愛のささやき ⑥
『ピンポーン』
部屋に響くインターホンにドキッと驚かされる。
鳴ると分かっているけど、彼がドアの前にいると思うだけで胸が高鳴る。
すぐに玄関に向かい一度室内を確認してからドアを開けると、そこに立つ彼が私の顔を見て微笑んだ。
「こんばんは」
「お疲れ様」
急な来訪に気恥ずかしさが混じって、噛み合わない挨拶をしてしまう。だってわざわざ私の家まで来るなんて。
深夜だというのに『会いたい』と言った彼に、ドキドキと早い鼓動がどうにも治まらない。
それでも意地を張って取り繕ってしまう。
「狭い部屋だけど、よかったらどうぞ」
私が部屋に入るように促すと、「おじゃまします」と律儀に言ってから部屋に上がった。
リビングのソファーに座るように伝えて私はキッチンに用意しておいた紅茶をカップに注ぐ。そして彼を見ると、自然な感じで目があった。
その瞳に魅入られる前に視線をそらし、ティーカップをトレーにのせてソファー前のテーブルに運んで彼の前にカップを置き、向かい側に自分のカップを置いてラグマットの上に座った。
「こんな遅くまで仕事してきて疲れているんじゃないの?」
彼の顔色を見ながらそう尋ねる。そんな私に「いただきます」と紅茶を一口飲んでカップを見つめた。
「それでも頭に浮かぶのは今井さんの顔だったから」
ふいに聞いた言葉に愛しさがこみあげる。
「何でそういう言葉をさらっと言えるかなぁ」
照れを隠して彼を睨むと、澤田くんはカップから私へと視線を移した。そしてそのまま見つめ合う状態になると、私にはもうお手上げになる。
そんな私を理解しているかのように、澤田くんは口元に笑みを浮かべた。
「僕は仕事が好きで大半の時間を使ってしまうけど、仕事から頭を切り替えると頭に浮かぶのはあなたなんです。笑っている顔や困っている顔や怒っている顔。その時々に違うけど、いつも思い出してその度にあなたに会いたくなる。でも今日は我慢できなくて来てしまいました」
何てことを言うのだろう・・。その言葉に私がどれだけ揺さぶられるか分かっているのかな。
彼の眼差し・甘いささやきに魅せられてしまう。それと同時に切なさまで感じてしまう。
「私・・澤田くんにそういうこと言われると、嫌な返し方しかできなくなる。それが自分でも嫌になるよ。ありがとうって笑えればいいのに、逆にどうして?って思っちゃうし。自分でも可愛くないって思っているよ。他の子達なら心から喜ぶのに、私にはできないってね」
なんとか自分の気持ちを素直に伝えたけど、やっぱり恥ずかしくて澤田くんの顔は見られない。ラグマットに座る私よりソファーに座る彼が高い位置にいてよかったと思うのもつかの間、彼は立ち上がり私の横に座ってきた。
私が視線をいくらそらしても、私の顔を覗きこんでくる。
観念してゆっくり視線を彼に向けると、何とも優しい眼差しで私を見てる。
「そんな目で見ないで」
困っている私に澤田くんは、クスリと笑った。
「可愛い」
突然の誉め言葉にドギマギしてしまう。
可愛い?私が可愛いはずがない。
「可愛くなんかないよ」
「少しずつ知っていく今井さんはどれも可愛いですよ。僕はプライベートではお世辞を言いません」
澤田くんの言葉に、ふと問いかけたくなった。
「そんな風に言えるなら・・澤田くんだってもっと早く伝えていたら幸せになれたんじゃないの?」
その言葉に一瞬彼の表情が変わった。そして私を見つめながら質問に質問で返してきた。
「柚原のことですか?」
私が何を言いたいのか分かっている顔をして聞いてくる。
気になるよ、あれからずっと気になっている。
「うん、いろんなことが気になって頭の中をグルグルしてるよ」
「いろんなこと?今井さんが気になっていること全部答えるから、僕に教えてください。どんな些細なことでもいいから」
全てを聞いてくれる?答えてくれる?
私が気にしていることも、悩んでいることも。そんな全てを今ならさらしてもいい気がした。
「何で澤田くんがこんな風に私に目を向けるのか分からないの。ずっと仕事仲間だったじゃない。私にとってはいい後輩だったし、それは澤田くんだって同じでしょ?」
「そうですね」
「無神経だけどごめんね、正直に思っているままに言うよ」
私が確かめるように彼の顔を見ながら言うと、真っ直ぐ私の顔を見て『はい』と答えてくれた。
「楓への気持ちに気付いてから、澤田くんのことが気になっていたの。あまりにも紳士的に楓のこと見守っていたから。どうしてそんな風にできるのかなって。最後まで自分の気持ち隠す澤田くんの気持ち考えたら何かね・・。あの日は本当に慰める気持ちで飲みに誘ったの。好きな人から身を引く気持ちを自分のことと重ねて考えちゃって。今日は側にいてあげたいって思っただけだったの、本当に。だから澤田くんと寝てしまったことに自分が驚いているの」
あの日のことを思い出すと、今でも整理がつかない。それを言葉にするのは難しい。でも澤田くんがちゃんと聞いていてくれるから、自分の中に渦巻いていたことを伝えることができた。
「こんなつもりじゃなかったって凄く後悔したの。どうしようって、考えれば考える程分からなくなって。だって澤田くんが変わり過ぎなんだもん。まだ勢いでしちゃっただけで無かったことに・・って方が受け入れやすかったのに。逆にどんどん近づいてくるなんて、想定外なのよ・・・」
「嫌でしたか?」
低く柔らかい声で聞かれると、それには首を横に振って答えた。
「嫌じゃないよ、でも戸惑うでしょ。何で?どうして?って思うことにずっと振り回されっぱなしだよ。だって澤田くんだよ?どれだけ女子が騒いでいるか、自分でも分かっているでしょ?だから一回寝た位で何かが変わるなんて思っていなかったし」
何だか自分で話していても、ゴチャゴチャと分からなくなる。
「いろんなことに、どうして?って考えると答えが出ないの」
ハッキリしない私の問いかけにも、澤田くんはゆっくりと頷いてくれる。そしてそっと手を伸ばして私の手をゆるく握ってきた。
「僕はどんどんあなたに惹かれています」
「嘘だ・・」
「本当ですよ、僕はあなたに惹かれている」
ささやくような声に言い聞かされる。
「でも今井さんにはどうしても柚原のことが気になりますよね?」
「・・うん、気になるよ」
「確かに僕は柚原のことが好きでした。でも自分の気持ちに気付いた時には柚原はもう健吾を見ていた。一生懸命気持ちを隠す彼女を見ているうちに、僕は柚原のことを支えてあげたいって思うようになっていました」
「支えたい?」
「そう、無理している柚原が悩んだり傷ついているのを見たら、少しでも気持ちが楽になるようにしてあげたかった。もどかしい気持ちになる時もありましたよ。でも頑張る彼女が好きでした。健吾が気付かないから柚原は辛い思いを何度もしたけど、健吾と一緒にいる柚原はやっぱり幸せそうだったから、諦めずに頑張って幸せになって欲しかった。そしていつの間にか自分の目は今井さんを追いかけるようになっていたんです。」
「私?」
突然の話の展開に面食らってしまった。何で私が出てくるの?私は何もしていないよね。確かに澤田くんの楓への気持ちに気付いても、最後まで確かめたりしなかったし。どうして私なのか理解できない。その意味を探るべく澤田くんの顔を凝視すると、ゆっくりと答えてくれた。
「最初は今井さんが柚原に親身に接していることで、健吾への気持ちを知っているんだと気付きました。隠している気持ちを相談できる存在の今井さんが少しずつ僕も気になって。健吾の気持ちを揺さぶる言葉をかけたりするあなたはとても優しくて頼もしかった。きっとあの2人にとっていいきっかけになっていました。そして柚原が涙を流した時の話をしたこと覚えてますか?」
楓が泣いた時のこと・・?あ・・美好に山中くんと伊東さんが行ったって話ね。美好は楓にとって山中くんとの大切なお店だから、そこへライバルである伊東さんを連れて行ったことは本当にショックだったはず。それを慰めたのが澤田くんだったんだ。
「うん、覚えているよ。澤田くんが教えてくれたよね」
「そう、その時に柚原を心配する今井さんが僕には印象的でした。後輩とはいえ人の幸せを願えるあなたが気になって仕方なかった」
そんな風に思っていたなんて・・。でもそれだけ楓に共感したのは理由があったからだよ。
「そんなに私はいい先輩じゃないよ。もちろん楓のことはいつも気にかけていたけど。あの子の気持ちが痛いほど分かってしまったから、どうにかしたくてしょうがなかっただけなの・・」
そこまで言って一瞬ためらう。前に2人で話した時は勢いで話せたけど、今はあまり言いたくない。でも自分でも澤田くんがどう思っているか気になることだから、はっきりさせておきたい。
「自分の実らない恋愛を楓の気持ちと重ねていたの。あのさ・・前に話したことだけど、私不倫していたって話したよね」
「はい」
そう答えた澤田くんの表情は全く変化がなくて読み取れない。
「自分でもいいことじゃないって分かってた。話すことじゃなかったって後悔してるの。澤田くんはそのことは気にならない?」
澤田くんに聞きながら心拍数が上がってしまう。こんなこと聞くべきじゃないのだろうけど、どうしても確認しておきたかったことだから。心配交じりの私に澤田くんは問いかけてきた。
「今もその人を想ってますか?」
「それはないよ。時間かかったけどちゃんと決着つけたから。今はない」
それだけははっきり言える。すると澤田くんは優しい笑顔を見せた。
「それなら僕は気にしません。今井さんがどんな思いで気持ちの区切りをつけたのか分かるから、それで十分です」
そんな風に言ってくれるなんて、澤田くん器が大きすぎるよ。嬉しさと感動で、何だか切なくなる。どんな顔していいのか分からないよ。自分らしくないけど何だかモジモジしてしまう私を見て、澤田くんがクスッと笑って私の顔を覗き込んできた。
「そういう正直な今井さんが好きです」
「あっ・・え」
また急な展開に焦ってしまう。対照的に真っ直ぐ見つめてくる彼につい逃げ腰になる。
「私、もう誰かの次じゃ嫌なの。私だけ見てくれる人じゃなきゃ嫌なの」
「僕は今井さんだけを見て、今井さんだけを愛します。もし柚原のこと少しでも気になるなら、これから僕のこと見てください。柚原に5年間片想いしたのは真実だから、それをなかったことにできないのは分かってます。信じてもらえるならこれから6年間今井さんに片想いします。それからでもいい、僕の気持ちに答えてもらえますか?」
何でもないことのように彼は言った。嘘でしょ?
「何言ってるの?意味わかんない」
「本当ですよ。6年片想いしても、あなたを僕のものにしたい」
・・・やられた。どんな口説き文句なのよ。澤田くんにそこまで言われたら、落ちないわけないじゃない。嬉しいよ、めちゃくちゃ嬉しい。でももう少しだけあまのじゃくでいさせて。
「今から6年後、私いくつになってると思うのよ!」
「僕は咲季さんが何歳だろうとかまわない。でも咲季さんが気になるなら、今僕の気持ちに答えて下さい。咲季さんのことを大切にします。僕と付き合ってください」
その瞳は誠実を物語っている。もう素直になっていいよね。ごめんね、ありがとう。
「はい、よろしくお願いします」
そう答えた瞬間、温かく優しい腕に包まれた。