嫉妬と虚勢④
今日の部内は浮き足立つ空気に満ちているのを朝から感じている。
なぜなら終業後に行われる総務課との親睦会があるからだ。
私は早めに帰社できたのでデスクワークをしながら、ソワソワしている男性社員を眺めていた。
総務課には可愛いと言われている女子社員がたくさんいる。
みんな大きな期待を膨らませて今日の親睦会に参加するつもりみたいだし、独身・彼女なしの男性軍には楽しみの一つのイベントになっている。
まあフリーでない人で楽しんでいる人も中にはいるけれど。
私は今まで飲み会感覚で気軽に楽しんできたけど、今回は気の持ちようがいつもとはちょっと違っている。
澤田くんと付き合ってから初めての親睦会だけど、どうなるかは大体想像がつく。
女子のみなさんが彼のそばの席を取り合い、アピール合戦がひたすら続く。
そんな様子をいつも他人事のように見ていた私だったけど、今の私が同じように気にしないでいられるかは自信がなかった。
それでもそんな不安を振り切るかのように、就業時間までに戻ってこられた社員達と雑談をしながら会場の居酒屋へと向かって行った。
店員さんに案内してもらった部屋に入れば、そこにはすでに到着していた総務課の女子社員が華やかな笑顔を見せながら席についている。
もちろん男性社員もいるけれど、営業部とは逆に総務課は女子社員の方が人数が多い。
入って行った営業部の社員に視線をやりながら、隣の人と笑顔で何やら話す様子が目に入る。
料理とグラスの置かれた席に奥からつめてとりあえず座ると、営業部部長がまず声を上げた。
「皆さんお疲れ様です。今日は久しぶりに総務課と営業部の親睦会ですので、気楽に楽しみましょう。まだ戻っていない社員もじきに来ると思いますので、とりあえず乾杯して始めましょう。皆さんグラスの用意をお願いします」
そう言うとそれぞれがビールやジュースの瓶を開けて、隣同士注ぎあった。
その様子を見て部長が総務課の課長に乾杯の音頭を引き継いだ。
「それではみなさんお疲れ様です。乾杯!」
「乾杯ー!」
その声と共にあちこちでグラスを当て合う音が鳴り響き、あっという間に話し声がワッと広がっていった。
私もとりあえずビールを飲んで喉を潤すと、目の前に並ぶ料理へと目をやる。
数人分盛られた刺身や焼き鳥へとまずは目が行き、マグロとサーモンを取り皿にのせて、焼き鳥の串を1本手に取って一口食べた。
焼きたてではないけど炭火焼の香りがとても食欲をそそる。
続けてビールを飲めば満足感に浸れる。
そんな風に並べられた料理を食べていると、ふと甲高い話し声が聞こえてきた。
「えー、澤田さんまだ来られないんですかー?」
不服そうな声色が私の耳を直撃する。
彼の名前が出るだけで心臓がドキッと音をたてて私を動揺させる。
つい会話に反応してしまった私は、声が聞こえた斜め前の方向にそっと視線をやると、残念そうな表情をしている美人女子2人とその横に苦笑いしている伊東麻里がいる。
そしてその前に座り彼女らの会話の相手をしているあの後ろ姿の男性は・・・山中くんだ。
アンタ何故そこの席に座っているのよ。
ついムカついて冷めた視線を彼の背中に送ってしまう。
『楓に言いつけるよ』と嫌味も言いたくなる気持ちを抑えながら、ビールをグビグビ飲んでマグロ・サーモンとお刺身を口に運んでいると急に「キャー」と女子の歓声が聞こえてきた。
それに反応して視線をやると、入り口に彼の姿があって女子社員が「澤田さん!」「お疲れ様てすー」と嬉しそうな声をあげている。
「お疲れ様です」
そうシンプルに挨拶を返した彼にあちこちから「キャー」とか「こっちに座って下さ~い」と声がかかっている。
でも山中くんの「隼人!こっち」と手招きしながらの掛け声で、彼がそっちへ歩き出し山中くんの向かいの席に座った為、「えー」という落胆の声があちこちから聞こえた。
そのテーブルの女子社員は明らかに嬉しそうな笑顔を見せている。
特に彼の両隣りに座っている彼女達のはにかんだ笑顔といったら・・。
彼の座った席は最初から空席だったから、彼が座るように用意されていたんだろうな・・と邪推する。
そんなことを思っていると、ふと彼と視線が合ってしまった。
つい条件反射なのか視線をはずしてしまい、勢いで自分の隣に座っている課長に話しかけた。
「課長、何か取りましょうか?」
「ああ、ありがとう」
その返事を聞きながら取り皿1枚にお刺身ともう1枚は焼き鳥とだし巻き卵を取り、「どうぞ」と声をかけて置いた。
「ありがとう、悪いな」
「いいえ」
笑顔で返すと私の反対隣に座る新人の高坂くんが「いいなー、僕も取って欲しいです」と甘えるように言ってきた。
高坂くんは童顔の外見に裏切らず甘え上手。
仕事中も困ると躊躇せず頼ってくる。
何となく人の懐に入ることが上手いので、この仕事もあっているかな?と何度か思った事がある。
「もう、高坂くんは自分で取れるでしょ?」
と言いつつ私もつい取り皿を手にしてしまう。
「やったー!えっと、唐揚げとポテトフライとピザがいいです!」
「はいはい」
さすが若さみなぎる油物オンパレード。
感心しながらお節介にも大根サラダを勝手にのせてしまった。
「ありがとうございまーす」
そう言ってお皿を受け取った高坂くんは嬉しそうに次々と料理を食べて烏龍茶を飲んだ。
あっという間に空になったお皿に焼き鳥とだし巻き卵をよそってあげると、「すいません」と可愛らしい笑顔を見せて早速だし巻き卵を一口でパクッと食べた。
そんな彼を見て雛鳥に餌をやる親鳥のような気持ちになる。
烏龍茶の瓶を手に取り注いであげると、高坂くんは「今井さんって優しいですよね」と急に褒めだしたのでつい笑ってしまった。
「これ位で優しいって言ってもらえるなんてありがたいわね」
「いえいえ、今井さんはいつも気を配ってくれてますよ」
「そう?毒づいてるじゃなくて?」
「そんなことないですよ。今井さんって結構もてるんじゃないかな?って思います」
「は?・・もてるわけないじゃない」
「え~そうかな。美人だし、優しいし、面倒見いいし。彼氏さんはいるんですか?」
急に褒め倒されて焦っているところに、ついでのように恋人の確認までされてドキッとしてしまう。
それは私が一番触れて欲しくない話題だ。
いないと嘘をつくのは嫌だし、いると言ってしまえば『誰?』とか『どんな人?』とか話を掘り下げられてしまうかもしれない。
う~ん・・・と考える振りをしながら前方の彼へと視線を向けると、彼の隣の席の子が嬉しそうに料理をよそった取り皿を彼に渡す姿を目撃してしまう。
ズキッと痛む胸の鼓動が、また私を卑屈にさせる。
彼から高坂くんへと視線を戻して、今の質問は申し訳ないけどはぐらかすことにした。
「さあ?どうでしょう」
「え~、教えてくださいよ~」
残念がる高坂くんに「ごめん、ごめん」と謝ると課長が苦笑しながら「高坂~、しつこい男は嫌われるぞ」と助け舟を出してくれた。
「はーい、すいません」
シュンとなった高坂くんの頭をヨシヨシと撫でながら、ドリンクメニューを差し出して見せた。
「何か頼もうか。私はジンジャーハイボールにしようかな。高坂くんは何にする?」
「じゃ~、コーラにします」
「よし!じゃあ注文しよう」
周りに座っている人達にも声をかけてみんなの希望も聞き、まとめてドリンクオーダーをした。
そしてまた彼へと視線を向ければ、わざわざ彼の席へと移動してきて嬉しそうに話しかける群ができていた。
分かっていたけど、目にしてしまえばやっぱりムクムクと負の感情が湧いてくる。
無理して笑顔を浮かべ、自分の周りの人との会話に没頭するようにした。
それからもそれぞれが会話を盛り上がらせて、あっという間に時間が経ち、部長の挨拶にてお開きとなった。
ゾロゾロと皆がお店の外に出て何となくその場で立ち話をしてると、相変わらずキャッキャと彼を囲む女子の皆さんの盛り上がりも自然と視界に入ってきてしまい、モヤモヤとした気持ちもまた湧いてしまう。
そんな中、「じゃあ、お疲れ様」と部長が右手を上げて帰っていった。
それを合図に帰ろうとする人、二次会を相談する人、雑談をする人など皆それぞれだ。
「澤田さん、この後カラオケでも行きませんか?」
「えー、素敵なカフェがあるのでそっちに行きましょうよ」
またもや甘えた可愛い声がいくつも聞こえてきた。
ああ・・やだな。誰にも聞こえないように小さなため息を吐いて私も帰ろうと雑談をしていた人達に「じゃあ帰るね、お疲れ様」と挨拶して歩き出した時、不意に私の右手がフワッと包まれた。
「・・えっ?」
驚いて見上げると、彼が微笑んで見せた。
「咲季さん、帰ろう」
「・・・」
驚きのあまり声が出ない。
その場もシーンと静まり返っている。
固まってしまった私とは対照的に彼は、「お疲れ様でした」とにこやかに挨拶をして私の手を引いて歩き出した。
何が起こったのか分からない私は、引かれるがまま足を進める。
後ろから「えー!」「やだー」「嘘でしょー」と悲鳴のような女性の声と、「マジで?」という男性の声が聞こえてきたけど、とてもじゃないけど恐ろしくて振り向くことはできない。
頭の中がグルグルとしてきて、そのまま引きづられるようについて行ったけどハッとして立ち止まると、それに気づいた彼が振り向いて「ん?」言った。
その『どうした?』『何かあった?』みたいな表情に信じられない思いが沸き起こってくる。
「ん?じゃないよ!何してるの?みんなの前であんなことして!信じられない!」
「あんなことって?」
「何とぼけてるのよ!手をつないで一緒に帰れば、みんなに付き合ってるって見せつけているようなものじゃない!」
「うん、そうですよ」
「はあ?」
彼のしれっとした言葉に驚愕する。
それなのに彼はニコニコと嬉しそうな顔をして見せた。
「見せつけたかったんです、みんなに。じゃないと咲季さんに近づこうとする男が寄ってくるので」
「そんなのいるわけないじゃない」
「いますよ。さっきだって高坂くんに甘えられていたし、咲季さんだって甘やかしていたし」
「あれは・・そんなんじゃないわよ。第一、澤田くんの方がみんなにチヤホヤされているじゃない」
つい話の流れでモヤモヤしていた気持ちを愚痴ってしまった。
言うべきじゃないってわかっているのに。
でもそんな私の気持ちを察しているのか、彼は微笑んで見せる。
「咲季さんが嫌だって言ってくれたら、みんな蹴散らしますよ」
「そんな事・・できるわけないじゃない・・・」
「できますよ。咲季さんの為なら」
「何言ってるの」
「咲季さんだけが大切だってことです」
「・・・・・」
そんな事をサラッと言われて、恥ずかしくて言葉が出なくなる。
なんてストレートな表現をするのだろう。
嬉しさ交じりに戸惑っていると、不意に左頬に軽いキスが落とされた。
「・・ちょっと!何してるのよ」
「キスですよ。あまりに可愛かったので」
「こんな道端で誰かに見られたらどうするのよ!いい大人なのに」
「いい大人だから軽いキスで我慢したんですよ」
そうしれっと答える彼に私は勝てないのかもしれない。
なんだかんだ言って、いつも彼のペースに負けてしまう。
それでも私達の関係がみんなにバレてしまったことへの抗議だけはしておきたかった。
「もう・・・私達が付き合っている事はナイショにしておく約束だったじゃない・・」
「そうですね。でもいつまでっていう決まりはなかったですよね。とりあえずってことでした」
「それは・・そうだけどさー」
そう・・確かにそうだった。
私が秘密にして欲しいって言った時、そんな感じでお互い納得したけど・・・。
眉間にしわを寄せて怒る私の顔を見て彼は笑ったかと思ったら、私の背中に手を寄せてそのまま自分の方へ引き寄せたので、私は不本意だけど彼の胸へ納められてしまった。
強引なのに優しい力で私を包む狡い男。
「あなたに近づく男がいたら、僕は我慢できません」
そう耳元でささやく彼にもう私は逆らえなかった。
怒っているはずの私はついそのまま彼へと身を預けてしまった。




