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続編5:祈り姫、兄に惚気られる。

 ケーン・イド王太子が婚約者として、メーダー伯爵家から令嬢を連れ帰ったのは、それから一ヶ月後だった。


 何年も前に婚約解消をして以来、王太子に親しい女性はいなかった。王命によって婚約者を選ぶにあたり、書類選考で事務的に相手を選ぶものと思われていた。


『一目惚れだった。彼女以外考えられない』

 そう言って十代の少年のように、はにかむ王太子の姿に王城に激震が走る。

 しかし現国王の王妃選びを鑑みるに、婚姻による利点のない相手の女性の出自に王が納得されないのでは?と王城雀が喧しかった。


 そんな中、令嬢の母親が現第四妃と同じ家門の出身で、令嬢自身も癒しの力があると、大神殿のお墨付きだと知らされて、無事陛下の承認を得た。

 猫を飼うのでそれも踏まえて、王太子宮の模様替えが早急に始まる。


「早っ! 兄様、仕事早すぎない!?」

 呼ばれて王太子の私室に参じたアイリスは、口をあんぐりとさせている。


「ケーン・イド王太子殿下、ご婚約おめでとうございます」

 アイリスの背後のジルは落ち着いて祝意を示した。

「あっ、おめでとうございます」

 アイリスも無作法に気がついて、慌ててジルの言葉に続く。


「ありがとう二人とも。いやあ、アイリスの助言を受けて正解だったよ」


 こんなにご機嫌な兄は見た事がない。何だか違和感がすごい。


「随分、浮かれてらっしゃいますね」

 ジルの若干呆れを含んだ声に、アイリスは<それだ!>と腑に落ちる。そう、これは浮かれた姿なのだ。


「失礼な義弟候補だな」

 しかし、その声は明るい。


「まさに一目惚れに近い状態だったんだよ。彼女と目が合った途端、<この人がいい>と思ったんだ」


 その相手、二十歳のクラリーサ・メーダー伯爵令嬢は、早速王太子妃教育を受けているらしい。


「兄様、無理強いをしてないでしょうね。王都も初めての女性ですよ? 生活に慣れる前に勉強を詰め込むなんて!」


「待て待て、これはクラリーサの希望だ。私に相応しくなるために、早く教育を受けたいと言ってくれたのだ。健気だろう?」


「惚気か? 受けて立つ」とか、ジルが小声で意味不明な事を言っているのを、アイリスは無視する。


「私がクラリーサ嬢とお話しさせてもらってもよろしいですね?」

 アイリスはお伺いを立てているようで、反対は受け付けないとばかりの口調だ。


「勿論だ。私には遠慮するだろうしな。何かあれば知らせてほしい」


「分かりました。私は味方だと伝えてきますわ」


 婚約披露宴の時は、クラリーサが嫌がらせを受けないよう気を配ろうと思った。


 ぱっとしない家柄の、しかも病弱とされ社交界デビューもしていない伯爵令嬢。人物像さえ知られていない娘が、王太子妃になるなんて反発もすごそうだ。政治的でない人選に、一番ほくそ笑んでいるのは第一妃周辺である。


 ジルは思う。第一妃もワーグリィヤ公爵も権力に目がいくばかりで愚かだ。王太子は自身の有能さで立場を揺るぎなくしているので、後ろ盾など要らない。むしろ、これから“祈り姫”や神殿が王太子妃を支持するのだ。それを知った時に慌てるのだろう。


「ところで、王太子殿下、馴れ初めを詳しく教えてください」


「どうした、ジル。おまえ、そんなものに興味があるのか?」


「いえ、姫様の侍女たちに頼まれているので」


 王太子は「娯楽にされるのか。まあ仕方ないな」と、肩を落とした。


「違います。城下町で広めてもらうのです。薄幸の令嬢を王太子が見初めて、令嬢の飼い猫ごと王城に連れ帰った話を」


「大筋は間違っていないな……飼い猫のくだりはいるのか?」


「兄様、犬と猫は庶民にも多く飼われています。王太子も妃も猫好きというのは好感度が上がります」

 横からアイリスが口を挟む。


「私は特別猫好きでもないが、クラリーサが面倒をみている家族だ。当然だろう。それより好感度とは?」


「王宮のメイドたちはいい仕事をしてくれるので、ぜひ王太子殿下の熱愛を国民に伝えてもらいましょう」

 ジルは真顔で進言している。


「熱愛は大袈裟だ……」


「いいのです。脚色した方が受けます」


「一体何を目指しているんだ?」


「兄様、ジルは私と結婚したいとギルドでも話していて、冒険者たちにも広まっているんです……商人たちも地方に行けば、私たちの[純愛]を王都土産として語っていて、喜ばれるそうです」


 アイリスは羞恥で身を震わせながら説明する。


「なるほど、おまえはそうやって世論操作をしているのか」


「王太子殿下、言い方が悪いです。大勢の民衆の好意は、それだけで力になるのです。国民に王太子妃を認めてもらいたいでしょう?」


「正論だな! おまえたちの熱愛情報操作に便乗させてくれ」


 王太子と義弟予定は、共同戦線を張る事になったようで固く握手をした。アイリスは呆れて、そっと溜息をついた。



 

 それから、アイリスはクラリーサを訪れる。

 彼女は既に王太子宮に住んでいた。以前の婚約者と破談になってからは無人だったが、内装も一新された。


「初めまして。ケーン兄様をよろしくお願い致します」


「聡明なる“祈り姫”様、初めまして。クラリーサ・メーダーと申します」


 アイリスは緊張気味に挨拶した彼女を観察する。

 痩身なのは今までの質素な食生活のせいだろう。以前視たより肌艶が良く髪が美しいのは、彼女についた侍女たちの丁寧な仕事の賜物だ。


「アイリスと呼んでください。お義姉様」


「いえ、まだ婚約者なので……」

 顔を赤らめるクラリーサは実年齢より幼く見えた。

 対人関係に難ありの自覚がある彼女は、言葉使いに不安が見られ落ち着かないようだ。


「婚約が解消される事はありませんわ。ケーン兄様はクラリーサ様をとても大事に想ってますもの。私にも不都合はないか聞いてくれと頼むくらいですから」


「あんな素敵な王太子殿下に見初められたなんて、身に余る光栄でございます」


「その、無理やり外に連れ出されたのではないですか? 兄様はこれと決めたら強引ですから」


 アイリスの言葉にジルは、そう言えば自分を引き取った“祈り姫” もいささか強引だったな、と思い出す。回帰前に自分の言葉で魔法士になったジルを敵にしないために、初対面で連れ帰った。


 さすが兄妹、似たところがある。王太子殿下は不遇の令嬢を連れ出した。最悪、婚約を辞退されても、多分母親の侍女にするなり、神殿に任せるなりして、実家には帰さなかっただろう。とどめる理由があればなんでもいい。国王代理として命令するだけだ。


「身一つで来てくれと言われまして……」


「それがプロポーズの言葉ですの?」


「絶対に守るから、妃になって支えてほしいと」


 ジルは心の中でメモをする。やるな、義兄(予定)、いい感じだ。カリンカが喜びそうである。


「納得されてらっしゃるのね?」


「はい、守ってくださるとの言葉に感激して。随分迷いましたが、家族の猫も一緒にと言ってくださったのが嬉しくて……決め手になりました」


「猫ちゃんも……」

「はい、ミィって名前の女の子です」

 紹介されたのはミルクティ色の毛の、まだ若そうな猫だった。


 クラリーサの滞在している部屋にはクッションを敷いた籠が置いてあって、中に入ったミィが大あくびをしている。こちらも充分に手入れされていて綺麗だ。


「やっぱり猫ちゃんは溺愛話に必要ね」

「同感です」

 “祈り姫”と彼女の婚約者(仮)がこそこそと話している事に、クラリーサは気が付かなかった。




◇◆◇◆


 メーダー家のあるユークリッド地方を、視察の名目で訪れた王太子殿下にメーダー家は沸いていた。王太子の婚約者選びが本格化したのは国中のうわさだったから、肖像画を見て、美しい自慢の娘に会いに来たのだろうと。一応体裁のためか領地を回り、今年の農作物の出来高を真面目に観察している殿下はなかなか娘の話はしない。


 ようやく昼食をと伯爵邸に招き入れて、伯爵はやっと娘を引き合わせる事ができた。肖像画の娘は可愛らしく着飾って、初対面の殿下の姿に頬を染めていた。

 なんせ王太子殿下は国王陛下から苛烈さを引いた穏やかな顔立ちの美形なので、見惚れるのは無理ない。


 伯爵夫妻と娘と跡取り息子と、共に昼食を摂った殿下が食事後、徐に『裏手の小さな屋敷はなんですか?』と尋ねた時の伯爵夫妻の狼狽といったらなかった。

『あれは昔は住み込み使用人の住居でした。今はこの本邸で事足りるので使われておりません』

『そうですか? 若い女性が屋敷に入っていくのを見たのですが』


 ケーン・イドの大嘘である。屋敷すらまだ目にしていない。

 伯爵が『そんな筈は』としどろもどろで顔を青くし、令嬢が目を釣り上げて『今日は庭に出るなと言ったのにお姉様ったら!』と自爆した。


『お姉様? そう言えば先妻のお嬢さんがまだ結婚していないようですが、その令嬢はどちらに?』

『す、すぐに連れて参ります』と慌てる伯爵に『病弱なのでしょう? 挨拶だけさせてもらいます』と心配そうな顔をした王太子は、なかなかの役者ぶりだった。


 観念した伯爵が『あれは我々との接触を嫌っておるのです』と告げても、王太子は強引に裏手に回った。そして屋敷のドアをノックすればクラリーサがドアを開ける。軋んだオレンジ色の髪に青白い肌で痩せた彼女の、若草色の瞳だけがキラキラと輝いていた。それは弟のジェイドを彷彿とさせ、二人は同じ家門なのだと納得した。


 そこからは王太子殿下の独壇場だった。

 伯爵たちを本邸に追い返し、クラリーサを口説く口説く。畏れ警戒して涙目になる彼女に『君の家族がこの子だけなら一緒に連れておいで』と猫を撫でて、猫が殿下に甘えたのを見てようやく誠心誠意が伝わり、彼女は妃になる事を承諾した。


 あとは『厭世的でも病弱でもない魅力的な女性だ。先妻の子だからと冷遇する家族の元には置いておけない』と伯爵が反論できないうちに馬車に乗せた。本当に彼女の荷物は鞄一つに明るい茶毛の猫だけだった。


 __以上が、ジルが王太子殿下に同行した従者から聞き出した、メーダー家での顛末である。



「令嬢たちが応援したくなるように貴族たちにも広めるわよ」

 恋人に「御意」と返事はしたものの、なまじ王太子が美形で物腰も柔らかい好青年なので、嫉妬は免れないだろうなとジルは思うのだった。



 

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