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続編2:ジル、徒花との邂逅。

 ある日、魔法省からの帰りに城の正門で、ジルはばったりとフローラに出くわした。


 彼女は観劇にでも行くのか。紅いドレスがジルの目には毒々しく映る。心の中で舌打ちしながら端に寄り、恭しく頭を垂れた。


「あら、ジル」

 

 そのまま無視してくれればいいものを。王女はジルを目敏く見つけて声をかけてきた。やけに媚びを含んだ声音に鳥肌が立つ。苦々しい記憶、かつて寝室で甘ったるく名を呼ばれていたのを思い出した。


「アイリスとの結婚を父に願い出たんですってね」


「はい、婚約者候補と認められました」

 ジルは感情を乗せずに淡々と答えた。


「妹はブリュンセル辺境伯嫡男に降嫁すると噂になっているのよ。大人しい子だから、外国の王族に嫁ぐのは荷が重いでしょ? お相手は辺境伯あたりが無難だと思うわ」


 自身は隣国の皇帝妃だったのが誇りのくだらない嫌味だ。そして『お前は辺境伯令息より劣る』と言外に言っているのだ。回帰前の付き合いで、不本意ながらジルはフローラの性格を知っている。油断すれば不快感を顔に出してしまいそうだった。


「アイリス様は歴代王族の中でも抜きんでて“祈り子”の力があります。陛下が外国に出すわけがありません。結婚後も<祈りの間>で護国結界を張るので、辺境には嫁げないとブリュンセル家にも返事をしています」


 事情は知らなかったのだろう。フローラは少しだけ片眉を上げた。従者に現実を知らしめようとして、反撃を喰らった形である。


「そう、可愛い娘の相手が身元不明な孤児でも、父は構わないのね」


 可愛い娘と言えるのか。まあ、少なくとも出戻り王女よりは気に掛けている。


「陛下は生まれに拘る方ではありませんでしたよ。ですがあくまでも婚約者候補です。今後国のために役立つと示せとおっしゃられました。精進する所存です」


 ジルは<帝国の新皇帝に返された王女は政略の駒にさえなれなかった>との思いを込めて言い放つ。伝わらなくてもいい悪意である。


 容姿には自信があるフローラは、自分に話しかけられても全く興味を示さないジルに苛立つ。妖艶な笑顔を向けられると、初心な少年など顔を赤らめて舞い上がるのが常なのに。


「ねえ」

 フローラは壁際に控えているジルにそっと近づいて、彼の胸に右手を置いた。門番も王城を出入りする者たちもいるのに、人目は全く気にしていない。


 ジルの腕に鳥肌が立ったのを、王女の背後の守護騎士が目敏く見つける。しかし“祈り姫”の従者として長年鍛えられているジルは、無表情のまま立っていた。フローラを払い除けるのは不敬になるから耐えている。


「閨指導をしてあげるわ。ハルマゴール前皇帝の正妃の私が相手を務めるなんて、光栄な事よ?」


 ジルが目を見開いた。初めてジルの感情が動いたのでフローラは満足する。

 妹王女は主君でもあるから、おいそれと手は出せないだろう。

 以前この従者を部屋に呼ぼうとしたら、“祈り姫”に断られた苦々しい記憶が蘇った。きっとあの頃から妹はこの青年を好いていたのだろう。


 ジルから殺気が立ちのぼったので、フローラの守護騎士が剣の柄に手をやる。しかし彼らが剣を抜く前に、ジルは一瞬でその気配を消した。


「ご冗談を」


「経験しておかないと、大事な“祈り姫”を初夜で傷つける事になるわよ」


 ジルが頑張って受け流すのに“王家の徒花”は下世話な本領を発揮する。


「愛するアイリス殿下以外に触れたくありません」


 あまりにも冷ややかな表情と口調に「え?」とフローラはジルから手を離した。


「失礼します」

 王女を一瞥もしないでジルは大股で去って行く。


 その後ろ姿を呆然と見送ったフローラだが、やがて憎々しげに唇を噛んだ。

「孤児のくせに生意気よ!!」

 彼に罵声を浴びせるも「姫様、観劇の時間が……」と侍女に促され、悔しそうに「そうね」と言うと馬車に向かった。

 


 青年の、人を見下す目は帝国のあの男と同じだった。


 夫が亡くなり、皇弟が新皇帝になった時、フローラは側室にしてくれるよう願い出た。正室を排除してその座に収まる野望などはなかった。凡庸で線の細かった亡き夫と違い、鍛えられた肉体を持つ美貌の皇弟を、以前から好ましく思っていたのだ。


『友好の証で嫁いできたのだから、もう十分役に立っただろう』

 新皇帝はフローラに母国に帰る事を勧めた。

『いえ、子を授かっていないので役目を果たせていません』

 なんとか召されたく粘るフローラの言い分に、新皇帝は呆れる。

『俺にはもう息子が三人いる。後継者に困っていない」


 彼の地位は盤石ではない。第二皇子だが母親の身分が低い。弟たちの動向から目が離せない状況だ。これ以上の面倒ごとはお断りなのである。


「病床の兄者を放って遊びまわり、俺に秋波を送っていたような女は、帝国には要らないのだ」


 ピシャリと切り捨てた男の目を見て、自分は嫌われていたのだと悟る。

 

 それでも新皇帝はフローラを邪険に扱いはしなかった。隣国の覇王の不興を買いたくないからだ。

 皇妃時代に手に入れた宝石財宝に加え、慰労金として大金を持たせて体裁を整え、死後離縁手続きがされてから、フローラはシャクラスタン王国に返された。


 久しぶりに当時の屈辱を思い出して、フローラは観劇に熱中できない。


 現皇帝の妃は、遊学先で見初めた他国の侯爵令嬢だった。口説き落として連れ帰ったらしい。皇妃は穏やかな性質で大人し気だが、容姿はフローラより数段劣る。それでもあんな魅力的な男の愛情を一身に浴びている。


 結婚式が初対面だった自分とは大違いだ。前皇帝は平凡な男のくせに既に側室が何人もいた。それでも正室として宮殿で君臨するのは愉悦だったが。


 そして、誘うフローラを拒絶した妹の従者。


 ……なぜ、ああいうあざとい女が、唯一に愛される?

 

 可憐な見た目が庇護欲を誘うのだろうか。

 ジルは何も知らない青年だから純情なのだ。一度同衾すればすぐ自分に夢中になるに違いない。


 父王のお気に入りで王太子に大事にされ、第三王子にも慕われている末王女。


 ……奪ってやりたい。

 所詮二人は初恋で盛り上がっているだけだ。

 

 フローラはひっそりと昏い笑みを浮かべた。





◇◆◇◆



ジルは頼まれていた魔道具をアイリスに渡し、共に検分していると、「休憩しましょう」とミランダがティーセットを乗せたワゴンを押して執務室に入ってきた。


 彼女がやけににこにこしていたので、アイリスは訝しく思う。


「ご機嫌ね。何か楽しい事あった?」

「ええ、メイドの休憩室はジルの話で持ちきりですよ」

「は?」

 食い入るように魔道具を見ていたジルが、驚いて顔を上げた。


「フローラ王女に口説かれて、アイリス様を愛しているからと言って断ったんですって?」


「ついさっきの話じゃないですか! どうしてそれを!?」

「城門での一悶着なんて、速攻で話のネタよ」


「姉様に絡まれたの?」

 アイリスは眉をひそめた。今生でフローラ王女とジルは交流は無い。かつて彼女がジルを欲した事があったが、アイリスはキッパリと断っている。


 困ったようにジルはアイリスの顔を見て、それから彼女にだけ聞こえる小声で言った。


「……童貞を貰ってやると言われて……。俺はあなた以外の女性に興味ないと……」

「まあ」

 アイリスは頰を赤らめた。内容が内容だけにジルが口籠るのも仕方ない。

 ジルは嫌悪感も露わに、苦虫を噛み潰したような顔をする。


 かつてジルが姉の愛人だった事を思い出して、アイリスは嫌な気分になった。しかしそれはジルの人権を無視した関係だったから、彼に感情をぶつける訳にはいかない。そもそも成人したてくらいの少年に手を出す姉王女が非常識である。

 

「今回はフローラ王女に逆らえます。あなたの婚約者候補だから」


「……候補ってのが微妙で、付け入る隙を与える気もするのよね」


「それは関係ないです。以前は夜会に出なかった姫様はご存知ないでしょうが、あの方は婚約中の若い男性でも平気で奪っていましたよ」

「うわあ……恨まれてそう」

「それでも陛下が出戻りを認めた王女ですからね。文句を言えるところがない」


 ただの火遊びで終われば女性側もまだ我慢できただろう。

 しかしフローラに魅せられて本気になる男性もいて、前生でジルは婚約破棄の現場をうっかり見てしまった事がある。

『すまない、私は不遇なフローラ様の側にいて差し上げたいのだ』

 ジルよりいくつか年上くらいの男が、婚約者に告げた。相手はまだ十代半ばの少女で声を殺して泣いていた。


 馬鹿じゃないのか!?

 思わず乱入しそうになった。

 あの王女が不遇だと? 政略結婚で隣国の皇后になって、十年を無意味に過ごしたとの彼女の愚痴をそう受け取っているのか?


 寵妃として君臨して贅沢三昧で、多額の資産を貰って国に戻り、好き勝手しているのを知らないのか? これが恋は盲目という現象か。徒花に魅了されて道を誤る。

 ジルにとっては唾棄すべき存在でも、この男にとっては愛しい者なのだ。

 

 その後の顛末は知らない。お坊ちゃまの恋慕など鼻で笑う女だ。『側にいてほしいなんて望んでいない』と、恐らく捨てられただろう。


 

「……ジル!」


 つい、ぼんやりしていた。名を呼ぶアイリスの声に、はっとする。

「辛い? その……嫌な事、思い出して……」


 美しい菫色の瞳が心配そうに見上げてくる。それだけで心は凪ぐ。

「大丈夫です。無かった過去です」

 ジルは本心で答えた。


「それならいいけど……。今後もフローラ姉様が何かしたら言ってね」

「はい」

 素直に答えはしたものの、ジルはアイリスの心を煩わせるつもりはない。


 回帰前は王族の命令に逆らう事は出来なかった。フローラを袖にすると魔法士の資格を剥奪される可能性があった。彼女にそんな権限は無いが、王が内政をロデリック王太子に丸投げしている現状では、そんな公私混同もまかり通っていたのだ。


 しかし今は違う。ケーン・イド王太子の後ろ盾がある。フローラが迷惑を掛けるなら、あらゆる決済権を持つ王太子に訴えてやろうと思っている。

 フローラ自身は、父王の機嫌さえとっていれば問題ないと考えているようだけれど、王にとってフローラは、<仕方なく王宮に置いてやっている>程度の存在だ。


 フローラは身柄の決定権が実質王太子にあるのだと知らない。もし彼が王に『フローラの素行は目に余るので修道院行きを』と進言すれば、『ではそのように』との判断が下されるはずだ。内政に目を向ければ分かるはずなのに、実に蒙昧な女だ。



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