22/出張お医者さんサービスで、ましまし(1)
やたら長く感じるコールの末に、「はいはい」と、覇気のない声があがる。瞬間わたしは叫んだ。
「来てくれ! いますぐ、来てくれ!! 大変だ。急患だ。とにかく来てくれっ!!」
わたしの慌てふためく声に、「え? 誰、あんた。うちは110番でも111番でもないんだけど」と、電話の主はトンチンカンな事を言う。
お前は阿呆か。それを言うなら、110番でも119番でもだろうが。
腹を痛がるやっくん急変の事態に、すぐさま電話した先は丹羽善三だ。わたしは善三の発言に額の血管が切れそうになりながらも、
「前迫篤だ。今、館大の東棟。農学部前のキャンパスに居る」
そう言った。
「なんだ、まえちゃんか」
善三がふざけた愛称でわたしを呼ぶ。
いい年をした男のちゃんづけ。寒気がする。一体いつからそんな呼び名になったのだ。わたしは認めないぞ! だが今は善三の気色悪さよりも、やっくん急変だ。
「とにかく来てくれ。腹痛だ」
「館大だったら、すぐちかくに内科があるぞ。えーと、なんて言ったっけ」
「ちがうっ!!」
わたしは怒鳴った。
「わたしが腹痛で、なんで電話するんだ。腹痛はやっくんだ」
「あ〜」
善三が間延びした声をあげた。
「とにかく、頼む。すぐ頼む」
なにやらぐずる善三を拝み倒すし、なんとか承諾を取り付けた。よし営業力が役にたった。後は待つばかりだ。
獣医について、永井さんに尋ねていたのが実を結ぶ。永井さん曰く、小鳥を診てくれる獣医は極まれであるらしい。鳥の専門医という者もいるにはいるが、わたしの住む地区にはいない。だとしたら最もメジロに精通している善三こそが適任のはずだ。過去にこういったケースはゼッタイあるはずだ。速く。一刻も速く来てくれ。わたしは祈る思いで善三の到着を待った。
善三は「水道修理の丹羽サービス」と胸にプリントされた、つなぎ姿で現れた。片手には工具箱を持っている。そして緊迫感ゼロの、のほほんとした顔をしている。
「どーもおぉ。丹羽水道サービスただ今到着です」
そう言いながら、つばの短い帽子をとって一礼する。
「誰?」
山田准教授がそっとわたしに耳打ちする。声に戸惑いがにじんでいる。そりゃあそうだ。やって来たのは、どこからどう見ても水道修理の兄ちゃん。一体全体お前は、なにしてんだよ。しかしこらえる。とにかく今はやっくんだ。善三にやっくんを診てもらうしかないんだ。
「……メジロの、……エキスパートの人。たぶん」
わたしは口ごもりながらも、山田准教授に説明する。
「あ、どうも。羽鳥組。メジロエキスパートの丹羽善三です。なになに、まえちゃん。平日にキャンパスデートなの?」
わたしと山田准教授を交互に見ながら、善三が言い出す。まったく。どういつもこいつも頭のなかが春なのか。
「取引先の山田准教授だ、失礼なこと言わないでくれ」
わたしは善三をたしなめた。当然の行為である。
「あ〜。こりゃ失礼しました」
善三は悪びれもせずに言うと、「では、ちょい失礼」
山田准教授の手の中から、やっくんを受け取る。
やっくんは丸まったまま、時々目を開けては、唸っている。
「善さん……」
にーくんが心配そうに善三の右肩に乗る。
「治して欲しいで、ましまし」
まっしーが左肩に乗る。
「うん。まず診てみるな」
メジロ相手には至極真面目に言いながら、やっくんを仰向けにして、腹を人差し指でさすりだした。
「しっかし。すっげえころっころになったなあ、お前。食い過ぎじゃないか、これ」
何度か腹を押したり、さすってから善三が言った。
「え?」
わたしは驚いて声をあげた。
「食い過ぎ? 食い過ぎでの腹痛なのか?」
「まあ、ざっくり言って、食い過ぎの結果の糞つまり的な?」
「それって便秘か? 鳥も便秘になるのか?」
「ああ、なる」
「なんだ……便秘か」
どっと緊張の糸が切れ、わたしはベンチに腰をおろした。山田准教授もながい息を吐いた。
「便秘でも、下手したら死ぬけどな」
安堵したのもつかの間。善三がしゃらりと凄い事を告げる。
「死ぬ!? 便秘でか?」
驚愕の事実に目をむいた。
「そう」
善三が頷く。
「糞が自力ででないと、喰えなくなる。喰えないまま、いつまでたっても痛みはおさまらない。そんでもって体力が落ちて死んじまう。なんせ躯がちいさいから、急激に悪くなってお陀仏だ」
善三の無慈悲な説明に、
「やっくん!」
「死んではダメで、ましまし」
にーくんとまっしーは、はや涙声だ。
「ど、どうすればいい?」
落ちついてなどいられない。わたしはがばりとベンチから立ち上がった。そのまま、役立たずの熊のごとく右往左往する。
「俺にまかせろ」
そんなわたしに、力強く善三が言う。
善三の右手にはやっくん。そして左で己の胸を叩く。その瞬間。わたしは善三の背後に、後光を見た思いであった。手を合わせたい心境であった。さすがはエキスパート! プロフェッショナル! なんて頼りになるんだ。糸目のうさんくさい男などと、蔑んでいたわたしを許してくれ。
君は立派なメジロボール制作者だ。職人の鑑だ。ああ、中島みゆきの「地上の星」が脳内を流れていく。わたしは感動の思いで冬の空を仰ぎみた。
「おだいじに」そう言う山田准教授の声を背に、わたし達はあたふたと善三が路上駐車している車に乗り込んだ。車にもでかでかと、「丹羽水道サービス」と書かれている。
「まえちゃん、仕事は? いいの?」
運転席に乗り込みながら善三が訊く。
「今日は有給だ」
わたしはやっくんを手に。にーくんと、まっしーをポケットにいれて、後部座席に乗り込んだ。足元に積み重なる工具類が邪魔で仕方ないが言及しない。今は善三様さまだ。
「せっかくの休みに取引先? なに、まえちゃんって仕事大好き人間なわけ? それとも、ぼっち? あ、わかった。さっきの彼女狙いでしょ」
「わたしの事はどうでも良いから、早く」
「はいはい」
善三が車をだす。このまま羽鳥組。すなわち丹羽家に行くのかと思いきや、「で、まえちゃんの家どこ? この近所?」と訊く。
「なんでだ?」
「近かったら、まえちゃん家に行くから」
当たり前だろうと、言わんばかりに善三が言う。
「近いっちゃあ、ちかいけど。でも、診察とか治療とかどうするんだ?」
「あ、まかせて。まえちゃんとこで、全然OK」
「本当か?」
「ホント。ホント」
その軽い言い草と、今までの会話の流れにイヤな予感が顔をだす。先ほどまで朗々と流れていた「地上の星」は鼻歌程度の音声にさがった。しかし。今この男を信用せずに、いつ誰を信用するというのだ……
手の中のやっくんと、善三の後頭部を交互に見つめる。
やっくんが薄目を開ける。
「ご主人……」
弱々しい声をだす。
「なんだ? 痛いか?」
「ごめんで、あります。うそついたから、罰があたったでありますか……」
「ナニ、言ってんだ」
わたしはやっくんのちいさな、まるい頭をそっと親指で撫でた。
「あんなたわいない嘘なんて、嘘にはいるもんか。どこの家族にでもある、おちゃらけだ」
わたしがそう言うと、「なら良かったであります」そう言いながらも、毛をぶわっと膨らませ、辛そうに目を瞑る。
「おーい? どうすんの。羽鳥組行くわけ? 時間かかるとツライのは、メジロだよ」
善三が急かす。わたしは腹を決めた。この男に今はかけるしかないのだ。住所を告げた。
「おっけえ」
善三がハンドルをきる。車はスピードをあげ、わたしのアパートへと進路をとった。