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航は街中を注意深く歩いていた。
周囲の様子を窺いつつ、チャンスを待つ。
何しろ、奴らにとって御しやすい獲物に見えて貰わねば困るのだ。
彼は気配を消すことには長けていた。
今の航は普通の青年、それも気の弱そうなものに見えているはずだ。
奴らにとって人間は狩るのに簡単な獲物、になっているのは間違いない。
それならばより容易く手にいられるのなら喜ばしい。
あれだけの集団を維持するならばそれ相応の食事が必要であろう。
一度人を喰らった妖魔はもう元には戻れない。
「人食い熊と同じようなもんだって言ってたっけねえ」
そんな独り言を呟く。
何とも懐かしい。
「うん、本当にその通りだよ」
それを言った人はもういないが、航の胸には刻まれてはいる。
「さて、そろそろ引っかかってくれるはずだけど」
気弱げに歩き、彼らの前を行くように工夫を重ねた。
時折持っている荷物を落としておろおろして見せたり、何もないところで躓いて見せたりとして弱いものを演じる。
乗ってくれればいいけどね。
妖紅から聞いた話だけではあるが、大分気が大きくなっているらしく連中は獲物を見れば時を考えず襲いにかかるレベルにまでなって来ているとのことだった。
ならば当然、獲物を選ぶのもかなり雑になっていることだろう。
楽して狩れる都会ならではの思考だ。
それを逆手に取ればいい。
妖魔が人や動物たちを喰らうのは基本的には強くなるため、それが大概の目的である。
それも喰えば喰うほど力もだが、凶暴性が増していくので始末が悪い。
理性も一緒食い尽くしているのかもしれないね。
そんな風に航は考える。
尤もそれを飛び越すものだっているのだが。
だが、今はそんなことを考えている場合ではない。
自分の内なる殺気を殺すにも限界がある――
航がどうするかを悩み、立ち止まると誰かが肩を掴んできた。
振り返れば柄の悪いチンピラ風の男連中が数人、彼を見ていた。
「しけた面してんなァ」
「俺たち、いいところ知ってるからさあ、付き合わない?」
「あ、いえ」
お約束として断って相手の様子を窺う。
ヘラヘラとどいつもこいつも嗤っているが、違和感が拭えない連中だった。
これは完全に間違いないな。
そもそもより一層強く臭うしね。
だから動くことにした。
「その……遠慮を。僕はこの辺よく知らないので……」
如何にも気の弱い素振りを見せれば、彼らの眼がギラギラと輝き出す。
「いやあ、そいつぁ、ラッキーだ。なら余計に俺たちに任せな。いいところへ案内してやるよ。なあ?」
連中の一人がそうゲラゲラ笑いつつ、仲間たちに同意を求めれば一斉に応えてくる。
「ああ、勿論だぜ」
「そりゃもう夢みたいなところだからさあ」
「あんた、お上りさんって奴だろう? 遠慮すんなって」
何気に航の周りを取り囲み、逃げられないように仕向けてきた。
ふうん、これがいつもの手なのか。
これだけの体格もよく、厳つい連中に囲まれれば大概のものは断れまい。
「それじゃあ、お願いします……」
航はそう答え、彼らの為すがままに連れて行かれる。
少し経てば人の行き交いが少ない方角へと向かっていた。
―妖紅、これから恐らく奴らの根城に恐らく向かうよ―
念のため、思念を送っておく。
彼女がきちんと付いてきているのは分かっているが、何しろ初めてのバディとしての任務だから慎重になっても無理もない。
―言わずとも分かる―
直ぐさま素っ気ない返事が返ってきた。
意思疎通も問題なしか。
それはいいことだ。
此処から先は信頼がものを言う。
心からの信頼かと問われれば違うが、現時点では満点だ。
航の言ったとおりに殺気は隠しているし、連中には気取れてはいない。
暫く行くとどう見ても営業していない店があり、彼らはそこを指差した。
「あそこだ、楽しいことしようぜえ」
男の一人がそう言い、下卑た笑いを浮かべた。
これからのことで興奮しているのだろう、涎すら垂らしている奴がいる。
決して自分たちの優位が崩れないと思っているからだ。
要するに喰らうだけでなく甚振るのも好きなのだろう。
舐めてくれるだけ仕事は楽だな。
そう航は思う。
一見、航は細身であり、優男に見られる。
少し厚めの上着を着ていれば尚のこと。
それを狙っている服装ではあるのだが、こうも見事に填まってくれると笑いが込み上げそうになる。
「何、震えてやがる?」
笑いを堪えている様子が彼らには震えて見えたらしい。
「いえ、別に」
周囲には目を付けた連中は全ていた。
つまり逃しはしていない。
僥倖だ。
これで相棒の実力を見られるのも悪くない。
全く獲物にあちこち目移りしなかっただけは褒めてやろうかな。
「それで何をするんです?」
分かり切った問いを敢えて航は言い、相手の反応を見た。
「こっからが本番だ。お前も楽しめばいいぜ!」
ニヤリと笑い、航の腕を引っ張ろうとその手を伸ばしてきた。
彼らが本性を現す時が来たのだ。
誰もが獲物を手に入れ、ご馳走を味わえると大層ご機嫌であったから、誰も気が付かなかった、一瞬にしてその場の雰囲気が変わっていたことを。
「さっさと店に……」
男のその手は航の腕を掴めることはなかった。
何故ならばあるはずの手は空を飛び、彼の体から離れてしまっていたからだ。
ぽたんとものが落ちる音がし、男が見遣ればそれは明らかに彼の手そのものだった。
「そうだね、確かに本番だ」
呆然としている男を余所にその言葉と同時に航は標的に向かい、その喉笛を狙う。
弱点はまだ何処かは判断出来ないが、それでもダメージは与えられることを知っていた。
だが、間一髪で男はそれを避ける。
「て、テメエ!!」
相手の行動を読み、その先を行くのはそう難しいことではなかった。
特に単純なパターンで動く奴らならば尚のこと。
先ずは先制成功だ。
あんな小さな店の中では動きが制限されてしまう、やるならば今だ。
それに外の方が僕にも都合がいい。
ああ、月が出ている――成る程、まだ新月か。
見上げれば空に月がいた。
まだ細い月だが、それでも世界を照らしている。
それも航にとっては有り難い。
すっと上着を脱ぎ、彼らに向かって嘲笑った。
彼の爪は鮮血で染まっていたが、見るから鋭く、長くなっており、男を攻撃したのは間違いなくこれを使ったものだろう。
「少し遊ぼうか?」
ふわりと彼の髪の毛が揺れ動き、その様子から一変していた。
先ほどまでが見ていたはずの獲物はもうそこにはもいない。
「まあ、強制的になるけど構わないよね」
勝手に話を進めていく航に戸惑いながらも牙を剥くことを止めようとしない。
「何だ、コイツ?」
「ふ、巫山戯てやがる! 俺の手を、俺の手を!!」
急変した事態に対応出来ず焦っているのだろう。
獲物と思っていたものに反撃されたのだから然も有りなん。
うん、腐っても妖魔だね。
手を切り落としたくらいじゃあ、やっぱりめげないな。
「さて、本来の姿に戻られても面倒だから行くよ」
妖魔たちは今仮初めの姿だ、当然本来の姿がある。
ただ或る意味では強引に自分の体を変化させているのでそう簡単に戻れるわけではない。
特に今、航が相手している連中は明らかに格下であるから尚更だ。
だから今もしも奴らが妖魔に戻ったとしても恐らくそこまで困らないだろう。
そもそも聞いている騒動の数を思えばこいつらでは物足りない。
妖紅から見せて貰った資料には幾人もの被害者たちの報告があった。
偶々この街に来ただけの行きずりの人たちが殆どだ。
当たり前だが、彼らの行方は誰も知らない。
依頼としては最後に消えた少女の親からの捜索依頼とはなっていた。
……骨も残ってないんだろうな。
妖魔は獲物に関して何も残さないことが殆どだ。
余すことなく戴く、全てを力にする、それが奴らのやり方だ。
それだけ妖魔にとっては人間というものはご馳走なのだろう。
腹の立つことだ。
奪われる悲しさはいつだって切ない……
だから一切容赦はしない!
そう決めている。
「てめえ! 巫山戯んな!!」
「何者だぁ?!」
男たちは焦りながらも臨戦態勢を整えていく。
それぞれ人間形態で使える能力を出してきていた。
「俺たちを敵に回したことを後悔させてやる!」
巨大な拳を振り回し、威嚇のように振り上げる。
「ズタズタに引き裂いてやる!!」
片手を無くした男も激昂して叫んで、航を睨んだ。
先ほどまでより目つきがおかしい、恐らくは本来の妖魔に戻りつつあるのだろう。
体が歪んでいた。
どうやらリスクを考えての相手ではないことを悟ったのだろう。
「ハイハイ、お好きに。出来るならね」
航が構えた時、彼の背後から静かな声が響いた。
「囀るものだな、なかなかに」
振り返れば妖紅が立っていた。
「妖紅」
「あまり時間をかけたくない」
「それは同感」
だから一斉に叩こうと言っている。
それに反対する意味は無い。
「誰だ、お前!」
「――お前、妖魔じゃねえか!」
男たちの一人がそう叫んだ。
妖紅の特徴に気が付いたのだろう。
「ふうん、そんな判断は付くんだね」
「そのようだ」
「てめえラ、生かして帰カエサナイカラナな!!」
そんな会話でもない会話を続けていく間にも男たちは異形となっていく。
恐らく航と妖紅の危険性を本能で感じているのだ。
だから彼らの意識しない変化を生み出していた。
「解除か。そんなものをするくらい小物か」
彼女の手から紅の刀が現れる。
揺らめく炎の輝きを持つそれは妖紅自身のようにも見えた。
「私から逃れられるとは思うなよ」
感情の薄い声で妖紅は言い、刀を構える。
それだけで殺気が漲り、辺りを震わした。
なかなかの闘気だね。
流石は妖貴。
航はそう思いながら、自身も戦闘態勢を構えた。
「まあ、これまで散々喰い散らかしてきたんだ。年貢の納め時って人間の言葉では言うけど、当にそれさ」
それを合図にと言わんばかりに二人は一緒に地を蹴っていく。
航は己が爪を目前の敵どもに食らわせて喉笛を切り裂き、次いでそいつらの心臓を狙い撃ちする。
尤も相手が妖魔だけに心臓が一つとは限らないし、そもそもそれが弱点かも分からない。
その辺が厄介だが、それでも臭うから分かる。
航は巧みに嗅ぎ分けては妖魔たちの弱点を見抜いていく。
それは妖紅も同じらしくちらりと見れば鮮やかに炎が舞い、妖魔たちを屠る様は美しい。
それは弧を描き、空を飛ぶ。
いとも簡単に、そして鋭さは鮮やかすぎるほどに間違いなく相手を貫く。
航も自分の為すことを為していき、やがてそこには妖魔たちの屍が転がっていた。
後始末は組織が勝手にやるだろう。
だから航は何もしない。
「片付いた」
そう妖紅は呟く。
「そうだね」
航としてはそう答えるほかない。
「まあ、歯ごたえはないね」
ため息交じりに航は言う。
「あちらにまだいる」
妖紅が指し示したのは妖魔たちが航を連れ込もうとした店だ。
「成る程、これが全員ではないってことか」
「かなり弱い」
「ふうん、目的はいないのかな。それなら」
航はニヤリと笑って妖紅に言った。
「餌に使える」
「餌?」
「まあ、見てて」
航はそのまま店に向かい、妖紅もよく分からないながらも後に続くのだった。