続編(完):祈り姫、大団円を迎える。
最終話です。お付き合いありがとうございました。
クワンダ王国から援軍の要請をして、シャクラスタン王国軍がやって来るまでひと月もかからなかった。異例の速さである。これは騎兵のみの編成で、規模が小さく身軽だった為である。クワンダの実情を考えれば、防戦一方で王都が陥落するのは時間の問題なので、精鋭部隊で迅速な移動を目指した。
シャクラスタン軍が合流した時は、クワンダ王自ら前線に立ち、王弟が背後を固めていた。どちらにせよ王城が落ちれば王族は皆殺しである。王族の男たちが倒れたら、王城にいる女性陣は自害する覚悟を決めていた。幼い王子王女を手にかけなければならない王妃の苦悩はいかほどだろう。
北から攻めてくるドルピン公国は、便乗した周辺国の兵力を加え何万との勢力で、抵抗するクワンダ軍のみならず、農民や町民をも蹂躙していた。これらの仕打ちに一番激高したのは意外にもシャクラスタン王だった。
シャクラスタン王は、戦争は戦争人だけでやるべきだと思っている。矜持などと立派なものではない。民間人を失ったら、その分国益が犯されるからだ。
初めてシャクラスタン国王を見たドルピン公国の将軍は、遠目でも分かるその圧倒的な王者の風格に身震いした。シャクラスタン王は厳密には魔法士であると聞く。しかし纏う覇気は武人の猛者のそれであった。
「まさかここで属国のために宗主自らお出ましとはな。だがあの援軍は千人いるのか? 形だけ参戦してすぐに撤退する気だな! ここでシャクラスタン王の首を打ち取れば大陸制覇も夢ではない! クワンダ兵を蹴散らして一気にシャクラスタン王を狙え!」
自軍を鼓舞するドルピン軍将軍の声は、シャクラスタン王国軍の魔法士が魔道具で収音していた。
今回ウェビロ将軍はシャクラスタン国を守っているので、副将軍が王の後ろに控えていた。敵の将軍の指示に彼が思わず「……なんと無謀な」と呟く。
無知とは恐ろしい。正面から突っ込んで、シャクラスタン国王をどうこう出来ると考えるとは。
「クワンダ王! 兵を下げろ、全員だ!!」
シャクラスタン王の声に「全軍、退却! シャクラスタン軍と合流せよ!!」とクワンダ王が声を張る。
「待て!! 追うな!!」
ドルピン軍の将軍が、何かの罠が張られている事を危惧して自軍を止める。全戦全勝のシャクラスタン現王だ。警戒するのは当たり前で、悪くない判断だ。通常であれば。
将軍の声が届かず、クワンダ兵を追いかけてこちらに向かって来る者は無視する。にいっとシャクラスタン王の口角が上がった。王の体内に魔力が渦巻いているのをジルは感じた。
「王家の雷よ! 降り注げ!!」
小高い丘の上から兵士隊を見ていたシャクラスタン王の口から勢いよく呪文擬きが飛び出す。正確には呪文は無いらしい。
敵軍の頭上に巨大な魔法陣が浮かび上がる。何事かと彼らが天を見上げた時にはもう遅い。無数の落雷にばたばたと敵の馬も人も倒れる。これは広範囲に展開するために殺傷能力は高くない。威力は氷の槍の方が高いが、もっと攻撃範囲が狭まるのだ。
『思いをそのまま具現するんだって。ふざけてるわよねえ』
王家の禁書の魔法陣を紐解いて、王家の禁断魔法を知ったアイリスが、そうこぼしたのをジルは思い出す。
確かにぶっ飛んだ魔法だ。だが、もう王の魔力は尽きた。
「出撃!! 第一部隊は王を守れ!!」
副将軍の号令に、十数人の魔法士、剣士が王を囲む。守護の布陣で慣れたものだ。
ジルは自分の役割を心得ている。ジルの剣がヒュンと鋭い音を発した。剣に風の魔法を付与した彼は駆け出し、真っ先に敵兵の中に飛び込んだ。雷の餌食になっていない連中の相手をするのだ。
ジルに続いていた兵たちの大部分が、電流を受けて倒れている敵陣に向かう。
響く怒号の多くはクワンダ兵とシャクラスタン兵のものだろう。
ジルの風の剣は、少ない労力で大打撃を与えるものだ。軽く掠っただけでも風の刃が鋭利に切り刻む。炎を纏うのと異なり目に見えない分、相手も魔法の警戒はしない。対人戦には一番向いているとジルは考えている。
「ほう、剣捌きも見事だな」
シャクラスタン王は、自分の仕事は終わったとばかりに馬から降り、準備された椅子に座って戦況を確認している。まるで物見遊山のような余裕の顔で一人の青年の姿を視線で追い、楽しげに呟いた。
他ならぬ“祈り姫”の婿候補である。
魔力を纏わせた剣が敵を斬る。攻撃してくる兵士の動きが不自然なのは、青年が軽い拘束系の魔法を周囲に放っているからだ。尚且つ自分の身にも防御系の魔法を掛けている。それを持続させる魔力は小出しで、持久戦に耐えられるように調整していた。なんとも器用な若造だ。
「くくく……、護国の“祈り姫”に魔法剣士の伴侶か。頼もしい」
機嫌よく笑うシャクラスタン王の姿は、敵の目には悪鬼の如く映ったであろう。
“戦闘狂王”のとんでも魔法に加え、まさに一騎当千の活躍をする目立つ若者。ドルピン軍が這々の体で撤退してゆく。あっという間の勝利だった。
『深追いはしない。死体の山など後片付けがめんどくさい』とは、一気に戦況をひっくり返したシャクラスタン王の、有難いお言葉である。
これは属国に手を出された宗主国がどう動くかの[見せしめ]の戦だ。
シャクラスタン国王は『今回は警告だから加減をした。次は容赦しない、貴国に攻め込む』との内容の正式書状を携えた使者たちを、この時点ですぐさまドルピン公国に送った。ドルピン軍の敗北を公国が知るのは、自国の伝令に先駆けて、このクワンダ王国の王都南の平野決戦のわずか二日後になる。
「シャクラスタン国王陛下、本当にありがとうございました」
恭しく謝意を述べるのはクワンダ国王。シャクラスタン軍の怒涛の攻撃に言葉を失っていたが、やっと平常心に戻ったらしい。
最初援軍の数の少なさに絶望したクワンダ軍も、今なら形だけの派遣でないとはっきり分かる。宗主国の兵法の真髄__兵法と呼ぶには破天荒すぎる__を目の当たりにすれば強国シャクラスタンに畏敬の念しか湧かない。
シャクラスタン軍の医術士と神官の治療のおかげで、合流してからのクワンダ人にも死者はいないのだから当然だった。
あとはクワンダ城に凱旋して戦勝祝賀会である。
間違いなく今回の勝利の立役者の一人であるジルは、シャクラスタン王に「うちの第六王女である“祈り姫”の配偶者になる男だ」とクワンダ王に正式に紹介された。
ようやく正式に<候補>が抜けた。ジルの戦い振りは陛下のお眼鏡に適ったのだ。
◇◆◇◆
その後、シャクラスタン王太子殿下が二十八歳の誕生日を過ぎて僅か半年後、三日間にわたり王太子の盛大な結婚式が行われた。
なんとシュワノスタ公国から皇太子夫妻も参加していた。久しぶりに会ったカミルとアイリスは喜び、二人してはしゃぐ。カミル妃は自身の母親や実兄を殆ど無視して、もっぱら異母妹に構っていた。そんな妻の様子を皇太子は愛しそうに見つめている。
これは第一妃の実家のワーグリィヤ公爵家にも少なからず打撃を与えた。前“祈り姫”が現“祈り姫”と仲が良い、ひいてはそれがシュワノスタ公国は王太子夫妻と良好な関係であると示す形になった。各国の参列者はシャクラスタン国内の現在の勢力図をきちんと読み取っただろう。
「ふーん、あなたがアイリスの夫になるのね」
カミルが不躾に全身を眺めてもジルは「今後よろしくお願いします。カミル皇太子妃殿下」と丁寧に礼をする。
「カミル姉様と呼んでもいいのよ。ちょっとアイリス、あなた面食いだったのね!」
相変わらずカミルはマイペースである。
「カミル姉様には言われたくありません!」
美形な皇太子を射止めておいて何を言うのか。アイリスは子供っぽく頬を膨らませてしまった。十年前、短い時間だけ一緒にいた懐かしい思い出に、感情が引き摺られたようだ。
皇太子夫妻は、シャクラスタン国貴族とも交流を始めた。カミルの旧友たちが二人を囲んだのだろう。
「いいお姉様ですね」
ジルの言葉にアイリスは大きく頷く。
「……そうね。“祈り姫”の引き継ぎ……、あれが始まりだったわ。前生ではカミル姉様と話した事は殆どなかったもの」
「そうなんですか?」
ジルは意外そうだった。
「今回はカミル姉様が十六歳、私が中身十七歳だったから、色々対等に話が出来たんだと思うわ」
「えっ!? た、確かに。じゃあ俺と初めて会った時、姫様は俺をガキだと思ったんですね? 俺はさぞ子供っぽかったでしょうね」
「ああ、こんな可愛い子があんな無愛想に育つのかーとは思ったわね。え、ジル。どうしてショック受けてんの?」
「……男は好きな女にはかっこいいところを見せたいものなんです。あの時、十歳と十七歳だったのかと思えば居た堪れない……」
「今は精神年齢も同じじゃない?」
アイリスのフォローはあまりジルの心には響かなかったようである。
「それより半年後にロデリック兄様が結婚して、私たちの結婚はその一年後に決まったけど、住む場所は本当にあそこでいいの? 私が勝手に決めたし。今なら変更も可能よ」
王太子が新たに“祈り姫”宮を建てると言ったのをアイリスが断った。
『東に何代か前の国王夫婦の立派な隠居宮があるじゃないですか。あそこでいいです』
いくら森や川を有した広大な王家の土地でも、ぽんぽん建てるもんじゃない。それだけ管理が大変になる。なんならアイリス自身は九歳まで住んでいた、あの古い小さな離れ宮でもいいのだが。さすがに“祈り姫”夫婦が住むには体裁が悪すぎる。
「あそこは落ち着いた感じで好ましいです」
“祈り姫”の降嫁ではなくジルが王家に入る。ジルにすれば、アイリスと一緒になれるならどんな形でもいいし、暮らす場所もどこでもいい。
「姫様に因んで、庭には色とりどりのアイリスを植えましょう。子供が出来たらブランコも作りたいです。赤い花の木がありましたね。トチノキの仲間でしょうか。あそこに東屋を作ってランチとかいいですね」
意外にもジルは既に住んでからのイメージを膨らませていた。
「こ、子供の事まで考えてるの?」
「俺は一人っ子なので四人欲しいです。男女二人ずつ。あくまで希望です」
ジルは珍しく、にこにこと笑顔で語った。
婚約者には思ったより具体的な未来像があると知る。
「四人産むのは大変ね……」
「もちろん姫様と二人だけの生涯でも構いません」
数奇な巡り合わせで、大切な人を手に入れる事が出来たのだ。ジルにとってそれ以上は人生のおまけだ。
「ところでジル、いつまで姫様と呼ぶの? アイリスを植える話の前に、私の名を呼ぶべきではなくって?」
「……う……、ずっとあなたは主君なんですよ。なかなか切り替えられません。恋慕も忠誠もごっちゃで」
「ジルフォート」
アイリスが軽く睨みながら本名で呼ぶ。
「恋人に姫様はおかしいわ。ねえ、そうでしょ?」
ご尤もである。
(そ、そうだ、こ、恋人! なんだから……)
息を整え、ジルは居住まいを正す。
「ア、アイリス」
声が上擦ったかもしれない。それより。
名を呼んだ途端にアイリスの顔がぼっと赤くなった。
「な、なんで姫様が赤面するんですかあ!」
意を決した自分の方が羞恥まみれなのに。
「ま、待って! 思ったより破壊力があって照れたのよ!」
アイリスはジルに背を向け顔を覆っている。
しばらくして気持ちを落ち着けてから、再度ジルに向き合う。
「お互い、これから慣れるように努力しましょう!」
凛と言い切ったアイリスに釣られて、ジルも表情を引き締めた。
「そうですね。結婚までに一年以上ありますからね。アイリス、俺、頑張ります!」
ジルの敬語は抜けそうにないなとアイリスは予感する。
今はぎこちなくても、その内二人で折り合いをつけていくのだろう。