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第32話:ようこそ、私の主戦場へ

 ルミナスがアリシアの待つ応接室に足を踏み入れると、ひんやりとした静寂が迎えた。


 窓辺から射し込む淡い月光が薄闇を照らし、部屋全体に仄かな青い輝きを落としている。その光の中にぽつんと座るアリシアの姿が、いつもとはまるで違って見えた。


 彼女は無理に冷静を装い、背筋を伸ばしているものの、その指先は微かに震え、ぎゅっと握りしめられている。ルミナスの気配に気づいても、すぐには視線を上げようとせず、ただ何かに思い悩むように俯いたままだった。


(……あのアリシアがこんなにも落ち込んでいるなんて)


 ルミナスは静かに歩み寄り、目の前のアリシアに言葉をかけずに立った。アリシアの瞳には、ふとした瞬間に見せる小さな憂いと、決して消えぬ強い意志の火が同時に宿っている。しかしその奥には、彼女の内側で何かが激しく揺れ動いていることが、ルミナスにはすぐに分かった。


(不安、怒り、葛藤を隠せないでいる……これは、相当の問題を抱えているわね)


 アリシアがゆっくりと立ち上がり、ルミナスと視線を交わす。だが、その瞳には、いつもの凛とした力強さはなく、むしろ迷いと諦めに満ちていた。ルミナスは心の奥で密かに息を呑んだ。


 やがて、アリシアはベルトラムから告げられた内容を全て話し、ルミナスにどうすべきか尋ねた。


 その声には、彼女らしからぬ悔しさが滲んでいた。


「私の気持ちなんて無視されて……こんな理不尽な縁談が『戦わずして勝つ』ということなのだろうか?」


 アリシアの声がかすかに震える。


「やはり、貴族の縁談とは政治政略の延長でしかないのかな……」


 ルミナスは一瞬目を伏せ、そして穏やかに答えた。


「これは、意図的に視野を狭め、逃げ場を無くす『最悪の二者択一』という心理的な罠です」


「どういう意味だ?」アリシアは顔を上げた。


「心理戦でよく使う手法です。一方の選択肢を極端に困難に見せかけて、もう一方が『よりマシ』だと思い込ませる。これで、相手は少ない選択肢の中で“自分で決めた”と納得しやすくなるのです」


 アリシアはその説明を聞き、驚愕に目を見開いた。

確かに今の自分は視野を狭め、自分の意思を巧妙に絡め取られていた。

 そう、ベルトラムの弟以外を選ぶ、他の選択肢を。


「なるほど……私の意志を奪うための策だったのか」


「ええ、まさにその通りです」


 ルミナスの冷静な分析を聞き、アリシアの目には再び力が戻りつつあった。


「……なあルミナス、この策に抗う道はあるのか?」


 アリシアはふと弱気な表情を見せたが、ルミナスの顔を見て少しずつ希望を取り戻しているようだった。


 するとルミナスは、アリシアの肩に優しく手を置き、微笑んで応えた。


「アリシア様。もしあなたが、本当に幸せになれる『縁談』を望むなら、私が絶対に『成婚』へ導いてみせます」


「私の、本当の……幸せ?」アリシアの瞳が揺らぐ。


 どこか諦めていた言葉に、思わず戸惑いが混じる。


 ルミナスはさらにその肩に力を込め、しっかりと語りかけた。


「それだけではありません。王国と帝国、双方の面子を保ちながら、あのクソ……失礼、ベルトラム議長の思惑だけを打破してみせましょう」


 アリシアはルミナスの言葉を聞き、胸の奥に何かが灯るのを感じた。気づけばその瞳にはかすかな光が宿っている。


「そんなこと……本当にできるのか?」


 アリシアは不安と希望が入り混じる気持ちを、精一杯抑え込んだ。


「いや……ルミナスならば、ありえるかもしれない」


 ルミナスは自信を浮かべて軽く頷いた。


「もちろんです。ぜひ、正式な会員として『本当の縁談』のサポートをさせてください」


 アリシアは、心から信頼を寄せるようにルミナスを真っ直ぐに見つめ、深く頭を下げた。


「……頼む!私がどんな幸せを望んでいるのか、まだ分からないが……あなたを信じて、全てを任せたい!」


 ルミナスは優しく微笑んで彼女の手を取り、温かい視線を注ぎ込む。そして、決意のこもった声で言った。


「お任せください。それでは、まずはアレクセイ侯爵と再びお会いし、彼の真意を確かめることが肝要です」


「なぜ……わざわざあの帝国貴族と会う必要があるのか?」


 アリシアは少し不安そうに聞き返した。


 ルミナスは自信に満ちた微笑みを見せる。


「すべては、この戦いの盤面を攻略するために必要だからです」


 その例えにアリシアは驚いたが、やがてしっかりと頷いた。


「分かった、私はあなたを信じる」


 ルミナスも力強く頷き返し、静かに言った。


「それにしても……今回の『婚活』は、やりがいがありますわね」


(ベルトラム……この私の主戦場(婚活)にのこのこやって来た愚かさを、泣くほど後悔させてあげるわ)


 彼女の自信に満ちた目を見て、アリシアもまた、全てを託す覚悟を新たにした。

 

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