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空き地の山羊

作者: オカワダアキナ

 駅前は再開発のため空き地だらけで、がらんとしている。風をさえぎるものはない。風が吹くから埃っぽい。まるで西部劇だと叔父さんは笑った。

 一番広い空き地には山羊がいる。ここにはいずれ市役所が移転するらしい。草刈りのために放牧されている九頭の山羊たち。動物園から連れてこられた彼らは食欲旺盛で、おかげで空き地はいつもきれいだ。山羊は市の〝臨時職員〟なのだという。〝臨時職員〟が職務放棄してしまわないよう、空き地は高いフェンスで囲まれている。

 今日も山羊たちは草を食んだり、とぼとぼ歩きまわったりしている。んべええええ、んべええええ。時折鳴き声を上げるけど、風にまぎれてよく聞こえない。

 物珍しかったのは最初だけ。見慣れてしまえばなんてことない。囲いの中で与えられた課題をこなして、排泄睡眠ときどきけんか。山羊と私たちとどうちがう?


「琴美、その頭のとこ、クレーンの先で押してみな。揺さぶれば落ちる」

 にやりと笑って叔父さんは百円玉を追加してくれた。棒つきキャンデーをくわえているからあまり格好良くはない。タバコをやめてから飴ばかりなめている。

「……このへん?」

「んん、思いっきり奥までいっていい」

 そのエイリアンが特別好きなわけではないし、どうしてもほしいわけでもない。クレーンにさんざん突つかれて、しかし笑顔のままひっくり返っているピンク色のそれは、たしかパズルゲームのキャラクターだ。学校で流行っていた気がするけど、最近学校に行ってないからよくわからない。

「だめだね」

「アームが弱いんだな。ちょっと貸してみな」

 一発で決めてやる、そう言って飴をぱりんと噛み砕いた。これも今日の戦利品。

「アームの上にコードが絡まってるだろ。こういうのはクレーンがちょっと斜めに降りるんだよ。……よし、いった」

 クレーンがエイリアンに届く前に叔父さんは断定した。言った通りクレーンはぬいぐるみの頭に刺さり、大きく傾く。エイリアンはごろんと転がって落ちてきた。

「すごい」

「すごいだろ」

 平日の昼間だから、ショッピングモールのゲームコーナーは閑散としている。おじいさんやおばあさんが幾人か、黙々とメダルゲームをやっているばかりだ。

「腹減ったか」

 私は首を振った。お母さんの用意した昼ごはんはいつも量が多い。

「なんだあ、ダイエットか? 子どものくせに」

 十三歳は子どもだろうか。子どもだろう。少なくとも叔父さんから見れば。

「叔父さん、クレーンゲームうまいね」

「まあな。これやって給料もらえるんなら、おれは大富豪だ」

 化繊のニヤケ顏が私を見上げていた。エイリアンをつかまえて給料だなんてSF映画みたいだと思う。エイリアンハンター。

「地球上にそんな職業はないと思うよ」

「地球に生まれるんじゃなかったよ」

 叔父さんは口をとがらすと、しっこしてくる、と言ってトイレに立った。


 一週間前から叔父さんはうちに住んでいる。また仕事を辞めたらしい。叔父さんはむかし役者で、若い頃はたくさん彼女がいて、一時期ものまねバーでちょっと有名になって、お弁当屋さんの社長をしていたこともあって、宝石のセールスをしていたこともあって、ヒヨコを売っていたこともある。今回はタイでメイド喫茶をやろうとしていたが、お金を持ち逃げされてしまったのだと言っていた。

「どうしようもないヨンジュウニサイジねえ」

 お母さんは盛大にため息をついた。でも結局は叔父さんのために布団やパジャマを買ってきてあげた。たった一人の弟が南の島で行方知れずになられちゃ困るもの、と。

 タイは島国じゃない。お母さんは日本から出たことがないから知らないのだろう。それに最近センチメンタルだ。でも毎日ちゃんと美容室を開けているから、お母さんは偉いなあと思う。

 しばらくよろしくな、と言って叔父さんはタイみやげのえびのお菓子をくれた。

「どうせ学校行かないんなら、叔父さんとデートしようぜ」

 お菓子の箱はへこんでいた。


 叔父さんを待ってベンチに座っていたら、スーツ姿の男の人に話しかけられた。

「きみ、中学生? 学校は?」

「休みです」

 学校の中はビョーキが蔓延しているから、ずっと学級閉鎖。私の中ではそういうことになっている。

「どこの中学? なんのお休み?」

 男の人は矢継ぎ早に聞いてきた。補導だろうか、それとも変な人だろうか。どろりとした視線だと思う。

「何年生かな?」

 スーツはねずみ色で、ちょっとしわが寄っていた。ふと叔父さんのスーツ姿を思い出す。一度だけ見た、叔父さんの黒いスーツ。

 それはお父さんのお葬式の日のことで、馬鹿にされているような青空の日だった。叔父さんは火葬場の裏でタバコを吸っていた。私と目が合うと、叔父さんはいたずらっぽくまばたいて息だけで笑った。タバコはチョコレートみたいなにおいがした。隣に立って少しだけ手をつないだ。骨ばった手はかさついていた。叔父さんの煙はお父さんの煙まで届かないなあと思ってぼんやり見上げた。火葬場の煙突は高く高く伸びていたから。それに火葬場では並んで幾人も焼かれていて、あの煙がお父さんのものかどうかはよくわからなかったから。

「……あのぉ、その子に何か?」

 いつのまにか戻ってきた叔父さんが、間延びした声で言った。

「ああ、お父さんですか」

 男の人は叔父さんに振り返ると、そう尋ねた。叔父さんがすうっと息を吸う。

「——いや、相棒さ」

「はい?」

 男の人は怪訝な顔をした。おかまいなしに叔父さんはぺらぺらと続けた。

「こいつはボニー、おれはクライド。アンドロメダの流れ者でね」

 そう言って、私が抱えていたエイリアンをひょいと持ち上げた。

「さあて相棒、獲物もつかまえたことだし、ずらかるとしようや!」

 そう言って、私を引っ張って駆け出した。

「何? 叔父さんどうしたの?」

「補導されたら厄介だろ、おれは職質されるのはご免だ」

「変なこと言ったらますます通報されちゃうよ」

「それもそうか。でも走り出したら止まれないぜ」

 ショッピングモールの床は絨毯張りで、私たちのばたばた走る靴音はその灰色に吸い込まれた。叔父さんの腕の中でエイリアンはまだ笑っていた。


 私も叔父さんも、地球に生まれるべきではなかったのだ。

 どこか遠い星に生まれればよかった。叔父さんはエイリアンをつかまえて賞金を稼げばいいし、私はビョーキまみれの学校に行かなくていい。どこか、遠い星。そこなら教科書を隠すクラスメイトも、陰口ばかりの女子グループも、「琴美さんはお父さんを亡くされたけどがんばってて偉いわね」と訳知り顔の教師もいないはずだ。


「なんだありゃ。山羊?」

 バスに乗るお金をセツヤクして、薄青い夕暮れ道をのろのろ歩いていた。空き地の山羊を見て叔父さんは目をまるくした。私は叔父さんに山羊の仕事を説明してあげた。

「へえ、あいつら公務員か。いいなあ」

「コームインになりたいの?」

「なりたくないなあ。遊んで暮らしたい」

 叔父さんはポケットから棒つきキャンデーを取り出した。

「アメ食うか」

「いらない。……叔父さん、どうしてタバコをやめたの?」

 風がひゅうっと吹いて冬っぽいにおいがした。十二月になったら山羊は動物園に返すらしい。冬は草が生えないから。そしたらここはまた空白になる。

「金がないんだよ」

 冷たい水色の夕暮れの中で、くしゃっと笑った。ように見えた。薄暗かったからよくわからない。

 それから叔父さんはふと空き地を見やって、この山羊たちが逃げちゃったら面白いだろうなあと歌うようにつぶやいた。


 夢の中で、叔父さんがタバコを吸っていた。西部劇みたいな格好をしていた。腰にピストル。私たちは土星の輪っかに腰掛けていた。タバコはやっぱりチョコレートのにおいだった。一本やるよ、と私に寄越した。なんとなくためらっていたら、それはシガレットチョコだった。甘いにおいのわけがわかって、叔父さんがあの日手をつないでくれたわけもわかった。 


「琴美、これ見ろよ」

 朝、叔父さんが新聞を広げてにやにや笑っていた。

 ——『駅前広場の山羊、一頭行方不明か』

 盗難か脱走か、どうしていなくなったのかはわからないそうだ。動物園の飼育員によれば、山羊はジャンプ力があるから、二メートル程度の柵ならば云々。

「……叔父さんが逃がしたの?」

「そんなわけないだろ」

「そうだよね」

 ともかく一頭の山羊は、囲いの外に出たらしい。

「ねえ、叔父さん。今日もゲーセン行こう」

 ゲームセンターは囲いの外ではない。地球の片隅だ。地球の片隅で、私と叔父さんはエイリアンをつかまえる。笑ったままのエイリアンを次々仕留めてみせる。山羊のように高くジャンプはできなくても。遠い星に行けなくても。

「いいとも、相棒」

 風に乗って、山羊の鳴き声が聞こえた気がした。ソファの上でエイリアンはまだ笑っている。私も笑ってみてもいいかもしれない。なんとなくそう思った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 静かで乾いた快い語り口。 おじさんとのユーモラスな掛け合いも相まって、このどこか影の差した少女から見た流れゆく田舎の風景がより一層美しく感じられた。。 [気になる点] これからも淡々と続い…
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