10:祈り姫、求婚される。
辺境伯邸で一同は会議を開いていた。
王族御一行が辺境を視察など、現王になってからは一度も無い。ジェイドは功労者とはいえ会議で発言は難しい年齢だ。アイリスが彼の代理も兼ねて話し合いに参加している。
「このグインヒルを護ってくださって本当に有難うございました」
諸々の報告を受けた辺境伯は真摯にアイリスたちに礼を述べた。
「“祈り姫”が国境に結界を張っていたとは。道理で海獣や海賊の被害が他国より少なかったのですな。恩恵を受けながら知らず申し訳ありませんでした」
「結界は広範囲展開のものだからそれほど強力じゃないので、おまじない程度に思っていただければ。国を守るのは<人>なのですから」
アイリス本人すら知らなかった結界を、辺境伯家が知らなかったとて責められようか。辺境伯家にも記録が残っていないのなら、随分前に事実は忘れられたか。むしろ創始者が内々に始めた事で、[護国魔法に適性のある子孫が居ない代]を考慮して、敢えて周知させなかったのかもしれない。
たまたまアイリスは結界などの防御系に向いていたから辛うじて国境を守れていたが、例えば攻撃特化高魔力持ちの父王が“祈り子”の役目を全う出来るかといえば無理だ。歴代“祈り子”たちの中には全く結界を張れない者も居たに違いない。その担当時は護国がなされていないのだ。結界の持続がどのくらいの期間なのかは今後、要観察である。
今回は<魔物の侵入は不可>と明確な条件で障壁を展開した。そのアイリスの結界をジルの魔力が強めた。目には見えないけれど、高魔力者なら二名の魔力で魔山に結界が張られていると分かる。
本当にジルは得難い人物だ。敵対者だった彼を籠絡したつもりが、想定以上の優秀さでアイリスを補佐してくれる。
__あなたに仕えたかった。
(私は未来の彼の願いに寄り添えているのかしら……)
アイリスは隣に座るジルの端正な横顔をそっと盗み見た。
「では羊と木材と医薬品の手配を中央に要請します。希望支援金は高めに設定しておきましょう」
十三歳の“祈り姫”が総括するのに異論は出ない。
今後の傾向と対策に対して現実的な意見を述べていたからだ。彼女はただの王女ではないと辺境伯も認めたのだ。
損害の速やかな補填に於いてはこうしてあっさりと話が纏まった。
「魔物の件ですが、今回は数が多かったとお伺いしました。種族は以前からばらばらなんでしょうか」
「そうですね。ここ一年位で急に出没しています。種類は多岐に亘り、狼型や大蛇に、歩く植物なんてのもありました。法則はあまり無さそうです。襲ってくる数は最近は大体十体程度です」
アイリスの質問に答えるのは辺境伯の執務補佐官だ。彼は手元の書類をめくりながら首を傾げる。
「本当に不可解です。暴れるだけで家畜を襲っても単純に目障りだから殺して、食べるのはついでといった感じなんですよね」
「魔物の中に知能の高い猿型はいなかったのですか」
「ウドルール山には猿系は確認されておりません」
猿型がさまざまな魔物を従えて人間の生活圏を荒らす話は聞くが、そもそも古火山で猿類は見た事ないらしい。餌を求めるのでもないのに、わざわざ村を襲撃する理由が不明だ。
あんな魔物が大量に襲ってきたのだ。そりゃ東部も壊滅するわ……。
でも、これでひとまず魔物被害は阻止できたはず。アイリスはほっとした。
「結界はかなり強固だと自負していますが、今後も見張りは怠らないように。異変があれば連絡ください」
アイリスは会議をそう締めた。
一日休息を貰った間に、ジルと二人で浜辺に向かう。
「……姫様、敵に攻められない結界を今の結界に上乗せしましょう」
「でも大量の悪意があると破られるわ」
障壁は海獣たちの単純な攻撃性は弾けると思う。人間の思考が一番厄介なのだ。先方に優秀な魔法士がいれば敵意の大渦を増幅して、結界を上回る“想い”をぶつけたら破られる。“想い”も“祈り”の一種なのだから。
「万全でなくていいのです。時間稼ぎが出来れば」
「そうね。ジル、また手伝ってくれる?」
「勿論です」
浜辺で寄り添うジルとアイリスの重なった手が金色に光るのを、じっと睨んでいた人影があった。
「結界の話をブリュンセル卿にしてくるわ。ジルは帰り支度をお願い」
辺境伯邸に戻ると玄関でアイリスは彼と別れた。その後ろ姿を見送っていたジルが振り返る。
「何か御用でしょうか、辺境伯令息様。ずっと見張っておられましたね」
ジルは落ち着いた調子で、背後に立つシードルーに体を向けた。
「おまえ、平民なんだな」
忌々しそうにシードルーは言い放った。
「はい、十歳の頃より姫様に仕えております」
ジルは表情ひとつ変えない。王城で嫌というほど聞かされている侮蔑だ。
「魔物退治が初めてとは思えないほどの働きで魔力持ち。守護騎士として優れているのは確かだが」
ジルがアイリスの結界に補助魔法を使った事で魔力持ちなのはバレている。ただ現王に匹敵する膨大な魔力保持者なのは普通の人間は感知し得ない。
「平民風情が王女に馴れ馴れしくするな」
「節度を持ってお側に控えております」
「どうだか」
シードルーはハンと鼻を鳴らす。
「おまえには手が届かない。諦めろ」
「どういう意味でしょうか」
ジルは眉を寄せた。
「私はアイリス王女の降嫁を望む。“祈り姫”の役目を終えたら彼女を貰い受けたい。王家に結婚の申し込みをする」
一瞬目を見開いたジルをシードルーは睥睨する。
「立場を弁えよ」
そう吐き捨てると令息は建物の奥へ入って行った。ジルはしばらく呆然と立ち竦んでいた。
王城へと帰還したアイリスは父に視察報告をする。
「ほう、面白いな。“祈り子”の役割が魔法で国防壁を張る事だったとは」
父は豪華な肘掛けに肘をつき頬に手を当て、足を組んで偉そうに座りアイリスを見下ろしていた。まあ、国で一番偉い人ではあるから仕方ない。
「そういえば国境あたりに魔力を感じていた。ただ単に国の境にはそんなものがあるのだなと思っていた」
さすがに高魔力保持者。結界の存在には気がついていたのか。だが父は関心事以外には基本無頓着だ。障壁の正体に疑問を抱かなかったらしい。
「山と同じように平地の毒地にも結界を張っていきましょうか?」
ふと思いついて提言する。そうすれば国内被害が抑えられるのではないか。しかし父の答えは否だった。
「大抵の人里は毒池や毒の森から離れている。冒険者や軍が現地で定期的に討伐をしているから必要ない」
なるほど。彼らの仕事なのか。今回のウドルールは特殊な事例だったのだ。
「“祈り子”が飾りでないと判明したのは大きい」
「今後は防護系魔力の者を“祈り子”にするべきです」
「そうだな。書して正式な申し送りとしよう。ふむ、今はアイリス以上の適任がおらん。結婚してもしばらく続ける羽目になりそうで困るな」
父は結婚後もアイリスを城周りに住まわせるつもりなのだろうか。アレスキア王が姉夫婦を囲ったように。中央貴族に降嫁か。なんにせよ当分先の話で、結婚などクーデターを阻止してからだ。
「グインヒルに関しては宰相と相談するように」
戦争関係以外は宰相や王太子に政策を丸投げしている国王ってどうかと思う。大宰相は誠実で優秀だから良いものの……為政者なのだからもっと周りに目を向けてはどうか……などと十三歳の王女が意見出来るはずもなく、アイリスは静かに父の執務室を辞した。
アイリスはその後宰相に会い、辺境伯から預かった要望書を手渡す。
「早急の立て直しには臨機応変に使えるお金も必要です。海を挟んだ向こうの地にはっきりと帝国の軍事基地が見えるんですよ。間者も多いはず。王国が防衛に力を入れていると知らしめるべきです」
「分かりました。会議に掛けましょう」
宰相はすでにアイリスの有能さを認めているので、速やかに了承した。
それからしばらくしてだ。
父王に呼ばれたアイリスは、「ブリュンセル辺境伯嫡男からおまえに縁談の申し込みがきているぞ」と愉快そうに告げられた。
「まあ、それで姫様はなんとお返事を?」
部屋に帰ったアイリスに、一番若い侍女のカリンカが尋ねた。
「カリンカ」
ソヤが嗜めるも、彼女自身ももう一人の侍女のミランダも実は興味津々ではある。
「“祈り姫”任期中に求婚とは驚きました」
そう言うイーグスにジョルジュは「カミル様も任期中に婚約されましたよ」と答えた。
「尤もカミル様が、公務で訪れたシュワノスタン公国皇太子を見初めたのですがね」
それはアイリスも彼女から直接聞いた。外国の嫁ぎ先を探していたカミルは、皇子と話して『この人だ!』と感じたそうだ。グイグイ押して口説き落としたと自慢げに笑っていた。
「まだ早すぎるから今回は断ってほしいと伝えたわ」
『降嫁先として問題ないし、あちらは仮婚約でもいいと申しておるぞ。余程気に入られたのだな』
『仮にでも、まだ縛られたくありません。お断りしてください』
『おまえもカミル同様に、突然結婚したい相手を連れてくるのかな』
アイリスがきっぱり断ると父は豪快に笑った。
「シードルー様ですか」
ジルが難しい顔をしているのを見咎めたナルモンザが「どうした」と尋ねた。
「いえ、彼に『平民が姫様に馴れ馴れしい、諦めろ』と絡まれたので、なんか気に入らないんですよね」
ほお、と一同が感嘆する。
「辺境伯令息の悋気とは、姫様も隅に置けませんな」
ナルモンザのからかいにアイリスは頬を赤らめる。
「守護騎士は主君の側に控えるのが当然なのに、近寄るなとは意味が分かりません」
静かに憤慨するジルの顔をカリンカがニヤニヤと覗き込んだ。
「お子様のジルは牽制された事も気が付かないのね」
「カリンカだって俺とそう歳が変わんないじゃないですか!」
ジルがムキになる。
「だって、姫様はシードルー様の行動の意味が分かってらっしゃるわ」
「そうなのですか?」
「うっ……!」
真っ直ぐに見られると反応しづらい。
「ま、まあ……」
アイリスは曖昧に返事をした。しかしジルは攻撃の手を緩めない。
「俺以外が納得顔なのが解せません」
「守護騎士でも執事でも、姫と同年代の若い男が近くにいるのは許せないんだよ。つまり、姫様の事が好きだから、おまえに近づいてもらいたくないんだ」
ジョルジュがジルの肩をポンと叩いて説明した。
「でも姫様から離れたら職務怠慢になるじゃないですか!」
「だからあ」
更に言い募ろうとしたジョルジュをアイリスが制する。
「……もうやめて。ジルにそんな小難しい話は無理なのよ」
「姫様!?」
アイリスにもすっぱり切られたジルはショックを受けていた。
「良縁ではあると思いますよ。身分もですが、令息自身もしっかりしていて男前ですし」
ソヤが言いつつ、アイリスのカップにおかわりの紅茶を注ぐ。
「何よりもただの政略じゃなくて、姫様に好意を持たれての求婚なのはポイント高いです」
カリンカの言葉にアイリスとジル以外は大きく頷いている。大事な姫を愛してくれる人でないと託せない。一同は想いを同じくしていた。