三十、宝石商ゴメル
「エスタン!」
恰幅のいい男が両手を広げた。
「ネルケル! 久しぶりだな。かみさんは元気にしてるか?」
「相変わらずだよ」
背の高いネルケルさんと恰幅のいいエスタンさん。仲が良さそうだ。軽口を叩き合っている。
「こちらが、アズサさん。小麦を運んでくれたんだ。王都の恩人だよ」
「これはこれは、私からも礼を言わせて下さい。小麦が不足して王都は大変だったんですよ。ありがとうございます」
「いえいえ、あたし一人の力ではないんです。こちらのラーケン船長やみんなが協力してくれたおかげなんです」
「ね、謙虚な人だろう、アズサさんは」
いやいや、そんなに褒められると照れるんですが。
「ささ、どうぞ、お入り下さい」
「エスタン、後は頼んだぞ。では、アズサさん、私はこれで。買い物を楽しんで下さい」
ネルケルさんは仕事かな? 辻馬車を拾って帰って行った。
店に入ると、待ち合い室のような簡素な部屋だった。え? 高級宝飾店がと思っていたら、さらに奥へと案内された。奥の部屋はとても豪華だった。外からみたら石造りの建物だったが、奥の部屋は壁に木製の板が張られていて、天井にも凝った装飾が施されていた。
部屋は中庭に面していて、光がそちらから入って来る。ジュエリーを見るなら自然光は必須だものね。
だけどショーケースはない。
恐らく宝石は奥から出してきて、その都度客に見せるのだろう。
屈強な男達が出入り口の内と外を固めている。さすが、高級宝飾店!
そして、裏の方から大勢の人の気配がする。
テレパシーを広げてみたら、工房を抱えているのだろう。
職人達の思いが流れこんできた。
「ささ、こちらにどうぞ!」
中庭に面したテーブルを勧められた。
「俺はこっちでいい」
スタッドさんがあたしの後ろの壁によりかかった。
その場所からなら、部屋全体を見渡せるからだろう。
護衛としても有能だ。
ラーケンさんが隣に座る。
「お若い方だときいていましたので、幾つか用意させて頂きました。サリー、お見せして」
「はい、こちらでございます」
長椅子に腰掛けると、テーブルの上にトレーが置かれた。
グレーのビロードに覆われたトレーの上に幾つかの宝飾品が並んでいる。
ガーネットを中心にデザインされたリング、ネックレス、ブローチだ。
うーん、買う気はないんだけどな。
どれくらいの石がいくらぐらいで売られているか、知りたかったんだけど。
こっそり鑑定したけど、産地や大きさ、石の種類は出て来るけど、値段は出てこない。
値札はついているけれど、総て伏せられていて客には見えないようになっている。
「こちらのブローチですと、今のお召し物に大変お似合いになるかと」
サリーと呼ばれた女性があたしの胸にブローチを留めてくれた。卓上鏡で見せてくれる。
ラウンドにカットされたガーネットが中央にセットされた銀製のブローチだ。
「よくお似合いです」
「こちらのガーネットはカサド産でございます。ガーネットにしては赤みも強く、透明度も高いとても良い石でございますよ」
うー、売り込みにかかってくる。
そんなに勧めないで~~。
「では、こちらのリングはいかがでしょう?」
その時、入り口のドアが突然開いた。
「エスタン、ネックレスの出来具合はどう? どこまで進んでる?」
紫のドレスを着た四十代くらいのとてもきれいな女性が入ってきた。
「これは公爵夫人、いらっしゃいませ。ちょっと失礼致します」
お得意様なのだろう、エスタンさんがいそいそと席を立つ。
奥様と呼ばれた女性とお付きの女性、エスタンさんが奥の部屋へと入って行く。
「申し訳ありません、お客様。予約の無いお客様はお断りするのですが、あの方はその」とサリーが口ごもる。
「とても身分の高い方なのね」
「はい、左様でございます」
「ローリンゲン公爵夫人ではありませんか?」とラーケンさん。
「そうなんです。今、製作中のネックレスがお気になるようで、時々お見えになられるのです。即位式の後の舞踏会でおつけになる予定だそうで、進み具合を確かめに来られるのです」
「大変ですね」
仕事の途中を見られるって、緊張するだろうなあ。
「とてもジュエリーがお好きな方で、たくさん、お持ちなんです。でも、舞踏会には新しいジュエリーを身につけたいと。戴冠式の日程が決まってからのご注文でしたから、もう大変で」
「デザインを決める所から始めたんですか?」
「ええ、そうなんです。あの、ジュエリーにお詳しいのですか?」
「多少ですが。デザインに合わせて石を揃えなければならないでしょ。大変ですよね。石、集まりました?」
「そうなんです! デザインを決めるのも大変ですけど、デザインに合わせて石を探すのはもっと大変で。その上、石を探している最中に滅多に出ない美しいエメラルドが手に入りまして。それを他のお客様にお勧めしようとしていましたら、公爵夫人が目敏く見つけられて。今度はそのエメラルドに合わせてデザインをやりなおさなければならなくなりまして。もう、本当に大変で。あ、申し訳ありません。つまらないおしゃべりをしてしまいました」
「いえいえ、いいんです。いろんなお客様がいますよね」
「ええ、そうなんですって、いえ、その、えーっと。こ、こちらのブローチは本当にお似合いですよ。いかがです?」
ほほと笑ったサリーの顔に営業用の笑顔が戻っていた。
だけど買うつもりはないのよね。
でも、値段は知りたい。
「ブローチもいいけど、リングやネックレスも素敵ね。お幾らぐらいするものなんですか?」
サリーが値札を見ながら教えてくれた。
若い女性用にと用意されたリングやネックレスでこの値段なら、貴族用に作られたジュエリーっていくらぐらいするのかしらね。
ブローチを外して改めてガーネットを眺めてみる。
きれいな赤だ。ガーネットにしては珍しい。
ガーネットの赤はどちらかというと暗い赤が多いけど、このガーネットの赤は明るめだ。
「こちらのブローチもとてもお求めやすいお値段になっておりますよ」
と言って、値段を教えてくれた。
「うーん、そうね。どうしよう、少し考えるわ。それより、見て欲しい物があるの」
あたしは、似顔絵を取り出した。
「この人、見たことありませんか? あたしの婚約者なんですけど、行方知れずで王都にいるかもしれないと思って探している所なんです。彼は宝石に詳しいんです。それで、もしかしたら、ここに来たことがあるかもしれないと思って」
サリーはじっくりと似顔絵を見たが、残念そうに見た事がないと言った。
「これ、お借り出来ます? 工房の方で聞いてきましょう」
「お願いします」
サリーはトレーを持って部屋を出て行った。入れ替わるように、お茶が運ばれて来る。
「あなたも座ってお茶を頂きなさいよ。ここなら、お店を守っている私兵の人達がいるから大丈夫よ」
「いや、立ったままでいい。こういう高級店は襲われやすい。私兵と共に戦わなきゃいけなくなるかもしれんからな。だが、お茶はいただこう」
お茶を運んで来た召使いがスタッドさんに、ティーカップを渡す。
「これ、もしかして、紅茶ですか?」
「そうなんです。よくご存知ですね。以前はとても高価で貴族しか飲めなかったんですが、亡くなられた前の王様がお茶を産業にしようと力を入れられて、我々庶民にもなんとか手に入るようになったんですよ」
とお茶を運んで来た召使いが説明してくれた。
「香りが素敵!」
「クッキーもどうぞ、一緒に召し上がると美味しいですよ」
女の子の言った通り、クッキーを食べて紅茶を飲むと香りと甘みが口一杯に広がってとても美味しかった。
「紅茶という飲み物が貴族の間で流行っていると聞いた事はありましたが、庶民にも、飲めるようになっているとは、さすが王都ですね。といっても、まだまだ富裕層だけでしょうが」とラーケンさん。
「俺は昔飲んだ事がある。暖かい飲み物はそれだけでご馳走だな」
ラーケンさんとスタッドさんが王都の産業について話を始めたので、二人の話を聞くふりをしながら、こっそり、バトラーに紅茶を持っているかと訊いてみた。
(残念ながら、ございません。紅茶は私めがテト様にお仕えしていた間に開発された物かと存じます)
(そうなのね。だったら後で買いに行きましょう。紅茶は好きよ。緑茶があれば、もっといいけど)
(緑茶と申しますと?)
(紅茶と同じ葉っぱで作るの。あたしも詳しくは知らないけど、紅茶は発酵させるけど、緑茶は発酵させないんだったかな? 確か炒って作る物だったと思う。とても綺麗な透明な緑色をしていているの)
(それはぜひ拝見してみたい物でございますね。私めにとってお茶と言えば、トルトルという草の葉を乾燥させ、それを煎じた物でございました。体に良いという薬師がおりまして、庶民に人気の飲み物でございました)
(へえ~、トルトルは持ってるの?)
(はい、ございます)
(今度飲ませてね)
一瞬、バトラーがにっこりしたような気がした。
(いつでも、お申し付け下さい。アズサ様)
うん?
あ、そうか。
頼まなくてもいいんだったわ。
命令すればいいのよね。
主人失格だな。
それにしても、時間がかかるのね。工房だから人が多いのはわかるけど。
紅茶はすでに飲んでしまっているし、どうしよう。
「時間がかかり過ぎじゃないか?」
「少し遅いですね」
「何かあったのかしら」
テレパシーを伸ばそうとしたら、奥のドアが開いた。




