22:ジル、記憶②
「初めまして。ジル・ベイチェック魔法士どの」
鬱々と過ごす日々の中、職場の魔法士棟を出たところでジルは見知らぬ女に声を掛けられた。ローブ姿が魔法士っぽい、どことなく浮世離れした美貌の女だった。
「メイガータ・シエルークと申します」
二十歳過ぎたくらいに見える女は、帝国の侯爵家の娘だと名乗った。令嬢なのにカード占いが得意で、その占いで探し人がジルではないかと思い声を掛けたと言う。胡散臭い。何を探して自分に辿り着いたのか。
美形のジルは、男女問わず秋波を送られることが多い。これは新手の誘惑か。
警戒するジルに彼女はローブの前をはだけた。彼女が胸につけているブローチを見てジルは絶句する。その反応にメイガータは慈愛に満ちた笑みを浮かべる。そしてジルの右手中指に嵌められた指輪を目で示す。
「……その指輪と同じ図案です。可哀想に記憶を失っているんですってね。仮名ジル・ベイチェック殿、私はあなたの記憶を取り戻してあげられます」
「俺の記憶を……」
「その指輪の意味も思い出すはずです」
まるで対になるような指輪と彼女の楕円形の胸飾り。彼女が自分と無関係だとは思えない。
医術士の見立てでは、ジルは幼少からずっと酷い扱いを受けていて、瀕死の高熱で過去を忘れたのではないかとの事だった。それならば思い出したくもない過去に他ならない。
しかし貧困の出自には無相応な不思議な指輪を持っている。本当の自分を知りたい欲求も物凄くある。
「私一人の力では記憶の呼び出しは無理です。協力者がいますので着いてきてください」
初対面の女についていくのは戸惑われた。何かの罠に嵌められるのではないか。魔法士としても、フローラ王女のお気に入りとしても、少年のジルは嫉妬の対象で、蔑み恨みの悪意は半端ない。
だがジルは自分より魔力の低いこの女に出し抜かれはしないと、おとなしく着いて行く事にした。
高級宿屋の一室に案内されたジルは、そこで一人の男と引き合わされた。
ウェビロ将軍と歳の変わらない眼光鋭いこの男も帝国貴族だろうか。白い肌に鳶色の瞳と髪色をしている。
「シャクラスタン国王に匹敵する魔力を持つと噂のジル・ベイチェック魔法士だね。よろしく。私はハヴェル・モノミントだ。これを見てもらおうか」
そうして男が首元から取り出したのは金のペンダント。その先端にあるのは桃金色の飾り。ジルやメイガータの持つ物と同じ意匠が施されていた。
「残念だがこれは模造品なんだ。うちの家に伝わっていた本物は、いつの時代にかすり替えられていたらしい」
ハヴェルは悔しそうに歯軋りをした。
「いつかは本物を手に入れる」
「それで……この装飾品たちは一体何なんだ」
「君が過去を思い出せば自ずと分かるだろう」
紫色の球体をハヴェルは取り出し「我々が開発した魔力増幅魔道具だ。帝国の物より高品質だ」と告げた。
それは世界最高峰と自賛すると同じだ。さすがにジルも眉をひそめる。
「帝国の上級魔法士並みの私がいるのだ」
「失礼だがあなたにそこまでの魔力は感じない」
ジルが反論すると男はにやりと嘲るように笑った。
「魔力を隠すために、私やメイガータは認識阻害の腕輪を着けている。君のように有名になりたくはないのでね」
認識阻害の腕輪は諜報活動をする魔法士が使うくらいで市場には出回らない。作成が難しいから軍事支給品扱いで任務後は返却する。それを身に着けているなんて、そんな感じはしないが帝国の間諜か? スパイの勧誘か!?
「まあ本題に入ろう。魔法士の君に講釈を垂れるつもりはないが、精神干渉の魔法は難しい」
それはジルも身を持って知っている。攻撃魔法は最強クラスなのに従属魔法は不得手である。そもそも使える奴はそんなにいない。使えても短期間の拘束や弱い命令系しか知らない。
「メイガータは精神干渉魔法はおそらく大陸一で、私もそれなりに心得ている。この魔道具で魔力を高め、君が心の封印を解く事を願えば過去を思い出せる」
「怖がる事はないわ。あなたの強い感情に反応するだけよ」
ハヴェルとメイガータが球に触れ魔力を流す。紫水晶は眩しく輝く。その青みがかった紫色は“祈り姫”の瞳に似ていた。惹かれるようにジルも触れた。
___途端に、ぱあぁっと靄がかかっていたような不鮮明な何かが一気に解放された。
善良な人々に囲まれて、同じくらいの年の子と森を駆け回っていた日常。母はジルを産んで体調が戻らず儚くなった。父と祖母は一人息子を愛情を持って育ててくれていた。
そんな平和な日々は突如として壊された。帝国兵士による大量虐殺、大人と離されて連行される子供たちの中に投げこまれる。輸送中にあった盗賊の襲撃のどさくさに紛れて無我夢中で逃げた。逃亡生活の末、辿り着いた王都で底辺の存在で生きていた。そして不条理な暴力に晒され生死を彷徨う。それから養護院に保護されてある程度の生活は保障された。
___思い出した。理不尽な悪意に晒されて人生を狂わされた。
帝国に蹂躙されなければ、あのまま<森の民>として生き、やがて父の跡を継いで里長になったのだろう。
魔法を覚えなくても平和に暮らせたはずだ。
シャクラスタンの王女に出会う事など生涯なかった。何気ない彼女の一言で魔法士なんて生き方を選ぶ事も。
「思い出したんだな。君の本当の名を教えてくれ」
「……レダ・ジルフォートだ。<森の民>は名前の前にレダが付く」
「やっぱり!!」
メイガータが目を輝かせた。
「レダ王家の末裔なのね!」
「……それは知らない。レダ族だと忘れないようにだと聞いた」
「レダ王家の紋が刻まれている装具はレダ王家の血筋しか反応しないのだ。君の家系で代々受け継がれていたはずだ。装具は当家一高い魔力者を選ぶ」
ジルの父は生活魔法程度も詠唱しなければ使えなかったから論外だ。祖母が守っていた指輪は次代の保持者をジルと認めてすんなり移ったようだ。
「こうして君もレダ王家の正当な血筋だと分かった。我々と一緒にレダ王国を復活させよう」
「どうやって? レダ島は今や海賊国家の一部だ」
「野蛮人どもが荒らした島などいらん。女神に愛されたこのシャクラスタンこそ相応しいと思わないか」
ハヴェルは恍惚とした笑みを浮かべた。
「ハルマゴール帝国と軍事協定を結んでいるシャクラスタンを奪えると!?」
「帝国は助けには来ない。新しい皇帝は未だに弟たちと皇位争いの渦中だ。他国に構っていられない」
「だから私たちが帝国の辺境で自由に出来るのです」
「どういう意味だ」
「シャクラスタン東部を襲った魔獣騒ぎ、あれを起こしたのは我々です。帝国は魔法推進国でもあります。帝国の魔獣使いの魔法士もレダの復興に賛同して配下にいるのです」
「どれだけ間者を放って調べても帝国の中央は関与していないからな。国境での騒動は無関係と判断される。人為的作為があったとは思わなかっただろう?」
あのスタンピードの対応にどれだけ苦労したと思っているのだ。ジルは憎々しげにハヴェルを睨んだ。
「どこまで俺に話すつもりだ? 俺がおまえたちに協力するとは限らない」
「<森の民>はレダの血が濃い一族だ。それが帝国に滅ぼされ、君はこの王国で平民の孤児として蔑まれている。その高い魔力を汚い王国に使われるだけだ。それは赦されない。高貴な血に相応しい地位が必要だ」
(知ったふうな口を利くな。俺は自分の意思で“祈り姫”のいる国を護っている!)
腹立たしい。
しかしハヴェルの理想は彼の中で真実なのだ。本気でシャクラスタンをレダ国にするつもりだ。
「王都に攻め込むなんて無茶はしない。いきなりこんな広い土地を治められないからな。初めは小さな領地からでいい。レダ神聖国を興す」
「初代国王はあんたか」
「当然だ。レダ復興組織の指導者だからな。そしてメイガータを王妃にする」
ハヴェルに肩を抱かれてメイガータは頬を染めた。
「おまえは最高魔法士の地位と、王家の一族として公爵位を授けてやろう」
御託を並べたところで、結局は最高権力者になりたい野望に満ちた男なのか。
「ジル殿、王国の今の惨状を知っているでしょう? 飢饉に魔獣騒ぎに戦争で国力が弱っています。更に疫病まで流行っているではありませんか。無能な現王家から解放しなければなりません」
今は王太子が国の立て直しに心血を注いでいる。解放して代わりに政策が行えるとでも? 馬鹿か、この女。
メイガータの狂信的な瞳が向かうのはレダ王家への執着か、それともカリスマ的なハヴェルへの憧憬か。
ジルにとってはどうでもいい。
「滅びた王国なんかに興味はないな」
「小国でもレダ神聖国の公爵ともなれば、王国で平民のおまえでは手に入れられない、あの美貌のフローラ姫を娶って独占出来るぞ」
「ふざけるな!!」
ジルは怒鳴った。虫唾が走る。
「あんな女、誰が欲しいものか!!」
「おやおや、初めての女に溺れているかと思っていたが」
意外そうにハヴェルは目を見開いた。
「少年の君にはあの奔放さが許せないのかな? いい女だぞ、あれは」
「そんなに魅力的なら貴様が側室にでも愛妾にでもすればいい!!」
「それなら地位があれば、逆に彼女との縁を切れるのでは?」
メイガータが小首を傾げる。
「気分が悪い! 俺は帰る。絵空事に付き合っていられない。勝手にすればいい。他言しないし邪魔もしない!」
くだらない! 勝手に絡んできてベラベラと。関わりたくない。ただただめんどくさい。
「まさかフローラ姫が君の地雷だったとはね。今回は残念だ。また会おう」
ハヴェルは涼しい顔でジルに手を振った。
___ケーン・イド王太子が死去した。
ロチレート病の症状が出てすぐに服薬したのに間に合わなかったらしい。今回のロチレート病はたまに嘔吐麻痺、最期は呼吸困難による死亡例があった。王太子は公務が多忙すぎて体力が落ちていたのだろう。“祈り姫”と並んで<王室の良心>と呼ばれていただけに残念だ。
さすがの国王陛下も沈んだ表情だった。“祈り姫”は目を閉じて王太子の棺に祈っていた。彼女の王家の魔力が柔らかく棺を包んでいた。母親の第三妃が縋り付いて号泣するのが哀れである。王太子に肩入れしていたウェビロ将軍が、涙も拭わずに最敬礼の姿勢をとり続けて棺を見送ったのが印象的だった。