冒険の始まり
「乾杯!!」
昼夜共にガヤガヤと賑わっている、王都の冒険者に一番人気の酒場で、ひと際注目を集めている集団があった。
そのテーブルは注目されているが、さらに見せつけるように、若者たちが激しく麦酒杯を打ち合わせた。
この者たちは、今や王都では知らぬ者は居ないほどの有名なパーティーの一つだ。そして、今日はそのパーティーが冒険者ランクAに昇格した祝いの席なのだ。
周りの客はそれを知ると、口々に祝福の言葉を若者たちに掛けていった。
それに応対していた、若者たちのリーダーであるルートは一通り挨拶も終わり、麦酒を一気にのどに流し込んだ。
「ふぅ」
今ではこの苦みを覚える麦酒も、それなりに美味しいと感じられるようになってきたのだ。
「とりあえず、みんなこの一週間お疲れ様!」
ルートは自分のパーティーに向き合い、ねぎらいの言葉を言った。
「おー、お疲れ様!」
ルートの言葉に真っ先に返したのは、ルートの隣に座っている狩人のユーリエである。
彼女は弓の扱いがうまく、針に糸を通すような精密な射撃を見せてくれる。また、色々な罠を用いて獲物の足止めなどを担当している。
そのユーリエは麦酒杯を片手に、ルートの頭を乱暴に撫で、髪の毛をくしゃくしゃにした。
「うわっ、ユーリエやめろよ。そんな歳でもないだろうに」
「いーの、いーの、歳なんて関係ないの」
ユーリエの手から逃れようとルートは抵抗するが、一向にユーリエは手を止めない。
「ほらほら、ルートが嫌がってるじゃねえか、そろそろ、ルートの頭撫でるのやめにしようぜ」
ルートの向かいに座っている、人懐っこい笑みを浮かべた長身の男性、ギルベルトがユーリエに声をかけた。
戦いの中の彼は、大樹のような不動さで敵の攻撃を受け止めるこのパーティーの盾だ。
「えー、ギルは触りたくならない?ルートの髪はふわふわしてて気持ちいいのだ。その髪の毛が私に撫でろと誘惑している!」
「たしかに、ルートの髪はウルデン羊毛で作った高級服のように柔らかく手触りは良いが、ほら横見ろ横」
そう言ってギルベルトは、笑いながらユーリエの横に目線をずらすと、そこには眉を寄せて物凄く不機嫌な顔をしている色白の少女、アーニャが居た。
「あっちゃー、そんなに眉寄せてると美人が台無しだよ、アーニャ」
残念だ、といじけながらユーリエはルートの頭から手を退けて、アーニャに言った。
アーニャは、べつに、と呟き麦酒杯を呷った。
彼女は北の帝国出身で、呪術師をしている。常に黒いローブを見に纏い、極力肌を晒さないようにしている。だが、今はフードを取っておりその素顔が晒されていた。
その素顔は整っており、その髪は透き通るような白金で、瞳は淡紅色である。
このパーティーへ向けられる視線の半数ほどが、アーニャへと向いている。
その視線にアーニャは辟易としているが、フードは被らない。
「アーニャ、大丈夫かい?駄目ならフードを被ってても構わないんだよ」
それを見かねたルートが乱れた髪を直しつつ、声を掛けるが、アーニャはきっぱりと断った。
「大丈夫、心配しなくていい」
「うん、わかった。――それにしても、料理遅いな」
ルートの言葉にギルベルトが相槌を打つ。
「そうだな。と言っても、コカトリスなんて大物そうそう調理できるもんじゃねえからな。時間がかかって当然だ」
そうなのだ。今回の料理はAランク昇格試験の時に倒したコカトリスという魔物を使ったもので、滅多に討伐される魔物ではないため、調理をしたことのある料理人は少ない。美味ではあるのだが調理が難しく、時間がかかるものなのだ。
「まあまあ、出来るまで時間がかかりそうだし、ちょちルートの昔の事をお姉さんは聞きたいな」
「もう酔っているのか……。えーと、じゃあ何が聞きたいんだ?」
ユーリエの様子に苦笑しながら、ルートは麦酒で喉を湿らせる。
ユーリエは、んー、と唸りながら、その端正な顔を硬くしている。
「ルートが貴族なのに冒険者になった理由」
と、悩んでいるユーリエを横目にアーニャが淡々とした声で言った。
「それよ、それ!」
さっきまで悩んでいたユーリエは机に乗り出し、アーニャに向けて良い笑顔で指を向けた。
そのまま、ユーリエは身体ごとルートの方へ向いて、お願いのポーズをした。
その様子にルートは苦笑いをしながら、まあ良いか、と肩をすくめ了承した。
「へえ、ルートの冒険者になった理由というと……。あれか。――パーティ組んでから結構経つけどよ、まだ俺以外には話していないもんな」
ギルベルトが、麦酒のつまみとして出てきた生ハムのサラダを頬張りながら、昔を思い出すように呟いた。
「そうだな。ギルには無理やり言わされたな」
ルートは、ギルベルトの食べている生ハムのサラダを奪い、それを食べた後に麦酒を呷った。
麦酒が無くなり店員を呼びつけ、次は葡萄酒を注文する。
「ったく。人のつまみを取りやがって、っていうか、まだ根に持っているのかよ。おい店員!俺も、葡萄酒をくれ!」
「そうだな。あれはひどかった……。どこぞの犯罪者かと思ったぐらいだからな」
「ああ、あれか。その時王都を賑わせていた、少女追跡野郎」
昔王都で、とある冒険者が魔術を駆使して、見目麗しい少女に付きまとい攫う、という事件があった。
最終的にその冒険者は、少女に姿を変える魔術を使った王立魔導師団の一人が、返り討ちにして捕まえたという。その時の冒険者のあだ名に少女追跡者と付けられた。
「あの時、少女追跡野郎を捕まえたのって、ルートの知り合いじゃなかったか?」
「そうだな。彼は男の割に身長が無かったからな。そんな彼に白羽の矢が立ったんだ。それで嘆いてたみたいだ。俺は少し背が低いだけだ、あと俺の魔術は少女になるためにあるんじゃねえって」
「そうか、まあ、自慢の魔術を少女に扮装するのに使うってのもなあ。ご愁傷さまだな」
「それと攫われた時、その冒険者に色々と触られたらしいぞ」
「うは、俺だったらその冒険者のナニをつぶしてるわ」
色々とルートとギルベルトの間で、盛り上がっている所にアーニャが咳払いをする。
「そろそろ、ルートの冒険者になった理由聞きたい。あと、ユーリエが拗ねてる」
そう言われてユーリエの方に視線をやると、項垂れてテーブルの上に『の』の字を書いていた。
「あーと、その、ごめん」
そう言ったルートはバツの悪い表情を浮かべ、ギルベルトは慌ててユーリエにしきりに謝っていた。
「えーと、これから話したいと思う」
一つ咳払いをしてルートは話し始めた。
*
「いつ来てもここは空気がおいしいな」
ケーラウ辺境伯領にある山であるピルツベルクの麓にあるヒルシェの森で少年は呟いた。
ここはケーラウ辺境伯領の中でも、獰猛な動植物はおらず、穏やかで過ごしやすい森である。森から、少し離れた場所にある町からも、よく薬草などを摘みに人々が訪れる。
彼、ルートヴィッヒ・フォン・ケーラウは領主である父親の視察の仕事について来た。だが、すぐに父親は町長と仕事の話をし始めたので暇になり、この町に来たら訪れる事にしているヒルシェの森にやって来たのだ。
何度も訪れているこの森は、安全だと分かっていることもあり、ルートは供をつけずに森の中に入っていく。
それでも護身用の剣は帯剣をしていた。最近、近くの村でゴブリンの巣が発見され、冒険者に退治されたと聞いていたが、念のためだ。
鬱蒼と茂る木々の間から、木漏れ日が背の低い草達を照らしている。また、木の元では親子の鹿が戯れている。
ルートはこの幻想的な光景が好きで、ここヒルシェの森へと度々通うのだ。
しばらく散策し、少し開けた場所に腰をおろし、温かな春の日差しにまどろんでいると、遠くから荒々しい複数の足音と甲高い濁ったような声が近づいてくる。
ルートはすぐに立ち上がり、太い木に身を隠し音の主を待った。
この穏やかで静かな森に、切迫した声や荒々しい足音が聞こえるのはおかしい。ルートは音に近付き様子を見ることにした。
しばらく行くと見つけた。
音の主を。
――ゴブリンだ。数は四匹。
棍棒や錆びた剣を振り回しながら、少女を追いかけている。
少女は逃げていたが息も絶え絶えに、今にも倒れそうだ。
ルートは躊躇った。少女を助けるべきだが、なにしろ数が多い。剣は習っていたが、四匹もの敵を撃退できる自信は無かった。また、出て行ったところで何が出来るのか。
そうこうしている内に、少女が足をもつれさせて倒れてしまった。
ルートは考えるよりも先に身体が動いた。
追いついてきたゴブリンは、棍棒を少女に振り下ろしたが、横から入ってきたルートの抜いた剣に受け止められた。
思わぬところからの横やりに、驚き浮足立ったゴブリン達。
その隙にルートは少女を抱え逃げた。
とっさに逃げ出したのは良いものの、このままではいずれ追い付かれてしまう。とりあえず少女を休めるために、隠れる場所を探そうと考えた。
ルートはこの森に何度も訪れてたこともあり、近くに入口の見つけにくい洞窟があることを知っていた。ルートたちはそこに隠れた。
洞窟の少し湿った岩に腰をおろし、ルートは少女を見ると自分の身体を抱えて震えていた。
少女はルートを見て何かを言いたそうにしているが、震えてうまく声にならないようだ。
「大丈夫、大丈夫。まずは深呼吸をして」
とルートは声を掛けたが、これは自分にも言ったのだ。ルートもゴブリンとの遭遇、そして少女の救出をやり、呼吸が荒く、足も震えていた。
少女とルートの二人で深呼吸をして、震えもある程度収まり、改めて少女とルートは向かい合った。
「えーと、まず名前を書かせてくれるかな」
「は、はい。エステルと言います」
そう少女――エステルは言った。
「エステルか……。良い名前だね。一つ聞いていいかな?」
ルートはエステルに向けて聞いた。
「ゴブリンはあれで――四匹で全部?」
「はい、私が見たのは四匹で全部です」
やつらが四匹だけなら、逃げ切ることは難しくないかもしれない。しかし四匹以上居た場合は厄介だ。その時は何としても、エステルだけでも逃がさなければいけない、とルートは考える。
差し当たって、見つからないように隠れながら森を抜けることに専念しよう、とルートは呟いた。
「ここもいつ見つかるかわからないから、そろそろ移動しよう。ゴブリンに見つからないように隠れながら森を抜けたい」
一呼吸おき、ルートはエステルに確認した。
「もう歩ける?」
エステルも見つかっては駄目だということは十分に理解をしていた。ならば、自分は足を引っ張らないようにしなければということを考え、返事をした。
「もう、大丈夫です」
少女の意思を受け取ったルートは頷きこう言った。
「分かった。じゃあ、行こう」
ルートたちは立ち上がり、洞窟の入り口付近で顔を出し辺りを見回した。ここら辺にはゴブリン達は居ないようだ。
それでも音をたてないように、慎重に森を進んでいく。
「止まって」
しばらく進んでいると、ルートは緊張した声でエステルの足を止めさせた。
「ゴブリンだ」
見れば少し先に、辺りを窺いながらゴブリンが一匹で歩いていた。
ルートは小声でエステルに話しかけた。
「あいつらは別れて僕達を探しているようだ。用心して進もう」
エステルは首肯しルートの後に続いた。
ゴブリンを警戒しながら少しずつ離れていく。
見えなくなるまで離れて、二人はほっと息を吐いた。
「まだいるかもしれないから、これからも気を引き締めていこう」
ルートはそう言い、一瞬でも気を抜いてしまったことを反省した。まだここは安全地帯ではないのだ。
二人は周りを警戒しながら進む。あともう少しで森を出られるところまで来た。
不意に、後ろから甲高く濁った声が聞こえた。
――見つかった。
ルートは振り向きながら、エステルに向かって叫んだ。
「走れ!!」
その声を聞いてエステルは森の出口へと走るが、その足取りは覚束なく、遅い。
当然だ。少し前に倒れるまで走っていたのだ。これで普通に走れる方がおかしいだろう。
ルートの正面には深い緑色の身体を持ち、背が低く、醜い顔の亜人、ゴブリンがギィギィと叫びながら、手に持った棍棒を掲げこちらに向かってくる。
剣を抜き正眼に構えたルートは、足が震えそうになるのを必死に抑えていた。
いつもの訓練とは違う、正真正銘の命と命の取り合いだ。
「ああああ!」
自分を叱咤するように叫び声をあげたルート。それに呼応するように、ゴブリンもまた甲高い濁った声をあげる。
すぐ目の前までゴブリンが迫る。ルートが剣を上段から振り下ろすが空を切る。
剣が振り下ろされた位置より少し横にずれたゴブリンは、嗜虐的な笑みを浮かべ、手に持った棍棒を大きく振るう。
ドン、と鈍い音と共に左肩に衝撃が走る。
「うぐっ」
ルートは一旦距離を取り、荒い息を整える。少し左肩を動かすと、鈍痛が走る。
また、ゴブリンが間合いを詰めてくる。
ルートはじっとタイミングを計る。
ゴブリンが棍棒を振りかぶる。
――ここだ!
最小の動きで繰り出されたルートの突きは、ゴブリンのみぞおちに吸い込まれていく。
ゴブリンの勢いは止まらず、ルートに覆いかぶさった。
絶命したゴブリンを押しのけ、ルートは深くため息を吐きながら座り込んでしまった。
早くエステルに追いつかなければいけない。だが、その意思に反してルートの身体はもう動かない。
「よう、貴族様」
「え!?」
横の方から、どこかぞんざいな声が聞こえ、ルートは驚き声をあげてしまった。
慌てて横を見ると、初老の男性が老いを感じさせない足取りでルートの方へ歩いているのが見えた。
「いやー、身を呈してまで女を守るなんて、漢だな。貴族様は」
その言葉にはっとする。
「エステルはっ?!」
ルートは急いで立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。
「ああ、大丈夫だ、大丈夫。あの嬢ちゃんなら仲間が保護しているさ」
男性が言った言葉が、ルートの胸にすとんと入ってきた。疲労の所為かとたんに眠くなり、すぐに意識は深い闇の中へと沈んでいった。
*
「――と、そんな感じで俺の初めての冒険は終わったんだ」
話し終わり、ルートは喉が渇いたので葡萄酒で潤した。
「へええ。そんなことがあったんだぁ……」
大分酔っているユーリエが腕を組み、うんうん頷きながら相槌を打つ。
「でも結局、なんで冒険者になったの?」
少し酔いが回ったのか、頬が紅くなったアーニャが聞いた。
「ああ、それはな。あの後、町に戻った俺はぼんやりとしながらも、もっと力があればあの少女を怖がらせずにに助けられたと思ったことと、初老の男性に同じ様なことを言われたからだ」
「りょうしゅになれば、人は助けられるんじゃないのぉ?」
横からユーリエが聞いてくる。
「俺は現場で働いている方が性に合ったんだ。それと領主や騎士とかだと色々としがらみも多いからな。その点、冒険者は自由に動ける。だから俺は冒険者になったんだ」
ふーん、と言いながらユーリエは麦酒を呑む。
「ルートの考えは素晴らしい。私は良いと思う」
アーニャがきらきらとした目でルートを見つめ、そう褒めた。
「あはは、ありがとう。っと、そろそろコカトリスの料理が出来たみたいだ」
厨房の奥から、鮮やかな肉料理が乗った大きなお皿を持ってくる従業員の姿が見えた。
「遅すぎだぜ。一人はぐでんぐでんに酔っちまってるじゃねえか」
ギルベルトが笑いながら、そう言いユーリエを見る。
「わたしはぁ、よってない!」
と、ユーリエは主張するが、全く説得力のないものだった。
コカトリス料理がテーブルに乗せられた。香ばしい匂いがふわっと匂ってきて、ルートたちのお腹を刺激する。
「まあまあ、メイン料理も来たことだし、もう一回仕切りなおそうか」
ルートはぐるりとパーティメンバーを見て言った。
「Aランク昇格お疲れ様!――乾杯!!」
「「「乾杯!!」」」
《終》
どうも、彼方此方です。
こんな拙い小説を読んでくれてありがとうございます。少しでも皆様に楽しんでいただければ幸いです。