三十六、スタンビート発生
「それで、何故、別の世界から来たって言わなかった?」
部屋に戻ってローリンゲン公爵夫人がいなくなるなり、スタッドさんの尋問が始まった。
「だって、そんな事、誰も信じないでしょ」
「あのな、こことは別の世界から人がやってくるっていうのはだな、伝説や昔話で伝わっているんだ。だから、もし、あんたが別の世界から来たって言ったら、信じたさ」
「そんなのわからないもの」
「まあ、そうだな。あんたが用心深いっていうのは、よくわかったよ。異世界の人間だから、こっちの世界の事を何も知らなかったんだな。で、俺や船長達との契約はどうする? あんたの探していた男は既に死んでしまっていた。これから、どうするつもりだ?」
どうする?
どうしたいんだろう? あたしは。
「……わからない」
「はあ?」
「だって、先輩と一緒に元の世界に帰る道を見つけるつもりだったのに、先輩は死んでたんだもん。どうしたらいいかは、これから考える」
「そうか、結論が出たら言ってくれ。とりあえず、あんたとの契約がある限りは、俺はあんたを守るからな」
「私もお守りしますので、ご安心下さい」とサンドラさん。
「あ、ありがとう」
「とりあえず、明日、ラーケンにあって相談しろ。今夜はゆっくり休め」
言うだけ言って、スタッドさんとサンドラさんは護衛用の部屋へそれぞれ引き揚げた。
これからどうしたらいいんだろう。
ベッドに潜り込みながら考えた。
この一月半、いろんな人にあった。
いろんな事があったけど、いい人達にめぐりあえた。
きっと、あたしはすっごく運がいい。
あたしがここでいきなり女神の元に行っても、この世界は変わらなくて、みんなあたしの事なんてすぐに忘れるだろう。
でも、あたしは元の世界では絶対に出来ない経験をした。
ふと、先輩がこちらの世界で生きようと思った気持ちがわかったような気がした。
「……先輩」
もう死んでしまってるんだ。あ、また涙が出て来た。止まらない。
泣きながら眠ってしまった。
翌朝、ラーケン船長が宮殿にやってきた。
「アズサさん、驚きましたよ。宮殿に招かれていたとは。やはり、あなたは並の人ではなかったのですね」
あたしは、ラーケンさんに昨日起きた出来事や、あたしが別の世界から来た事を打ち明けた。
「ふむ、そういう事でしたら、元の世界に帰られるのであれば、お持ちの船を水運ギルドに寄付されてはいかがです? これまでも、跡取りのいない船主が船をギルドに寄贈すると遺言する事はよくありました。それと同じ手続きをされたら宜しいと思いますよ」
「あんたが、どうするか決めたら解決する方法はいくらでもあるんだ。よく考えて結論を出せ。それとな、ラーケン、こいつの身分なんだがな、外つ国からやってきた貴族の姫、先々代の陛下の遠縁の者で一族の者が魔物に殺されたので親戚を頼って来たということになっている。別の世界から来た話は秘密だ」
「ラーケンさん、ややこしい話でごめんなさい」
「ジョーイ達に説明するのが、難しそうですね。最初から話さなかったのは、今の王族に受け入れて貰えるかどうかわからなかったからにしましょうか」
「そうして頂けると助かります」
「しかし、いくら先々代の王様が丁重に扱えと言っても、命令に従わなかったとしてもだ、罰する方法はないんだ。あんたが丁重に扱われたのは、異世界の知識がほしいからじゃないのか? そこんところは自覚しておけよ」
「あのさ、あたしだって馬鹿じゃないんだから、そんなことぐらいわかってるわよ。でも、忠告してくれてありがとう」
「あー、まあ、この世に知り合いが一人もいないっていうのは、辛いよな。話が終わったら、剣の練習をするぞ。先に訓練場に行ってる」
スタッドさんがあたしの返事をまたずに部屋を出て行く。
「照れくさいのでしょう、あなたに礼を言われて」
「そんな人、じゃない、エルフには見えないんですが」
ラーケンさんとサンドラさんが声を上げて笑った。
「ところで、明日のパレードはどうされます?」
「えーっと、パレードの見物ですか?」
「ええ、そうです。ネルケルギルドマスターからの伝言ですが、部屋はアズサさんの為に取ってあるそうです。バルコニーの修理は終わってますし、いつ戻っても大丈夫だそうですよ」
「あの豪華絢爛なお部屋ですか?」
「ははは、そうです。あの豪華絢爛なお部屋ですよ」
「うーん、どうしよう。パレードっていつ頃からなんですか?」
「昼過ぎくらいからですかね」
「あの、これはまだ非公式なのですが」とサンドラさん。
「恐らく、明日の戴冠式にはお席が用意されているかと」
「え? そんなのきいてないんですが」
「既に出席の為のドレスを公爵夫人が用意されているかと」
「えええ!」
そんなのきいてないんですが!
「だったら、パレードは貴族席の方でご覧になるのでしょうね」
「恐らく、そうなるかと」
「では、ギルドマスターにそう伝えておきましょう」
「お願いします」
ラーケンさんが帰った後、思わず、サンドラさんに問い質した。
「ドレスって!」
「恐らくですが、今日の午後、ドレス合わせをされるのではないかと思います」
「一言言って欲しかったんですが!」
「後ほど、公爵夫人からお話があるかと」
サンドラさんから伝えるわけにはいかなかったのかもしれない。
ああ、貴族ってややこしい。
午後になって、公爵夫人がやってきた。やはり、明日の打ち合わせだった。
二枚のドレスを持って来てて、どちらにするか、着てみて欲しいと言われた。
昨夜、王との会食の時に着たドレスと同じ寸法なのだそうだ。
一枚は濃い青のドレス、もう一枚はサーモンピンクのドレスだった。
両方とも手の込んだ刺繍が施されている。
青のドレスを選んだ。
着てみたらサイズはピッタリだった。
公爵夫人が侍従に持たせた箱の中からたくさんのネックレスや髪飾り、イヤリングやリングを出した。
「青い衣装なら、こちらのサファイヤが良いでしょう」
と、セットになったジュエリーであたしを飾ってくれた。
青い衣装に青い色の宝石、土台は金で出来ている。
ボタニカルなデザインのネックレスの中央に青いサファイヤがセットされている。髪飾り、指輪、イヤリングも同じデザインだ。
でも、豪華すぎる。
出来るだけシンプルに、控えめにして欲しいと頼んだ。
「戴冠式は滅多にない行事ですのよ。貴族達は皆、精一杯着飾りますのに」
と残念そうだった。
やっぱり、あまり目立ちたくない。
というか、知らない人ばかりの式典で何かやらかしてしまったら困る。
ここは目立たないようにしておかないと。
翌朝、朝食を取っていると、せわしなく鐘が鳴り始めた。
「まさか! まさか、そんな!」
サンドラさんが思わず立ち上がり、窓から外を見た。
スタッドさんも続く。
「あの鐘はなんなの?」
「あれは魔物大暴走警告の鐘だ。スタンビートが発生したんだ」
スタッドさんが、厳しい顔をして言った。
「魔物大暴走です! スタンビートが発生しました! 第一級警戒態勢をとって下さい!」
伝令と思われる若者が廊下を叫びながら走って行く。
「大広間へ参りましょう。スタンビートがどこで発生したか、教えてくれます」
サンドラさんとスタッドさんと一緒に大広間に向かう。
既に大勢の人が集まっていた。
「スタンビートだと。どっちに向かってるんだ?」
「今日は戴冠式だぞ!」
貴族達が口々に叫んでいる。
「静まれ!」
陛下が一喝する。
貴族達が一斉に静まった。
「宰相、現状を報告せよ」
「はは!」
宰相が手元の巻物を見ながら大声で説明を始めた。
「ギルド砦から届いた知らせによると、魔物達は大樹林の奥から王都に向かって進軍して来ています」
貴族達がざわつく。
「その数、約一万。それぞれ魔物別の群れとなって、進軍しています。その中に飛行生物の一軍があり、恐らく、この者達は大河ラングを超えるだろうとギルド長から報告がありました。約百匹のワイバーンです」
宰相はここで言葉を切って、皆の反応を伺った。
「しかしながら、王都は結界に守られています。特に今は国王陛下の戴冠式警護の為、魔法使い達が王都の結界を強化しています。結界が破られる事はないと思いますが、念の為、戒厳令を敷いた方が良いでしょう。恐怖のあまり馬鹿な真似をする者が出て来るやも知れません」
「いや、戒厳令はきつすぎる。王都の結界は最強だといって、皆を安心させよ。それでも逃げたいという者は逃がすように。家のない者、家にいても不安な者達は宮殿の中庭に非難させよ」
「ははっ」
「宰相、魔物達は何時頃、王都に到達するのか?」
「本日の夕方ワイバーンが、明日の昼頃、その他の魔物達が大河ラングに到達するだろうとギルドからの報告です」
「魔物達の狙いはなんだ?」
「残念ながら、わかっておりません」
「研究職の魔法使い達に至急調べるように申し付けよ。他の魔法使い達は引き続き結界の強化に務めよ。王都の警備隊は住民の誘導にあたれ。将軍は王都の守備に。宰相、そなたは各国から王都に参った客人達を聖教会に案内せよ」
「では戴冠式は?」
「予定通りに行う。今日で無ければならぬからな。ただし、パレードは中止とする」
「は! 承知致しました」
王の命令によって貴族達が一斉に動き出した。




