21:ジル、記憶①
3話ほどジル編です。
頭痛が落ち着いた。ゆっくりと目を開けたジルは起き上がって立とうとして、めまいに襲われて腰を下ろした。
「姫様! 姫様!?」
ここはどこだ!? 上下左右、白くて何もない空間。
__やっと魔力が足りた。
____ようやくあなたとも繋がった……。
思い出して。あなた自身を。
私の愛し子の子孫たちの力になって……。
「誰だ!?」
頭の中に落ち着いた声が響く。
話しかける若い女は一体誰だ……。
___ユールラマ半島の森の中にレダ王家の末裔<森の民>が住んでいて、レダ王国の遺産を隠し守っていると云う噂があった。よくある伝説に過ぎない。半島の遊牧民マルセール族は<森の民>を始祖であるとし、レダの後継であると誇っていた。
そんなマルセール族を含む少数民族が散らばっているだけの半島を征服しようと、ハルマゴール帝国の宰相が主導して軍隊が攻め入った。
帝国は<森の民>が所持するレダの秘宝を略奪したい。しかし噂の森は想像以上に鬱蒼たる樹々が続くだけで道もなく、帝国軍も引き返そうとした時、広い空間が目の前に現れた。中央に石で出来た建造物。その周りに小さな家々。畑もあり、川も整備されている。未開の地ではない。未知の集落がそこにあった。
突然蹂躙された隠れ里。
「まさか、隠匿魔法が破られたのか!?」
指導者の男が叫ぶ。見つからないように里にかけているのに!
「古い魔法ですから弱くなっていたか、帝国の魔法士か魔道具が破ったのでしょう」
賢者の分析など今更意味がない。逃げるだけだ。
しかし帝国軍は戦い慣れていた。住民たちは次々と捕縛される。
「私が里長だ! 降伏する!」
まだ三十歳前後の精悍な顔をした男が毅然と叫んだ。
「ほう、抗いもしない腑抜けか」
「戦力を見極めただけだ」
「指導者か。見せしめにしないとな」
里長は数人の軍人に殴られる。一切抵抗しなかった。
「父上!!」
手を伸ばして長に近寄ろうとする幼な子を、老女が引き寄せて抱きしめる。
「静かにおし、ジル」
降伏したのに里長のジルの父はその場で殺された。ジルの祖母はその惨劇を見せないようジルの目を覆った。
「動けない者、年寄り、赤子は殺せ!!」
帝国兵の無情な殺戮が始まる。祖母が親指に嵌めている指輪を抜き、ジルの親指に嵌める。祖母の親指にさえ合ってなかった指輪は当然ぶかぶかだ。彼女はジルの金色の目を見つめた。
「次の持ち主はおまえだよ」
住居も城も荒らされたが、めぼしい財宝は見つからなかった。帝国軍の思惑は外れた。仕方なく、あとは珍しい<森の民>を連れ帰って奴隷にするだけである。
まるで悪夢だった。見知った人々が次々と殺され、選別された者たちは手を縛られて連れて行かれる。
子供は子供で集められた。泣き叫ぶと鞭打たれる。ジルたちは延々と歩かされ、やがて奴隷船にぎゅうぎゅう詰めにされた。
「おまえ、里長のガキか。綺麗な顔してんな」
顎を掴まれ顔を覗き込まれたジルは兵士を睨みつけて暴れた。
「生意気なガキめ!」
頬を殴られ後ろに吹っ飛ぶ。
「傷付けるな。高く売れる商品だ」
「ちっ……気に食わねえな。お、いい指輪持ってるじゃねえか」
「やめろ!!」
男が指輪を無理やり奪おうとした。ジルは身を捩って逃れる。これは家宝で、……形見だ!
「うわっ!? なんだ、あっちい!!」
__指輪は誰にも奪われなかった。いや、誰も奪えなかった。
奴隷船で辺境領に着くと、今度は荷馬車に乗せられる。一族の子供はバラバラにされ、知らない少女が同乗していた。人懐っこい美少女は「この馬車は高級商品になる子供たちを、皇都まで連れて行くんだって」と教えてくれた。
「あなた、<森の民>なんでしょ? 魔法は使えないの?」
「魔法? 使った事ない。父上とお婆様は風で木を切ったり、かまどに火を付けたりはしていた」
「じゃあ使えるんじゃない? 私は<森の民>の血が濃いから魔法を使えるんだと言われたもの」
里人のほとんどは使えなかったし、特に必要とも感じなかった。
「呪文を教えてあげるわ。唱えながら上手く出来ますようにって願うのよ。使えたら奴隷になる前に逃げられるかもしれない」
少女に教わった生活魔法程度の初級呪文で、ジルはとんでもない威力を発揮した。
ある日、馬車が襲われ荷台が転倒して子供たちが放り出される。襲ってきたのは盗賊だ。
盗賊と兵士が戦い、子供たちが叫ぶ阿鼻叫喚の中、里での殺戮を思い出してジルは吐く。急に腕を掴まれて驚いたジルは、恐怖のあまり無意識に初めて人に魔法を放った。盗賊の大男が炎に包まれる。
「なんだなんだ!? 魔法士がいるのか!?」
混乱している大人たちから逃れるため、ジルは走った。方角も分からない、ただひたすら逃げた。
森の中で川に沿って逃走し集落が見えると、夜に忍び込んで干し肉や干し野菜を盗んで食べた。のどかな村は簡単だった。街では浮浪者なので裏道しか歩けず、殴られながら食べ物を手にした。とにかくいつも腹が減っていて傷だらけだった。髪はぼさぼさで汚い格好だから<綺麗なガキ>と分からないのは幸いだっただろう。
色々見聞するうちに、いつの間にかハルマゴール帝国の国境を越え、隣国シャクラスタンに入国している事を知った。奴隷制度はない国らしい。
故郷は滅んだ。どうせなら王都を目指そう。都会なら自分の容姿もそこまで目立たないはずだ。
やっとの思いでシャクラスタン王都のスリバランに辿り着く。孤児のジルが真っ当な生活が出来るはずがなかった。しかし裏組織の一員になって悪事を働いても失敗すれば制裁される。奴らの支配下なんかまっぴらだ。だから物乞いもするしゴミも漁って生きていた。
そんな時、裏社会の組織同士の抗争にたまたま巻き込まれた。ジルは訳も分からずに暴行を受ける。
死を覚悟して親指に嵌めていた指輪を撫でる。ぶかぶかなそれは波乱の浮浪生活の中でも失くす事はなかった。
(俺が死んだらこれも奪われるんだろうな……)
森で平和に生きていた過去を思い出しながらジルは意識を失う。
目が覚めたのは、粗末ながら清潔なシーツを敷かれたベッドの上だった。
「ジル、気分はどうだい」
知らない大人が身体の状態を診てくれていた。
怪我と風邪の影響で高熱を出していたジルは、保護された時に朦朧とした中で、自分の名と年齢を答えたらしい。
しかし、意識の戻ったジルはそれまでの記憶を失っていて、<ジル>と呼ばれてもピンとこなかった。
女神ガイア=ムーランを崇めるシャクラスタン。女神を祀る本神殿の近くにあるグロリア教会の養護院に運ばれて助けられたジルは、同じ孤児の子どもたちと生活を始める。食事の量は少ないが一日二食与えられる。十分だった。
過酷な逃亡生活をしていたジルは、それでも卑屈なところはなく、養護院でも真面目さで信頼を得ていく。
養護院で一年経ったあたりで、たまに養護院からギルド<仔猫の牙>に働きに出された。これはギルドの善意部分もあり、孤児に簡単な仕事を任せる事で養護院に金を払うのだ。口数は少ないが利発ですばしっこく要領のいいジルは孤児の中では重宝された。ジル個人に駄賃を与えても、彼はそれで食べ物を買って孤児の仲間たちに持ち帰る。
そんなジルを純粋に慕う年下たちと違い、年上たちはジルの恩恵に与りながらも彼を妬んだ。ジルが生活魔法で養護院の手伝いも出来るから尚更である。暴力沙汰になっても面倒だからジルは適当に殴らせて相手にしなかった。大人たちの殺意ある暴行に比べれば遊びの延長程度に思えたからだ。
それでもいい加減うざいなと思っていたある日、拾った枝に火をつけて威嚇攻撃をしてみた。そこに騎士が現れて喧嘩を止める。騎士の背後にいた美しい少女が目を輝かせてジルに言った。
『あなた、魔力が高いのね! 魔法士になるといいわ!』
呆けたように少女に見惚れた。
自分と年の変わらないような彼女は王女で、国の安寧を願う“祈り姫″だと知る。まさに高貴な雲の上の存在だが、彼女の瞳に平民を下賤の者として見下す色はなかった。
(あんな王族もいるんだな……)
そして、ジルは決意する。彼女が祈りで国を守るのなら、自分を受け入れてくれたこのシャクラスタンを、魔法士として守ろうと。
魔力持ちは希少な存在で、孤児のジルでもすんなりと魔法省に入れた。半島の少女に教わった生活魔法を使っていただけのジルは、王国の魔法を習得する。攻撃魔法の才を認められすぐに頭角を現していった。高度な攻撃呪文を苦もなく使え、魔法陣展開から発動までの時間たるや、タイムラグがほぼ無い。孤児だが絶対他国に逃してはならない人材として目を掛けられた。
王の側で戦力になるなら無礼な無教養な平民ではいけない。王国式マナー、教育も施された。そうしてジルは十三歳にして平民の最高地位の一級魔法士になる。すぐにレジン首領国との戦争で最前線に送られた。
初陣で即戦力になった少年をウェビロ将軍は可愛がるようになる。ジルはジルで、王の圧倒的攻撃力を目の当たりにして畏敬の念を抱く。
(強い……。この方が“祈り姫”の父親。なんとしてもお守りしなければ)
陛下が亡くなればあの可憐な姫君が嘆き悲しむ。そんな想いだった。
その頃国内はボロボロだった。自分たちが防衛戦をしているうちに、未曾有の魔獣発生による被害で東部が荒らされていたのだ。ジルは国境防衛戦の途中から東部の魔獣退治に回された。
少数精鋭部隊だったが一般民の目からは形だけの派遣に見えたらしく、批判的な評価をされたのは納得出来なかった。それでも東部連合軍には感謝されたのは救いである。
王国が復興に必死な時、ジルは“祈り姫″の姉に召し上げられた。ハルマゴール帝国の元皇后と云う輝かしい経歴を持つ出戻り第二王女は、鮮やかな金色の髪に菫色の瞳の妖艶な美女だった。ジルは十歳以上年上の阿婆擦れ王女に壮行会で見初められたのだ。
「可愛いわね。初めてでしょう? いらっしゃい」
寝室への誘いを拒めはしない。いつの間にかお気に入りの愛人の一人になっていた。
『平民風情が』
『調子に乗るなよ』
『ガキを面白がっているだけだ』
他の愛人たちも嫌味三昧だ。あんな王女の寵愛なんかいらない! 何人もの男に同時に愛されるのが好きだなんて、本当に淫乱な女なのだ。
フローラ王女に呼ばれると、回廊でたまに“祈り姫”にすれ違う。清純なその姿は姉と大違いだ。そもそも彼女の祈る安寧の国に貢献したくて魔法士になったのに、どうして腐った愛人なんてやっているのだろう。“祈り姫″に合わせる顔がない。彼女は孤児の自分など覚えていないだろうけど。
(第二王女も侍る男共も寝室ごと燃やしてしまいたい)
その鬱憤を魔獣退治や敵討伐で晴らすべく荒ぶっていた。結果、本人の知らぬ間に近隣国の軍部で要注意重要人物として名を馳せるに至った。