愛のささやき ②
エレベーターを待っている間も澤田くんの隣に立っているだけで何となくソワソワしてしまう。食事に行くことなんて同僚としてだったらよくあることなのに。
でもあんな風に甘い言葉で誘われたことで、咲季はどうしようもなく意識してしまっていたのだった。
エレベーターが到着してドアが開くと中には男女の社員が1人ずつそれぞれ両端に立っていた。ボタンパネルの前に立っていた女子社員は、隼人の姿を見た途端嬉しそうに頬を染めたのを咲季は見逃さなかった。
奥のスペースで隼人の隣に立ちながら落ち着かない気持ちで1階への到着を待っていると、隼人がほんの少し頭を寄せてきた。
「何食べたいですか?」
彼のささやくようで甘さを含んだ声に、女子社員が振り向いた。
ー何言い出すのよ!-
私は反射的に彼女を見てしまう。彼女は驚いた表情で澤田くんを見た後、キツさを交えて私へと視線を移してきた。
ー勘弁してよ・・ー
ひしひしと感じる彼女の嫉妬心から視線をそらして、私は正面を見たまま無表情を貫いた。
質問に答えない私に「ん?」と更に私の顔を覗き込んでくる澤田くんのことも無視して、ひたすら1階への到着を心の中で『早く!早く!』と願った。
そうしてエレベーターは『ポーン』とチャイムを鳴らして1階に到着し、ドアが開いたと共に男性社員・女子社員と順番に出た後、私も複雑な気持ちでエレベーターを降りる。澤田くんの存在など無視してズンズンと歩く。
早足で歩いてヒールが『カツカツ』と早いリズムで音をたてているのに、隣を歩く彼とは全く距離がひらかない。悔しくなって足を止め、真横にいる澤田くんに体を向けて顔を見上げると、私が何で怒っているのか分からないのか何なのか僅かに笑顔まで向けてくる。
「もう!バカ!あんな言い方したら、どう思われるか分かっているでしょ?」
「どう思われるって?」
私が眉間にしわを寄せて怒っているのに、彼は首を傾げながら質問返しまでしてくる。
「自分がもてること分かってるでしょ?エレベーターの中にいた子だって驚いて振り返っていたじゃない。いつも誘われても断る態度をとっているなら考えてよ。勘違いされて恨まれるのなんて、私嫌だからね」
澤田くんに言葉をぶつけながら、胸は苦しくなる。
本当はこんな言い方したいわけじゃないのに。でも自分の感情のコントロールが難しい。
彼に誘われて嬉しいって気持ちは確かにあるけど、戸惑う気持ちも同じ位あって。そんなところに人前で『何食べたいですか?』なんて優しく聞かれて、女子社員の嫉妬まで感じてしまったら・・私は素直になれない。何でもない事のようにも流せなくて、澤田くんにあたってしまった。
何だか気まずさと恥ずかしさで視線を落とし唇を噛むと、上から優しい声が落ちてきた。
「すいません。今井さんとどこに行くか考えていて周りが見えていませんでした」
「周り・・って」
意外な言葉に視線を上げると、さっきよりも距離が近くなっていて一瞬驚いてしまう。
そんな私を見て澤田くんは少し微笑み、私の隣に並んだ。
「それで?何食べたいですか?」
そう言いながら私の背中を手の平で軽く押して、私に歩くように促してきた。
自然とまた並んで歩き、彼の質問につぶやく声で答える。
「・・和食」
「はい。じゃあお店は僕におまかせでもいいですか?」
「うん」
私が答えると澤田くんはタクシーに連絡した後、これから行くお店に席の予約もしてくれた。
タクシーに乗って澤田くんが運転手さんに伝えた場所は10分ちょっと位かかる。
到着してタクシーを降りると澤田くんは一軒のお店に向かい、「ここです」と言って私を店内に誘導した。
中に入るとスタッフの人が出迎えてくれて、澤田くんが予約名を告げると個室へと案内された。
落ち着いた感じで雰囲気のいいお店。向かい合って座ると、メニューを差し出された。
初めて来たお店なのでどんな料理があるのかとりあえず見てみる。
「コースとアラカルトどっちがいいですか?」
同じようにメニューを見ている澤田くんにそう聞かれたので、「う~ん、どうしようかな~」と迷いながら答える。だってどれを見ても美味しそうなんだもの。
季節の野菜・魚介・和牛を使った創作料理みたいね。
「いろいろ食べられるようにコースにしますか?」
「うん!」
「じゃあドリンクも料理に合わせてもらいましょうか」
そう言うとすぐにオーダーを済ませてくれた。
そうしてまず食前酒と前菜が運ばれ、一口飲むと甘く優しい味が広がった。
その後に続いた海鮮焼きと3種の串焼きと白ワインも私を感動させた。
「本当に美味しい。いいお店知っているんだね。鉄板焼のお店?」
「和風鉄板焼きだから焼き物の他に煮物とかもあって日本酒も揃ってますよ」
澤田くんの言う通り、料理の合間の箸休めのように小さな小鉢で煮物と和え物、そして小さなグラスで日本酒がテーブルに並んだ。
「ここのお店に結構来ているの?」
「ん~、接待で3回位来ました」
その答えに何となく邪推したくなってしまう。
「接待だけ?女の子と来ればいいのに。絶対喜ばれるよ」
「デートに取っておいたんですよ」
涼しい顔で言われたその言葉に、一瞬表情が止まってしまった。『デートに取っておいた』ってどういう意味?
焦りと迷う気持ちが混ざって、少し声がうわずってしまう。
「だったら・・私が先に来ちゃダメじゃない。ちゃんとデートの日まで取っておきなさいよ」
自分で言ってて寂しくなる。さっきまでの満たされた気持ちがサラサラと崩れていく。
でもそんな複雑な気持ちで言葉を投げかけた私に、予想外の言葉を返してきた。
「だから今日ここへ来たんですよ」
「・・え?」
言葉の意味を理解していない私に、彼は優しい笑みを見せた。