1巻14P_役にしたがう時、礼なし、1巻15P_『三議一統』の事
○役にしたがう時、礼なし
「役にしたがう時は礼なし」という。
たとえば、饗応の場で酌係をするときに銚子を持ったり、食膳にお供して給仕したりすることを役にしたがうという。
役にしたがっている最中には、貴人の前を通ったり、行き逢ったりするとしても、礼をする必要はない。
ただし、膳を持ってきて置いて帰るときや、手が空いたときは蹲踞の礼をして通る。
○『三議一統』の事
鹿苑院の足利義満将軍の時代に、小笠原兵庫助長秀・今川左京太夫氏頼・伊勢武蔵守満忠(或いは憲忠ともある)の3人に義満公が命じて天下の礼法の書を選定させた。そしてその書を『当家弓法集三議一統大双紙』と名付けたという由来については、『三議一統』という書によって世間でよく知られている。
しかしこの由来は虚偽である。
先述の氏頼、満忠(憲忠)という名は、その家系図に記載がない。ただし、長秀だけは小笠原家の系図に記載がある。
つまり長秀が独りで自分の覚書として書いた書物に、後世の人が序文を加筆して三家が選定したという由来を創作し、『三議一統』という書名に付け替えたのである。
これの本来の書名は『当家弓法集』である。この書の内容は将軍の命によって書いたものとは思えないものである。
義満公の時代に選定された礼法の書は、応仁の乱で紛失された旨、『道照愚草』に書いてある。また、『南朝記伝』という書には、義持将軍の時代であった応永3年に、小笠原長秀・今川範忠・伊勢貞行に武家の礼式を選定させたと書いてある。
しかし今川、伊勢の家系図にはそのことは書かれておらず、小笠原家の家系図ではこれら3人の名前も時代も相違がある。
したがって、これら三家の者が礼式を選定したという話は信用し難いものである。
なお、このことについては別途、『三議一統弁』という書に詳しく書いておく。
○役にしたがう時、礼なし
礼をしない、という礼です。
現代でも仕事をしていて作業中に偉い人が通り過ぎても挨拶くらいはしますが、いちいち手を止めてお辞儀をするようなことはしません……よね? やってるところは却って礼儀知らずの誹りを受けるかもしれません。
○『三議一統』の事
ウチ(伊勢家)は関係ないよ! という熱弁です。ただし、由来を書いた部分が虚偽なのであって、中身自体は小笠原家の覚書として有用な書物であるとしています(4巻P247_三議一統の事を参照)。




