続編3:祈り姫、予知者を目指す。
最近ケーン・イド王太子の頭を悩ませているのが、お妃選びである。
二十三歳の時には婚姻間近の婚約者がいた。副財務大臣を務める侯爵の娘だった。しかし父親が汚職で失脚した為、当然婚約は解消された。どの派閥にも属さないで強かに振る舞う侯爵家を取り込む政略相手だったけれど、年下の利発な令嬢に王太子は不満はなかっただけに残念だった。
令嬢は母の母国に身を寄せる形で出国した。
(幸せにしているといいが……)
久しぶりにかつての婚約者の懐かしい笑顔を思い出し、王太子は釣書の束を手にしたまま、しばし感傷に浸る。
「に、……兄上、さっきから百面相してるよ」
もう“兄様”呼びは子供っぽいからと卒業するらしいジェイドの声で、現実に引き戻される。
「そうかい?」
「難しい顔してたかと思えばへらりと笑うし、情緒不安定?」
「へらりじゃない。昔を偲んでいた笑顔だ」
ジェイドは思いついたらふらりと王太子の執務室や自室を訪れ、許可が出ると話し込んでいく。懐いてくれるのは喜ばしい。ただ、末弟の幼い頃の遠慮がちな可愛かった姿を思いだすと、若干寂しいお兄ちゃんであった。
「あーあ釣書、丁寧に扱わないと。ちゃんと肖像画も見てる? 父上に二十八歳の誕生日までに相手を決めろと言われてんでしょう? 急がなきゃ」
面倒だからと、のらりくらり結婚話を先延ばしにしていたツケが回ってきた。終戦や国内問題が落ち着いている今、婚約者を決めろと“王命”を喰らった。たしかに王太子がこの歳になっても独身なのは問題があるだろう。ケーン・イドだって気にしてはいたのだ。
「兄上! この子、八歳だよ!?」
勝手に肖像画を見ていたジェイドが素っ頓狂な声を上げた。
「ん? ああ、クワンダの第一王女だな。全く、私が十歳くらいならまだしも、すぐに世継ぎを望めない相手を送り込んでどうする気だか」
クワンダは属国である。従属の人質の意味があるのだろう。
「第四妃でもいいって」
釣書を確認してジェイドは更に目を丸くする。
「第一妃に選ばれないと分かってても、押し込みたいんだ!」
「第一妃選定に捻じ込むとは不快だな」
「年が親とそんなに変わらないおじさんに嫁がされるなんて、人身御供だよ!」
「……ジェイド、幼女をもらう気はないからな?」
悪気のないジェイドのおじさん呼ばわりはショックだが、八歳の王女にとってはそうだろう。必ずしも四人娶らないといけない決まりはない。
父王みたいに四人の妃、……今は実質三人か。平等に扱えるほど器用じゃない。いや、父王は誰にも特別な愛情を注がないから問題ないのだ。父王にとって“妃”は血統を継いでもらうだけの相手だから。あの人は膨大な魔力と引き換えに、そうした情が欠如しているのだとケーン・イドは思っている。
アイリスの母が亡くなった後に娶った第四妃は、ジェイドを産んだあとは閨の相手も免除されている。もう離縁するか下賜すればいいのに。諜報活動はしていないが、王宮の愚痴を外で漏らすのは妃としての品格に欠ける。
「なあジェイド、君は母上が離縁されたらどう思う?」
ジェイドも大人の事情が分かる年だ。王太子は話を振ってみた。
「今更? 僕が産まれてすぐに追い出せば良かったのに」
どうでもいいよ、とジェイドはせせら笑う。
「公式の場では第四妃は君を大事にしているように見えたからね。陛下も母親が必要だと思ったんじゃないかな」
否、父王は人情の機微を理解する気がない。アイリスの言葉を借りるなら“情緒はポンコツ”だ。儚げな容姿を裏切って、妹は割と辛辣である。そこは父親の血を感じる部分だ。
「実家の借金の清算と僕の誕生で、契約結婚の条件は満たしたはずだよ。妃としての役目どころか足を引っ張るあの人を、いつまでも国税で養うのもどうかと思う。だって妃に当てられる年間予算って僕の予算より多いよ? あの人より僕の方がよっぽど国の役に立ってるのに」
「……そんなふうに思っていたのか」
とかく女性の身支度は金が掛かる。四人の妃に充分な装いをさせる費用を削ってはいけない。王家は潤沢であると示す豊さの象徴なのだ。
「姉上みたいに寄付や援助に使うじゃなく、装飾品を買い漁ってるし、愛人に高価な物を買い与えている。国民が怒ってもいい案件だよね」
「じゃあ離縁か下賜で調整してもいいんだね」
「誰に下賜するの? あの人の愛人は実家の家令の息子で男爵家だよ。体裁だけ見ると王を裏切ってるし、そもそも臣下ですらない。離縁一択だよ」
なるほど、バッサリだ。ジェイドは既に“祈り姫”と共に活動しているから民衆の支持もある。母や母の実家との繋がりの話などどこからも聞かない。
「もっと早く君に相談していたら良かったな」
「僕は甘えたの子供だったから」
自覚はあったのか。しかし、自分やアイリス周辺に揉まれたかせいか、随分大人びてきた。ロデリックより余程思慮深い。
「それより兄上、この南の辺境伯の令嬢、強そうでかっこいいよ!」
「コールマイ侯爵の末娘か。悪くないけど防衛戦に参加して騎士として叙勲された女性だよ。王都に出て王太子妃を望むとは思えない」
「じゃあこっちは? サンパルドス王国の第八王女。優しそう」
「愛妾の娘だから王女とは名ばかりだ。陛下は反対するだろう」
「という訳で、兄上の第一妃選びが難航してるんだ」
アイリスの執務室でジェイドが報告すると、アイリスは「まあ」と目を丸くして、ジルは「ジェイド殿下、王太子殿下の執務の邪魔をしたらいけませんよ」と咎めた。
「邪魔なんかしてないよ。釣書片手にうんうん唸ってるから、良さそうなのを見繕ってあげてたんだよ」
それは邪魔なのでは、とジルはジェイドに視線で訴えても、第三王子は素知らぬ顔である。
「ロデリック殿下の婚姻が控えてますからね」
執事長がさらりと第二王子の名を挙げた。
「ロデリック兄様の婚約者は、ワーグリィヤ公爵家の派閥の侯爵令嬢。分かりやすく身内で固めてるわよね」
「王位継承権を持ったままの婿入りですからね。ワーグリィヤ公爵の誤算は娘がなかなか孕らず、第一王子を産めなかった事でしょう」
ジルが語るのは<ここだけの話>で、ジェイドはこんな会話に混ざるから、思考も大人びてきたのだ。
「ロデリック兄上は王位なんて望んでないと思うぞ」
ジェイドは第二王子には近寄らないものの、観察はする。
仕事は杜撰なので、公務もほとんど任されていない。それを屈辱とも感じず、怠惰な生活を満喫している男だ。国王や王太子みたいな面倒な立ち位置は御免だと思っている。
「望んでなくても、担がれたら降りるのも面倒なタイプだからタチが悪いのよ」
「<傀儡で上等、周りが勝手にやれ>ですから、悪政を敷かれても気が付かないし気にも留めない」
「なんです。姫様もジルもまるで見てきたように」
ナルモンザが笑ったので、アイリスとジルは顔を見合わせて苦笑した。
__見てきたのだ。
ロデリック王太子が、今のケーン・イド王太子と同じく国王代理を任された世界を。……求心力を失くした王家が滅びるのを。
◇◆◇◆
王宮の中庭は王族の庭園で、王族以外は許可なく入れない。いつの時期も花が咲き乱れており、宮廷庭師の知識と技術の集大成と言われている見事な庭で、他国の者が招かれるのは要人のみで栄誉とされる。
アイリスとジルはその庭を散策していた。別に花々を愛でているわけではない。二人きりの秘密の会話をするのに最適な場所なのだ。
「王太子殿下が本当に妃選びに迷っているなら協力しますか?」
アイリスはジルの真意を悟って「どうしようか」と眉尻を下げる。
ジルがフローラ王女に遭遇したあの日、彼は魔法省に依頼していた魔道具を取りに行っていた。
認識阻害を施したロケット型ペンダント。頑丈なアマタイト製のチェーンの輪っかひとつひとつに嫌らしいくらいに魔力隠蔽の術式を込めている。熟練の魔法士の成せる技で、ジルやアイリスは腕輪くらい大きい物じゃないと術式を込められない。だから魔法省を頼った。
厚めのロケット部分は銀製に見せかけたアマタイト製で、アイリス王女の紋章をあしらっている。無骨なイメージのアマタイトとは思えない繊細な装飾と輝きだ。持ち主は一目瞭然。
ジルが恋人のアイリス王女に贈った逸品だと魔法士から情報が流れている。間違いではないが正確でもない。
ロケットの中に忍ばすのはレダのアーティファクトのブローチ。そう、それはジルが手にしていた。メイガータはきっとシャクラスタン王国に奪われたと思っていただろう。実はメイガータが囚人服に着替えた時のどさくさでジルが回収していた。
最短での処刑の流れの中で、アーティファクトは皆の記憶から忘れられる。
彼らの罪状を表に出すわけにはいかなかった。二人はハルマゴール帝国貴族を名乗っているので、帝国を巻き込んで調査をせざるを得なくなる。帝国自体が関与していないのは確実。ひっそりと処刑が終わったとアイリスが知ったのは処刑一週間後だった。
犯罪証拠の記録映像があったから刑執行が早かった。ジルは処刑に立ち会う。万が一にも生存が疑われる事態が起こらないように、自身の目で確認したかったのだ。すり替わりも認識阻害も起こらなかった。
魔道具のペンダント。宝石のように王女を飾る華やかさは無い。しかしそのロケット部分に納められたのはレダ王国の遺産。値段をつけられない代物だ。
『私に預けていいの? 窓の外に投げてもジルの元に戻ったじゃない。正式な後継者はあなたよ?』
『いいんです。姫様は認められてます。俺の伴侶になる相手ですから』
『でも……』
『姫様』
ジルは真剣な顔をする。
『あなたは前生の記憶で災害を防ぎました。女神の懸念のクーデターを阻止しました。ですがこれからは……? あなたに予知力があると考える人々はこれからも頼りにするでしょう』
『メイガータのような力を使えと言うの?』
『ブローチの能力は絶対的なものじゃない。いくつかある道筋の中からより良い道を選ぶのだと言っていましたよね。曖昧な要素ですが、回帰前は彼らの選択は上手く噛み合っていました』
『……私に上手く使えるかしら』
『ブローチの魔力に合わせる感覚ならすぐ慣れるでしょう』
そうしてアイリスは、レダの偉大なるアーティファクトの魔力を隠したペンダントをジルから受け取った。
そして今、ジルは提案しているのだ。王太子の妃選びを占えばどうかと。
確かに手始めにはちょうどいい案件かもしれない。