運命に愛された少女
私は運命というものに愛されていた。
なにせ、生まれた時には息をしていなかったのに死産と判断した母が投げ捨てた折に打ち所が『悪かった』ために息を吹き返した。
「なんだい。生きてんのかい」
母は娼婦だった。
腹が膨らんでいたせいで客を取れなかったから私を生んで清々していた。
「おいおい。おまけに女かい」
もし、私が生まれた頃より『生きていた』なら、きっと母は私をまともに育てやしなかっただろう。
一度死んでいたからこそ、頭と性格の悪い母はこう思ったのだ。
「多少は雑に扱っても死ななそうだ。何せ一度死んでいたんだから」
仮に死んでも元々死んでいた命だ。
母はそう考えた。
おまけに私は女だ。
客を取れるかもしれないと思われたのだ。
「どうせ、死んでもいい。元々、死んで生まれていたんだから」
母にとっては邪魔だった腹の荷物が急に金貨の袋に見えたに違いない。
なにせ『殺してもいい』という文言ほど客を興奮させるものはなかったから。
*
私が四つの頃、病になった。
「なんだい。その顔は」
膨れた顔を見て母は唾を吐いた。
つい先日、母の客が「子供を抱きたい」と言っていた。
母は「殺してもいいやつが一人いる」なんて話をしていたのにこの様だ。
「そんな顔じゃ男は取れない。とっとと出ていきな」
言葉と共に追い出された。
ふらふらと貧民街を彷徨うがそこで乞食に絡まれて突き飛ばされて川に落ちて流れていく。
「これでおしまい」
なんて思いながら溺れていると私の服に何かが引っかかる。
「父さん。何かが引っかかった」
そう言って私は三つ年上の男の子に拾われた。
「生きているの? この子。すごい顔だよ」
心配そうに私を覗く男の子に父親が言った。
父親は偶然にも医者だったのだ。
「病だよ。治療をすれば治る」
「治してあげてよ、お父さん」
そして、この屋敷では先日に使用人の子供が一人が亡くなったばかりだった。
これもまた、運命に愛された結果だろうと私は思う。
つまり、私はこの屋敷で使用人として働くことになったのだ。
*
男の子の父親は良い人だった。
男の子の母親も良い人だった。
私は使用人でありながらほとんど男の子の友人と言う扱いでその屋敷で暮らすことが出来たのだ。
教育を受けることが出来た。
娼婦の娘として生まれたのに。
きっと、運命に愛されていたからだろう。
美味しいものを食べることも出来た。
本来なら四つの内に醜悪な男に死んでも良い仕打ちを受けるはずだったのに。
これもまた、きっと私が運命に愛されていたからだろう。
十年間。
幸せに生きることが出来た。
本来ならありえない人生を。
どう考えたって運命に愛されていたからだ。
――だから、私は一つだけ決めていた。
運命には決して逆らわないって。
故に。
あの日に遭遇した大火事の意味を誰よりも早く理解していたのだ。
*
その日、私は男の子とその両親と私を含む幾人かの使用人と共に劇を見に行っていた。
その帰り道。
「火事だ」
叫び声と煙が上がった。
見れば、町の屋敷が大火事に見舞われていたのだ。
「すぐに救いに行きましょう」
男の子は駆けだした。
彼は十七歳になっており、最早背丈は大人の男と変わりなかった。
良い両親に恵まれたためか、困っている人が居たらすぐに助けるような人にもなっていた。
――何があっても死んではいけない人だった。
「私も行きます」
胸騒ぎを覚えた私は彼の後を追った。
「待て! 君は行くな! 息子に任せるんだ!」
彼の両親はそう言ったが強い胸騒ぎはそんな言葉で抑えることは出来なかった。
大火事の中、彼は見事に人々を避難させていた。
私もまたその誘導を手伝っていた。
本来なら何人もの人が死んでいてもおかしくない規模の火事の中、私たちは全ての人を避難させることに成功した。
「もういないはずだ。逃げよう」
「はい!」
殿を務める私達。
直後、確かに聞いた奇妙な音。
「危ない!」
彼の方に壁が崩れ落ちてきた。
思えば。
私は運命に愛され続けたのはこの日のためだったのだろう。
彼を突き飛ばして救う。
――きっと、この日に彼を救うためだけに運命に愛されていたのだろう。
私はそう理解した。
「逃げてください。もう助かりませんから。早く逃げて!」
足を潰されながら私はそう言って彼を逃がそうとする。
彼は絶望の表情を浮かべたまま立ち尽くす。
「早く! 早く逃げて!」
私は運命に愛されていた。
その運命がこのためだけに私を愛していたのだとしてもそれを受け入れよう。
いや、むしろ喜びさえある。
だって、きっと。
彼はこれだけ立派な青年になったのだ。
父親を継いで医者の道を志しているのだ。
だから、きっと私の死を無駄にせず、多くの人を救ってくれるだろうから。
運命よ。
ありがとう。
私にこの運命を与えてくれて――。
*
私は運命に愛されていた。
そう確信をもって言える。
何度聞かれたってそう言い切れる自信がある。
だって、あの時に彼を救う役目があったのだから。
あの時に死んでも彼を救うのが私の運命だったんだ。
間違いなく。
「リンゴ、剥けましたよ」
「ありがとう」
「フォークは……まだ持てませんよね」
「うん、ごめん」
私の言葉に彼は笑った。
快活に。
「まったく。両手を火傷までして何してんですか」
「いやいや。火傷程度で君を助けられたんだからむしろ良かったよ」
そう。
私はまだ生きている。
なんと、彼ときたら私の足を潰していた壁を火事場の馬鹿力という奴でどけてしまったのだ。
言うまでもなく、彼の両手はすっかりと火傷をしてしまった。
私の火傷はまだスカートで隠せる部分だけど、彼の方はもう見るも無残だ。
「で、どうするんですか。その火傷」
「名誉の負傷ってやつさ」
「将来に出会う患者様たちにどう説明するんですか」
「火傷の症例として説得力があると思わないか? ほら、こんなに火傷をしても動くようになりますよ……みたいな」
私はため息をつく。
まったく。
今だって痛みが強いはずなのにそんなこと言って――。
「とにかく。今後は誰かを救うために危険を冒したりしないでくださいね」
「いやいや、見知らぬ人なら助けないよ。君だから助けたんだよ」
「はー……どうだか。そもそも火事だって聞いた途端に駆けだしたのは誰でしたっけ」
軽口を叩きながら私は今回も運命に愛されたのだと悟る。
なにせ、こうして生きているのだから。
つまり、この人には今後まだまだ苦難が降りかかるということだ。
――なら、私はまだまだ生きていて良いらしい。
「とりあえず、リンゴを食べてください。ほら、口をあーんって開けて」
「あーん……って、結構恥ずかしいな」
「これじゃ、どちらが年下かも分かりませんね」
私が運命よりもずっと厄介且つ大切なものに愛されてしまったのだと気づくのはこれから三年後のことだ。




