恋する不安 ②
「それで?咲季はどうしたいわけ?」
テーブルにひじをついて顎をのせながら視線を私へと流す彼女は、簡潔な答えを求めている。
カウンターに肩を並べて座る彼女は西野 沙耶。大学の頃からの友人で、気だるい雰囲気をまとっているので人から誤解されることもよくあるけれど、そばにいると見栄も嘘もないナチュラルなところが私には心地よくて今でも会う機会の多い大切な存在。
私の過去のことも知っていて、よく怒られたものだ。彼女は不倫が大嫌いだから。『対等ではない関係は、必ずあんたを傷つける。ずるい奴と付き合うな』よくそう言われた。その正直な気持ちと言葉に何度も喧嘩になったけど、その後いつも何もなかったかの様に飲んで語った。そして佐野さんと別れた後も『バカだな』と言いながらも、私のそばにいてくれた。
そんな彼女に今日は近況報告をした。
何だか言い難さもあって、向かい合わせにならないようにわざとBARカウンターを選んで。とりあえず沙耶に今の私の状況を話した。
「どうしたいって・・どうしたらいいのか自分でもよく分からない」
「馬鹿ね」
呆れる様にハッキリ言う彼女はチーズを口にしながら笑みを浮かべた。
「好きになっちゃったんでしょ、その後輩くんを」
「う~ん・・たぶん」
まるで渋るかのようについ答えを濁してしまう。
「何がたぶんよ。認めなさい、咲季の顔見ればそんなの分かるんだから」
「・・・う~ん」
きっぱりと沙耶に言い切られても、煮えきれない答えを口にしてしまう。そんな私に呆れた顔して沙耶は視線を流してくる。
「何で?好きになったらダメな人?・・またそういう奴?」
「違う」
また不倫か?って一瞬目を細めた沙耶に即答する。
「ふ~ん、じゃあ彼女持ち?」
「ううん、いない」
その答えに沙耶は少し首を傾げて眉間にしわを寄せた。
「なら何なのよ?」
「・・何となく」
「あほか」
「そう、あほなの」
自分で答えながら情けなくなってしまう。そんな私を見て沙耶は、飲むのも食べるのも止めて真剣に聞く態勢になって私を見た。それに答えようと私も一度深呼吸をする。
「彼はさ、ずっと好きな人がいたの」
「ん?いたって・・何?好きな女がいるってこと?」
「ううん、前にいたってこと」
「じゃあ別にいいじゃないの、咲季が好きになったって」
「うん、そうなんだけどね。何かね・・」
沙耶に伝えようのない気持ちが自分の胸に渦巻く。
「でももう気になっているんでしょう?いいじゃない、自分の気持ちに素直になれば」
「そうだけどさぁ・・。ねえ沙耶、勝手なこと言っていい?」
「何?」
沙耶はそう聞き返してきながら手に持っていたグラスビールを置いて、少し探るような瞳を見せた。私もいい大人になって恋の相談のようなことをすることに微妙な気持ちになる。
でも沙耶には今までも素の気持ちを表現してきたから、ためらいながらも今抱えている感情を伝えることができる。
「私さ、今度好きになるのは人は私だけを好きでいてくれる人・・って言うか、安心できる人がいいの」
「その後輩くんはダメなの?」
「ダメって言うか、彼の1番を知っているからさ」
「その1番の相手は?彼のことどう思ってるの?」
「ん~、友達関係で彼の気持ちに気付いてないまま仕事辞めちゃったの。その子はその子でずっと片思いしてる男がいたからさ。3人は同期で複雑な三角関係だったのよ、お互いの想いも知らなくて。それでその女の子は片思いが実って付き合い始めたの。自分の好きな女の子の片思いを見守ってあきらめた彼の想いも言葉で表せない切なさも私は見てきたのよ・・」
私の話を聞いて沙耶は遠い目をしながら「ふ~ん」と小さく何度も頷いた。
「だからその気持ちが私にはリアル過ぎてさ。それに簡単に彼の想いは忘れられないって思うんだ」
「その女の子がこの先彼に振り向くことはないの?」
「う~ん・・・ないと思うけど分からない」
「いい男?」
相槌を打ちながら聞いていた沙耶の表情が、興味本位に変わったのが見えた。
「うん、かなりね。女子社員がいつもキャアキャア言ってるし、我こそはと彼にアピールしてるわよ」
「あら、いいじゃない。そんな男がフリーでいるなんて、羨ましいくらいよ。悩んでいないで咲季も自分の気持ちに素直になればいいじゃない。彼の周りでキャアキャア言っている子達よりいい位置にいるんじゃないの?」
「う~ん・・」
「お酒が入った勢いもあっただろうけど、その彼と寝たわけでしょう。その後だって彼は逃げるわけでもなく、咲季に優しくどころか甘く接しているんでしょ?よっぽどあんたのほうが逃げているように聞こえるけど、私には」
「逃げてはいないわよ」
「じゃあ何よ」
「・・・怖いのよ、好きになるのが」
心にくすぶっていた本当の理由が勢いに乗って口をついてしまった。
今日は沙耶に会って今の自分について話そうと思っていたのに、口から言葉にして話そうとするとうまく表現できなかったこと。沙耶に聞かれてもずっと曖昧に答えていたこと。
私の本当に言いたかったこと。そう、好きになることが怖かった。
そんな私の言葉を聞いて、沙耶は何も言い返さずに私を見つめた。
「すごく勝手なことだけどさ、自分が2番目の存在でいることはもう嫌なの」
「・・・それって」
「うん、そう」
多くを語らなくてもお互いに何を言いたいかが分かる。沙耶とは全てを語ってきたから。だから私が2番目の存在を嫌がる事の意味をすぐ理解してくれたと私は感じた。
そう佐野さんにとって私は2番目の存在だったから。ううん、子供だっていたわけだから2番目にもなれなかったんだ。
それは初めから承知の上で自分から近寄って行ったのにあまりに都合のいい話だけど、彼に恋をしていたあの4年間私は彼にとって1番の存在になりたいと何度も声に出さずに心で叫んだ。
そしてその想いに負けた。
「でもあの男とその彼は違うわけだからさ。まあ私にはまだどんな人だか分からないから何とも言えないけど。少なくとも咲季の心を動かす男がいて、話してくれたわけだから私は見守るわよ」
「ありがとう」
私がそう言うと置いたままだったビールのグラスを手に持って、微笑みながら軽く私のグラスにあててビールを飲んだ。それに合わせて私も一口飲んだ。
「その後輩くんのことちゃんと見てみなよ。そうしたら自分の気持ちも見えてくるからさ。怖かったら聞いてみなよ、今もその女の子に気持ちが少しくらいあるのかを。少しでも残ってるって言われたらまた考えようよ、それでも咲季に気になる気持ちが残るかを。先に自分が1番になれないんじゃないかって悩むよりも、まず確かな事と向き合わないと」
「できるかな?」
「あんたそんな女じゃないでしょ」
ハッキリそう言い切った沙耶の顔を見て笑ってしまった。
言葉はぶっきらぼうでもちゃんと答えてくれる。そんな彼女は私の隙間の開いた心を埋めてくれる。
そしてそのまま沙耶の荒くも心のあるアドバイスをつまみに、何杯ものグラスを2人で空けた。