嫉妬と虚勢 ③
それから同僚と雑談をした後に自分のデスクで何となくボーッとしていると、「お疲れ様です」と私の耳に彼の声が入ってきた。
それに反応して私の目は彼の姿を捜す。
まだフロアに残っている人達がそれぞれ「お疲れ様です」と返すなか、スタスタ歩いてくるその姿は
一日働いたというのに疲れをまとっていない。
「今井さん、お疲れ様です」
「お疲れ様」
「待たせてすいませんでした」
「そんなに待ってないよ。明日の準備もしていたし」
笑顔を見せてくる彼に『待っていた』なんて可愛い答えを持ち合わせていない私は、今まで手を進めていなかった資料整理を今更ながら始めてしまう。
本当は彼の戻りを待っていたのに。
何でだろうな・・って胸の中でため息をついてしまう。
それから20分程お互いに残務処理をして帰り支度をすると、「じゃあ行きましょうか」と彼が声をかけてきた。
そして一緒に営業部のフロアを出て廊下を歩いていると、すぐに女子社員2人が笑顔で寄って来た。
「お疲れ様で~す」
いつもながらの女子力高めの可愛らしい声・笑顔・眼差しだ。
私には見せることのできない技。
男の人にとってはこういう子が可愛いよね。
そう感じるはずと決めつけている私は、彼の顔を見ることができない。
隣からは「お疲れ様です」と落ち着いた声が聞こえる。
「もう帰るんですか?」
「うん」
「え~!じゃあ飲みに行きません?」
「行きたい!行きましょうよ!」
嬉々と彼を誘う声が廊下に響く。
あ~、そういう話の流れになるよね・・・。
2人に塞き止められて足を止めた彼を置いて私はそのまま足を進める。
一緒になってその場にはいられないよ・・・。
モヤモヤする気持ちでエレベーターホールへと歩いていく。
そして躊躇することなく下りのボタンを押す。
誰もいないホールで1人ため息をつく。
こんなもんだよね・・・。
めったに早く戻らない彼を見つければ、みんなここぞとばかりに誘い出す。
隠れて付き合うってこういうもんだ。
彼がいろんな人に誘われ、そのキラキラした瞳を見続けることも承知の上で秘密にして欲しいと自分から言ったのだから。
それでも心は正直で嫉妬もすれば不安にもなる。
「はぁ・・」
またため息をついたところで、真後ろから「エレベーター来ましたよ」と彼の声が聞こえた。
「えっ!あっ・・」
驚いて振り返ると、そっと腰に手を添えられてエレベーター内に誘導された。
中には誰もいない。私と彼の2人だけ。
それなりのスペースがあるのに、寄り添うように彼が立つ。
シンとした空間に気まずくなって、また私の悪い癖が出る。
「せっかく誘われたのだから、行って来ればいいのに」
つま先を見ながら悪態をつく。
そんなこと思っていないのに。絶対嫌なのに。
言った後、自分の言葉が嫌になって下唇を噛んで瞳を伏せる。
「行きませんよ。咲季さんとご飯食べたくて急いで帰って来たんだから。彼女達と食事する時間を作る位なら、僕は仕事しますよ」
その言葉に驚いて彼の顔を見ると、穏やかな表情をしている。
こんな顔してそんなこと言うの?
何だか気が抜けてしまう。
「あ・・そう?」
「そうですよ」
彼の言葉を聞いたところで『ポーン』と到着を知らせるチャイムが鳴って、階数を知らせるボードを見れば私達が降りる1階を表示していた。
エレベーターを降りてロビーを通り外へ出た所で彼が聞いてきた。
「咲季さん、何食べたい?」
「うーん・・中華!。澤田くんは?」
ハッキリと『中華!』と言ってしまってから、『あっ』と気づく。
本当は彼の食べたい物も聞いた方がいいよね。
『澤田くんは何食べたい?』って聞く女の方が可愛かったよね。
そう後悔したとこで彼も『僕も中華』と返してきた。
ほら・・気を使わせてしまった。
「他でもいいんだよ。澤田くんの食べたい物」
今更ながら彼の希望を聞いてみても『じゃあ和食』とは言わないよね。そんな男じゃない。
ズンッと気持ちが落ちるのを感じる。
するとクスクスと笑う声が聞こえた。
「エビチリと餃子でビールが飲みたいな」
「え?」
「あと麻婆豆腐」
「何か明日臭いそうね」
「明日は休みだから大丈夫ですよ。たくさん食べましょう。咲季さんは何食べたい?」
「うーん、麻婆豆腐」
「了解です」
そう言うと私の手を取って歩き出した。
会社から少し離れたとはいえ、周りには沢山の人達が歩いている。
知りあいには見られなくても、こんなにオープンに手をつないで歩くことに慣れてない私は、何となく彼の手を握ることができない。
本当は手をしっかりつないだり、腕を組んで恋人らしく歩きたいのに。
そう思ってほんの少し親指と人差し指に力を入れてみた。
すると彼はつないでいた手を少し緩めて、今度は指と指を絡めて恋人つなぎに変えて握ってきた。
「あっ」
驚いて小さな声が漏れる。
その勢いで彼の顔を見上げると、優しく微笑んでつないでいる手を少し引き寄せた。
そのタイミングに合わせて彼の腕に身を寄せる。
「どこの店にしますか?」
「近くて美味しいお店」
「ワガママだなぁ」
クスクスと笑う彼の顔を見上げて私も笑う。
近い店って言ったけど、本当はちょっと遠くてもいいっていうのが私の本音。
今はもう少し長く寄り添って歩きたい。
こうして歩く事にドキドキと安心感を感じ、私から彼の指をキュッと握った。




