続編4:祈り姫、兄の嫁選びをする。
「お兄様、お妃候補は決まりましたの?」
「それが……私の後援貴族の中から選ぶのが筋だと考えたんだが……」
王太子は渋い顔になる。
「陛下が、これ以上派閥に力を入れる必要がないから国外で選べと」
「はあ!? 始めからその条件で言えばいいのに後出しで!」
ぷりぷり怒るアイリスに王太子は父王を庇う。
「一応私の意見を尊重してくださったけど、陛下からすれば見通しが甘かったんだろうね。実際ロデリック派が結束しても、これ以上政権を揺るがす事は無いしね」
それは<ケーン・イド王太子に何も無ければ>が、前提にあるのだが。
「弟は政治にも権力にも無頓着に見えるけど、どうなんだろうな」
「ロデリック兄様は全ての面に於いてポンコツですよ! ロデリック兄様を担ぐのは、祖父のワーグリィヤ公爵が傀儡にしたいからに決まってるじゃないですか!」
「……アイリス、声が大きい」
「ここはケーン兄様の執務室です! ここでの総意を代弁したんです!」
室内には王太子の執務官、守護騎士が静かに佇んでいる。そして壁際に控える侍女の一人がコクコクと小さく頷いたのは無意識の同意だろう。
「なんとか三名には絞った。国益で言えば大差ないと思う」
「兄様……、それでいいのですか? 好みの女性とか」
「国母を選ぶのだからね。好みなんてないよ」
「王太子殿下、候補者たちの釣書と肖像画を、姫様に見てもらっては如何でしょうか。何らかの情報が得られるかもしれません」
ジルが水を向けると王太子は「ん?」と首を傾げた。
「アイリスの能力は無意識下の夢見じゃなかったか?」
そうだ、そういう事にしていたのだった。随時予知ができるものじゃないと。
「その力が任意で引き出せないかと修行中ですの。ちょっとそれをやらせてもらえないかと思うのです」
「そうか、私の妃選びなら気楽だな。どうぞ」
王太子はあっさりと、肖像画と釣書をアイリスに手渡す。
アイリスは三枚の肖像画をソファのテーブルに並べた。そして、意識をブローチに向け、願いを語りかける。(力を貸して)と魔力を胸元のペンダントに流す。
__どんな方たちかしら。ケーン兄様に幸せになってもらいたいの。
左端の肖像に手を触れた途端にアイリスの脳に映像が映り込む。優しげな肖像画とは裏腹な、ヒステリックな姿が見えた。どんな事情であれ侍女に平手打ちはまだしも、何度も踏みつけた挙句、ドレッサーの椅子で打ち付けるなんてあり得ない。憤怒の形相の女性の姿はまるで悪鬼のようだ。
「……兄様、こちらの方は随分過激な性格のようです。この肖像画は十割り増しで優しそうに描かれています」
「実物が見えたのか!?」
「はい、まあ、多分」
「これはソートサーブ公国の第二王女だ。公国を訪れた時にお会いしたが、確かにもっと気が強そうな顔をしていたな。塩を輸入している我が国には、公国の塩田は魅力なんだがな。陛下の圧にも耐えられそうな感じで良いと思ったのもある」
「王太子殿下、陛下の覇気に耐えられるのは性格じゃありません。魔力です。魔力の無い方でも魔道具で防げます。そこは加味しなくていいでしょう」
ジルが助言すると王太子は「そうか、そうだな」と納得した。
「彼女はやめておこう。王妃たちと揉めそうだしな」
嫁姑の不仲は、一国の王子と云えども避けたい問題である。
一呼吸置いて、アイリスは次に真ん中の肖像に触れる。
……これは何だ、侵略か!? 王都の門を武力突破した軍隊が見えた。旗はどこのものだろう。王城の物見の塔から笑顔で見下ろす肖像画の女性が、手引きをしたのか?
父は城に不在なのだろう。兄は? 都民への蹂躙、この後鎮圧しても被害があるのは確実だ。
「……この方は?」
動悸を抑え、アイリスはやっと口を開く。
「レジン首領国の第三姫だな。和平交渉がやっと形になってきたから、関係を深めるためだ。あそこの女性は表舞台にあまり出ないから会った事はない」
「兄様、レジンの軍旗はフェニックスですか?」
「そうだが……なるほど。二心を抱いて嫁いでくるのか」
賢い王太子はアイリスの問いだけで大体の事情を察した。
「あそこは純粋に戦闘民族だ。商人やら軍人やら農民やら、基本的に同じだ」
ではいくつも商隊のフリをして、王都直前で軍隊に早変わりして奇襲したのかもしれない。
「やはり和平後も信用できない国だな。身内に迎えるのはやめよう」
(最後の一枚。どんな人かしら)
アイリスが触れると静謐な気が流れ込んできた。神殿で祈りを捧げる少女。
……神殿の壁画の主は知恵と力の神ルイジャ、ハルマゴール帝国の最高神だ。
「兄様、この方はハルマゴールの方ね?」
「そうだ。公爵令嬢で聖女でもある。フローラ王女が失敗したから、同盟国として再度婚姻を結ぶのもいいかと思ってね」
「すごく清らかで誠実な方のようですわ」
「君のお墨付きなら彼女にしようか」
……清らかすぎる。彼女は帝国の安寧と、愛する人たちの幸福を願っている、敬虔なルイジャ信者だ。そして初恋の伯爵家令息をずっと思い続けている。
貴族令嬢として、その想いは封印して嫁いでくるだろう。それよりも結婚したらこの国の女神を崇めなくてはならない。彼女の信心はそれに耐えられるだろうか。
世界を見ても宗教の壁は厚い。
しかしこれは、より良い選択には違いない。
「あら?」
アイリスが顔を上げると、視界の端がぼんやり光った気がした。目を向けると執務机のサイドテーブルに肖像画が重ねられている。それらは候補から外された者たちだ。
だがアイリスは肖像画を漁ると、気になった一枚を取り出した。
「それは国内の令嬢だから対象外だ」
アイリスは肖像画の中の紅茶色の髪の少女と目を合わせた。すると、その少女とは別の女性の姿が流れてきた。熱心にその肖像画に心を馳せていたアイリスが、顔を上げて言い放った。
「兄様! 気になる方がいます!」
突然の宣言に王太子はびっくりする。
「陛下は国外から選べと言ってるんだよ?」
「あら、兄様の伴侶ですよ。父王の意見なんか参考程度でいいんですわ」
「姫様、王太子殿下のみならず、皆様困惑されています。まず、意図をご説明ください」
ジルもアイリスに戸惑っている。
「分かったわ」
頷くと、アイリスは兄を見据えた。
「ハルマゴール帝国の公爵令嬢は、政略結婚の条件としては悪くありません。でも悪くはないだけなのです」
紅茶色の髪の少女の肖像画を抱え、「この令嬢には未婚の姉がいるはずですが、そちらの釣書は無いのでしょう?」と尋ねる。
「メーダー伯爵家か。可もなく不可もなくといった家柄だ。領地経営も問題ないから、あまり気に掛けた事はない」
「前夫人の忘形見のオレンジ色の髪の姉がいます。この肖像画の令嬢は今の伯爵夫人の娘ですわ」
「前妻の娘か。もしや虐待されているのか?」
「蔑ろにはされているみたいですが」
言いながら更に情報を得ようと、再度肖像画に意識を向ける。
「粗末な食事と服ですね。病弱とされていて、社交界デビューもさせてもらってません。ただ、高く売ろうと伯爵家の娘としての教養は身につけさせていますね」
「高く売る?」
「ええ、格下の金持ちの貴族か平民の豪商あたりの後妻に嫁がせたいみたいです」
「後妻が自分の実の娘より幸せにさせたくないのだろうな。たまに聞くが業腹だ」
王太子は憤っている。
「肖像画の娘ではなくて、その姉の方が見えたのか?」
「はい、この方は綺麗なドレスを見せびらかしにわざわざ彼女の元に訪れて、こんな見窄らしい姉が居て恥ずかしいとか罵っていたので、気になってそちらの方を…」
「その姉はどうだった?」
「離れで一人暮らしです。日中はメイドが掃除や食事を届けに訪れますが、専属の侍女もいません。穏やかに花を育てたり刺繍をしたり本を読んだりの生活をされています」
そこでアイリスは言葉を切り「話し相手もいない、外出もできない環境はひどいです」と兄を見つめた。
「兄様もご存知のように、“祈り姫”就任前は私も古びた小さな離宮に住んでいました。それでも従者も侍女も護衛騎士もいたので、寂しくありませんでした」
「それがご存知じゃなかったんだよ」
王太子は顔をしかめた。
「後宮、王女の生活は第一妃の管轄で、男は口出しできないのが仇になった。前第四妃が亡くなった後に、幼い第六王女が離宮に隔離されたなんて知らなかったんだよ」
「私は使用人たちにも大事にされて、好き勝手に過ごしていたからいいんです。でも彼女は……離れに住み着いた猫だけが家族なんです」
「ふーん、アイリスが見たのなら、彼女は妃候補なのだな」
アイリスは頷く。
「恐らく最善の部類になるかと……もちろん兄様がお会いして決めるべきです」
「会ってみたいさ。しかし気に入っても陛下を納得させる材料が無いな」
「ああ、多分彼女には癒しの力があります。彼女の周りの植物がやたら元気なので。調べるといいと思います」
「そうなのか?」
それなら妃の条件に不足はない。それに伴侶としての縁がなくても、癒しの才能があるなら神殿で保護ができる。猫も一緒なら断らないだろう。
自室に戻ったアイリスは、ジルの淹れた紅茶を飲んで一息つく。
「メイガータも具体的な映像を見ていたのでしょうか」
気になったジルが尋ねると「さあ、どうかしらね」とアイリスは首を傾げる。
ジルは、王太子と話すアイリスに驚いた。やけに人物像がはっきりしていたからだ。ジル自体はメイガータから予知の詳細を聞いた事がないので、彼女がどんなふうに視ていたかは不明だ。カード占いに擬態していたから、もしかしたら敢えてそれらしい表現を選んでいたのかもしれない。
「ジルも使ってみる?」
「そのブローチは相性が悪いような気がするので遠慮します……」
「どうしてよ」
「今更返せませんけど、正当な持ち主は帝国のシエルーク家ですよね。俺の物じゃないって意識が今でも強くて……」
アイリスは不思議そうな顔をする。
「あなたの元に戻ってくるのよ? 正当な主人はあなたに違いないわ」
「はあ、そうかもですが」
ジルは歯切れが悪い。上手く説明が出来ない。
自分が持っている指輪は、レダ王が着けていたのではないかとジルは思っている。時間を遡る魔道具なんて、発動できる魔力がないとただの装飾品だからだ。王が臣下を連れて逃れ隠れ住んだのが恐らくあの地だ。<森の民>は他人種の血がほぼ混ざらなかったおかげで、強い魔力持ちが受け継がれたのだろう。
アーティファクトの優劣と言うか、指輪と胸飾りでは格が違いすぎる。指輪の持ち主は、他のレダのアーティファクトを身に着けてはいけない気がするのだ。ジルが自身を正当なレダ王家の後継者だと信じている訳でもない。
ただ、ブローチを持ち続けるのに何とも言えない本能的な拒否感がある。まるでアーティファクトに意思があるみたいなこの気持ち悪い感覚は、理解してもらえないだろう。
曖昧な気持ちを言葉に整理しながら、そうした内容を零すジルにアイリスは「そうなの」と軽く応じた。
「魔道具って、魔力を注ぐけどその時に感情も込めるわよね。ケーン兄様に贈った腕輪もそうだったじゃない? 護ってくれますようにと願ったわ」
あれはシャクラスタン王国の最高防具として、子孫に受け継がれるべき代物だ。
「だからそんな残留思念とかがあっても不思議じゃないと思う」
「はあ、作成者は随分プライドが高かったんでしょうかね」
「きっと天才だから仕方ないわ。そんな理由ならやっぱり私が預かっておくわね」
二人の話がついた。