第一話
第一話
外に生息する妖怪達から、街を守るために巨大な壁が築かれてからはや十年。そして壁の内側にあり科学技術が発達した都市、科京。
その郊外にある閑静な住宅街。俺は友人である白を迎えに来ていた。
「白! もう何時だと思っているんだ。初日から遅刻じゃ流石に格好がつかなすぎるだろう」
が、出てこない。
呼び鈴を何度も押しているというのに、出てこない。白のマイペースさには少々の怒りと多大なる呆れを覚える。
今日は始業式、二年生となり並びに上級生ともなる。だというのに白は先輩としての自覚が微塵もないようで昨日に白自身が指定したはずの場所に時間となっても姿を現さなかったのだ。全くもって嘆かわしい。
呆れを通り越し、もはや諦観の情がわきあがった頃。
「おい、出てこい、可及的速やかに、さもないと――」
開錠の音、ドアノブが傾きそしてドアが迫ってくる。
「――ぐはぁ!」
そのドアは、俺からダウンをとるには十分な程の威力を有していた。
「うるさいなぁ。まだ八時半じゃないか。始業式は九時半からでここから学校まで十分くらいしかかからないことくらいしってるよね?」
こいつ……「まだ」じゃなくて「もう」なんだが……それに、式は九時半だとしても、ホームルームは九時丁度からだ。
ドアから出てきたのは美少女と紛うほどの容姿を持ち、見た目だけなら男からさぞかし人気であろう男、居下白だった。
そして白は俺をドアで吹き飛ばした挙句、辺りを見回し。
「あれ? おかしいな。ハルがいない、さっきまであんなにうるさかったのに」
と言う。君はあまり背も高くないというのになぜ足元が見えないんだ?
「いくらなんでも酷くないか? 俺は君を起こしに来てやったというのに」
俺は不満を言うけれど、白はからからと笑うのみでまるで相手にしていない。俺の口から溜息がこぼれる。
それにしても……服装どころか髪型まできっちりと整っているとは……お前もっと早く家を出発できただろうに。
涼やかな風が吹く。この時期ならもう少し暖かくてもいいと思う。
学校絵行く途中、不意に白が質問を投げかけてくる。
「ねえハル。春休みの間どこ行ってたの?」
春休みというと確か……
「ん? ああ。京都の方にちょっとバイトにな」
「京都……ね。」
白が怪訝な表情を浮かべてくる。
「そんな疑うような顔しないでくれ、そんな心配しなくてもさほど危ない仕事はしないし受けないから」
「ふーん。そんなこと言ってるくせにこの前の冬休みなんて切り傷沢山作ってたじゃん。どうせ今回のも傷を負わなかったってだけで危ないことしてたんじゃないの? ハルだってちょっと身体能力高いだけの一般人なんだから危ないことするのやめてよ」
白が早口で話しながら詰め寄ってくる。近いしいい匂いするしなんだお前。
「白」
「なに?」
「近い」
「あっ……」
近いということを指摘しただけで白が顔を赤らめ離れていく。いったいなんなんだ、女のような反応をして。
白は仕切り直しと言わんばかりにわざとらしい咳をし話を戻そうとしてくる。
「第一、なんでボクみたいな可愛い子からのデートのお誘いを無下に扱ってバイトするの?」
可愛い子って君は男じゃなかったか?
「男とデートだなんて――痛い。なぜそこで手が出る」
白は茶化したとでも思ったのか俺の言葉を遮るように俺の頬を張ってきた。解せぬ。
「それ、聞いちゃうんだ。わかってるくせに」
いや、全くもってわからない。
「参考までに教えてくれないか?」
「うん?」
白が威圧的な態度をとってくる。阿修羅が後ろに見えるような錯覚を覚える。
「すみませんでした!」
謝りはしたけれど、白からの視線が冷たい。
「…………罰として次の連休、予定を開けておくこと。いいね?」
「い、いや、俺にも俺の事情が――」
「いいね?」
「……わかった。あ、そうだ」
「なに?」
視線の温度が氷点下を目指し急降下し始めている。言い訳しようとしいている訳ではないのだが…………
「俺謹製のお守りだ、最近何かと物騒だし気休めくらいにはなるだろう」
「あ、ありがとう」
なんとか誤魔化すことができたようだ。
「あ、そういえば。話変わるけど」
「なんだ?」
「今年度はどんなクラスになるのかな」
本当に唐突だな。組み分けか……
「お前と一緒じゃなきゃいいけどな」
「え? ひどくない?」
白の顔が曇る。安心しろ冗談だ。
この後学校へ着くまでの間、白に睨まれ続けたことは言うまでもない。
私立科京学園。科京内の私立で学力、財力共にトップの小中高一貫のマンモス校。
法人としての財力の割に質素な正門をくぐるとそこには胡散臭い笑みを浮かべている先輩がいた。
「あ、浅草先輩。おはようございます」
「おや、白さんですか。おはようございます。なるほど陽翔君もお揃いですか」
笑みを浮かべたまま浅草先輩は挨拶を返す。そこまではよかったんだが。後に続けた言葉が問題だった。
「それにしてもお二人はいつも一緒にいますよねぇ。もういっそ付き合ってしまえばいいんじゃないですか?」
直後、俺の左の頬に鋭い痛みが走る。
「――何故そこで陽翔君が殴られるんですかねぇ」
「いやぁ先輩のおかげですよ」
浅草先輩の問いに白が解になっていない答を返す。
理不尽だ……
「先輩のおかげって白……むしろ俺が先輩を殴りたい気分なんだが」
俺が拳を振りかぶると。
「おお。怖い怖い」
素早い動きで後ろへと後ずさる。小太りのくせに速いこと速いこと。
「逃げんな」
「…………冗談はさておき」
浅草先輩は俺の文句を無視して懐から紙を取出し話を切り出してくる。
「もうクラス分けが書かれた紙。あなた方の物も既に配布されているようですよ。それを見る限りでは――どうやらあなた達は今年も同じクラスに所属するみたいですが……」
浅草先輩が顔をあげ、俺達を見て。
「本当にあなた達は一緒になりますねぇ。これはもはや運命と言わ――――だからなんでそこで陽翔君が犠牲になるんですかねぇ」
「俺が知ったことか!」
俺の叫びむなしく、理不尽が止まらない。悪いことをした覚えはないんだけどなぁ。
「あぁ。そうだ」
その場を立ち去ろうとした俺に浅草先輩が何かを思い出したのか言葉を飛ばしてくる。
「ハル? なんか読んでるよ?」
「ああ、わかってる。とりあえず先に行っててくれ」
「うん、りょーかい」
俺は浅草に向き直る。
「なんだ?」
「ここではできないような話ですとりあえず校舎裏にでも行きましょうか」
……そんな話人の多い学校でするなよ。
不満に思えども、動かなければ話が始まらないので仕方なく移動した。
「仕切り直しのためにもう一度聞くが、何の用だ?」
「この前の休み、どうされてたんです?」
今日は俺の休みの過ごし方を俺に聞くことが流行っているらしい。
「そんなことわかっているだろう? 御自慢の情報筋とやらで」
「いやぁ、まあそうなんですけど。それでも私の持っている情報と齟齬が生じてしまったら困りますので」
「いつ、話せばいい?」
「まあまあ陽翔君、そんなに睨まないでくださいよ」
どうやら無意識のうちに眉間のしわが寄っていたらしい。
思わず舌打ちが零れる。
「俺は茶化しが嫌いなんだ、さっさと話せ」
今度は浅草から溜息が漏れる。
「次の依頼解決の時にでも話してください」
「次に依頼をするときではだめなのか?」
「いや、君は依頼を聞くと逃げるように部屋を出るじゃないですか」
む、確かに。納得していると、浅草が話を続ける。
「一応報酬は出します」
……そう来たか。
「言質は取ったぞ」
「はて、疑っていらっしゃるのですか? 私は隠したり誇張したりはしますが、嘘はつきませんよ」
実際はどうなんだか。
「そうか…………またな」
そろそろ頃合いだろう。
俺は返答を待たずに立ち去った。
人のまばらになった校内の道に戻ると道の端っこで立ち止まっている白がいた。
こっそりと後ろに回り込み驚かせようとしたら――――
「わっ!」
「ぐはっ!」
――――俺は宙を舞った。
いや、おかしいだろ。
「い、いくらなんでも殴り飛ばすことはないだろ」
「ハルかなーて思って拳を突き出したらやっぱりハルだった」
おい白、理由になってない。
そんなこんなで合流し、歩いていると。足元に黒い影が差した。
「おや?」
疑問に思い、顔を上げた俺の視線の先には二メートルは越えようかというほどには大きく、圧倒的な存在感。否、異彩を放つ黒髪の男、狩木当麻がいた。
「お早う、当麻。一月ぶりだな」
「…………陽翔か」
数秒の間を置き、当麻が答える。
「相変わらず返事が遅いな。お前は恐竜か?」
「…………すまない。そんなつもりはないのだが」
「えと、その人……誰?」
白は自らより頭二つ分は大きいデカブツに恐れをなしているようで、俺の後ろから少しだけ顔を出しながら俺に訊いてきた。お前、そんなに人見知りだったか?
「ん? ああ。この人は学年上は俺より一つ上の先輩。ほら当麻。うちの白が怖がっているじゃないか。自己紹介の一つでもしてやれ」
「…………俺は三年の狩木当麻だ。…………宜しく頼む」
当麻が踏み込んで来る。彼にとってはただの一歩。だが白にとっては野獣に襲われるような気持ちだったのか、小さな悲鳴をあげ俺の後ろに完全にかくれてしまった。
「……言葉欠いてそれか。俺の知っている自己紹介は人を怖がらせるものではないんだが?」
「む…………すまない」
いや、お前が無口なのは知っているがもう少しやりようがあるだろう。ただでさえお前のその容姿は人をおののかせるには十分なんだから。
「こ、こちらこそ――――ひぃ!」
ああ! せっかく白が勇気を出したというのに当麻が近寄ったせいで台無しじゃないか。
白にとっては当麻の見た目は少しばかり刺激が強すぎたようで俺の後ろに隠れて……ってすこし震えているし。
当麻は当麻で少し落ち込んでいるようだし、いったいどうすればいいんだこの状況。
当麻も見た目はともかく、性格は少しの欠点を除いておおよそ人のできている奴なんだがな。
「おい」
今度はお前か……どうやら今日は厄日なのかもしれない。
「白、悪いが先に行っててくれ」
「また? まあいいけど」
俺たちの話し声が聞こえないであろうと思える程度のところまで白が行ったことを確認してから、俺は話を切り出す。
「お前は、何の用だ?」
「お前は? …………この前邪魔が入った手合せの…………続きがしたい」
人通りの無くなった道に空っ風が吹く。
「断る」
「何故?」
俺の拒絶の言葉に当麻は疑問を呈す。確かに、普通の手合せだったら俺もさほど拒否しない。普通の手合せ、だったらな。
「お前は殺生を、嫌っているんじゃなかったのか?」
「手合せで…………死人は出ない」
「いや、確かに普通だったらそうであるべき筈だ。だが、お前の場合その限りではないだろう」
「だがお前は…………死ななかった」
死ななかったって……そういう問題ではないだろう。
「それは結果論だ」
「もしや…………金か?」
何故そうなる。……まちがってはないが。
「そうだ」
「ならば…………仕方ない」
そういって当麻は踵を返して立ち去った。どうやら今のところは諦めてくれたらしい。
まったく、あいつと話すことは精神的に疲れてしまう。
……………………人通りの無くなった?
校舎に貼られている時計を見るべく顔を上げると、時計の針は直角。つまり九時となろうとしているところだった。
先ほどからもそうだったが、周りを見渡しても制服を纏った者は当然、いない。
そして俺は、駆けた。
始業式はつつがなく――時間ぎりぎりに到着した俺を白がぶん殴ったり、眠りかけていた俺を白が容赦なく殴ったりする場面もあったが――執り行われ、帰りのホームルームを終えた俺と白は帰路に就いていた。
先に行く白を見て、俺は考え――
「ねえ!」
……る暇も与えてくれないらしい。
斜めとなった日差しを背に、白を小走りで追いかけた。