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樅ノ木は飾った 〜花のお江戸で、初めてのクリスマスツリー!?〜

作者: 木本周五朗
掲載日:2025/12/24



「お届け物でぇ〜す!」

「はいよー」


 運び屋の若者が、家の中に呼びかける。それに応じて、医師風の男が顔を出す。

 彼は「お届け物」を見て、絶句した。



 高さ1mくらいの、生木(なまき)だったからだ。



「へへ、すいやせんね。こちらに署名(サイン)お願いs」

「何だ、これは……?」


 いや(しゃべ)ったわ、失礼した。


 さておき、男は運び屋の言葉を(さえぎ)って、逆に問いかけた。



「コイツですかい? よく分かんねぇんすけど、『(もみ)の木だ』って聞いてやすよ」

「何に使うんだよ !? 」

「知らねぇっすよ !!? (あっし)が聞きてぇぐれぇだ……」



 寛政(かんせい)6年(1794)(うるう)11月10日。

 江戸で初めてのクリスマスパーティーが開かれる、一刻(にじかん)ほど前のことであった。



 ◆


「キリスト教は違法な宗教、だから禁止ね。でも宗教関係ないなら、西洋のいい物は(・・・・)取り入れよう!」


というのが、江戸時代後半の日本である。



 ただし、あくまで「いい物は(・・・・)」、である。そんなの高級品だ。

 だから「西洋のいい物を取り入れよう!」なんて出来たのは、一部のお金持ちだけだった。


 これを蘭癖(らんぺき)という。


 そして、かの医師風の男:大槻(おおつき)玄沢(げんたく)も、蘭癖の1人であった。



……ただし、「西洋文化に触れる」だけなら、もう少し簡単にできる所がある。


 長崎である。



 ()(ぜんの)(くに)彼杵(そのぎ)(ぐん)長崎。当時の日本では貴重な、国際港湾都市であった。

 有名な「出島(でじま)」は人工島である。オランダ商館が置かれ、西洋の商人たちが住み込みで働いていた。


 なお、“オランダ商館”と呼ばれているが、オランダ人だけのものではない。時期によってはドイツ人・アメリカ人らも出入りしている。



 そして、そこに出入りする日本人通訳らを通じて、住民たちに西洋的な風習が広まっていた。

 そんな風習の1つが、「オランダ正月(しょうがつ)」である。



「キリスト教が違法、だと !? 聖誕祭(クリスマス)呪えねぇじゃン !! 祝ってやル……」

「日本語逆じゃネェか?」

「……イヤ待て、日本には正月があル。『オランダの正月です!』ってコトにすれば」

「「「……イケる !! 」」」


といって、オランダの商人たちが始めたものだ。



 そしてそこには、日本人の役人や通訳たちも呼ばれて、


「皆=サン、盛り上がっ(フルヘッヘッドし)てマスかぁー !? 」

「「「いえ〜い !!! 」」」

「これが(うわさ)の、(いちご)ショートケーキ……!」

(うま)美味(うま)い、ウマい…… !! 」

「家族にも食わせてやりたい! これ持って帰ってもいいですか?」

「「「どうぞドウゾ」」」


などとよろしくやっていた。



 そのうち、長崎にはオランダ正月を真似(まね)る日本人たちが現れた。

 彼らが開いたパーティーに、玄沢も参加したことがある。


 長崎から江戸へ、広がる下地ができていた。



 ◆


 江戸に帰った玄沢は、さらなる僥倖(ぎょうこう)に恵まれた。

 オランダ商館長(カピタン):ヘイスベルト・ヘンミーとの対談が叶ったのだ。


 ナポレオンとかいう男のせいで、母国ネーデルラントが滅亡寸前……という一大事に、である。



(ユー)やっちゃいなヨ、オランダ正月!」

「はい !! 」


 興奮()めやらぬまま、自宅兼私塾「()蘭堂(らんどう)」に帰った玄沢は、今日まで粛々(しゅくしゅく)と準備を進めていた。



 調(ちょう)()(ひん)(そろ)えた。

 招待状も出した。ほぼ全員から、


「絶対行きます!」


という返事も貰えた。



 驚いたことに、(さきの)老中(ろうじゅう)松平(まつだいら)定信(さだのぶ)公からも返事が来ていた。


「行きたすぎて丁髷(ちょんまげ)取れそうです……が、今領地の白河です。

 物理的に無理で申し訳ない。


 次回があれば是非!   松越中守」


という(むね)の、丁寧なお手紙だった。



 新幹せ……いや(おそ)れ多いことである。



 ◇


 そして今日。

 料理も出来上がりはじめた。あとは来客を出迎え、待つのみだ。

 日が暮れて11日になれば、パーティーの始まりである。


……なんて思っていた所に、この「お届け物」である。


「どこのどいつだ? 樅の木なんか送ってきたのは……」



 一体どうしろというのか? 玄沢は頭を抱えた。

 そこに後ろから、弟子の1人が声をかける。


「先生、この時計の電源はどこでし……何ですかそれ?」

「樅の木だ。誰か知らんが送ってきやがった」

「マジすか……どうします? それ」

「どうするったってな、んー……」


 2人は考え込む。


 とりあえず、このまま外に出しておくわけにはいかない。通行の(さまた)げになる。

 屋内に運びたいところだが、入ってすぐの表座敷にも置き場はない。


となると……


「中庭か」

「ですね」



 江戸の町家(まちや)は、通り沿いから奥へ細長く延びている所が多い。

 そして、敷地いっぱいに建物を建てることはせず、途中に中庭的な吹き抜けを作るのが一般的であった。


 でないと風が通らないからだ。夏暑すぎて住めない。



 そして芝蘭堂は、表座敷が私塾、中庭を(はさ)んで奥座敷が住居、さらに庭を挟んで土蔵(ものおき)……という構造であった。

 来客の邪魔にならず、かつ見える所に置くなら中庭……しかない。



 ◇


 こうして樅ノ木(わたし)は、町家の中庭に放り出された。飾り付けなんかない(はだかの)ままで。



……いやん!



 以上で(しめ)となります。

 お読みいただき、ありがとうございました〜 m(_ _)m



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