空を舞う光景
エピソード5
「いやもう、今朝は最悪だったんですよー。」
この日はさすがにお酒は控えようと思ってはいたのだが、結局マスターの料理が食べたくなって、夜にはお店にやってきてしまっていた。
「仕事だって、やればやるほど新しいのが追加されて、そりゃもう大変で。」
「アンユッチも、ちゃんと社畜スねー!!」
なぜお前は、また隣に座っているのだ?あと「アンユッチ」ってなんだ。
「いや、ウサギはキャッチ行きなよ。」
「ようやくできた常連さんを、『おもてなし』するのも大事な仕事じゃないスかー。ネっ?マスター。」
「うちのウサギがすみません。こちら筑前煮でございます。」
マスター、ウサギに甘すぎん?
こうして、この夜も美味しい料理に舌鼓を打っていた。
「あ、そろそろアレください。「花のおひたし」。」
「うぃ!『おひたし』入りまーす!」
ウサギは私が注文をするたび席を外しては、店の雰囲気をぶち壊すようなコールをしていた。
「そういえばマスター。この花って何て名前なんですか?データベースに乗ってなかったんですよね。」
「そうなんですか?この植物はつい先日発見されたばかりなので、まだ申請されていなかったのかもしれませんね。」
そんな話をしているうちに、ウサギが小鉢を二つ持って帰ってきた。
ひとつは私の前に出したが、もう一つは自分のところに置く。
そして、そのまま席に着き、ちっこい手で器用に箸を使っては、おひたしを口に運んでいった。
いや、お前も食うんかい。
「この花は『サクラ』と呼ばれています。」
「サクラ?……なんだか不思議な響きの名前ですね。」
私も、「サクラ」を口にする。
うん。やっぱり、すごく美味しい。
「あぁ、でもやっぱりこれ食べるとお酒が欲しくなるなー。」
「スよねー!どうしましょ?いっちゃいまスか?」
「うーん、どうしようかなー。」
味付けによるものもあるのだろうが、特にこのめしべ部分のほろ苦さがビールとよく合っているように思った。
「これ食べながら、酒ナシはありえないスよ。つか自分も飲みたいんで良いスか?」
いや、お前は飲むな。
「えー、じゃあ一杯だけもらおうかなー。ビールでお願い。」
こうして、ウサギの巧みな(?)話術に負けて、私はお酒を頼んでしまった。
ウサギは相変わらず仕事だけは早く、すぐにグラスを持ってきた。
「お待たせっしたー!それじゃあ、あらためてアンユッチの社畜人生に――。」
当然のように、ウサギは自分のビールも注いできたようで。
「――かんぱーい!!」
軽くグラスを合わせると、静かな店内にチンという音が響いて。
なんだかんだ楽しい気分のまま、私はお酒をあおるのだった。
ここで、私の意識はぷっつりと途絶えた。
お腹がカユい……。
私はこの感覚を、知っている。
この痒みは、やがて私の全身に広がり、そうして私は目が覚める……。
これは、そういう夢だったはず。
やはり痒みが食道を上る。
だから、この後口の中まで到達し、そして表面に来るはずと、心構えを済ませる。
目が覚めるまで、ただただじっと耐えようと覚悟をすると……。
「はくしょんっ!!」
予想に反し、くしゃみがでた。
しかし私が驚いたのは、前に見た夢と違う展開だった事ではなく。
……なんなの、これ。
自分の口から吐き出された、おびただしい数のサクラが空を舞う光景だった。
空中のサクラは金属片のようにキラキラと輝きながら、いつまでも揺らめいていた。
そして、再び、意識を取り戻す。
白い天井には、強い光が私の目を貫くように灯っていた。
とっさに顔を背けようとするが、頭が拘束されているようで、それを阻害する。
瞳だけ動かし、自分の体の方を見る。
そこには天井と同じ、白で埋め尽くされた壁の中、手足を拘束され横たえられている私の体があるだけだった。
「適応者、巴野アンユの覚醒を確認。」
部屋の中に、冷たさを帯びた女性の声が流れた。
なに、ここ……病院?
しばらくして、私の頭上の方で、プシューという音がして、人の入ってくる気配を感じた。
「システムは問題なく稼働しているようですね。……アンユさん、ここは病院ではありませんよ。」
動けない私にも見える位置までやってくると、「マスター」は私に向かって語りかけてきた。
「体の調子に問題はありませんか?」
「え?……あ、えーと。」
調子っていうか、まずこの拘束されてる状況が分からない……。
「……そうですね。まずは、拘束具を解きましょうか。」
あいかわらず優し気な表情で、マスターが手に持った端末を操作する。
カチャリと音を立て、すべての拘束具が外れた感触がした。
しかし、すぐには起き上がる気になれず、私は首だけを回して、自分の体の感覚を確かめた。
べつに、どこも痛くないし。なんならスッキリ目が覚めた後みたいに体が軽い?
自分の身に何があったのか思い出そうとして、意識を頭の中に集中させる。
昨日は、結局お店に行って、マスターの料理を食べて……。それから。
「アンユさん。安心してください。」
声に意識を戻されてからも、私は黙ってマスターを見つめていた。
「状況は順を追って説明します。ですが、まず結論から申し上げますと――。」
なんだかマスターの目って、私のお父さんと似ている気がする。
ぼんやりと顔を見ていたら父の事を思い出してしまった。
そういえば、おにぎりのお礼してなかったな……。
「――あなたには、人類を救っていただくことになります。」
ここまでのエピソードで、所謂「第一話」となります。
続きとなるエピソードも投稿いたしました。
よろしくお願いいたします。