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2話:再生


 雪乃の死を唐突に告げられた学は、しばらく口をぽかんと開けて放心状態に陥っていた。そのときの顔は相当な間抜け顔だったに違いない。


「おい、学。どうした、そんなアホ面しやがって……。聞いてんのか?」


 学の反応が全くなく、最後に「おい!」と背中を強く叩いたところでようやく我に返った。それほどまでに学は強いショックを受けていた。


 監督によって現実に引き戻された学は、焦燥しきった表情を浮かべて言葉も発することなく監督の顔を見つめた。何と言ったらいいのやら、思考が混濁し、的確な言葉が浮かんでこない。


「な……何かあったのか」


 あまりに学が死神のような面をしていたため、監督もただ事ではないと思い真剣な声音で応じた。


「お、俺……今日、帰ります。みんなには、頑張ってくれって伝えてください」

「はァ? 何言ってんだおめェ」


 喉から何とか声を振り絞り、監督にそうとだけ伝えて背を向けた。その背中は丸く弱々しく、後輩たちも頭の上にはてなマークが浮かんだ。

 監督が呼び止めるのももはや耳に入らず、せっかく買った差し入れも渡さぬまま武道館を後にした。


 外に出ると、すぐ目の前に母の車が置いてあった。雪乃の事故があって急いで引き返してきたのだろう。車の中で母は勇吾が歩いているのを見つけると、運転席の窓が開き、身を乗り出して学に早く乗るよう急かした。


 車に乗り込んだ学は、信じたくないという気持ちを抑えながら母に状況を尋ねた。


「……帰る途中、いっぱいパトカーがいたから、気になって道路を見たら、雪乃ちゃんの両親がいて……慌てて聞いてみたら、ここに向かう途中に事故に遭ったって……」


 くぐもった声で状況を簡潔に説明するが、勇吾の表情はさらに焦りを増した。


「そんな……。じゃあ、スーパーなんて寄らなかったら……」

「……どうだろう」


 そこまで言って、母は自らの失言に気づいた。すぐに「スーパーは関係ない」否定するが、かえってそれは逆効果にしかならなかった。

 学をどうにかして冷静にさせたいと困り気味に視線を落とす母だが、すぐにそれ以上に大事なことに気づき、はっと顔を上げた。


 今日、今までの空手部に対する態度を急変させたのは、学と雪乃に何かあったからなのではないかと。おそらくは喧嘩。それも、拳を血で汚すようなものではなく、事後も心に楔が残るような口喧嘩。それをどうにかしようとして今日、武道館にわざわざ差し入れまで買って訪れたのではないか。


「俺のせいだ……」

「違うわ、そんなことないから……」


 何とか学の気を落ち着かせたい母の意思に反して、学は既に平静を著しく欠いていた。整理して考えれば、雪乃に電話をかけてでなかった時点でスーパーに寄ろうが寄らまいが結果は変わらないのだが、学にとってはそれは罪の意識のごく一部に過ぎなかった。


「俺の……俺のせいだ……俺が……!」

「学!」


 半ば半狂乱になりかけている学を母が慌てて宥めた。しかし、それも焼け石に水。

 学の体はとてつもない罪悪感に震え、歯がカチカチと音を立てた。もしも、もう少しでも早く電話をかけていれば。悠長に朝食など食べずに電話をかけていれば。もしも、昨日何でもいいから声を掛けていれば、そんな、今となってはどうにもできない後悔ばかりが学を激しく責め立てるように脳内を走り回る。


「雪乃……今……」


 操られたかのようなぎこちない挙動でドアに手を伸ばし、そっと開けた。車なんかに乗っている暇はない。今すぐ、雪乃に会って「ごめん」と謝らねば。

 母の絶叫がぼんやりと遠くから聞こえるが、それは学を制止するには至らなかった。

 そのままずり落ちるように走行中の車から転がった学の眼前に、運悪く、いや、これもまた運命と呼ぶべきか――――一台のトラックが迫っていた。










 気がつくと、ぱっと見てそこは病室のようだった。病室といっても、想像して浮かぶような内装ではない。ぼんやりと視界に映るのはずらりと並んだ機械類や真っ白に染められた壁や天井。おそらくは窓すらない。ほとんど見えないとはいえ閉塞感を感じる。そして、身体にも同時に違和感もいくつか覚えた。視界は右半分真っ黒に染まり、四肢も切り離されたかのように感覚が消え失せていた。


 ――何が……。


 言葉が出なかった。出そうとしても、掠れたか細い息が漏れる程度。そのとき、自分が重症患者であることを悟った。


 ――そういや、事故ったんだった。


 学は心の中で自分を嘲笑した。半ば吸い込まれるようにして道路に転がり出て、あとうことか雪乃と同じ道を辿ろうとしたのだ。そしてそれすらも叶わず、こうして中途半端な姿で生きながらえてしまった。何か使命が残されているからこそ生き延びた、そうポジティブに考えようとしても、さすがに無理があった。運がよかったのか悪かったのかは分からないが、今は単純に殺してほしいという気持ちだった。


 病室のドアが開いた。そちらに目を向けるのも億劫で、ぼんやりと宙を眺めた。


「主治医の藤原だ。私の声が聞こえるなら瞬きを2回してくれるか」


 独特な低い声が耳に届いた。学は素直に2回、ゆっくりと瞬きした。


「ありがとう。まずは君の病状から説明しようか。初めに言っておくが、君の容態は非常に悪い。今は麻酔のおかげでほとんど痛みはないだろうがね」


 藤原は重々しい口調で手元の資料を読み始めた。


 粉砕骨折に複雑骨折が数箇所。特に症状が酷かった左腕と右の膝から下は切断。しかし残った左腕と右足も神経系が破壊され生涯不随とのこと。右目は衝撃で潰れ、頭蓋骨にはヒビが入った。大雑把にそんな感じの内容を話していたが、ほとんど頭に入ってこなかった。インプラントやらテーテルやら、何だかよく分からない単語も交えられ、話の半分も理解しないままに説明が終了した。


「君のお母さんもお見えになってるが、どうするかい。1人にしてほしかったら2回、呼んでほしかったら3回瞬きをしてくれ」


 学は迷わず2回だけ瞬きをした。藤原は短くうんとだけ返事をし、また1時間後に来ると言って学に背を向けた。そして、病室を出る間際にこう一言残した。


「君は実に運がいい。何せ、私がオペをしたんだからな」


 しばらくして、学の瞳から1粒の雫が零れた。本当に、ろくでもない人生だった。死ぬこともできず、助かったといっても人としては再起不能のレベルの重症を負った。しかしそれもろくでもない自分には妥当だと思った。


 口についた呼吸器を外せば死ねるだろうか。何本か管を引き千切ればいいのだろうか。何をおかしなことを考えているのだろう、手すら動かせないのにそんなことできるはずがない。馬鹿馬鹿しい。考えるのはもう嫌だ。頼むから思考よ止まってくれ。そう思いながら、しかし涙は止めどなく溢れた。


 ――一体どうしろってんだ。何でこんなことになっちまったんだ……。


 いくら思考を止めようと躍起になっても、後悔と自責の念は絶えず学を蝕んだ。それがたまらなく耐え難く、しかしどうすることもできなかった。藤原と名乗る医者も、こんな状態で生かしておくのが本人の幸せとでも思ったのか、甚だ疑問に感じた。何が君は運がいい、だ。できることなら唾を飛ばしてやりたい気分だ。

 急に病室のドアが開かれた。1時間どころかまだ30分も経っていない。何か起きたのだろうか、とどうでもよさげに目を閉じた。


「へえ。こいつがそうなのか? えらくボロボロじゃねえか。泣いてるし」


 その声は、明らかに藤原の声ではなかった。ハスキーで言葉遣いが荒いが、間違いなく女性のものだった。


「勝手に入って失礼、こちらは荒城憑子だ」


 この声は藤原のものだ。


「少しは落ち着いたと思うから、我々も事情を説明せねばならないな。君は事故にあった、それは覚えているかい。これから、イエスのときは2回。ノーのときは3回瞬きをしてくれ」


 言われた通りに2回瞬きをした。片目だけ閉じるのにも慣れが生じ、すばやく行えるようになった。


「本当だったらね、あんなでかいトラックにぶつかれば人は即死するんだよ。当たり前だろう。体は目も当てられないくらい木っ端微塵になる。でも君はそうはならなかった。なぜなら君はそのとき人ではなくなっていたからだ。トラックに轢かれる直前、自らの死を察知した君の中のもう1つの魂が目を覚ましたのさ」


 ――……はぁ?


 思わず心の中でそう呟いた。人とか人でないとか、どうしてそんな次元の話になるというのだ。ただ単に車に轢かれ、助かってしまっただけの何の起伏も無い話だ。笑わせにきたとしても生憎笑えるような状態ではない。


「まあ、信じられないのも無理は無い、というか君からしたら私たちの頭はどうかしているように感じるかもしれないね。中二病っていうのかな」


 学は容赦なく2回瞬きをした。ハハハ、と困ったような藤原の苦笑が聞こえた。


「お母さんには、君の症状が極めて悪く、まだ面会を許せるような状態ではないと説明しておいたよ」


 2回瞬きをした。こんな状態で親に合わせる顔などない。母も自分のことを気に病んでいるに違いないが、どうしてもこんな有様になっているということを見てほしくなかった。目の前で泣かれたりでもしたら今度こそ感情の濁流を抑えきれる自信がない。


「さて、我々のことを少しでも理解してもらいたいわけだが、君の目がほとんど見えていないことも分かっている。そこでだ、君には1つ決断をしてもらいたい。もう一度念を押すが、イエスなら2回、ノーなら3回だ」


 暫しの間を置いて、再び藤原が口を開いた。


「白旗学くん。君の類稀なる才能を見込んで、我々の仲間に加わってもらいたいと思っている。その暁には、君の体は今まで通り動くように治してやれるし、今正常に機能していない五感も全て元通りだ。しかしそのためには、君を――――死んだということにしなければならないんだ」


 藤原はそのとき、学がとんでもなく、体が動けば頭を抱えて悩むと思っていたのかもしれない。動ける代わりに社会的抹殺。もっとも、それは学が生死の境を彷徨っているからこその話であり、普通なら絶対にイエスが返ってくるはずのない問いであるのは承知の上である。


 学の心は、藤原の言葉を聞いても何の揺らぎも生じなかった。揺らぐどころか、何が死んだということにしなければなら内だ、もう死んだも同然ではないか、と妙に怒りさえ覚えた。


「死ぬということは、ただ君が死ぬことだけにとどまらない。当然君の生存を示唆するような情報は残せないうえ、君の母は息子の死を知って悲しみ、同級生や後輩だって悲しむ。だが、私は君に今道徳を説くつもりは毛頭ない。君が我々のことを信用していないのは百も承知。もし、君の周辺にいる者たちの悲しみを背負って乗り越えていく覚悟があるのなら、ぜひ私たちとともに来る道を選んではくれまいか」


 学の頭に母の他愛ない笑顔が浮かんだ。仲のよかった友人や、部活の仲間、世話になった教師や空手の指導者たちの顔も順番に思い出した。自分が死んだら、彼らは悲しんでくれるだろうか。考えれば考えるほど、その答えは遠のく。

 最後には、雪乃の声も聞こえた気がした。その声はとても優しく温かみがあり、凍りかけた学の心を溶かしていった。自ら命を投げ出そうとしたのは、いくら大きなショックを受けていたとはいえ恥ずべき行為だ。それによって多くの人に迷惑を掛けただろう。


 ――もう1回、生き直してみろってことかな……。


 不甲斐ない自分を自らの手で殺すためにも、学は覚悟を決め、強く2回瞬きをした。


「ありがとう、学くん。今日から君は我々の仲間だ」


 そう言い、藤原はあるはずのない学の左手を握った。


 ――あれ、切断したってさっき……。


「憑子。というわけで頼む」

「……なあ、藤原」

「何だ」

「本当にこいつにあたしの技を使う価値があンのかね。だってよ、ちょっと前までただの一般人。格闘技やってたらしいが、ンなもん実戦で使えるかなんて分からない。なんつうか、何が言いたいかっていうと、回数に限りのあるあたしの技を使うのはちっともったいないんじゃねえかってことだ。まだ未使用だからどうしてもってんならやるけどよ、たった9回しか使えないんだぜ。慎重に使わなきゃ、いつ乱発しなきゃいけない局面が来るかも分からねえ」


 ぶっきらぼうな口調で荒城憑子は言い放った。藤原に向けた言葉ではあるが。学にはそれが自分に向けられたような気がし、そのうえ長年続けてきた空手を馬鹿にするような言い方だったため、怒り心頭とまではいかないものの腹の奥からぐつぐつと何かが煮え立つような感情が芽生えた。


「まあ、お前も思うところは多々あるだろうが、そればっかりは凪を信用する他あるまい。あの人が彼を推したんだ。きっと何か、我々に足りない何かを補ってくれる存在になりうるのだろう」


 宥めるような口調で憑子に言い聞かせた。


「こんなことで最初の一回を使うことになるたァな。ま、しゃァねえな。おい、聞こえるか。もしもお前の体が治って自由に動けるようになったとして、結局この貴重な1回が無駄になっちゃいましたってようなことがあったら……」


 いい加減鬱陶しく感じた学の口が僅かに開いた。


「……る…………せぇ…………」


 荒城憑子の口から垂れ流される学への不満。初めは、状況がよく分からず呆然と聞いていたが、次第に馬鹿にされているような気がして腹立たしさを覚えた。2人が何を言っているか分からないため静かにしてほしい、あるいは詳しく説明してほしいという気持ちも含まれていた。


 今できる精一杯の悪態をついた学は、気の強そうな荒城憑子にまた罵られるかと思ったが、しばらくの間意味ありげな沈黙が流れた。そして、彼女よりも先に、藤原が愉快そうな声をあげた。


「ほれ見ろ。もう喉が治りかけている。なるほどね。憑子、私からも彼を治すことをお願いするよ」


 荒城憑子は、一度小さくため息をつき、観念したように言った。


「分ァったよ。凪とあんたが言うんじゃ私はもう逆らう気はねえよ。んじゃ、藤原。あんたは少し部屋から出てくれ。あんたの体に何か影響が出ないとも限らない」

「そうするよ。私はその間に諸々の手続きを済ませるとしよう」


 せめて常識人の藤原には荒城憑子のストッパーとして側にいてほしかったが、すんなり退出したことからそれなりに大きな儀式なのかもしれない。儀式と言っても、それが具体的には何なのかはさっぱり想像がつかない。手術でもするのだろうか。しかし、彼女の粗野な言葉遣いから、繊細な作業ができるとは到底思えない。


「まずは今のお前の状態を説明する。ぶっちゃけ何も分からないとは思うが、1回しか言わねえから柔軟な思考で対応しろ。お前の右腕と左足には義手義足が装着してある。そんとき、お前の神経を全て霊的回路に入れ替えた。今お前が何も感じないのはその新しい神経が体に馴染んでないからだ。あたしたちみたいな専門家じゃなきゃ、それを動かす原動力を持たない一般人じゃどうしようもない。だから、今からあたしがその原動力となる朧を流し込む。することといえばそんなもんだ。相当な量ぶち込むからたぶん一瞬で気失うだろうが、きっと事故ったみたいにほとんど実感はないだろうぜ」


 荒城憑子の辛辣なジョークに、また馬鹿にされたと学は睨んで対応した。


「そう睨むなって。例えだ、例え。力抜いてもらわねえと新しく用意した神経が圧迫されて通りが悪くなる。つうか神経っていうより血管だな。朧の回路ってのはそういうもんなんだ。難しいことはあたしも知らん。とにかく寝ろ。目を瞑れ。10秒後に始めるぞ」


 いきなりまくし立てられて理解が到底追いつけないが、まともに口もきけない学は、荒城憑子の言いなりになるのが少々癪に障ったが、逆らっても仕方が無いと思い素直に従った。


 目を閉じると、本当に頭と胴体が切り離されたような感覚に陥った。彼女は新たな神経に挿げ替えたためと言うが、それがどういうことか、医学に無関心だった学にはつまりどうなっているのかが分からない。朧というのは、漫画でよく見る魔力のような類なのだろうか。そう思うと、学も1人の男子高校生、俄然興味が沸くというものだ。


「……あーっと、そのだな、先に言っとくが、あたしもこんなことやるのは初めてだからよ、ミスったらすまん。じゃ、やるぜ」


 ――え、ちょっと……。


 待って、と言おうとしたが唇が思うように動かず、直後に瞼の向こう側から強い光を感じ、反射的に瞼に力を込めた。すると突如、すとんと落下するように学の意識が途絶えた。


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