こちら主人公より、視点をお返しします。
ただ今から私は幽霊であるとは後になって驚かせようと隠し持つそれとは異なって。
ただ今質量に見せ掛けたつもりの私という空集合が本末転倒において息を切らしている。目当ての学校を手繰り寄せていよいよぶつかるまでの道路工事が捗らなくて、人並みプラスアルファの汗を掻きつつ潜入した。
音量調節を少し誤った溜息がそれとして漏れ、気付けば血をも吐いていたから当然気付かれたのであるが、誰もギョッとしてこちらを睨み付けたりはしない。あるいはそれが良い限りにおいて驚かれ、任意の女子生徒が尋ねる。因みに私を弾き飛ばした少女は全く登場して来ない。
「ああ君、そんなに血みどろではコメディとしても過剰であるよ。それともすまない、意図が有ってのことだったかな。」
「いいや、ただ不器用だから。」
彼女は他に無かったという様な表情できっと納得し、少しして雑巾を差し出した。
机を拭きつつもう一度尋ねられる。
「どうして学校を選ぶの。」
それが一番簡単だから。簡単なタブーで一番安らかだから。
「……。」と、それとは別の道を選択して、やっぱり何も聞かれてはいない。可能性を広げたのだ。何よりも面倒であったのだ。
「ふーん。」と言ったか言わなかったか、いずれにせよ隣人は静まって、私は二、三冊積み上げて就寝準備に取り掛かる。今度の夢は少し厄介で、いくつか前の恋を取り上げるらしい。
「おい。」
妨害された。
「何。」
何でもない。は毎回言われなくても自然。こんにちは。は二回言ったら十分自然。つまりもうとっくに話は進んでいて、どうにも期待された噂話の準備が終わったらしい。
「お前、昨日までお前だったあいつはもう学校に来ないんだってな。本当に?」
あいつとは誰でも良いが、要するに私が演じることの出来た唯一の少女である。だけれどもこれはサナトリウムから盗み出した代物として気付かれたためにただ今私が交代しているのである。
十分聞き逃して、二回揺さぶられ、適当な目覚ましに口を開く。
「このまま恋を続行しようにも私はただ今男であって、その立場にあって十分働かせて貰えるというのなら考えてみないでもない。」
けれどもさっき、使いたくなかった疑問符に、音程の上昇に呼応してしまったというのなら何とも失敗で、余所様の恋路のテオリアに甘んじなくてはならない。
「ところでどうだ。君か私の顔が無視するに足るというのなら、いっそどちらかがヒロインを名乗ってみても今更見破られないのではないか。」
さてさて、教室はどうやら二つ有った様で、どちらか一つが閑散としているということがどうしても必要であった。
ただ今自由な片隅において丁度あなたが勝手に声を掛けてしまうところの顔の無い少女が眺めている。顔の無いとは単に未だ準備されていないというばかりの話。
「私のことが見えているの。」
「なんて陳腐は辞めにしましょう。」
少女は全く急かされてあなたの手を掴み、ああこれはそうした様式に乗っ取りつつ、極めて軽量に階段を駆け上った。
「ほうらあなたは足が有った。無くても良い。」
「それ以前には手が有った。これは恋愛の最小用件であるから別にあなたは幽霊でも良いけれど、今更書き加えるのも厄介でしょうし、取り敢えず続けましょうか。」
少女は任意の窓際から身を乗り出し、それには私も付随する。