3:祈り姫、行動を開始する。
よろしくお願いします。
建国以来続く女神に対する祈りの儀式。そもそも王や王妃が行っていたものが、穢れなき若者の方がいいのではないかと、主に十歳以上の王女に託された。適切な者がいない場合は王子でも良い。それは“祈り子”という役職だ。王太后が務めた時代もあった。いつしか王女の場合“祈り姫”と呼ばれるようになる。……こんな事さえ知らなかったアイリスは、以前の自分の興味の無さを恥じた。
現王国は性別問わず年齢順に王位継承権がある。カミルは同母兄の第二王子ロデリックに関して「あれは母に似て陰湿」と嫌悪感を隠さない。第三妃の息子の王太子ケーン・イドには「公平で頭が良くて穏やか」と好意的だ。王太子と第二王子の間には、第二妃の三女とケーンの妹がいるのでロデリックの王位継承権は現在第四位になる。
「第二妃の長女も次女も嫁入りしているし、第三王女も王太子殿下の妹もいずれ出ていくでしょ。だから実質ロデリック兄様が第二位なの。いい? どちらの王子とも仲良くなりすぎないようにね。派閥争いに巻き込まれる危険がある。信頼できる大人を見極めなさい。王子たちには出来るだけ関わらない方がいいわ」
アイリスに理解は難しいだろうと、カミルは王子に近づかないようにと行動を念押しした。本来なら母が教えるであろう当たり前の処世術も知らなそうな妹が不憫だった。もっと早くに構っていればと後悔していた。
アイリスはカミルの真意を探る。彼女は王太子の失脚、最悪で殺害を示唆しているのではないのか? 第二王子を次期国王に推す派閥がケーン・イド王太子の排除に動くと。
逆行前の時間軸ではケーン・イド王子は流行り病で亡くなっている。今から六年後だ。その一年後に将軍が叛乱を起こした。年上の王女たちもすでに籍を抜けていたため、クーデター時の王太子は暗愚なロデリックだった。
ケーン・イド王太子の急逝は国中が悲しんだ。病死だと公式に発表されたが、毒殺ではないかとの噂が王城内でひっそりと流れていた。……もしや。思わずぞっとしてアイリスは身震いする。
記憶では、クーデターは隣のハルマゴール帝国が攻めてくるとの噂で、世間の不安が頂点に達していた時期に起こった。魔獣被害に飢饉、流行り病、王太子の死去による政治の混乱、戦争の爪痕。
国内の弱体に乗じて隣国が攻め入るなら“戦闘狂王”が屈服するはずはない。魔法士や魔道具の質も、兵力も格上の隣国との戦争に、王の攻撃魔法に頼る戦法は無謀すぎると今なら分かる。ケーン・イド王太子が存命なら彼は必死で国王を止めたろうし、阻止出来なければ彼の名の下に反乱が起こったかもしれない。
きっとあのクーデターはぼろぼろの国内を護るため、隣国との戦争回避のために起こされたのだ。アイリスは城内と世間の不穏な気配を感じていたものの詳細は知らない。やはり自分は祈るだけの仕事しかしていない無知者だった。
「カミル姉様……。ケーン兄様の母君が小国のご出身だからケーン兄様は排除される危険があるの?」
小声でずばり問うアイリスにカミルの方が狼狽える。この妹は賢い。カミルは明言を避けた。
「私の母の実家は金も権力もある発言力の大きいワーグリィヤ公爵家で、いつの時代も王家に食い込もうとしている意地汚い連中よ。どんな悪巧みをしているやら。私は彼らと縁切りしたいから、どうしても早く他の国に嫁ぎたかった。貿易面で優遇される良縁だとあいつらは思っているけどそうはいかないわ。公国に公爵家を贔屓なんてさせない」
嫌そうに吐き捨てたカミルは、打算込みの婚姻だと本音をこぼした。
「……カミル姉様って、淡泊に見せかけて熱い方だったんですね」
アイリスは感心する。
「どちらも本当の私よ。身内が嫌いすぎるだけ」
言い切ったあとアイリスを抱きしめ、「でも腹違いの妹は可愛いと思ってる」と微笑んで付け加えた。
「あなたは大事な妹。手紙書くわ。何かあったら私を頼りなさい。嫌な縁談を決められたら公国に亡命すればいい」
なんとも物騒な提案だが、心を通わせられる姉が出来たのは素直に嬉しい。
「はい! ありがとうございます」
やがてアイリスとの別れを惜しみながらカミルは公国へ嫁いで行った。
「“祈り姫”の引き継ぎで仲良くなったのかい? きみが見送りに来るなんてね」
淡々と挨拶を済ませるカミルが第六王女の手を握り、二人が涙ぐんでいるのを見て王たちは驚く。妹を見送ったのち、第二王子がアイリスに声を掛けた。
「ええ、カミルお姉様には本当に世話になりましたの」
前はいつ姉が城を出発したのかも知らなかった。今回は親身になってくれた彼女の存在で、やり直しのスタート時点から展開が変わっている。カミルが嫌う実兄ロデリックに警戒しつつ、アイリスは無垢な少女っぽく無邪気に笑ってみせた。
「ふうん、あいつ世話焼きだったんだな」
ロデリックはどうでもいい感じで呟くと、さっさと城内に戻って行った。第一妃はアイリスを一瞥しただけで何も言わずに彼女の横を通り過ぎた。
◇◆◇◆
さて、これからどうしよう。アイリスは思案する。
“祈り姫”の時間以外は勉学やマナーの授業がある。自由時間はテーブルクロスやクッションに得意な刺繍とか、端切れを活かして好きな小物を作ったりしていた。教会のバザーへの寄付用品だ。それと教会が運営する養護院や診療院に、“祈り姫”に宛てがわれる王室助成金の大半を寄付していた。
しかし……やっぱりへそくりは必要だろう。何かあった時のために蓄えないと。
“祈り姫”からだのって偉そうに寄付していたくせに采配は教会任せだった。実態を確認して自分で配分を決めなきゃ駄目だ。
(個人資産を持っていない私のお金は税金なのに。こんな基本すら思い浮かばなかったなんて!)
アイリスは以前の自分に落ち込む。更に反省点。
(……政界の要人と会話した事が無い上に、茶会や夜会での貴族との交流もほとんど無し。国民の様子を知ろうと思えば出来た立場なのに、視察ひとつしていない!)
これからじっくりと見定める必要がある。国民の生活も、政治も、王室も、貴族も。
クーデターを防ぐのが最大目的だけど、もうひとつ。
ケーン・イド王太子は流行病で亡くなった。快方に向かっていたにもかかわらず容態が急変した。だから毒殺されたとの噂が流れたが、妹といえどもアイリスに真実は分からない。有能な次期国王の夭逝は痛手すぎた。ケーン・イド王子はあと数日で二十六歳を迎えるはずだった。助けられるなら助けたい。
そしてウェビロ将軍の謀反。王家に対する忠誠を常に示し、アイリスが式典や夜会に参加すると、必ず丁寧に挨拶してくれた。そう言えば、成人の誕生日には白薔薇の花束を贈ってくれたっけ。そんな彼の反乱はまさに寝耳に水だった。
クーデター時の城内に居た王女はアイリスと、二十八歳の出戻り第二王女フローラである。フローラは隣国ハルマゴール帝国の皇后だったが、皇帝が病死したため自国に帰された。子もいなかった姉は夫の死を悼む振りも見せず、財産をかなり貰っての帰国後、見目良い男たちを侍らせ遊び始めていた。
そんな彼女と“祈り姫”なら、“祈り姫”を女王にした方が世間受けもいいだろう。フローラは粛清対象だったのだろうか。もしかしたら将軍は、純粋に“祈り姫”を保護するつもりだったのかもしれない。
アイリスはフローラの愛人のベイチェック魔法士を思う。いつも苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
(……短い黒髪、金色の瞳に薄い小麦色の肌。珍しい色合いの美形だったから姉の目を引いたの? 王族の命令は拒めないもの。美しい姉様相手でも不本意なのかな。あっ、恋人や妻がいたら当然か)
でもフローラは相手の事情なんか考慮しない人だ。
アイリスは深呼吸して、一旦諸々を頭から追い払うと、夕刻の祈りに向かった。
堂々と城内を歩きまわれる立場になったアイリスは、あちこちに顔を出す。見た目は幼い好奇心旺盛な“祈り姫”は微笑ましく見守られていて、親しげに声をかけてくれる人も増えた。
前は城内をうろうろするなんて考えてもみなかった。最大の理由はアイリス自身が“祈り姫”のイメージに囚われすぎていたからだ。それは前前任“祈り姫”の第一王女がしおらしい温和な方だったと王宮で評判が良かったので、彼女に倣い清楚であろうと、離宮に住んでいた頃の活発な自分を封印していた。王城には腹の底の見えない大人が大勢いるのも怖くて反感を買いたくなかった。前任のカミルは“祈り姫”らしくなかったと聞き、尚更静謐を心掛けた。
今なら分かる。結局王城での評価など貴族たちがどう思うかだけで、自由気ままなカミルより楚々とした第一王女の方が好ましかっただけだ。
親しい者、できれば味方をたくさん作りたい。
その一端として騎士団棟に出向く。回帰前は場所さえ知らなかった。演習場で訓練する騎士たちを労い、たまに差し入れして顔を売る。
時折出没する愛らしい“祈り姫”にほっこりした騎士団内で、“妖精姫”などと密かに呼ばれているらしい。
「やめてー、恥ずかしすぎる!」
それを知った中身十七歳のアイリスは身悶えたが、守護騎士や侍女たちは「その通りですから」と彼女の羞恥心には共感を得られなかった。
「まあいいわ。可愛がられて損はないし」
こんな打算的な大人びた一面も使用人たちは、カミル王女に鍛えられて世渡り上手になったなと思うだけである。
そして兵舎。国軍を率いるウェビロ将軍のお膝元である。今はまだ彼が将軍になりたての頃だ。兵士の訓練は騎士とはまた違う。彼らは主に戦争、対魔獣を想定した団体の戦法を体に叩き込む。城外の裏手の土地で行う訓練の見学を希望したけれど危険だと却下された。
「魔法障壁を張っていますが、遠距離武器や魔法弾が飛び交い、完全に安全とは言い切れません」とは将軍の談。
「将軍、国を守ってくださって有難うございます」
どうしてもウェビロ将軍には恐怖を感じて愛想を振りまいてしまう。
「姫様たちは絶対守りますから」
三十代半ばの彼は筋肉隆々で逞しく、とても強い。なんせ父王に次ぐ王国の守護神だ。
「ええ、守ってくださいね」
真剣な顔で将軍を見上げる。[クーデターなんてやめてね]と心の中で切実に訴えながら。
そして会話が増える中で将軍は王太子に敬意を払っていると知る。自身も武人なのに意外にも戦闘職人の国王以上に、参謀タイプの王太子を高く評価していた。
それから魔法省の魔法士棟。王宮魔法士と一般魔法士が所属している。ここは以前の生で何度か足を運んだ事がある。興味を持った開発中の魔道具を見せてもらいにだ。王女の職権濫用だが、普段要望を言わないからあっさりと受理されていた。
「ようこそ“祈り姫”様」
「魔法士団長様、ご機嫌よう」
老齢の彼に、腰を下げて丁寧に挨拶する。
「王族の方が我々のような者にへりくだっては舐められますぞ」
「あら、人生の大先輩への敬意ですわ」
苦言を呈するヨルダ魔法士団長にもアイリスは澄まし顔だ。彼がこういったやり取りを好むのは、一度目の時から気づいていた。今生では、団長自ら各部門室に案内してくれるくらいには気に入られている。
開発室には薬剤を扱う医術局や生活魔道具開発部門、そして魔法弾開発作成などの兵器部門がある。あとは古い文献を解読したり、古代魔法の復活を試みたりと、特殊な知識部門もある。魔力のある者しかなれない魔法士も、魔力の差や適応能力も様々で仕事も実に多岐にわたる。
攻撃力の高い者は王宮魔法士となり、要請に応じて騎士団や軍隊に出向する。戦闘型魔法士と呼ばれる一級から三級までの少数高位の彼らは普段自由だ。魔法士棟に彼らの仕事場はあるが大抵閑散としている。修行も魔法を放つので外でやるし、実戦に慣れるためと冒険ギルドに所属して腕を磨いている者もいるらしく、本当に行動は自由だ。召集されれば来る、くらいでいいようだ。
王族の魔力は秘されている。膨大な量を有していてもそんなに使う場面なんてない。ここぞの時の切り札らしい。ここぞっていつだ。戦争で先頭に立って圧倒していた高難度攻撃魔法の使い手の父だって、殺されたではないか。自分の防御力以上の高位魔法士たちに魔法を封じられたら王も無力なのだ。
官庁や法廷まで隅々まで見学したアイリスは気がついた。
内政に於いて父はからっきしだ。どの部署にも精通しているのはケーン・イド王太子である。
やっと次回に少年登場です。