続編6:ジル、罠に嵌められる。
王太子妃教育も順調な中、ケーン・イドとクラリーサの婚約披露パーティが晩餐館で行われた。久しぶりの慶事とあって、大勢の貴族が参加する。
「ジル、クラリーサお義姉様が一人にならないように気をつけるわよ」
アイリスは嫌がらせはさせない、と気合が入っていた。
今日は初めてジルがパートナーを務める。今までは王太子がアイリスの相手を務めていたが、今日から王太子は当然婚約者のクラリーサを伴う。
そして“祈り姫”のエスコートは、唯一の婚約者候補であるジルが務めるのも当然だった。初めての盛装であるジルは、貴族たちに混ざっても、顔とスタイルの良さで目立っていた。
(めんどくさい嫉妬嫌味を受けるんだろうな)
心の中だけでジルは溜息を吐く。
出自不明の孤児の従者が“祈り姫”の婚約者候補とは、いくら国王陛下が認めたのだとしても、貴族たちの感情は納得しないだろう。誹謗中傷を受ける覚悟でジルはアイリスの手を取っている。
むしろ、クラリーサより条件の悪い自分に矛先が向けられた方がいい。自分は今更いちいち傷つきはしないが、初めての夜会で自分が主役になるクラリーサは色々きついだろう。
国王陛下と王妃たちが入場し、次いで、ケーン・イド王太子殿下とクラリーサ・メーダー伯爵令嬢が紹介され、盛大な拍手の中、登場した。
祝福の拍手の渦に紛れるようにクラリーサは値踏みをされる。しかし彼女は不躾な視線を跳ね返して笑みを崩さない。対して王太子は口元こそ弧を描いているけれど、鋭い眼差しで広い会場の貴族を見渡している。
婚約者を護る気概を見せつけているのを、鈍感な者以外は気がついただろう。うわさに違わず溺愛しているのだと知らしめている。
二人のダンスのあと、続いて国王陛下も妃たちと踊る。今回は、王族も国王と同じタイミングでパートナーと最低一曲は踊るのがマナーだ。アイリスはジルと踊りながら父親を見る。
「連続で四人と踊るなんて大変ね。ケーン兄様が四人も嫁は要らんと言ってるのが分かるわ」
アイリスの言葉にジルは吹き出す。
「笑わさないでくださいよ。危うく足を踏みそうでした」
「大丈夫、完璧よ」
笑い合う二人は、遠目でも仲睦まじく見えただろう。
まだ社交界デビューしていないジェイドも、兄である王太子の婚約披露宴という事で、デビューしたばかりの従姉妹と参加しており、実に初々しく踊っている。
ロデリックのお相手は勿論婚約者である。
フローラ王女は……取り巻きの侯爵家令息だ。彼は回帰前の世界で王女と関係を持っていたから今生でもそうなのだろう。彼には新妻がいたはずだ。どう考えても醜聞だが誰も口にしない。
国王陛下のダンスが終われば、あとは好きに踊ったり歓談の時間となる。
時間が経つと王太子殿下は友人たちの手痛い祝福だの、昔話だのに巻き込まれ、その熱量にクラリーサは文字通り、物理的に引いて距離を空けようとし、気がつけば近くに妹がいた。
「お姉様……、どうしてお姉様なの」
両親は王太子妃の実家として注目を浴びた結果、長女が選ばれた優越感に浸り、高位貴族に話しかけられ喜んでいた。そんな体面なんかどうでもいい妹は、素直に姉の幸運を認められない。
「見窄らしくて冴えない女のくせに、王太子妃だなんて生意気だわ」
そう絡んでいる娘を目敏く見つけた令嬢たちが便乗してくる。
「聞けば社交界に全く出た事ないとか」
「それでご公務とか大丈夫かしら」
「ご多忙な王太子殿下を支えられますの」
あからさまな口撃ではないがちくちく棘がある。
クラリーサは複数人相手に戸惑って、「がんばります」と小声で応じていた。
「お義姉様!」
明るく駆け寄ってきたのは“祈り姫”であった。
「あちらに珍しいスイーツがあるんですって。行きましょう」
クラリーサを誘い「皆様もご一緒にどうです? 新作らしいですわ」と、他の令嬢の気を逸らしていた。
近くで静観していたジルに、給仕の青年が声を掛けてきた。
「あの……“祈り姫”様の付き添いの方でお間違いないでしょうか」
「はい、そうですが」
「“祈り姫”様の休憩室に見知らぬ差し入れが届いていたので、確認していただけますか」
「差し入れ……?」
訝しく思いながらも給仕に着いて行く。
シンメトリーの迎賓館は客室とは逆の廊下に沿って王族の休憩室がある。
(えーと、一番近いところだったな)
ドアプレートにはアイリスの紋章が掲げられていた。
「どうぞ」
給仕が扉を開け、ジルは躊躇せず中に入った。
カチャ
給仕は中に入らずドアを閉められた。素早く鍵の掛かる音がした。
(閉じ込められた?)
しようもない嫌がらせだな__稚拙さに溜息が出る。
「誰だ!?」
ジルは人の気配を感じて素早く振り返る。
奥まった場所にあるベッドに、一人の女性が佇んでいた。
「ふふ、この認識阻害魔道具って、あなたでも咄嗟に周囲の気配に気が付かないものなのね」
フローラだった。彼女は左手のブレスレットを大事そうに右手でなぞる。
「何をされているんですか。それ、軍部の物でしょう。個人で勝手に持ち出すのは禁止されています」
「あら、そうなの? 欲しいと頼んだらくれたわよ」
(どこの馬鹿が渡したんだ)
「無断持ち出しは禁止されています。懲罰対象ですよ」
「じゃあ許可取ってるんじゃないの? 最近魔法士らしい人に付き纏われているみたいで、不安だから目眩しが欲しいって言えば簡単だったわよ」
「……警護を厳重にすればいいじゃないですか」
「王族の警護を出し抜ける高魔力者相手に? これだけ警戒してもこうやって連れ込まれたわ」
フローラは艶やかに微笑み、身体をくねらせる。胸の谷間が強調される。これは彼女が男を誘う時の仕草だ。
「誰ですか、その不届き者は」
フローラの自演に白々しい会話を試みた。
「そうね、誰だったかしら」
「あなたはちっとも変わらない……。他人が仲睦まじいのは許せませんか」
「え?」
変わらない? この男は何を言っているのだろう。フローラは眉をひそめる。
「既婚者や婚約者のいる靡かない男たちに、媚薬入りの酒を飲ませて関係を持つのですよね」
「とんだ無礼者ね。妹の婚約者候補だからって調子に乗らないで」
言いながらもフローラは楽しそうだ。
「強力な媚薬なんてないわ。少し気が大きくなって、理性と本能を天秤にかけるだけ。目の前にいる相手に手を出してしまうのは、本人の意思ではなくって?」
「……その気がない相手はあなたに手を出さないと?」
「その通りよ」
「ふざけないでいただきたい!」
いきなりジルの口調が激しくなり、フローラは目を見開く。
「……平民の魔法士や騎士はあなたに望まれたら拒めない! 実際命令して呼びつけてますよね。まだ十代半ばの少年を!」
「平民風情が王族に可愛がられるのよ? 光栄ではなくって?」
自分はこの女に好意を示したり、媚を売った事など一度もない。いつも仏頂面だった。それが「無愛想な子ね」と目新しい玩具感覚で気に入られていたらしい。
嫌悪だった。それがこの傲慢な女には通じなかったのだ。
「……<平民風情が>と言ってしまうのですね。あなたは」
「事実でしょう」
徒花王女は真実そう思っている。
「おまえに興味があったのに、アイリスの強固な拒否にあって手に入れられなかった。おまえは初恋に囚われすぎよ」
「運命の相手ですから」
何度やり直しても彼女と出会う限り、惹かれるだろう。
「青臭い事。だから私を手に入れてみなさい。夢中にさせてあげるわ」
夢中になんてならない。以前だって好き勝手されただけで、相手をするのは義務だった。今思い出しても気分が悪い。
「お断りします」
「私に恥をかかせるの? ここは私の控え室よ。安心して、妹は来ないわ。まだただの婚約者候補なんでしょう? 浮気にもならない」
「最低ですね。俺にだけ、ここがアイリス王女の控え室だと、嘘の情報を掴ませたのですか」
「さあね、もう無粋な話はやめて大人の時間を過ごしましょう」
フローラが立ち上がり、ジルは身構える。早く部屋を出ていかなければ。
「言っておくけど、中からは開かないわよ」
フローラは終始にこやかだ。少し酒を飲んでいるのかもしれない。
「閉じ込めても無駄だ。あなたに決して手は出さない」
思わず憎しみがこもってしまった。きっぱり拒否すれば一気にフローラの機嫌が悪くなる。
「……そう、残念ね。おまえの未来は終わりよ」
「どういう意味です?」
「ここにいるのは“祈り姫”の姉に懸想する不埒者だけだわ」
挑戦的にフローラはジルを睨んだ。
「私が叫んだら、警護の者やメイドがやってくるわ。内から鍵の掛かったドアを開けて見るものは……おまえに襲われて髪やドレスを乱して泣いている私よ」
言いながらフローラは髪飾りを取る。ばさりと中途半端に髪が落ちた。そしてドレスの肩を乱暴にはだける。それを冷淡にジルは見ているだけだ。
「全く、くだらない。誰が信じますか」
好みの男を連れ込んでの茶番に思われる程度だ。
“祈り姫”のパートナーが問題視されるには、双方裸で重なっているのを目撃されるくらいにはっきりした状況証拠がいる。
「めでたい王太子の婚約披露宴よ。国中から貴族が集まって、他国の大使だって呼ばれているのよ。醜聞の責任は取らされるでしょう。もうアイリスの側にはいられないわ」
はあ、とわざとらしくジルは大きく溜息を吐いた。
「もうこれ以上、あなたと二人きりなんて耐えられない!」
捨て台詞を吐いた後、ジルはフローラの前から忽然と姿を消す。
「えっ!?」
男がいた場所を「消えた……?」と、フローラはしばらく呆然と見つめていた。
「わっ! 何?」
いきなり目の前にジルが現れたのでアイリスはびっくりした。給仕に呼ばれて休憩室に行ったと他の給仕から聞き、何らかの用事があったのだと思っていた。ジルはアイリスの従者であるから。
アイリス以上に周辺が驚き悲鳴が上がった。
「申し訳ありません。急を要したもので」
アイリスと周辺の人々に頭を下げる。
「お騒がせしたわね。ジルは転移魔法が使えるの」
何でもないようにアイリスは言うけれど、初めて目にした貴族たちが騒ぐのも無理はない。
__魔法剣などと、剣士でありながら魔法も使う。
貴族たちはそれは知っていた。しかし剣技はともかく、魔法の程度はよく分かっていなかった。
それが転移魔法だと? 魔法士でも数人しか使えない高難易度の技だ。
ようやく、“祈り姫”の従者が婚約者候補にと、王に選ばれた理由を理解した。有事の時には王族を連れて逃げられる、と。