3/よたかさんはキュートで、ましまし
昼休み。
外で早崎くんと食事をとって帰ってくると、会議室が騒がしい。何事かと思って見に行くと、事務所に残っている社員たちが、開いた戸口に鈴なりである。彼等の背後から、早崎くんと覗き込む。
おいおいと、か細いなき声が響いてくる。真っ昼間の社内で、泣いているものがいる。
人垣の背後から確認すると、ひとではない。メジロであった。
泣いているのであって、ピチピチと鳴いているわけではない。
三羽でかたまりあい、一羽はうえを向き、溢れ出る涙を堪えている。片や、翼で顔を覆いむせび泣いている。
真っ黒い目玉に涙を浮かべ、「ましまし。ましまし」と泣いている奴もいる。なんだよ、その変な泣き方は。
それにしても全くもって五月蝿い。どうしたのかと問いただすと、メジロ共を膝にのせている斉藤さんがばつの悪い顔をした。
斉藤さんは今年入社した大卒の新人だ。
今年の新人は彼女だけ。ひとつ結びにした黒髪に、丸い瞳の可愛らしい二十三歳。
広瀬さんの下で、春から経理と総務についている。真面目だが要領が良ろしくない。有り体に言えば、不器用だ。ミスをしては広瀬さんにこってり絞られている。それでもめげる気配はない。根性があるというよりも、マイペースだ。
その斉藤さんの膝のうえでメジロ共は固まって泣いている。
異常事態だ。
一体全体どうした事か。わたしは人の輪をかきわけて、会議室へと入り込んだ。
「どうしたんだい?」
メジロ共は昼休みに、斉藤さんと一緒にいた。実は今日だけではない。この一週間ずっとそうだ。
メジロ共がいると外食がままならない。
鳥連れで、外食などできようもないからだ。羽毛アレルギーの人もいよう。衛生面で心配な人もいるであろう。
そうすると自然弁当になる。わたしは今時の弁当男子ではない。朝から手間隙かける時間などない。
すると出前か、コンビニ弁当となる。続くと正直飽きて来る。
そんな時に、メジロ共から今週は斉藤さんと共にいたいと言い出したのだ。斉藤さんもまんざらではない顔で、引き受けてくれた。
「実家で文鳥を飼っているんです」
そう言って両の掌に乗るメジロ共をうっとりと眺める。
まさに渡りに船。ほいほいと斉藤さんに託し、外出していた。
「あの……あの」
斉藤さんは制服のベストの裾を引っぱりながら、俯いて口ごもる。
ああ、いいなあ。新人の子の、フレッシュな仕草。これが広瀬さんクラスになると、下手な事を口にした途端、ぎろりと睨まれる。
その点彼女にならば睨まれる心配など皆無。わたしは優しさに満ち、仕事ができて頼りになるお兄ちゃん系を意識して、続きを促した。
「うん……? どうしたんだい?」
「あの」
斉藤さんが、ふせていた顔をあげた。
うっすらと頬が赤い。気のせいか彼女の瞳も潤んでいる。その様子にちょっとだけドキリとした。
一体何が、この会議室内で行なわれていたというのだ?
「斉藤さん……?」
わたしの呼びかけに、斉藤さんがそっとわたしへ向かって手を伸ばした。差し出したのは、一冊の本であった。文庫本だ。これが? 何だ?
思わず反射的に受け取る。
『 よだかの星/宮沢賢治 』
普段読書の習慣のないわたしでさえ知っている、有名な作家の文庫本だ。
但し、知っているのは作者名だけ。内容までは知る由もない。しかしこの本と、今の状況に何の関係が?
わたしが不思議な顔つきをしていたのだろう。斉藤さんが慌てて説明しだす。
「メジロちゃん達に読んで聞かせていたんです」
「これを……?」
「はい」
「それでメジロが号泣を?」
「失敬な。僕は泣いてなどいないであります」
一羽のメジロが憮然と顔をあげる。
こいつは僕。僕。と、ことあるごとに古めかしく言うものだから、社内でやつがれ改め、やっくんメジロと呼ばれている。
本名は知らない。そもそも名があるのかも知らない。
いや。お前。今まさに。おうおうと泣いていたじゃん。わたしはメジロを無視して斉藤さんへ再度問いただす。
「ええ、メジロちゃん達に、鳥がでてくる文学作品がないか聞かれまして」
「ご主人と違って、斉藤女史は文学に造詣がふかいで、ましまし」
わたしの事はほっとけ。そしてお前ら、いつの間に我が社の女子社員の趣味をリサーチしているのだ。わたしは呆れた。
今年の四月。
斉藤さんの歓迎会が週末に行なわれた。すき焼き「わか奈」の二階の座敷で彼女は緊張した面持ちで、自己紹介をした。
「斉藤ふみ。趣味は読書と砂金とりです」
読書と、砂金。
素朴な雰囲気で、なかなかにユニークな女性だと。
その時皆が一歩引いた記憶がある。
早崎くんが宴会の鍋をつつきながら、「主任。砂金って採ったら申告いるんすか? 税金かかるんすか? ただなんすかね?」そう聞いたのに、「知らん」と返した。第一、主役のスピーチの間に喰っているとは何たることか。箸を置けと注意した。
今思えば、メジロのいない穏やかな飲み会であった……
「それでよだかの星を、メジロちゃん達に音読してあげていたんです」
「わざわざ? メジロへ? 昼休みをつぶして?」
「はいっ。こどもへの読み聞かせが好きなんです。学生時代は幼稚園へ訪問でまわっていたくらいです」
こどもへの読み聞かせならば、微笑ましい。しかしこいつら鳥だぞ、斉藤さん。
わたしは件の文庫本をぺらぺらとめくった。
短篇集なのか。目次には他の題名もある。流石に銀河鉄道の夜くらいは知っている。但し途中で挫折した。
「大体は分かった。しかしそんなにも、べそべそ泣くストーリーなのか?」
「失敬な!」
やっくんメジロが声も高らかに抗議する。
「それはもう、心に染みるストーリーであります」
さっき泣いたことは否定したくせに、今や肯定している。やはり所詮は鳥頭なのか? 三歩歩くと忘れるのか?
「ご主人も読むべきであります」
「主人公のよだかのいじらしさが胸にせまってくるであります。しかし惜しむらくは……メジロが。メジロが……」
「ああ。吾ら。よだかさんに謝りたいで、ましまし」
「……なんで?」
何、よだかに謝るの? っていうかこれお話しだよね?
「よだかは、大層性格の良い鳥なのですが、醜いからと他の鳥たちから迫害されているんです。お前は鷹ではないのに、夜鷹だと名乗っている。市蔵と名前を変えろと鷹に無理難題を迫られます」
斉藤さんがあらすじを言う。なんというか、暗い童話っぽいな。
第一、鳥類で市蔵ってなんだよ。ほとんど人名じゃあないか。鷹の無茶ぶりすごいな。
「お話しのなかで、よだかがめじろの赤ん坊を助けるシーンがあるんです」
斉藤さんが説明を続ける。そうしながらも、チラチラとメジロ共を気にしている。そんなにも極悪非道なメジロが登場するのか?
「うん」
「ところが赤ん坊を届けたよだかに、めじろのお母さんは割と酷い態度をとりまして。それによって、よだかが傷つくんです」
「それだけ?」
「ええ、それだけです」
「なんだ」
阿呆らしい。名前を変えるのを迫る鷹よりはマシであろう。そう言おうとしたわたしへ、やっくんメジロが抗議する。
「よだかの心を傷つけた一言であります。よだかに死の決心をさせたようなものでありますっ!」
「メジロ代表として謝りたいで、ましまし」
拳を。いや、違った。翼を高らかに振りかざして、ましましと叫ぶ。
だからその決意に満ちた目はなんだよ。第一お前等いつメジロ代表になったのだ。
「よだかさんは、地味で醜くなどないであります」
「そうであります! もふもふでキュートであります」
「可愛い鳥さんで、ましまし。なのに、こんな。こんな……酷いで、ましまし」
ましまし言う奴が言葉につまった。途端三羽そろって又泣き出す。三羽の背をそっと斉藤さんが優しくさする。
「よだかって、そんなにも不細工なのか?」
わたしの素朴な疑問に、メジロ三羽が胡乱な視線を向ける。
だって知りたいじゃないか。他の鳥たちからも言われるぐらいの不細工ってどんだけだよ。
「これです」
斉藤さんがすかさずスマホで検索した画像を見せてくれた。
「……なんだ」
わたしは呟いた。
思っていた以上に普通の鳥ではないか。
そこに映っていたのは、茶系の鳥だ。地味っていやあ地味だが。半目になっている眠そうな目つきなどいっそ可愛いくらいだ。羽毛はもふもふだ。手触りも良さそうだ。迫害を受けるほどの醜さなど微塵もない。
「可愛いぞ。夜鷹」
わたしの一言に、メジロ共が一斉に叫ぶ。
「ご主人!!」
「よくぞ言ったで、あります」
「それでこそ我らが主人で、ましまし」
そうして又もや泣き出す。
「良かった! よだかさん、良かったであります」
「ましまし。ましまし」
三羽揃って号泣だ。
「泣いたっていいのよ。感動した時は泣いたって良いの」
「おおっ!」
「そうなのでありますか?」
「斉藤女史は感受性がゆたかで、ましまし」
ひしっ。
と斉藤さんがメジロ三羽をかき抱く。
そうして一人と三羽でしずかに涙を流す。
その様子に社内で苦言をたれる者はいない。
広瀬さんを先頭に、野次馬たちは皆、温かい眼差しで見守っている。
我が社は今日も平和で適度に暇であるらしい。