４／ザ・むしまんじゅうで、ましまし
WKIWKIーPedia より
メジロ
スズメ目 メジロ科 メジロ属
和名／メジロ
英名／Japanese Whiteーeye
東アジアから東南アジアにかけて生息している。緑がかった背と暗褐色の羽。
雌雄同色。目の周りの白い輪が特徴的で、名前の由来となっている。
日本で見られる野鳥の中では、ミソサザイ、キクイタダキに次いで、最も小さい部類に入り、スズメよりも小さい。全長約１２センチ。
※ ※ ※
この頃メジロ共への甘やかしが加速している。
無論わたしが甘やかしているわけではない。あのような得体の知れない鳥と身近に接して、精神的負担は増すばかりだ。甘やかすのならば、わたしに優しくして欲しいくらいである。
だというのに、好意の一点集中先は全てメジロ共ときている。
わたしは皆の眼中にはない。
甘やかしは、わたしが自宅を出る時から始まる。
わたしの住むのは、築十五年の何の変哲もないアパートである。隣が大家の自宅になっている。塀にかこまれた純和風の平屋建て。庭には松と桜がある。
昨今ではアパート経営を請け負うシステムがある。だというのにこの大家、自ら全てを管理している。
夫婦のうち、出張ってくるのは主に六十代の奥さんで、雰囲気からは何ともいえぬ、広瀬さん臭がする。
そう。悪いひとではない。
よく言えば世話好き。悪く言えばお節介おばさんだ。
アパートは犬猫はNGであるが、小鳥。金魚。亀にハムスター。飼育数によってはウサギも可だ。ただし大家へ届け出義務がある。
真面目な社会人として、わたしもメジロ三羽を抱え込んだ夜。すぐさま用紙をもらいに行った。
そこで山崎夫人に目をつけられたのだ。
朝。
わたしが愛車にまたがると、どこから見ているのか山崎夫人がすっ飛んで来る。
すわストーカーかと思う素早さだ。
但し。片手にはごみ袋を持っている事も多いので、わたしの考えすぎである可能性も否めない。
しかしもう片方には、巾着袋がある。ここでわたしの疑念は一気に跳ね上がる。
「おはよう！前迫くん！良い天気ね！」
きついパーマネントをあてて、一部の隙もないザ・元気なおばちゃんの山崎夫人の挨拶は快活だ。
わたしは愛車に跨がったまま、「おはようございます」営業スマイルで応える。
すると、スマイルが終わるか終わらないかの、絶妙なタイミングで山崎夫人は行動にでる。
片手をわたしの着ている、ダウンベストのポケットに突っ込んで来るのだ。
初日は驚いた。
おおいに驚いた。
今だって、甘んじて彼女の暴挙を受け入れているわけではない。拒絶すると、事態を余計にややこやしくさせるだけだから黙認しているのだ。
良い子は、お口ミッフィー。
幼い頃母に注意された時の、とぼけた言葉を思いだす。
社会人になり。年上の妙齢の女性と接することで学んだ。彼女らとやり合うと、時間をくう。しかも敵はやり込めるまで、決して引かぬ。
ならばスルーが無難なのだ。悟りの境地を目指すのだ。
「ああ。ちゃんといる」
むんずと引き出されたのは、三羽のメジロだ。
夫人の肉厚の掌に包まれている姿は……まるで巨人に握りつぶされる。或は補食される一歩手前に見えなくもない。
「おはよう、メジロちゃん」
にっこりと。山崎夫人が微笑む。
「おお。貴子さん」
やっくんメジロが返事をかえす。
貴子さんというのが山崎夫人の名であるらしい。わたしは知らぬ。
「おはようございます」
「良い天気でましまし」
三羽が揃って小首を傾げる。右に傾げる。まるで日々練習しているかの様な、流れる動作だ。
この動作は女受けが良い。
そうだと分かってやっているに違いない。
無論メジロ共は、「はっ？何の言いがかりでありますか？」とすっとぼけるであろう。
だがわたしは知っている。
男相手にこの動作は、ほぼでてこない。
「今日も前迫さんと会社へ行くの？」
「無論であります」
「ご主人と我ら」
「運命を共にするので、ましまし」
運命など共にしたくもない。する許可もだしていないぞ！
わたしは夫人とメジロの間に繰り広げられる茶番から目を背け、ヘルメットをかぶる。
早く。
一刻も早くこの場から逃げたい。
「律儀ね。たまには休めば良いのに。おばちゃんの家なら、蜜柑もバナナもあるわよ。温かいし、炬燵もだしているのよ」
蜜柑。バナナ。炬燵。
こいつ等にとっては、三種の神器だ。
だがメジロ共は頭を横に振る。多少惜しそうにしながらも、横に振る。
頼む。山崎宅へお邪魔してくれ！いっそ居候になれ。
わたしは内心そう願う。
なぜなら。わたしの理性がマトモなうちに、こいつらと縁を切らねばならぬのだ。この頃、ひしとそう感じる。
だが、メジロ共は頑なだ。
「有り難い申し出であります。しかし我ら、前迫家のメジロであります」
キリッ！
そんな効果音がつきそうな、鳥にしては凛々しい顔で、やっくんメジロが応える。無駄に漢前である。
「そうなのね。本当に良いメジロちゃんね。じゃあ風邪ひかないでね。ご飯ちゃんともらうのよ」
そう言うなり、夫人は手にしていた巾着をぐいっとわたしのポケットに突っ込む。
巾着袋はほんのりと暖かい。
わたしの為ではない。わたしの為だったら、割とコワイ。なのでほっとする。
こういう形で、女性から優しくされたいのではない。
矛盾ではあるが、人間の心理など所詮矛盾だらけなのだ。
巾着袋の中身は使い捨てカイロだ。
次に夫人は、そっとメジロ共をポケットに戻す。
それは優しさに満ちた母親の動作であった。
気遣いと、慈しみ。
それから、一転。メジロの姿が視界から消えた途端に、説教モードにはいる。一刻も早くポケットのボタンをはめろと、わたしに命令するのだ。
「いい？何があっても安全運転でね。事故っても絶対に右に倒れちゃ駄目よ。メジロちゃん達ペタンコよ」
「はいはい」
「いい年して、自転車なんて！しかも籠もついていないし」
「はいはい」
ロードバイクに籠をつけてたまるものか。ママチャリではないのだ。
おざなりに返事をして、愛車のペダルをぐいと踏み込む。
毎朝これだ。
一刻も早く山崎夫人の視界から去るべく、わたしはペダルをぐいぐい漕ぐ。
愛車。ビアンキは本日も快調に、混んだ道をすいすいと進んでいく。ビアンキのチェレステはペパーミントグリーンが可愛いすぎるかと散々迷ったが、気に入っている。
スピードが増すと風が冷たい。しかし腹の右側だけが、ぽかぽかと温かい。
カイロとメジロの最強コンボだ。
会社の駐輪場に着き、自転車の鍵を閉めると、ベストのボタンを開ける。
途端に三羽が我れ先にと、こぼれでてくる。
三羽ともほかほかだ。
まるで蒸し上がった緑の饅頭だ。
まろい頭のてっぺんから、立ち上がる湯気が見えるような有様だ。
「あっついであります」
「ほっかほかの、あつあつであります」
「むしチキンになってしまうでましまし」
そう言って一斉に肩に乗るや、わたしの首筋に躯をこすりつけてくる。
すり すり すり。
目を閉じ、「ひえひえであります」「ここち良いのでましまし」と、これでもかと擦りつけてくる。
あたためられた羽毛が、さわさわと、寒風で冷えたわたしの首筋を行き来する。
はっきり言って至福である。
認めたくはないが、心地よい。世にメジロ喫茶なるものが存在したら、金を払う価値があるくらい、心地良い。
だがそれをこの三羽に話してなるものか。一気につけあがるに決まっている。
わたしは、にやけそうになる口元に力をこめる。なるたけ低い声で言う。
「……なら断れよ」
無人のエレベーターに、メジロ共々乗り込む。
「しかし。これはこれで気持ち良いであります」
「蒸されたあとの、ご主人の冷たき首筋」
「温泉の次の冷水のごとくでましまし」
わたしは無言でエレベーターの「閉」のボタンを押す。これでもかと。力いっぱい押す。
三羽はわたしへ熱を移すと満足したのか、肩のうえでぎゅむううと固まる。めじろ押し状態だ。
蒸しまんじゅうから、鳥類へのカムバックだ。
エレベーターの鏡で見ると、肩のうえでメジロ共はうたた寝を始めようとしている。
くわあ……と嘴を開け、三羽そろって半目になっている。
その姿にふるえが走る。気味が悪いのではない。その逆だ。
認めたくはないが……
ちょっとだけは可愛いと認めてやろう。
わたしは鏡に映る自分の姿に情けない思いを抱く。
にやけたアラサー男がそこにいる。
気を引き締めろ！前迫 篤。
空いている左手で、わたしはわたしの頬を打つ。
騙されるな。
絆されるな。
メロンボールから出てきたこいつ等は、一見鳥に見えなくもない。しかし得体の知れぬメジロではないか。
ばしばしと。計三発、叩く。
わたしの力のこもった決意行動に、一羽が目を細く開けると憮然と言った。
「五月蝿いであります」
自転車情報提供／錫 蒔隆さん。ありがとうございました。
口の前で左右の人差し指を×印にしてから。「よいこはお口ミッフィー」これは公共機関で騒ぐ、幼かった頃のこども達を注意する時によく言った台詞です。
癖で、先日中三の娘にしましたら、一言。「きもっ！ひくっ。マジでひく」
……世の中の「少女」に夢と憧れをお持ちの男性諸君。１０代のおんなの子の何割かは、猛々しい戦闘民族です。泣。いいんだ。お母さんの癒しは、メジロでいいんだ……
