7:祈り姫、加護をもらう。
よろしくお願いします。あと10万字くらいになりそうです。
「姉様……まわりの光っているのはなに?」
「光る草を植えて明るくしているのよ。灯りがなくても大丈夫なように」
二人きりが不安なジェイドに先程ジルに宣言した威勢はなく、ぴたりとアイリスにくっついて離れない。
壁一面の光苔だ。洞窟内は一本道で、そんなに歩きもしないうちに最奥に辿り着いた。
__王家の祠。
そう表現するにはあまりにも素朴すぎた。大きさはアイリスの身長くらいだ。長方形の石を積んで作られただけで奥行きも然程ない。祀られているのは女神ガイア=ムーランと思われるが拙い石膏像である。全ての作りが素人っぽい。
ただ、女神像の台座には丸い無色の透明石が置いてあり、目につくそれは妙に異質感が漂う。
「わあ、きれいな玉だねえ。キラキラしてるよ、姉様」
弟の言葉にアイリスは気がついた。光苔の明かりに照らされているのではなく、球体自体が発光しているのだと。
惹かれるように手を伸ばしたジェイドが触れると、透明石はまばゆいほどの白光を放った。
「姉様! 手が離れない!!」
驚いたジェイドが叫び手を引っ込めようとして、出来なくて叫ぶ。アイリスは彼を抱きしめ、彼の手に自分の手を重ねる。
「大丈夫! 落ち着いて!」
この石は加護を与えるもので間違いないはずだ。
しばらくすると光の洪水が収まる。目を瞑っていた二人は恐る恐る目を開く。透明石は光を放つ前の状態に戻っていた。二人はしばらく目の前の球体を呆然と凝視する。ようやく手が離れた。
『羊飼いの娘にして精霊の愛し子、リューディアが加護を与えました』
「!!?」
突然頭に響いた明るい女性の声に反射的に身体が跳ねる。アイリスは怯える異母弟を護るように抱きしめた。
『やあね、久しぶりに王族が来たから張り切って演出したのに。怖がらないで感動してよ』
随分と砕けた口調に「な、何者だ!?」とジェイドが勇気を振り絞って叫んだ。
『リューディアって名乗ったでしょ』
姿の見えない女性の声は明瞭である。アイリスはその名前に覚えがあった。
「初代アレスキア王の初期の側近のおひとりだと記憶していますが」
『あら、そう伝わってるの?』
「違うのですか?」
『当たらずと雖も遠からずかな。あの子を守っていたのは確かだし』
彼女は語る。
建国の父、アレスキアは元々羊飼いの息子でリューディアの双子の弟だ。豊かなこの地は当時まさに征野で、あらゆる一族が手に入れようと戦をしていた。
それを憂いた精霊の女王がアレスキアに[地を平定せよ]と使命を与える。アレスキアはずば抜けた魔力を持ち戦いに長け、胆力も兼ね備えている少年だった。精霊の女王は更に彼に魔力を与え、そして魔力量の少ない姉のリューディアにも魔力を授け、癒しの魔法でアレスキアを護るように告げた。だから彼女は常にアレスキアの側にいた。
「どうして、姉君のリューディア様の存在が伝わっていないのでしょうか?」
アイリスは不思議で首を傾げる。癒し手なら“聖女”にあたる存在ではないか。
『この辺りに蔓延る、双子は不幸を招くって迷信のせいよ。アレスに従う人々の不安因子は取り除くべきでしょ。あまり似てなかったから幼馴染で通したの』
「双子はこうふくを運ぶと言われているのに!?」
会話を繰り広げる二人の内容を理解しようと必死だったジェイドが、[双子は不幸を招く]に反応して口を挟む。
『ああ、きっとアレスがそんなふうに変えたのね』
リューディアの声は嬉しそうだった。
『私はアレスにしか大きな回復の力は使えなかった。他の者を癒す力は微々たるものだったから聖女ではないわ。精霊の愛し子の力はアレス限定だったの。彼が王になるように』
アレスキアがここをシャクラスタン(精霊の加護)と名づけ建国した時、彼は弱冠十九歳だった。
「では土地の女神ガイア=ムーラン様と呼ばれている方は、本当は精霊を統べる精霊王なのですね」
『明確な違いはないと思うわ。私たちの一族の概念に<女神>なんてなかったから、どこかの部族の表現が混ざったんじゃないかしら』
小さな集落同士で争っていたバラン族を纏めたシャクラスタン王。
『王になったアレスの近くにいる必要がなくなった私は、結婚して街に降りたの。旦那は腕のいい医術士だったわ。アレス軍で活躍したのに、軍医を辞退して褒賞も爵位も断って望んだのが、私よ。戦争中から恋人同士だった私たちの願いが市井での平穏な暮らしだったの。アレスは私たちが何かあれば駆けつけられるように城下に住むのを条件に結婚を認めたの」
「リューディア様は最初の“祈り子”なのですか?」
「何それ? 知らないわ」
初代王の時代には無かったようだ。どこかで平和を願うしきたりが出来たのだろう。
それからアレスキア王も結婚し国が安定していき、リューディアもほぼ望んだ人生を送れた。
天寿を全うしたリューディアの魂は、かつて弟と共に神託を受けた泉に立ち寄った。泉の近くに小さな洞窟がある。そこから懐かしい気配がするので入ってみて、祠に気がついた。
『この祠も像も魔力石も全て若き日のアレスの手作りなのよ。壁や天井に光苔まで植えてるし。笑っちゃったわ。正史に残せない姉をひっそりと祀っていたなんてね。この透明石は純然たるアレスの力を凝固したもので、自分以外入れないように洞窟を目隠し封印していたのよ』
「え? 洞窟の存在はずっと知られていますよ?」
『私が書き換えたの。アレスの血を引く者だけが入れるようにって。そしてここを訪れる子孫には、私が持っている<妖精女王の加護>を与える役を自主的にしてるってわけ』
アイリスはあんぐりと口を開けていた。女神像と思しきものは初代王の姉、リューディアだったのか。素人臭いと思いはしたが、まさか初代王作成とは想定外すぎる。
「<妖精女王の加護>とは一体どのようなものでしょうか」
『魔力が多くなって得意分野に振り分けられるの。王女様は防御ね。王子様は癒し。私も微々たる癒しの魔力しかなかったのを女神様が増やしてくれたの。元々が弱いからアレス限定に特化しちゃったわけだけど』
「魔力増加は有り難いです」
魔力が増えて困る事なんてない。
「あなたはここにずっとひとりで住んでるの?」
姿の見えないリューディアの魂にジェイドが問いかけた。
『普段は魂の住む世界で、若い姿で楽しくみんなと過ごしているわ。この魔法石に誰かが触れた時だけここに来ているの』
「よかった。ではさみしくないね」
『お優しい王子、ありがとうございます』
ふわりと白い光がジェイドを包む。
『特別です。<リューディアの愛情>も付加しましょう。愛される子でありますように』
「ジェイド王子!!」
「姫様!!」
二人が出てくるまでやきもきしていた者たちが、彼らが姿を現すとほっとして口々に叫んで駆け寄る。
「……どうでしたか」
何を聞けば良いやら、取り敢えずナルモンザが皆を代表したようにアイリスに尋ねた。
「私とジェイドが精霊の加護を受けたわ。神官の血筋のジェイドはもう“癒し”が使えるはず」
ジェイドの魔力量は王族としては多くない。しかしリューディアの加護により魔力が上乗せされた。父王が望んだ神官の力が目覚めたのをアイリスは感じた。周囲が感心してどよめく。
「ぼく、しんかんになるの?」
ジェイドはきょとんとしている。
「いえ、何をしたいかは、大きくなったらジェイドが決めたらいい」
アイリスは弟の頭を撫で、そして、周囲の従者たちを厳しい目で見回す。
「ジェイドが能力を使うには幼くて負担が大きいでしょう。今、公にするのは危険です。みんな、ここでの出来事は他言無用です。時期がくれば私が父に報告します。分かりましたね」
“祈り姫”の命令である。全員が御意を示した。
無理なく徐々に魔法を覚えるべきとのアイリスの助言に添って、ジェイドには引退している元魔法士で現神官である中年の男性が付けられた。
◇◆◇◆
「姫様、最近の各地の状況です」
「ありがとう」
アイリスはジルから書類の束を受け取った。
ジル・ベイチェック、十三歳。誕生日を覚えていないので、同い年の主君より早く生まれたのか遅く生まれたかは分からない。“祈り姫”に仕えて早三年。守護騎士としても随分と形になってきた。アイリスはジルに、隣の帝国にある主君の補佐をする調整者<秘書>という役職を与えた。
アイリスがジルこそが腹心なのだと示したから、ジルが見習い当初に受けていた肉体的な嫌がらせはもう無い。今も続く悪口なんかはいくら言われても平気だから、攻撃のうちに入らない。規則正しい生活のお陰でジルは順調に成長して筋肉が付き、身長はもうとっくにアイリスを抜いていた。
アイリスは書類を精査する。
「……ウドルール山から魔獣が里に降りて畑を荒らしているのね。被害状況は?」
「今は辺境伯騎士団が討伐していて、大きな問題はありません」
ジルはアイリスに答えた。
「でも少しおかしいと地元民は言っているそうです。山は例年と変わらなく敢えて人里に来る必要もないのにと。既に家畜が襲われているので、そのうち人に被害が及ぶのではと危惧しているようです」
やり直し前は、訪れる本神殿くらいでしか各地の噂話を聞かなかったのが悔やまれる。聞いた中で、大変だった事件を何とか思い出すように努力中だ。
俗世からは遠い“祈り姫”は政治に関わる事はない。更に女だから論外だ。なのでアイリスは外部の冒険者ギルドに調査依頼する独自の情報網を最近作った。大陸中に存在する大組織。どこの国にも属さないギルドは金さえ出せば信用できる。
窓口はジルだ。養護院にいた時から王都の冒険者ギルド<仔猫の牙>に派遣されて、簡単な害獣退治や手伝いをしていた。その賃金は養護院に支払われていたが、私欲のないジルは不満も持っていなかった。頼まれた仕事は淡々とこなしながら、個人的に小遣い賃すら欲しがらない変わった少年は目につく。そうした縁でジルは子供ながら所長とも顔見知りである。
平民の孤児であるジルが“祈り姫”に引き抜かれた話は界隈で有名だ。ジルがアイリスの代理人なのは明白だけど、ギルド側もジルもその点には触れない。
『国の中で小さくても何かしらの異変があれば知らせろ。定期的に各国の情勢も』
ジルの依頼は大雑把だ。しかし“祈り姫”がこうして各地に目を配っている事実は、ギルド内では知る人ぞ知る。
今回ジルが纏めた報告書の中で、アイリスが気になったのは辺境の魔獣出現だった。
東の辺境伯は海岸線と急峻なウドルール山を有している。山の海岸側は断崖絶壁で天然の要塞でもある。大昔は大噴火もあったウドルールも今は火口窪地に植物が生い茂り、様々な昆虫や動物がいる。ただ、外輪山から内に入るのはあまりにも危険で、内部はほとんど研究されていない。
普通の動物にはあり得ないほどの攻撃力を持つ獣や爬虫類、昆虫が生息していて、多くが毒や麻痺成分を含む体液を噴出してきて厄介だからだ。火山噴煙の際噴出する毒を浴びて生物が変化したと考えられるそれらは総じて<魔物>と呼ばれる。大陸中の毒沼や毒湖の近くにも魔物が多いので有力説だ。
平地に生息する魔物と違い、ウドルールは内部の箱庭で生態系が完結しているから、わざわざ険しい尾根を越えて人間の生活圏にやって来ない。現れるのは余程の食糧難に陥った時だと地元では伝えられている。
天候に問題ない今、どうして……。アイリスは目を閉じる。
いや……。これがやがて大きな魔獣襲来になるのでは。……東の辺境伯領は魔物の急襲に逢い大被害を被った。国に援軍を要請するも、当時の王立軍は西のレジン首領国と戦争中で、東の辺境に直ぐに兵を派遣できる余裕はなかった。
各地の領主も加勢したが魔物のスタンピードなど未曾有の経験で、ようやく王立軍の派遣部隊が加勢して収束した時には、東部は壊滅的な状態だった。
あれはいつだっけ……、王太子はまだケーン・イドだった。ならば彼が亡くなる三年以内だ。
アイリスは目を開けるとジルを見上げる。
「ジル、グインヒル領に視察に行くわ」