそめる。にーくんは空気を読める奴である。
「実はましましが」
「どうした? 吐いたか?」
「いえ、そちらは大丈夫であります」
「じゃあ何だ? 襲われたのか? 猫か? カラスか? 人間か?」
「いえ。そういうんじゃないであります。鶯であります」
「ウグイス?」
鶯がどうした? 餅屋にでも行きたいのか?
「前迫くん?」
教授がわたしに呼びかける。どこか遠慮がちな声だ。
「ナニかあったのかね? そのメジロは……」
「きょーじゅっ!!」
わたしは教授の言葉を、声高らかに遮った。
「教授。すみません。ちょっと急用ができました。おって商品の新しいパンフレットをお持ちします」
「ちょっと。君」
「すんません。ホンット、すんません」
米つきバッタのごとく、高速で頭を下げる。下げつつにーくんを両手で隠し、後ずさる。
視界に呆れた顔をした山田准教授の姿がかすめる。
「ではっ!!」
わたしは脱兎のごとく研究室から飛び出した。
減給だ。減給だ。げんきゅうだ。
下手をしたら減給だ。
頭のなかに現実的な警報が鳴り響く。
だというのにわたしの足は回れ右で、戻ろうとはしない。一心に外に向かって駆けて行く。
「で、ウグイスと何があったんだ?」
走りながらにーくんに問いかける。
途端ばつの悪い顔で、にーくんが「それが……困っているであります」歯切れが悪い。いや、メジロに歯はないが。
まさか真っ昼間の大学キャンパスで、鶯と喧嘩か? どっちが強いんだ? 確かメジロってスズメよりもちっこいよな。ちっこいなかでも、さらにちっこいましましだぞ。
鶯に喧嘩売ったら、ぎったぎたにされるんじゃないのか? 五体満足なのか? 大丈夫か? 最悪の想像が頭を駆け巡る。
廊下を走り、大学事務室の横を突っ切る。来客用玄関を抜けた先に広がるのは冬の風景。葉を落とした大木は桜の樹であろうか。立ち並ぶ桜並木のうえを飛び交う三つの姿があった。
わたしは玄関先で足をとめ、遠く桜の枝先を目をすぼめて睨みつけた。
ここからでも耳をすますと聞こえてくる。
ぴいいいと鳴くメジロの鳴き声。そしてもうひとつ。
けきょけきょと、鳴く特徴的な声。
「にーくんアレは……?」
「鶯さんであります」
「そうだな。しかしなんだって鶯を他の二羽が追いかけ回しているんだ?」
「正確にはましましが、鶯さんを追いかけまわし。二羽をやっくんが追いかけているであります」
「……なんで?」
「求愛であります」
目の前にいるのは、メジロ共よりやや大きい茶系の小鳥。いやあ、鶯て本当に地味だな。メジロの比ではない地味さだ。
「ましましが鶯さんにせまっているであります」
「……」
言われてみると、確かにましましは鶯を。鶯のみに狙いを定めて追いかけている。桜の梢から梢へ。桜から椿へ。そして又桜へと。
追われている鶯から醸し出される迷惑感が半端ない。
そりゃあそうだ。なにせメジロとウグイス。違うもんな。国際結婚以上のハードルの高さだ。しかも。
「あいつ下手だな」
「……下手であります」
ナニが。と確認する前に、にーくんが肯定する。
にーくんの美声と比べて同じメジロかと疑うレベルで下手である。「ちちちちましまし」「ぴぴぴまっしー」と聴こえて来る。ほとんど冗談レベルの囀りだ。
「ましましは、季節外れに生まれて、まだちっこいのであります」
弁解するように、にーくんが言う。
「そうなのか?」
「メジロも産まれた時から上手いわけではないであります。何事も練習が必要であります」
「そうか……」
「ましましの初恋とはいえ、相手は鶯さん。ご主人にとめて欲しいであります」
「うん。まあ、そうだな」
馬に蹴られるつもりはないが、鶯もさぞや迷惑であろう。わたしは外靴に履き替えて、「来訪中」の札を事務へ返すと桜へと大股で歩みよった。
「帰るぞ!!」
一言叫ぶ。
「ご主人であります! ましまし、僕は戻らねばならないであります」
「まだいたいでましまし」
「ご主人と共にあってこその、メジロでありますぞ!」
渋るまっしーを、やっくんが軽くつつく。
わたしは叫んだ。
「ついて来ないと、今晩は野宿だぞ! 梟がでるぞ! メジロマニアが捕獲に来るぞ!」
多分梟も、メジロの密猟者も大学構内になど来るわけがない。ただの脅し文句だ。
わたしが大股で駐車場に向かうと、渋々といった態のまっしーをやっくんが先導しながら飛んできた。わたしの手のなかで、にーくんがほっと息をついた。
帰りの車中は静かであった。
追いかけっこに疲れたのか、ましましとやっくんの二羽は後部座席で爆睡だ。
にーくんだけが助手席で目をぎょろりと開けている。
「おい」
わたしはにーくんに呼びかけた。
「なんでありますか?」
「……なんで山田准教授の肩に乗っていたんだ?」
わたしはずっと疑問に思っていたことを問いただした。
「外でお見かけしたであります」
「山田准教授を?」
「桜の下を歩いていたであります。ご主人がどの部屋にはいったのか知らなかったので、連れていってもらおうと、失礼を承知で乗せてもらったであります」
「そうか」
「はい、であります」
「けどさあ……」
信号が赤になる。わたしはなるだけゆっくりと静かに止める。ここで、がっくんと止めると、ましましが車酔いをおこすかもしれない。
「どうして山田准教授がわたしの訪問先の先生だって知っていたんだ? 偶然か?」
「写真を見たであります」
しゃらりと、にーくんが応える。
「しゃしんだと?」
思わず視線を信号から助手席のにーくんへ移す。にーくんは全く悪びれることない顔つきで、「ご主人のスマホの写真アプリにはいっていたであります」
そうのたまった。
待て! まてまてまて。ちょっと待て。
わたしは内心の動揺を顔にださない様に努めながら、信号機を凝視した。
目は信号機を見つめながら、頭はにーくんの爆弾発言でいっぱいだ。
まず。何でこいつが、或はこいつらがわたしのスマホに興味を持つのだ。しかも何でそこで写真アプリなんだ? いつからひとのプライバシーに首をつっこむメジロになったんだ!?
「なんでわたしのスマホを見たんだ?」
努めて冷静な感じを装い問いただす。すると、「頼まれたであります」そう応える。
「頼まれた!? 誰にだ?」
「所長さんにであります」
「しょちょー? 松岡所長にか!?」
「そうであります」
「なんで?」
「我らの秘蔵写真を送って欲しいと頼まれたであります。あ、青になりますよ」
席からうんと伸びをして、にーくんが言う。
わたしは車を発信させながら、痛む頭をおさえたかった。運転中でなければ、突っ伏して記憶喪失になりたかった。
所長。なに、阿呆らしい指示をメジロにだしているんです。
「前迫くんは、ツンデレだから秘密で我らの写真をたくさん所有しているはず。それを探し出して、あわよくば送信して欲しいというのが所長さんからのミッションでありました。面白いゲームでありますな」
いや。お前。それゲームじゃないから。単なるプライバシーの侵害だから。盗人行為だから。
「そこで美人のおねーさんの写真を見たであります。お知り合いでありますか? 恋人でありますか?」
「……取引相手の、おしりあいだ」
ついでに言うと片恋の相手だ。それは言葉にせずに飲み込んだ。
「そうでありましたか! ご主人の恋のお相手かと思っておりました」
「……ちがうよ」
年も近いし、よく顔を合わせる。わたしの好みである。しかし相手は大学の先生だ。ハードルが高い! 高すぎる! まっしーのウグイス相手よりはマシだが、それでも遥かに遠い、高嶺の花だ。
思えば学生の頃から手の届かない相手を好きになる。
高校生の時は、学年トップの女子だった。わたしは普通科。彼女は特進コース。三年間一度も話せずに終わった恋だった。
大学にはいってから付き合った彼女は、いわゆるできる女だった。勉学もサークルも、果ては就活も気がつくとわたしは置いてきぼり。彼女はずっと先を行っていて、自然消滅した。
ああ、そうか。高値の花が好きというよりも、自分の事をかえりみず、賢くできるタイプの女性が好きなのだ。
突き詰めて考えると、めろーんとなってくる。
いかんいかん。切り替えよう。そもそも山田准教授とお付き合いできるとは思ってさえいない。あの写真だって、あれだ。学会に新商品発表のブースをもらった時、会場で偶然彼女をみつけて、ついつい撮っただけなんだ。深い意味は……あるが、ない。ないという事にしておきたいんだ。
「ご主人。突っ込んではいけない話題でありましたか?」
にーくんが恐るおそる聞いてくる。
お前やっぱりいい奴だな。うざったいメジローずのなかでは、空気を読めるいい奴だ。わたしもお前も、同じ地味キャラだしな。
前迫くんはいい人だけど。そう言われて終わるNo.2の男同士だ。
わたしは俄にわきだした、にーくんへの親近感から、軽口を叩いた。
「いや、なんでもない。気にするな! それよりお前もモタモタしていると、ましましに先を越されるぞ!」
はっはっは。大人の余裕で笑うわたしに不思議そうに、にーくんが首を傾げる。
「先を抜かれるとは何のことでありますか?」
「なにって、彼女だよ。ましましは積極的じゃあないか! お前もガンバらないとな!」
「……ご主人」
にーくんが何とも生ぬるい目でわたしを見上げる。真っ黒い瞳に憐れみのひかりがあるように思うのは気のせいだろうか。
「恋人はいらないのであります」
「え?」
「妻がいるので、今更他のメスに恋唄を歌うなどしないであります」
「え?」
「妻。で、あります。卵を産んでくれる番なら、とっくにいるのであります」
「ええ? え?」
わたしは危うくハンドル操作を間違えるところであった。あっぶねー。
「お前、妻帯者だったのか?」
「そうであります」
「ましましは!?」
「独身であります」
「やっくんはっ!?」
「番がいるであります」
なんてこった!! 三羽のうち二羽が番もち。
待て。これって不味いんじゃあないか? もしそれぞれのメスメジロがやってきたら? 卵が産まれたら? さらに雛がかえったら? どんだけの大所帯になるっていうんだ!
もう、頼む。三羽でいっぱいいっぱいなんだ。
これ以上は勘弁してくれっ!!