17:祈り姫、占い師と再会する。
“祈り姫”としての仕事、アイリスたちは王国最北にある神殿に、王太子の書簡と共にロチレートの治療薬を届ける。シードルー部隊が合流したので結構な護衛付きとなってしまった。以前グインヒルを救った“祈り姫”と“癒しの王子”は随分目立ち、移動中も道端での歓声を受けて歓迎される。
その後、アイリスたちはシードルーに国境の詰め所に案内された。
国境を越える審査で足止めされてしまった人々や、宿賃を抑える人たちのための簡易宿泊施設が、詰め所に隣接している。辺境伯管轄の建物だ。近くには普通の宿屋もあるし、貴族や富豪たちが利用する豪華宿もある。
詰め所の会議室でシードルーは机に大陸の地図を広げた。
「帝国の疫病発生地はこの辺りです」
彼が指で示したのは帝国辺境領内で、クレオン川に沿っている穀倉地域だ。
「王国の川に変化は無いですが、帝国側は異変があるのですか?」
アイリスが問えばシードルーは「帝国に向かわせた者の話では」と前置きする。
「帝国側に行くと急に赤味がかって、疫病発生地付近は赤黒く異臭までしているそうです」
「それで王国が毒を流しているなんて噂が出ているのですか? 毒なら特定出来ているんでしょうかねえ」
王立騎士団第一師団長ポルマーが小馬鹿にして鼻を鳴らす。無知な農民たちが不安に駆られて言い始めたのだろうが説に無理がある。そもそも毒を流すなら無色だろう。
「ああ、馬鹿馬鹿しい。我々も被害地域の住民の戯言だと思っていた。だがおかしな点があった」
シードルーが隣にいる従者を顎でしゃくると、心得た彼は説明を始めた。
「ロチレートの患者が出た時、村に国の機関の医師と魔法士を名乗る男たちが、新薬を試したいとやって来たそうです。無料で治療を受けられるとあって皆治験に協力しました。彼らはついでに不気味な川の調査も請け負います。領主は『魚が生きているのだから心配ない』と、訴えを取り合ってくれなかったそうなので住民は喜びました。川の濁った水を瓶に入れ持ち帰り、それから数日後再び彼らは訪れ、告げたそうです」
『未知の毒が検出された。シャクラスタンの新毒物の可能性がある』
「何てこと! 帝国の情報操作だったの!?」
アイリスは思わず叫んだ。<帝国の偉い人>が言った。それだけで噂になるには充分だ。
「それが……帝都に水を持ち帰って調べ、結果を住民に知らせに来るまでの時間が短かすぎるんです」
シードルーが声を潜めた。
「それに結果だけなら、領地の役人を通して知らせるのが正しい手順ですよね。そして普通ならそんな不安を煽る情報は与えない」
「……つまり国家医師や国家魔法士ではない……」
アイリスが呟くと「あるいは国家資格持ちでも個人的に動いているか」とジルが口を挟む。
アイリスは反射的にジルを見た。
__ウドルール山の魔物暴走。
ジルはそれらの魔物に何者かの魔力を感じた。おそらくシャクラスタンの地を荒らすように操作されたのだろうとジルは言った。帝国の技術と高位魔法士が合わされば可能で、そしてそれが帝国の陰謀ではなく私的な仕業かもしれないとも。
まさに、その可能性が浮上してきた。
では意図は?
分からない。王国と帝国と戦争を起こすなら、もっと他の方法があるだろう。帝国や王国が動かざるを得ない状況を作るには大々的な理由が必要だ。
「シードルー様、その濁水と、帝国の新薬は手に入りますか?」
アイリスの問い掛けにシードルーは片眉を上げて得意げに笑った。
「既に入手しています。ここの俺の執務室で保管しているので、あとでお見せしましょう」
その時、ドアが遠慮がちに叩かれた。
シードルーが「入れ」と許可するとジェイドが部屋を開けて覗き込む。
「ねえ、もう夕方だよ。まだ会議は続くの?」
「ああ、そうですね。うっかりしていました。ジェイド殿下。それでは近くの高級宿屋の食堂を予約しましょう」
シードルーが言えばジェイドはきょとんとして「隣の食事処でいいではないか」と答えた。
「旅人が泊まる質素な施設です。とても王族が召し上がるような料理では」
シードルーの従者が慌てる。アイリスとジェイドは警備の問題上、このまま詰め所の客室に泊まる。せめて食事だけでも失礼のないようにと考えているのだ。
「庶民の食事処も楽しいぞ。狭い所でひしめきあってわいわいと賑やかだ」
ジェイドは幾度となくお忍びで城下探索をしている。今生でそれを最初に教えたのが“祈り姫”の自分だから、彼女は少々責任を感じていた。
王宮で母にも構われず、給仕とメイドに世話をされながら一人で食事をしていたジェイドは、大勢で食べるのが好きだ。前生のジェイドが取り巻きと城下遊びにうつつを抜かしたのも、寂しさの裏返しだったのかもしれない。ただ、付き従う守護騎士たちは気苦労も多くて大変だから、アイリスは申し訳なくも思っている。
そんな第三王子の希望にアイリスが反対するはずもない。
彼らは建物内部で繋がっている通路を利用して施設の食堂に足を運ぶ。
「あら? “祈り姫”様ではありませんか」
涼やかな女性の声が背後からする。アイリスが振り返ると一人で食事をしているメイガータが居た。彼女は立ち上がって王族に改めて挨拶をしたあと、彼らの周りを固めている面々に会釈をする。
「お久しぶりですね、メイガータさん。帝国に帰るのですか?」
国境に彼女が居る理由が他に思い浮かばなかった。
「そうです。かれこれ三年会っていない家族にそろそろ顔を見せようかと」
穏やかな笑みで答えたメイガータがアイリスの背後に目を移した。彼女が気にしていた<帝国平民の魔力持ち>のジルの存在に気がついたのだ。
自分をじっと見つめる彼女にジルは負けじと鋭い眼光を浴びせる。
(ああっ、もう! 好戦的にならないで!)
無言の圧を込めてアイリスは近侍の腕を軽く取った。
「ジル、帝国の占い師の方よ。フローラ姉様に紹介されて知り合ったの。メイガータさん、よろしかったらご一緒させてもらえないかしら」
快諾されて四人掛けのテーブルにはジルとジェイドも座った。
「あなたがそのアーティファクトを持っているのですね」
メイガータは声を震わせ、ジルの胸元を凝視する。しかしジルは表面的には何もつけていない。
「何が視えるのですか? メイガータさん」
心当たりは一つしかないが、こちらからは示さない。ジルは当然アイリスの指図がないと動かない。
「指輪……ですよね。レダ文明の遺産。レダの象徴である<霊鳥と霊樹の葉>を浮き彫りした指輪……」
間違いない。メイガーダには視えている。
無骨な太いゴツい指輪なのに、繊細な細工で見慣れない美しい金属だ。まさか……。
(レダ文明の物ですって!?)
単純に<小鳥と蔦>だと思っていた模様は<霊鳥と霊樹>だったのか……。
「ジル、見せてあげて」
警戒して服の上から指輪を握りしめていたジルも、アイリスの命令には躊躇なく従う。
チェーンに通された指輪を受け取ったメイガータは細部を確認する。
「とても綺麗。この淡い桃色は、金にレダ島特産の紅桃石をほんの少し配合している……」
「私もジルも知らなかったわ。メイガータさんは詳しいのね」
興奮していたメイガータは、はっとして落ち着きを取り戻す。
指輪を持ち主に返しながら「ずっとこれをお持ちで?」と尋ねても、ジルは「さあ?」と素っ気ない。
会話をする気のない従者に代わって仕方なくアイリスが説明する。
「子供の時、瀕死で発見された時に持っていた唯一の物です。ご家族の形見かと思ったのだけど」
「レダ文明のアーティファクトを持っているのは、レダ王家の血筋です!」
ただの形見だなんてとんでもないとばかりに、メイガータは語気を荒げた。
それから彼女はうっとりとジルを見つめ、彼女のその変化にアイリスは戸惑う。
「ああ……伝承にあるレダ人そのもののお姿ですね。マルセール族より鮮やかな金色の瞳、レイブン族より真の黒に近い髪色……、明るい褐色の肌……。占い通り、やはり王国にいたのですね」
(占いで? メイガータはジルを探していたの?)
「レダ文明って何だ?」
ジェイドは世界古代史をまだ習っていないから知らない。
「東海にある大きなレダ島で栄えた王国です。約四百年前に海賊に攻められ滅びました」
ジルが簡単に教えていた。
数年前帝国に征服されたユールラマ半島より更に東南の大洋、レダ島にかつてあった高度文明を<レダ文明>と呼ぶ。豊かな海洋貿易国家だったと歴史に残る。今も人は住んでいるがレダ人ではない。当時の建造物の建設法も材料も再現出来ない。作られていた最上級品の紙や繊維の技術も失われた。
レダ島でしか採れない紅桃石と呼ばれる金属がある。だが採掘量は微量で稀少だった。紅桃石を溶かして金に配合して作られる、美しい紅金や桃金の装飾品は高貴な身分の者しか手に出来なかった。
知っていた。教養としてアイリスはそれらを勉強している。
だけど! まさか今にも切れそうな紐に通されていた指輪が、そんな大層な代物とは結び付かなかったのだ!
だって、献上品や歴史物で溢れるシャクラスタンの宝物庫にも無い。ピンとこなかった。
「んーと……、ジルがずっとそんな凄い物を持っているって、そのレダ文明の子孫って事か?」
ジェイドが理解しようと頭を働かせている。
「滅んだ民族です。今は混血ばかりですよ。占い師さんだってそうでしょう」
ジルより濃い褐色肌のメイガータがぴくりと身を震わせた。
「……アーティファクトの持ち主がこんな認識だなんて……」
メイガータの呟きは誰にも聞こえなかった。
アイリスたちの席は騎士や辺境伯令息たちがちらちらと様子を窺っている。
その事にようやく気がついたメイガータはそそくさと食事を終える。
「貴重な物を見せて頂き有難うございました。これはお礼です」
幾何学模様の描かれた薄い板を渡されたジルは「何ですか、これは」と訝しがる。
「占い師の幸運札のような物です。あなたの未来に幸多かれ」
浮世離れした占い師はそう言って席を立った。