果実
エピソード13
エレベーターに乗り込み、地下空間へやってきた。
始めは、マスターも付いてきてくれると言っていたけれど。
彼と、「話」をするのなら。と、まずは二人きりの方がいい気がして、結局、私一人で向かわせてもらうことにした。
地下は相変わらず土のにおいが広がっていた。
なんか、この匂い落ち着くな……。
暗い空間を一人で進むうち、私は思考を巡らせていた。
彼って、どんな「人」なんだろう。
植物に、そんな風に思うのはおかしいのかもしれないが。
人を植物に変えたのって、何故なんだろう?
これまでみんなから話を聞くうち、私は、人類の脅威であるはずの彼に対し、不思議な想いを抱くようになっていた。
彼と仲良くなれるといいな……。
我ながら、楽観的すぎる考えかもしれないが。
それはきっと、ウサギのふざけた態度が移った、ということにしておこう。
「アンユッチは、アンユッチらしくしていれば、上手くいきますから。ネっ?」
ウサギの言葉を思い出す。
私らしさって、なんだろう?
暗闇に飲まれるように、とりとめのない考えが浮かんでは消える。
そうするうちに、木の足元が見えてきた。
彼にも、彼らしさがあるんだろうか……?
私は、彼の前にやってきた。
ふと思い立ち、私は彼の幹に手を当てた。
僅かばかりの湿気をまとって、しっとりとしている。
ごつごつとした手触りの中、少しづつ私の体温と、彼の温度が混ざっていく感じがした。
「それじゃ、おしゃべりしようか。」
私の言葉は、彼に理解できるか分からないけれど。
私は自然と口にしていた。
用意されていた梯子に手をかけて、彼の体を一段一段、慎重に上っていった。
彼が用意した最初の木の実は、花の群れ、その一番下に生っている。
きっと、私たちが見つけやすいようにしてくれていたんだ。
なんてことを思うのは、救世主だなんて言われてのぼせてしまっていたからだろうか?
それでも彼は、私たちに何かを伝えようとしてくれた。
その思いに報いるためにも。
私はサクラの雲に、頭を突っ込むようにして。
その、赤い果実を手に取った。
すごいな、果実からもサクラの香りが溢れてきてる。
おいしそうだと、素直に感じた。
その実に導かれるようにして、私はその場でかじりつきたくなった。
ちょっと行儀は悪いかもしれないけど、誰か見ているわけじゃないし……。
正確には私の心は、マスター達にモニターされているはずだが、そんなことは考えられなくなっていた。
「いただきます。」
そして、私は、その果実を口にした。
瞬間に口に広がるサクラの香り。
さっぱりとした酸味と、強烈な甘さの果汁があふれだした。
おいしい……。甘い……。……止まらない。
種の類は入っていないようだった。
ただただ甘く、桃のようにやわらかなそれを――。
口の周りが果汁で汚れることなど気にすることも無く。
――私はむさぼるように、咀嚼した。
ふと我に返ったとき、私は全てを平らげていた。
この行為に至った経緯を思い出し、私は拍子抜けする。
なにも……ない?
何気なく辺りを見回す。
上るときは、実に気を取られていたが、下を見るとそれなりの高さがあるようだった。
とりあえず……降りるか。
わずかばかりの身の危険を感じて。
そう、片足を梯子から外した時、私は強烈な眩暈に襲われた。
世界が歪み、体の感覚が失われていく。
とっさに梯子を頼ろうとするが、もはや目前にあるはずのそれすら捕らえることができず。
体勢を崩し、宙に放り出される。
奇妙な浮遊感の中、意識が遠くなっていく。
意志に判して、瞼が下りて。
視界の全てが暗闇に切り替わる直前。
花が、私を包んでくれている……?
優しく抱きとめられているような感覚だけが残っていた。
そして、私は、「彼」と出会った。
サクラと同じ髪の色をして、華奢な体をした。
男の……子?
私は、それが、現実の光景ではないことを実感していた――。
光の中に、膝を抱えるようにして座る男の子と、私だけが立っていた。
彼はうつむいて、その顔を見ることができない。
――だが、その存在感は、「彼」が確かにそこに存在していると、私に語り掛けていた。
「はじめ、まして。」
恐る恐る彼に声をかけると、僅かに、彼の頭が動いた。
私の言葉は届いてる、ぽい。
「あなたは……サクラ、だよね?」
彼は、うつむいたまま答えた。
「我らは、すべてを共有している。」
透き通るような声をしていた。
「大地に根付き、時に土を介し、時に風を介し、あるいは動物を介して、世界のすべてを見知っていった。」
この子は、怯えてる?
荘厳な口調に反し、私は、そう感じた。
「場を繋ぎ、時を繋ぎ、あらゆる所に居るものが我らであり、我らとは全てであり、全ては我らである。」
私には、彼の言葉の意味が分かるような気がした。
「君は、サクラや、他の時代の植物たち、全部と繋がってるんだね。」
言葉を聞き、彼は、ゆっくりと顔をあげた。
そして、輝きこそ失ってなお、力強さを感じさせる瞳で、私を「見た」。
彼の目は、果実と同じ、美しく赤い色をしていた。
「私はね、巴野アンユ。あなたの友達になりに来たの。」
次のエピソード14も投稿いたしました。
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