第五話
第五話
草木も眠るような丑三つ時。
誰もが寝の床へと就き、静寂に包まれた頃、とある宿の一室に音も立てずに動く、一つの影があった。
「針は持った。札も持った。調子はいつも通り。よし、そろそろ出発としますか」
そう、俺だ。
俺はこれから白にばれないよう、密かに宿を発ち、昼間に結界の気配を感じたあの場所で結界の解れを探したのち敵地に潜入してさっさと異変の根源となる者の首を獲る算段である。言葉にするだけならば簡単だがこれから向かう先ではそこまで旨くいかない予感がする。気のせい……ではないか、昼間でさえ弱くはない程度の力を感じられた幻想だ。夜も更ければなおのこと力が増してしまう。
そして時計を見やれば針は二時の中ごろを示している。
最大限の武装をしていない以上、苦戦は免れないだろう。
先の苦労が分かっているのにこんな時間になってしまったのは俺が寝過ごしていたからではない。むしろ俺は一睡もしていない。
原因は白にある。
なぜか白は俺と同室になることを頑なに拒むために眠っているという確信が浮かびにくい。そのため必ず眠っているであろう時間を選んだ結果苦労が増すことになってしまったのだ。
凄まじく眠いが俺にとって白に俺のやっていることの詳細がばれないようにすることは最重要項なのだ、仕方あるまい。
それにしてもなぜ白は俺と同室になることを拒むのだろうか。部屋を一緒にすれば宿代も浮くだろうに。
いや逆に考えれば部屋を分けたことによって白は広々とした部屋で悠々と過ごすことができ、俺は狭い部屋で白にばれないように行動ができる、というような互いにとって利のある理にかなった案なのだろうか?
閑話休題
俺は抜け出したことが万が一にもばれないように布団に人形を仕込み、俺が時々請け負っている仕事に必須な対妖装備の確認もそこそこ、出来るだけ音を立てないようにしてとっくの昔に消灯時間を迎えた館内を歩む。
白に勘付かれてはいけない。敵地に潜るときとはまた異なる緊張感だ。
そして俺は部屋の並ぶ廊下を出て、宿のロビーにでる。そしてガラス張りの扉へと足を向ける。
――何か物音がしたな。宿に入るときに見た予約一覧を見る限り今夜は白と俺しかこの宿には泊まっていないはず。従業員は別館にいると聞いたし…………まさか白にばれたか?
ふと辺りを見渡した後、俺の後ろに位置する観葉植物を瞬間
――――――再びの物音。
「誰だ!」
俺は小さいながらも怒気を孕んだ声を上げると。
「……にゃーん」
俺の右方にあるカウンターから鳴き声が聞こえる。
なんだ…………猫か。
……まだ宿すらも出ていないというのに何故俺はこんな三流ホラーー映画のような茶番を演じなければいかんのだ。
溜息が零れる。
よくよく考えてみればもうこんな時間になっているというのにあの白が起きている訳がない。
そう思い歩調を速め、横開きの扉を潜った。
夜明けまで後、四時間。
建築物がまばらとなっている住宅街を歩く。
この街には灯りが少ない、治安もあまりよくないように感じる。人通りも全くない――のは時間のせいか。ともかく歓楽街がこの近くにあるという訳でもないはずなのにそれとなく治安の悪さをコンクリート造りの石壁が醸し出している。ベースとなる人口が少ない分監視がしっかり行き届かず人は相対的に荒れていくのだろう。
この分では警察といった表向きの監視機関はその機能を喪失……いやなにかに譲渡しているのだろう。…………俺にはまったくもって関係のないことだが。
そんな益体もないことを考えていると薄暗い道の中、少し遠くに一際明るい光を放つ建物が見える。
距離的な問題でよくわからないが狭い店舗に広い駐車場、そして入り口付近に確認できる幾つかの物影。
――よく見たら昼間のコンビニエンスストアか。そして入り口の前にあるのは物ではなく、若者。それもおよそ半日前に白に絡んでいたチンピラ共だ。気が付かれたら面倒なことになることは想像に難くない。早いとこ立ち去ってしまおう。
と、思ったその直後。
乾いた木の枝の折れる音がした。
俺の、足元から。
あぁ、やってしまった、気づかれたか?
「なあ、宇野座」
「なんだ? 弾」
「なんか音がしなかったか?」
「ハア? 音? 聞こえねぇぞ、んなもん。おめぇの勘違いじゃねーのか?」
「いや、そんなことはねーはずだが……」
「おめぇ疲れてんだよ――」
どうやら気がついていない方向で話は進んでいるらしい。とんだ間抜けだ。
今なら駆け抜けても奴らに気が付かれることはないだろう。しかし肝心の俺は足元の小石に気が付かなかった。
「――あだっ!」
「おい! 弾、どうした!?」
俺は石を蹴飛ばし、どういう因果かコンビニエンスストアの前でたむろしていた奴らのうち木にもたれかかっているの額にクリーンヒットさせてしまった。
間抜けは俺だった。
四人の男は石の飛んできた方角、つまりは俺のいる方向を向く。
「あ、てめぇは!」
「昼間のガキ!」
そしてうるさい声を発している。
…………昼間苛立った分、とりあえず軽い口撃でもかけてみますか。
「はて、どちらさま方でしょうか」
「はぁ? てめぇふざけてんのか?」
「いえ。俺は至極真面目ですよ。ハハッ私のこの態度がお気に召さないのでしたらおそらくそれはあなたの人間性が乱れているからでしょう。それに――」
俺と男たちの距離が自然と狭まっていく。
「――俺は……対して強くない弱者は――アウト・オブ・眼中。記憶に残さないタイプの人間なんですよ」
弱者に語勢を強めて言うと。男たちは目を見開き、そして――
「ぶっ殺してやらぁ!」
――男たちの内の一人が耐え切れなくなったのかナイフを中段に構え、こちらへむかって小型犬くらいの迫力で猪突猛進してきた。
想定より少し早かったが――まあ、策の範疇だ。
俺は向かってくる男の勢いを殺すために腕を掴み、上へと、放った。
「えっ?」
そして男が呆気にとられている隙に俺は、前蹴りを、叩き込む!
「グホゥァ!」
あと、三人。
そして今、俺の目の前には男が一人…………あと二人足りないな。
「くらえ!」
「弾の敵!」
後ろ、上から声。
すぐさま横っ飛び、躱す。
――相討ちはしなかったか……が、上から降ってきた奴は、体勢を崩している。
体勢を崩している奴にこれ幸いと、今のうちに駆け寄って蹴りを入れる。
残るは、二人。
「畜生、よくも!」
先ほど後方より襲来した奴が半ばやけになりながら、正面から拳を握りしめ飛びかかってくる。
が、あえてそれを体で受け止め、彼我の差を思い知らせる。
「なぜきかない!?」
男の顔には驚嘆の情が浮かび、そして俺に殴り飛ばされた。
そしてその肉体が地に伏すことを見届ける。
あと、一人。
白い光に照らされたこの場に拍手の音が鳴り響く。
俺が顔を上げるとその音の根源が残った男の手から発せられていることが分かった。
「いやー。まさかてめぇがこんなに強いとは思わなかったぜ。確かに、俺も昼は遅れは取ったんだった。けどなぁ、本気を出した俺の前に生き残った奴は――――」
「そうか」
俺は身を縮め、体を槍のようにして突進する。
「――――え! ちょっ、まっ!」
地に這いつくばる躯が一つ増えた。他愛もない。
瞬間。風が頬を撫で、砂の埃が舞った。