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16:祈り姫、国境に赴く。

「姫様、帝国の辺境近郊でロチレート病が流行り始めたそうです」

 いつもの如く、ジルは淡々と情報を読み上げる。


 とうとう疫病が現れたか。

「こちらの状況は?」

「我が国で発症例は聞いていませんが、時間の問題かと思われます」

 

 前生も帝国から国境を越えて持ち込まれた病だったのかは、残念ながらアイリスは覚えていない。


 巻き戻し前の流行疫病もロチレート病だった。ホゾウ草の根とユーリエ草を乾燥させた粉末を主成分にした、昔からある丸薬が有効であるのは分かっている。ただ主材料が季節外れであり入手困難だった為に、大勢の患者数に対し製造が間に合わなかった。初期症状時に投与すれば快方は早い。だが発症すれば短期間で重篤化するので、貴族や富裕層にも死者が多く出た。


 原因を知っているアイリスが手を打たないわけがない。前々から丸薬の生産を指示していたので在庫は十分だ。更に強力な新薬開発にも余念がなかった。各地方に早急に届けられるルートも確立している。普通の国政策では時間がかかる上に、末端の者までちゃんと届くか疑問だ。どこかで横領される可能性が高い。本音ではギルドを利用したいが魔法省は国の機関だ。あからさまな敵対はよくないので、神殿を通す経路を作っていた。早速異母兄に動いてもらわなければならない。


「姫様、王太子殿下がお呼びです」


 ちょうど良かった。アイリスは異母兄の執務室に向かう。


「アイリス、君が薬の大量生産を指示したのは、ロチレート病の流行を<見た>からだね?」

 王太子はその聡明そうな瞳を異母妹に向ける。彼は“祈り姫”の<予見>を疑っていない。


 国庫薬の在庫管理を一任させてほしいとアイリスが願い出た時、当然王太子は理由を聞いた。魔法省の医術局に対する権限を求めるのは何故かと。


『周期的に大陸で感染病が大流行します。ロチレート病やネズミ風邪は死者が多く出ます。国民に無償で提供出来る薬の備えは国の仕事だと思います』

 

 市井には民間薬師の作る庶民向けの手頃な価格の薬剤はあるけれど、普通、効能は国の正規品には及ばない。


『無料で薬を国民にだって? 本気かい?』

『感染症の終息までの損害を思えば結局安くつくのでは? 勿論安価の既存薬になりますが初動では十分です』

 王太子はしばらくアイリスと無言で見つめ合い、そして折れた。

『他ならぬ“祈り姫”の意向だ。分かった。国庫薬管理を国王代理として認めよう』


 妹には飢饉を阻止した実績がある。無料配布は現時点では賛同できない。だが薬の備蓄案は悪くない。丸薬や錠剤は何年も保管できるのもいい。そう王太子は判断したのだった。


「ハルマゴールからの流通経路で、いずれロチレート病が持ち込まれる。あれは感染力が強い」

 王太子も既に隣国での流行の兆しを知っていた。

「初期なら薬で快癒する。早急にきみの神殿ルートで国境各地に届けてくれ」


 まさにアイリスが願い出ようとした事を兄自ら指示してきた。兄は妹が正規ルートを信用していないのを知っているのだ。それは王太子本人もそうであった。どこかで幾ばくかは貴族が横流しして不正に売るだろう。だからアイリスが神殿利用を確立していくのを黙認していた。


「……いいのですか?」

 アイリスは王太子の傍らの大宰相を見上げる。

「特例です。迅速な対応が必要ですから」

 彼はジルとアイリスを交互に見やる。二人に対する信用ありき、だ。


「議会にかける時間が惜しい。薬を途中で抜く貴族の横槍が入ってもつまらん。神殿で薬に癒しを付与するよう頼む。これは内密に……せっかく神殿に薬がゆくなら、癒しの力で薬の効果の効能が上がるか実験してもらいたい」

 

 兄は思った以上に色々考えていた。医術局を通さず神殿経由で薬が出回る事などないのだ。


「兄様、本当に大丈夫ですか? 前例がないって議員貴族の反感を買うのでは」

 あっさりアイリスの思惑に乗る兄に不安が募ってきた。

「病の怖さはみんな知っている。水際で防ぐのに文句は言わせない」


「……それと、薬に癒しを纏わせて固定させるのはおそらく無理かと思います」

 アイリスは率直な意見を述べた。国家薬師が魔法士なのには理由がある。原料の薬草、動物、鉱物……どれも個体によって<活力>に差がある。薬師は魔力に近いそれらを嗅ぎ分け最高の比率になるよう調合し己れの魔力で結合する。そうして魔力で完結したものに、他人の魔力を上乗せして固定するのは難しいのだ。


「そうか」

 然程落胆する事なく王太子は納得したあと、

「ジル」

 突如、アイリスの背後に控える従者の名を呼ぶ。

「はい」

 びっくりしたジルが背筋を伸ばす。


「ギルドの報告はそれだけではないだろう? ロチレート病の治療後に痙攣、嘔吐、呼吸困難の症状が現れて死亡者が多いらしいが」

 王太子に問われてジルはこくりと頷く。


「それに関して、クレオン川の色がおかしい。王国が川に毒を流したんじゃないかとの噂が帝国に出回っています」

「どういう事!?」

 そこまでアイリスは聞いていないので目を見開く。王太子はその噂も把握済みで顔色を変えない。


 クレオン川は王国と帝国を跨いで流れる緩やかな川だ。シャクラスタン国に源流があるから帝国側は下流になる。


「毒物とは穏やかじゃない。どこが煽っているのでしょうね」

 大宰相が眉をひそめる。


 おかしい……。ロチレート病の症状ではない。過去にそんな話、聞かなかった。いや、自分が情報を知らなかっただけかもしれない。……毒? 今は生きて目の前に居る異母兄の病死に毒殺説があったのは、そのせいだったのだろうか。

 アイリスは顎に手をやり考え込む。


「ブリュンセル辺境伯は東の海岸線を含むグインヒル直営地と、一門貴族に護らせているジュライダ地方と、帝国との国境を全て守っています。クレオン川はグインヒルとジュライダの境になります。伝令を送って辺りを警戒させましょう」

 大宰相に王太子は頷いて「すぐ早馬を出せ」と命じたあと、アイリスに視線を戻す。


「で、“祈り姫″はどう動く?」


「ジェイドを連れてクレオン川沿いの国境に直接向かいます」

「どうしてジェイドを?」

「保険です。万が一、川が毒で汚染されていたらジェイドの癒しの力で浄化します。同じ血筋の私の魔力で彼の能力を増幅出来ますから、そうなればジェイドは実質王国一の“神官”です」

 事実だし、いざとなれば万能魔法士ジルの魔力も借りられる。


「それに[毒を流された]として戦争に発展しては困ります。戦争を望む者がいるのなら、絶対に<原因>として利用させてはいけません」


「ふむ」

「……それと」

 アイリスはもう一つの懸念を遠慮がちに口にする。

「……兄様、リューディア様の警告を思い出してください」

 やり直し前、ロチレート病に罹患した皇太子に、毒を投与された可能性が出てきた。

 王太子は目を閉じてため息を吐いた。

「勿論、覚えているとも。敵はどこに潜んでいるか分からないと肝に銘じているよ」


「言いたくありませんが……毒物に対応する解毒薬は常に身につけておいてください」

 異母兄にもしロチレートの症状が出ればすぐにアイリスが手渡した薬を飲むだろう。毒を混ぜられる危険はまず無い。最悪の場合、ジェイドを呼ぶのも決められた。それに前回と違い王太子はリューディアの加護を受けている。しかし警戒するに越した事はない。

「分かった」

 王太子は真顔で頷いた。


「かの地の神殿には、きみが直接薬を持って行きなさい。一番早いし確実だ」

 王太子は決断が早い。父王を介さず彼が指示するのは日常だ。


 父王は西の国境をレジン首領国に荒らされたために討伐に向かった。レジンは戦闘民族の集まりで、しょっちゅうちょっかいを出してくる。やり直し前も攻防が国境で続いていた。父王の魔法を軽減する<呪い師>がいるのでレジンは強気なのだ。<呪い師>の能力も魔力由来だから、結局は王国における<魔法士>と本質は変わらない。

 回帰前はレジン相手に大規模な国境防衛戦を展開していた時期に、魔物の大群に東部地方がやられたのは痛かった。


 やはり王家転落の始まりは魔物のスタンピードだった。あれで国力と民の王家への信頼が落ちた。

 結果だけなら[国王は東部を見捨てて他国との戦争に明け暮れていた]のだ。実際は国土を奪われないための防衛戦だったのに。“戦闘狂王”の名がイメージを先行させて事実を歪めてしまった。


 今生でスタンピードを防げたのは大きい。レジンへの遠征も、国王はしっかりと西を守っていると国民が認めている。……それにしても、国王長期不在でも政治は全く問題ないとか……ちょっと問題だ。


(もうケーン兄様が国王でいいんじゃないかな。父様は“元帥”と二つ名の“戦闘狂王”だけで満足するべきだわ。国王補佐の兄様にここまで重責を負わせているんだから)


 心の中で父を詰りながらアイリスは王太子の執務室を辞した。




◇◆◇◆


 行軍の一員として、馬車の中で大人しく座っているジェイドは緊張していた。

 隣に座る異母姉が「これは正式な公務よ」と説明してくれた内容は、十一歳のたかが第三王子に聞かせていいものなのかと心配になった。[もしかしたら癒しの力が必要になるかもしれない]程度で駆り出された件には不満はない。

 “祈り姫″に付き添うのは誇らしい。ただ、不穏な国境線で帝国に何かされるのではないかと不安が過るのだ。


「大丈夫ですよ。何が起こってもお守りします故」

 姉の正面に座る姉の近侍の言葉に説得力はない。

「おまえは姉様しか護らないだろうが!」

 ついジルに突っ込む。


「姫様の保護対象の殿下も俺の守護対象ですよ。まあ余裕があれば、程度ですが」

 相変わらず、しれっと可愛げのない。

「いらんわ! 僕にも優秀な守護騎士たちがいるからな! おまえは姉様だけを命懸けで守れ!」

 通常通りの男にホッとする。安心して悪態をつけると言うものだ。


 ジェイドの前に座る筆頭守護騎士のハービックが「優秀な守護騎士……」と主君の言葉を噛み締めているのが面映くて、ジェイドは窓の外の景色に視線を向けた。


 クレオン川が見えると川沿いに移動する。

 国境に近づくとシードルーが率いる一個隊と遭遇した。


「アイリス殿下!!」

「シードルー様、どうしてここに?」

「国境の偵察です。姫様こそ、またジェイド殿下を連れて……何かあったのでしょうか」

「辺境伯には中央より伝令が向かっていますが、帝国の疫病について王太子殿下より調べるよう承りました。もしやシードルー様も同じ件では」

 

「ロチレート病罹患者に新たな症状が加わって死亡率が更に高くなったのは、王国がこのクレオン川に毒を流しているなんて悪質なデマが、何故か帝国で広がっているそうなんです。それであちらの気の荒い連中が度々やって来て、この辺りは今ちょっとした小競り合いが続いているんです」


 緊張した状況であろうにシードルーはアイリスに会えて嬉しそうだ。

 忘れていたがアイリスは彼に求婚されて断ったのだった。意識すると気まずい。


「王都を滅多に離れない“祈り姫”様が再び足を運んでくださるなんて光栄です」


 顔を紅潮させてアイリスにばかり話しかける辺境伯嫡男を、ジルとジェイドは白けた顔で見ていた。



 

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