会話
僕は深呼吸をして気持ちを落ち着けてから席を立つ。
そして彼女の方に近づいていく。
ストレートに向かうのは憚られたのと、彼女をあまり警戒させたくない思いから目線をできるだけ外してゆっくりと歩みを進める。
しかしその思惑とは逆に、こちらの動きに気づいた彼女の顔は強張っているように見えた。
その表情に若干の焦りを感じながらも止まることなく歩みを進め、ついに彼女の前に立った。
目を見開き、硬直してこちらを見上げる彼女に対し、僕は意を決して言葉をかけた。
「あの~。よ、良かったらでいいんですけど、一緒にペア組みませんか?べ、別に嫌なら全然断ってもらっても大丈夫なんですが…」
しまった、少しどもってしまった。ぼっちは基本会話することがないので、声帯が衰えて声の出し方を忘れることがある。そのため急に会話することはできないのだ。
発声練習でもしとくんだったと後悔しながら彼女を見ると、
「……」
突然のことで驚いたのか、目を丸くしてぽかんとしていた。
それから一拍置いてようやく意味を理解したらしく、
「あっ、はい!ぜ、是非お願いします!!」
彼女はそう言って、まるで別人になったかのように顔をぱっと明るくし、口元に可愛らしい笑みを浮かべた。
明らかに声も弾んだ様子である。
そしていそいそと鞄を持って僕の隣の席に移動し、早く来てと言わんばかりの表情でこっちを見た。
どうやら誘われたのが相当嬉しかったらしい。
その変わりように少しびっくりしたが、飴を貰った子供のような彼女の表情を見てひとまず安心した。
僕のことは受け入れてくれたようだ。
こちらも応えるように笑顔で返して席に戻り、僕たちは作業を開始した。
「あっあの、お名前を教えてくれませんか?」
「ああ、はい。皐月誠です。五月を表す皐月に誠実の誠と書いて「さつきまこと」です」
「皐月さんですか、素敵な名前ですね」
「ありがとうございます……」
「い、いえ、こちらこそ……」
――会話終了。もう何回目の質問になるだろう。
そろそろしんどくなってきた。
ペアを組んでから5分後。
僕たちの間には地獄の空気が漂っていた。
会話を始めた最初の方は順調だったのだ。
僕も彼女も積極的に話し合い、意見交換をして考えをまとめていった。
彼女はかなり優秀で、僕の出した案を次々ブラッシュアップして提案してくれた。
そのおかげで議論はスムーズに進み、皆の前で発表できるレベルの結論を他のグループより早く出すことができた。
しかし、問題はその後だった。
お互いの目的を完遂した瞬間、話す事がなくなった僕たちの間には次第によくない空気が流れ始めた。
先ほどの明るい空気から一転し、そのまま流れるようにお通夜モードへの突入。
そして、人が人なら退席するという選択を取りかねないまでに気まずい空間が誕生した。
僕は多少の気まずさになら免疫があるタイプだったので、このままでも大丈夫だったのだが――
「あっ、授業はよく一人で受けられるんですか?」
「えっ?」
「あっ、すみません、失礼でしたよね。違うんです、ええと、そうだ!さっき下の名前が誠って言いましたけど由来とかあるんですか?」
「あ~どうだったかな…すみません。聞いたことはあると思うんですけど忘れちゃいました」
「いえ、そうですか…」
彼女はモロにダメージをくらっていた。その雰囲気の落差に耐えられなかったらしく、さっきから僕への質問が止まらない。
会話を続けることで気まずさを回避しようとしているのだろうが、お世辞にも質問が上手いとは言えず、僕も会話を広げることが苦手なのでこのような一問一答の面接になっていた。
彼女は顔を真っ赤にして汗をかいている。
焦りと頑張りはひしひしと伝わってくるのだが、それがかえって気まずさを加速させていることに本人は気づいていないようだった。
いっそのこと無視でもして強制的に黙らせようとも思ったのだが、さすがに可哀想なのと、このままでは僕も深手を食らいかねないので、仕方なく僕からも話題という助け舟を出す方針に切り替えることにした。
「あのさ、ため口でいいよ。同級生なんだし。もっと気楽に話そうよ」
「えっ、あっ、そうですね。じゃなくて、そうだね。」
「うん。てゆうかそっちの名前聞いてなかったね。なんていう名前なの?」
「あっ花園華音っていいます。花の園に華麗な音って書いて「はなぞのかのん」です」
「へぇ~すっごく綺麗な名前だね。なんかピアノやってそうな感じ。それにしてもびっくりしたよ。気づいたらずっとこっちを見てるんだから」
「す、すみませんでした。そこは私も反省しています。普通知らない人に見られていたら怖いですよね」
「いや全然だよ。確かに最初は変な人かと思ったけど、こうして話してみたら良い人そうだって分かったし」
「ほ、本当ですか!?そんなこと初めて言われました。とっても嬉しいです!ちなみにどんな所が良いと思ったか聞いてもいいですか?」
「えっ!?んーとね…あのー…なんか話しやすくて良いと思ったよ?なんというかすごく柔和な感じでさ…」
「……あの皐月さん、あまり気を遣っていただかなくても大丈夫ですよ?実は自分にいい所が無いのは自覚してますから…。だから頑張っても友達が全然できないんだと思いますし。こんなに会話が下手な人誰も興味持ってくれないですよね…」
「……」
あかん、やってもうた。相手をフォローするためとはいえ、褒めが適当すぎた。
まさかこの手の会話で具体的に良い所を聞いてくる人がいたなんて。
普通こういうのはお世辞と分かりつつありがたく受け取るものではないのか。
くっそ、人と会話をしてこなかった弊害がこんなところで出てしまうとは。
分かりやすく元気をなくして陰のオーラを撒き始める彼女。
これは非常にまずい、早く何か慰めになる言葉をかけなければ。
突然のアクシデントに動揺した僕は、何かないかと頭をフル回転させた結果。
「まあほら、今魅力なくてもさ、いつか誰かが良い所を見つけてくれるよ。絶対。それまで諦めずに頑張ろう!」
「……」
うん、もう黙った方がいいか。
陰のオーラをさらに濃くしてついには俯いてしまう彼女。
その顔は泣く一歩手前まできているかのように見えた。
どうやら僕はトドメの一撃を食らわせてしまったらしい。
さらに――
「はい、そろそろ皆考えれたかな。じゃあそこのグループから順次発表していって~」
ちょうどグループワークが終了し、最悪なタイミングで会話は打ち切られてしまった。