井戸─Well─
──来るがいい、来るがいい
──お前が求めていたものがここにはあるぞ
──今手に取らねば永遠に手に入らぬかもしれぬぞ
またあの夢だ、急かすように何かを手に入れさせようとしてくる夢。
自分はそんなものいらないと言っているのに、何故か頑なに
〝何か〟を求めるように強要してくる。
──来るがいい、来るがいい
──お前の元に居る2人がそれを掻っ攫ってしまうぞ
──お前はそれを望まないだろう、必ず後悔するだろう
──来るがいい、来るがいい、来るがいい──
爺は目を覚ました。夜中だというのに妙に蒸し暑い、
ここにそんな不快な気温になる要素はないというのに……
自分の左腕を見てみる、先日見た夢の後についた痣は
未だに腕にくっきりと残っている。
若者2人には見えないように着流しで隠しているが、
昨日、洗い物をしている時に2人がやってきて手伝ってくれた時には
バレてしまうのではと気が気ではなかった。
心優しい若者たちだ、余計な心配をかけてしまうだろう。
こんなことで2人の不安を増長させるようなことはしたくはない。
「いったい何が目的なんじゃ……
ワシは手に入れたかったものは全て手に入れておるのに……」
……それは事実か?
自分の心の中に、自分の者ではない声が聞こえる……
当然だと自分に反論するが、心の声はそれに首を振る。
お前が一番欲しかったものは手に入れていない、
だがそれは夢が求めるものとは違う、それを努々忘れるな。
心の中に響いていた声は、それを最後に聞こえなくなった。
「……これは、もしや帝釈天様からのお告げなのか……?」
ではあの夢の声は、応えてはならない存在か。
だがなぜそんな存在がここに入り込めているのだろうか。
「……まさか」
爺はある点に気が付いた。
この場所には不浄の者は入り込むはおろか、
近づくこともままならないはずである。
それが破れかけているということは──
日差しが差し込む部屋で、
サムは起き上がって身体を掻きながら大欠伸をする。
「ふわぁーぉ……この部屋にも慣れてきた──」
そこまで考えて、思考がクリアになってきた頭で考える。
そうだ今日は、今日からは──
「っ!!!そうだぜ、今日からはいよいよサムライになる特訓開始だ!!」
ベッドから飛び出すと、そばに置かれているサイドボードに
着替えの服一式が置かれていることに気が付いた。
「昨日Gが持ってきてくれた服はこんなところに置いてあったのか。
ここまであからさまにおいてあるのに気付かなかったとは、
俺も存外間抜けだな」
自嘲しながら服を着替えると、気分も一新したように思える。
洗濯するために脱いだ服を持って部屋を出ると、同じく起き抜けだろう
ぼや―っとしたギークが部屋から出てきたところに鉢合わせる。
「おう、おはようさんギーク!!なんだか眠そうじゃねぇか?」
「ふぁ……おはようサムぅ……昨日は興奮してなかなか寝付けなくて……」
「ははっ、分かるぜその気持ち!!でも今日からはサムライブレード
持つかもしれねぇんだからよ、眠気は吹き飛ばしとけよ!!」
「うん……そうだねぇ……」
だがギークは欠伸をしながらもその足取りはしっかりしている、
そこまで心配することは無いのかもしれない。
キッチンから良い香りが漂ってきて、今日はなんだろうかと
朝食のメニューを考えながら洗濯桶へと脱いだ服を放り込む。
「おはようさん、ミスターG!!今日の朝食はなんだい?」
「おお、おはようさむ君、ぎいく君。
今日は〝わっふる〟とやらを焼いてみようと思ってのぅ。
ほかに何か食べたいものがあるのなら、今なら追加できるからの」
「へぇ、ワッフルか!!嬉しいね!!後は昨日も食べたベーコンや
今度はチョリソーなんかも出してくれると嬉しいな!!」
「チョリソーかぁ……僕は苦手だから、厚切りのベーコンが食べたいなぁ……
後はトマトサラダなんかあったら嬉しいかも……!」
「おっ、それもいいな!!俺もトマトサラダ追加で!!」
「ほっほっほ、承知した。
若者はたくさん食べることも仕事じゃからのぅ」
ギークも洗濯桶に服を放り込んだことを見届けると、
サムは桶を片手に井戸へと水を汲みに向かった。
井戸の向こうに見える池と飼育場、だったろうか?に目を向けて
今日は何を獲るか、と考えながら井戸から水を汲み
洗濯桶になみなみと注いでいく。
──そして4度目の水汲みをした時だった。
「よっと──」
井戸から水を汲み上げて桶に水を移した時、
──……
「ん?」
何かが聞こえたような気がした。
Gかギークが呼んでいるのかと思ったが、
そちらを見ても2人の姿は見えない。
──……
また聞こえた、先ほどよりも確実に。
──ただ、それが聞こえたのは井戸の方からだったように思える。
「井戸から声……?俺たち以外にはここに居る気配はしないよな?
……〝ヤコブの井戸〟なんて場所もあったりしたよな……」
ダイビングスポットとして知られるヤコブの井戸だが、
亡くなったダイバーもいるらしく、未だに遺体が見つからない、などという
恐ろしい伝説が残っていたりもする……
「まさか、この井戸も……?」
サムは井戸の中を覗き込もうと身を乗り出し──
「サムぅー……!もうすぐ朝食出来るから早くした方がいいよぉー……!
冷めちゃったらもったいないよぉー……!」
ギークの声が耳に届き、そちらに顔を向ける。
「おっと……悪い!!今すぐ終わらせるからよぉ!!」
サムは桶の水を運ぶと、5度目の水汲みを終えてイオリの中へと戻る。
頭から先程の声のことは既に抜け落ち、焼きたてのワッフルへと
心は奪われていた。
誰もいなくなった井戸、その淵に人ならざる肌の手が掛かる。
──惜しかった、惜しかった
──覗いてくれれば、それでおしまい
──惜しかった、惜しかった
──本当に後、少しだったのに
井戸の中から赤い頭がのぞき、ぎらぎらと光る目玉が庵を凝視する。
その異形の存在はしばらく庵を睨みつけていたが、
誰も戻ってこないことを確認すると井戸から這い出し──
──人に似た姿をしていながら気味の悪い四つん這いで、
飼育場へとゴキブリのような速さで向かっていった。




