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惑わされる ③

外回りから会社に戻りエレベーターから降りた後、営業部のフロアに戻らずゆっくり歩いて休憩スペースに向かう。そこには数人の社員がそれぞれひと時を過ごしていた。自動販売機でホットのダージリンティーを買って奥のテーブルの上に置きイスに座る。


「疲れた・・」


小さくため息をついてつぶやく。

何でだろう・・心が曇る、心が乱れる。いつもと違う・・いつもと?ううん、最近ずっとこんな感じだ。

仕事は変わらずできている。食事だって睡眠だってちゃんと取れている。

でも・・澤田くんが私の視界に入ったり、彼の話題を女の子達が話しているのを耳にすると気持ちが揺さぶられてしまう。

今までこんなことなかったのに。いい男とは思っていたけど、他と変わらないただの後輩だったのに。こんな風に感じるのは、彼と寝てしまったから?

でもそれ位で心が揺れるほど私はピュアじゃない。今までだって流れや勢いでセックスをしたことはある。その相手に好きという感情がなくても。そんな関係を持っても綺麗に割り切ることはできていた。

それなのに何で?何がこんなに心に引っかかるのだろう・・・

その理由の多くを占めているのは楓のことだと思う。彼が自分の気持ちを抑えて楓の恋を見守り続けていたことが私の中では強く残っている。

何で彼は自分の気持ちを抑えたのだろう・・そのことがずっと気になって彼のことを今まで見続けてきた。

もちろん楓のことを一番に応援して山中くんと幸せになることを私も望んできた。でもいつも澤田くんの伝えない想いも気になっていた。だから山中くんが楓に気持ちを伝えに行ったあの日・・・いつまでも彼のそばに私はいたのだと思う。

でも彼のぬくもりを知ってから、私は戸惑い続けている。


テーブルに置いたままだったストレートティーを手に取りキャップを開けて飲もうとした時、「澤田さ~ん」と甲高く嬉しそうな声が聞こえた。


「お疲れ様です!」


その声が聞こえた方向に視線をやると、女子社員の後姿とその向こうに隼人の姿を見つけた。

またか・・・。彼に駆け寄って全身から嬉しそうなオーラが出ている。そしてチラッと見えたその子は、今さっきまでこの休憩スペースにいたのだ。そして彼の姿を見つけて駆け寄って行くってことは、彼を待ち伏せしていたのかもしれない。そんな場面をまた目にして、小さなため息が出る。

そして2人から視線をそらして手に持っているストレートティーを2口飲んでキャップを閉める。

何となく時間をつぶしてから彼らのいた方を見ると、もうそこには誰もいなかった。そして周りを見れば、この休憩スペースにも人の姿はいなくなっていた。


「行くか・・」


何だかむなしい気持ちになって立ち上がり、バッグとペットボトルを手にして休憩スペースを後にした。

営業部のフロアに行くと数人の社員が残業で残っていた。その中に隼人の姿もあり、一瞬だけ視線を向けて自分のデスクに向かった。

イスに座りまずメールの確認をしてから残っている仕事を片付けた。

数枚の書類を仕上げて、明日の訪問先の確認をする。

とりあえず終わらせるべきことも済ませ、デスクにひじをついて顎を乗せため息をつく。

周りを見ると残っている社員は数名。隼人もまだデスクワークをしているのを視界の端で見る。

まるで盗み見るように彼を見ながら、朝のことを思い出す。

『飲みに行きませんか?』とあんなキラキラした瞳で誘われても行かないんだね・・何で?

そう思いながらも複雑な気持ちになる。そんな事を考えていると、フロアの入り口のドアが開いて部長が顔を見せた。


「澤田、悪いけど手が空いたら企画部の会議室まで来てくれ」


その言葉に「はい、今行きます」と隼人が答えると、部長はフロアから出て行った。

そして彼がデスクの上を片付けているのを見て、『私も帰るか・・』と意味の無いため息をついて書類をまとめ、パソコンをシャットダウンした。

すると隼人が自分のデスクから声をかけてきた。


「帰るんですか?」


その言葉に反応して振り向くと、彼の視線と絡んだ。最近ずっと避けていた彼の瞳を見て、焦りと胸の痛みを感じる。


「うん・・とりあえず終わったから」


つぶやくような小さな声になってしまう。

そんな私とは対称的に澤田くんはいつもとは何ら変わりない顔つきをしている。


「大丈夫ですか?疲れた顔をしていますね」


顔を少し傾げながらふと問われて、その言葉が私の耳に残る。『疲れた顔』って・・。何だかからかわれたような気持ちになってムカッとなる。『疲れた顔』なんて異性に言われて、嬉しい女はいるわけない。


「大きなお世話よ」


つい険のある言い方をしてしまう。そして言ってから後悔する。こういうところが私の可愛くないところだ。そんな憎まれ口を叩いた私を見て彼は微笑をたたえると、自分のデスクの引き出しを開けると何かを取り出した。そして立ち上がり私のデスクまで歩いてくると、背の高い彼は座っている私を少し高い位置から見下ろした。


「・・・何?」


いきなり近い位置まで寄られて、戸惑いから息を飲んで彼を見上げる。

すると澤田くんは柔らかい笑みを見せて私の名前を呼んだ。


「咲季さん」


苗字じゃない・・あの時みたいに名前を。

その声は小さいけれど、色気があってとても甘い。私の耳にスッっと入ってきた。


「・・えっ?」


驚きが含んで、口が僅かに開いたままになる。

すると『カサッ』と音をさせて、彼は私の口に優しく何かを差し込んだ。

突然のことに私はポカンと彼を見上げたままになる。


「お疲れ様、糖分補給して」


さっきと同じ柔らかい笑みを見せた後、澤田くんは私の前から去りそのままフロアから出て行った。

そんな彼の姿を見つめ見えなくなってから自分の口元に差し込んである物を手にして見ると、それはチョコレートだった。


「何これ・・」


独り言を言いながらそれを食べると、独特な甘さが口の中に広がった。

そして自分のデスクに向き直ると、デスクの左側にチョコレートの箱が置いてあった。それを見て箱を開け1つ取り出して食べてみると、澤田くんが口に入れてくれた味と同じだった。パッケージには『ガナッシュ』と書いてあり、独特な感じはその味だった。

澤田くんがチョコレート?


「参った・・・美味しいじゃない」


悔しい気持ちと嬉しい気持ちが胸をいっぱいにした。

そして咲季は気付いてしまった。隼人のそんな行動に心を射止められてしまったことを。

そして今まで心が曇り、乱れていた理由を。

自分で隼人に『名前で呼ばないで』と言っていたのに、彼に『今井さん』と呼ばれる度に何か心に引っかかっていた。でも今甘い声で『咲季さん』とよばれて胸が熱くなった。本当は彼に『咲季さん』と呼ばれて嬉しかったのだということを。

自分が既に澤田隼人に惹かれてしまっていたことを、もう認めざるを得なかった。





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