1巻3P_天下の礼法の事、1巻3P_伊勢流の事、1巻4P_礼節の事
○天下の礼法の事
天下の礼法は、上古においては天子が定めていたもので、人々はその礼法を守ってきた。
しかし、鎌倉幕府を開いた源頼朝の時代から武家の勢力が強くなり、公家の礼法と武家の礼法と2つに分かれるようになった。
そして室町幕府の足利義満の時代になり、更に武家の勢力が強くなり、公家以外の、武家でもない人々もことごとく武家の礼法を守るようになった。
我が先祖である伊勢守は、代々室町幕府の足利将軍家の政所職(家政を取り仕切る職)に就いていて、御所奉行(家中の式典・雑事などを取り仕切る職)を兼務したため、足利将軍家の礼儀作法はこの伊勢守が取り仕切った。
そのため、将軍家の礼法の記録は数多伝承されたものの、応仁の乱にその多くが焼失してしまった。
しかしながら、応仁の乱以後の書物は我が家に伝えられていることから、足利将軍家の礼法の家として知られて、「伊勢流」と呼ばれるようになった。
○伊勢流の事
我が家に伝わる礼法・故実の教えは足利将軍家の家中のものであったことから、この流儀を名付けるならば本来は足利流というべきものであるが、世間ではそのようにいわず伊勢流と呼んでいる。
○礼節の事
礼節とは、貴い身分の人を謹んで敬い、卑賎な身分の人を軽視せず、同等の身分の人を立てて自分は謙ることをいう。
敬うべきではない人を敬うのは、へつらいである。
軽視すべきではない人を軽視するのは、驕りである。
へつらいも驕りもなく、自分の身分をわきまえて、やりすぎることも足りないこともなく、丁度良い程度のことを「節」という(「節」の字を「ほどよし」と訓む。丁度良い程度のことをいう)。
○天下の礼法の事
次項の伊勢流の由来を説明した内容です。
家の礼法というのはその家の家主や直系が伝えていると思いがちですが,実際には役所のように(というか「役所」の根源みたいなものですが)その長でなく専門の家臣が礼を執り仕切っており、その家が伊勢貞丈の先祖の家だったということです。
ただし、弓馬の礼は小笠原家が伝えているなど、全ての礼法でなくあくまで所管していた礼の範囲内を伝えているものです。といっても貞丈は家伝以外のことにも興味を持って詳細に調べ上げ、その研究は第一級の資料として今に伝わっています。
○伊勢流の事
伊勢家の流儀でなく足利家の流儀ですよ、という内容です。おそらく伊勢家としての流儀は別にあるのでしょう。
○礼節の事
当然のことを言っているようですが、言うは易し行うは難しの典型例です。
「上手くやっといて」とか「良い具合にしといて」とか言われてそのとおりに丁度良く実行できる人間は重宝されますね。