王子の秘密の恋人の私が公爵令嬢に呼び出されたんだけど、なんだかちょっと様子がおかしい
「シンシア様。私が何を話すつもりなのか。おわかりですわよね?」
「……なんのことでしょう」
首を傾げた拍子に私の灰色の髪が揺れて視界に映る。
放課後の貴族学校の中庭、そこにある東屋で私は公爵令嬢と取り巻き一号二号に詰め寄られていた。ここはこの公爵令嬢アイシャ様の縄張りと知られているので、めったに人は近寄ってこない。詰んでいる。
しかし、さすがは公爵令嬢というべきか。今にも掴みかかってきそうな取り巻きとは違い、冷静な様子で私に語りかけてきていた。
「ディーン殿下のことです。あなたが殿下の恋人なのですね?」
「まさか。そんな恐れ多いこと……」
わざとらしく驚いた顔をしてみせるけれど、正直いうとその恐れ多いことを私はしている。私はこの国の王太子の秘密の恋人ってやつなのである。
きっかけはうちのセント男爵家が治める領地に王太子……ディーンがお忍びで旅行に来ていたこと。
でも、私は彼が王子だと知っていて近づいたわけでも、ましてや恋人になったわけでもない。一般人に紛れるため彼は服装も庶民のものにしていたし、私も王都から離れた領地からほとんど出たことがなかったから王子の顔を知らなくて、貴族学校に入って彼と同級生になるまでディーンの正体に気づかなかった。
そんなディーンだけど、婚約者がいない。
私と結婚するためにのらりくらりと迫りくる縁談を躱し、身分違いの結婚を実現させようと奔走しているためにいまだ婚約者の席が空席になっているのだ。しかし、そうなるとその空席に座りたがる方がいる。
それがこの方、ウインター公爵家のアイシャ様。金髪碧眼の女神のように美しいお方で、ファンも大勢いる。アイシャ様もいまだ婚約者がおらず、彼女が王太子の婚約者になるのではないかとよく噂されていた。
けど、だからこそ目をつけられないように校内でディーンとの接触は避けていたはずなのに、どこで気づかれたんだろう。
「隠さなくてけっこう」
すっとぼける私を前に、アイシャ様はぴしゃりと言い放つ。
「殿下に自白魔法をかけましたから、裏は取れています」
「じっ……!?ちょっと恐れ多すぎませんか!?」
「事故です。自白魔法を練習していたら、通りかかった殿下にうっかり当たってしまっただけのこと」
じ、事故かなあ!?
公爵令嬢が自白魔法を練習するとは思えないんだけど……。優しいディーンのことだから、『怪我してないから大丈夫だよ』とか言ってむしろ魔法を失敗した相手の方を心配していそうだけど、こんなの下手したら処刑物の所業だ。このお嬢様覚悟決まりすぎでしょ……。
え、なに?私今からこの人とトークバトル、もしくは殴り合いしなきゃいけないってこと……?怖すぎるんだが。
恐怖で慄く私に、
「あなたもわかっていますわよね」
アイシャ様は涼しい顔で言う。それだけの重罪をやっといて平静を保つこの人が本当に怖い。正直戦いたくない。
「あなたと殿下では身分が違いすぎます。男爵家では王家に家柄が釣り合いません」
しかし、女には引けない時がある!
私は声を震わせながら必死に反論した。
「ディ、ディーンのひいお祖母様は私と同じ男爵家出身だったと聞いています。それなら私だって……」
「あのお方のご実家は男爵家といえども、いくつもの事業を成功させていて超がつくほどのお金持ちでしたのよ。その頃の国家は財政難でしたから、莫大な持参金目当てに結婚が許されたのです。あなたのお家の領地なんて、自然豊かで領民の人柄も温かい素敵な場所ではあるけれど、それに敵うものを用意できるわけではないでしょう?」
この人、うちに来たことがあるのか……?このウルトラお嬢様が?しかもけっこう高評価つけてて?ちょっとにわかには信じられない。
自分の生まれ育った場所をこういうのもなんだけど、ど田舎だし流行の物を売ってる店なんて皆無。高位貴族のお嬢様が好みそうなものは何にもない。
いやでも、公爵は財務大臣をやってたはずだし、その関係の視察にアイシャ様もくっついてきたとか、もしかしたら父親に話を聞いただけとかそんなのかもしれない。
私が思考を飛ばしていてもアイシャ様はお話を続けている。
「あなたは金鉱を手土産に嫁げる?あなたが手土産に出来るのなんて、けいぜい名産品の揚げ饅頭くらいですわよ。私はあれ、外はカリカリ中はもっちり甘さ控えめでいくらでも食べられるくらい好きですけど、わかりやすい金銀財宝じゃないと国の上層部の意見は変えられなくってよ」
「アイシャ様、やっぱりうちに来たことありますよね!?」
「その話は今はいいの」
本当に何しに来てたんだろう。まさか揚げ饅頭を食べに来てたんじゃあるまいし。
大事な話をしているしここが勝負所なのにどうしても脱線してしまいそうになったところを、
「おだまり!今はその話は関係ないでしょう。アイシャ様が大事なお話をなさっているのよ!」
一号に叱られてしまった。本当にこの取り巻きたち怖いんですけど……。
でも、正論ではあるのでなにも言えない。
「だからね、私あなたに提案がございますの」
アイシャ様はぐっと押し黙った私を無言で数秒見つめると、にっこりと美しく笑った。
きっと別れたほうがいいという話だろう。手切れ金はこちらで用意するとかそんな事を言いそうだ。
確かに彼女は美人だ。王家に釣り合う身分があるし、私と彼女のどちらが王妃に相応しいか尋ねたら、たいていの人はアイシャ様を選ぶんだろう。
でも、ディーンの恋人は私だ。身を引けと言われても簡単に諦められるわけがなかった。
「い、いやです。私、ディーンと別れたくな……」
「あなた、うちの養女になって王家に嫁ぎなさいな」
「……は?」
私の言葉を遮って聞こえてきた言葉に思わず目を丸くしてしまった。しかも聞き間違いかと固まっていると、
「シンシア様の方がお誕生日が後だから、私の方がお姉様ね」
なんて、後押しのような言葉が聞こえてきた。本当にわけがわからない。
「あの、アイシャ様?」
「どうかなさって?」
「どうして、私を養女にしようなんておっしゃるんです?」
「どうしてって。そんなの、あなたをうちの人間にして王家に嫁がせればゆくゆくは王妃はセント公爵家の人間ということになってうちが王宮で大きい顔ができるし、殿下にも恩が売れるじゃない。お父様だって大賛成していらしたわ」
「そうじゃなくて。そもそもアイシャ様が王妃になれば公爵家の力は強くなるし、ディーンに恩を売らずとも実権は握れたのではありませんか?」
「私、別に殿下と結婚したくないもの。一人っ子だから婿を取らないといけないし」
どうだか。公爵家は婿を取ってアイシャ様が継がずとも、それこそ養子を取ればいい。
貴族は本音と建前を使い分けるものだ。何か裏があるのかも。
それに、我が男爵家にはとある家訓がある。それは『タダより怖いものはない』だ。詐欺師に騙されたご先祖様が残した家訓らしいが、今がその時かもしれない。
「アイシャ様、いったい何が狙いなんですか?」
アイシャ様はきょとんとした顔をして、それから指をもじもじと動かして。今までの落ち着きが嘘のようにそわそわとし始める。
「ね、狙い。そうね。狙いというか、お願いがあって……」
「お願い?」
「あなたのお兄様を紹介してほしいの!」
「……ちなみに、私には二人兄がおりますが。もし、長兄となりますとすでに身を固めていますので……」
「違うの。ジェラルド様、ジェラルド様ですわ!」
興奮状態で身を乗り出すアイシャ様をどうどうと押さえながら、私はどうしたもんかなと頭をフル回転させていた。ジェラルド、……次兄をアイシャ様に紹介するにはなんとも悩ましい問題があるからだ。
長兄を成約済みとするなら、次兄のジェラルドは事故物件。彼は十年前に王都で出会った初恋の女の子を今でも探している。そのために軍に入隊し、非番の時は初恋の相手と出会ったという王都をずっと練り歩いているくらいだ。
一途と言えば聞こえはいいがその姿はもはや執着が服を着て歩いているようにしか見えず、もし初恋の相手に心に決めた人がいた場合は私達身内がこの身を盾にしてでも次兄を止めると家族会議で決まっている。
まあつまり、アイシャ様が入る隙間はないということ。
もし、公爵令嬢でいつも侍女や執事などたくさんの人間に囲まれているはずのアイシャ様が王都を一人歩きして道に迷い、怪我をした猫を抱えて途方に暮れたりしていない限り、彼女に勝機はない。
「どこで兄と出会ったんですか?」
次兄のクレイジーぶりを伝えるべきか。ディーンと結婚するために黙って紹介するべきか。決めあぐねて、私はとりあえずどこで次兄を見初めたのか聞いてみることにした。たぶん、軍の演習だろう。あそこには見学に来る令嬢が大勢いる。
「昔、屋敷を抜け出して街を歩いていた時に助けていただいたの。とってもかっこよくて、今でも忘れられないわ……」
ほう……と絵になる顔でため息を落とすアイシャ様。ちょっと待って。なんか奇跡が起こりそうな気がする。
「その時、アイシャ様って怪我をした猫を拾われました?白くて毛の長い猫」
「シャルロットのことね。あの子はうちで今も元気に暮らしているわ」
「昔って、十年くらい前だったりします?」
「ええ。七歳の誕生日のすぐ後だったからそうだわ」
「その時のアイシャ様、大きな青いリボンの髪飾りをつけていらっしゃいました?」
「そうよ。お父様が視察で行った先のお土産で買ってきてくださって、あの頃はいつもつけていたの。……でもすごい、よくわかるのね。もしかして、ジェラルド様から聞いていたのかしら」
「ええ。耳にタコができるほど。でも、……その、家に話を持ちかけて結婚しようと思わなかったんですか?それならほぼ確実に話はまとまったでしょうに」
「政略結婚なんていやよ。ジェラルド様が私がいいって言ってくれなきゃ。けれど、全然お会い出来なくて……」
ああだから、アイシャ様はうちの領地にも足を運んできていたのか。でも、兄は休みがあれば王都に行っていたからすれ違って……。なるほど。
「………お姉様、どうかこれからどうぞよろしくお願いします」
私の言葉にきゃっと可愛らしい声を上げて頬を染めるアイシャ様。途端にその両脇に座っていた取り巻きが立ち上がる。
「アイシャ様と義理とはいえ家族になれるからって調子に乗らないでよね!」
「そうよそうよ!アイシャ様と一番仲良しのお友達は私たちなんですから!」
「まあ、あなたたちったらダメよ」
アイシャ様は取り巻きの言葉を諌めながらも嬉しそうにしている。
なんとなくわかってたけど、取り巻きたちは私と王太子の仲にじゃなくて私とアイシャ様の関係性に嫉妬してたようだ。でも、たぶんそれは次兄に言った方がいい。
そんな私の予想通り、公爵家に婿入りした次兄はアイシャ様を溺愛し、末永く仲良く暮らしたそうだ。
……私?
私は王家に嫁いだわ。シンシア・ウインターとしてね。