王子が婚約破棄宣言した結果
貴族たちが通う学園、その日は卒業式を迎えたところだった。
卒業式というよりは卒業パーティーと言った方がしっくりくるかもしれない。
さて、そんなパーティーで、この国の第二王子が高らかに宣言するは――
「レティシア・グランフィード! そなたとの婚約を破棄するッ!!」
学友たちへの卒業おめでとうなどの有難いお言葉とは真逆の、お前卒業パーティー何だと思ってんだ? なセリフであった。
しん……と水を打ったように静まり返る会場で、しかし第二王子はその静けさをむしろ当然のものと思って言葉を続けた。
いや、確かに静まり返ったけれどそれは決して王子が発言するから静かにしなきゃ、とかそういうやつではなく、何言ってんだお前? というものなのだが第二王子は気付いていないだろう。
ビシィッ! と指を突きつけられてそう宣言された令嬢レティシアは、公爵家の娘である。
いきなり指を突きつけられてそんな宣言をされて、正直ちょっときょとんとした。あまり露骨に表情を変えるのはいかがなものかと思っているためにどうにか堪えたが、それでもちょっと眉根が寄っている。
ちなみに何言ってんだろうこの王子、とばかりに小首を傾げた。とはいえ、これもあまりにも露骨に動かすのはどうかと思ったのでほんの数ミリ程度だ。周囲は小首を傾げた事に気付いていないだろう。
「あの」
「そなたはよりにもよって! 公爵という身分を笠に着てマリエッタ・ペルコッティ男爵令嬢に数々の嫌がらせなどという、上に立つ者としてあるまじき行為を行っていたな! 上に立つ者として恥ずかしくはないのか。そのような者が国を背負うだなどと……くっ、なんとも許し難い……ッ!
そのような者を妻とするなどあり得ぬッ! 故に、そなたとの婚約はこの場で破棄する事を宣言するッ!!」
何かを言おうとしたレティシアの言葉を遮るように一際大きな声で告げる。
ざわざわと周囲が騒々しくなったのはこの時である。
ちなみに、第二王子――レオンハルトはこの騒めきをレティシアの悪行が暴かれた事によるものとして受け取っていたが実際は違う。
何やってんだあのバカ、という意味合いの騒めきである。
さて、過去にも実はこの手の婚約破棄騒動というものは存在した。
過去にやらかした奴も大体こういう感じで何故か学園の卒業パーティーでやらかしたわけだ。
ちなみにそれらの出来事は本に纏められている。馬鹿がやらかす婚約破棄、というズバリすぎる直球タイトルの本は、何とこの学園の図書館でとりあえず一度は読んでおけと言われる一冊だ。
別に王子だけがやらかすわけではないが、ちょっと上の身分の男が大体やらかしているそれらの実例は基本的にどれもこれもどうしてそうなったという話ばかりである。
大体の流れはこう。
自分が普段関わる女性よりも身分の低い男爵令嬢や子爵令嬢、時として養子として引き取られた元平民などの娘に興味を示した男がちょっとした気まぐれで関わった挙句、ずぶずぶと周囲の女性と違うだなどと思い何くれと手を貸しているうちに婚約者を放置してそちらへと掛かり切りになり、気付けば恋に落ちていた。
だがしかし、それを面白く思わない婚約者が裏で手を回し様々な嫌がらせを行っており、卒業パーティーにてそれらの悪事を暴き婚約を破棄し、嫌がらせを受けていた令嬢と新たな婚約を結ぶ――
まぁ、幼い頃に一度くらいはお伽噺の中に似たような話を一つくらいは聞いた事がある子息令嬢たちではあるが、この馬鹿がやらかす婚約破棄に記された話は違う。
悪役令嬢扱いを受けた婚約者は別に嫌がらせなどしていなかった、なんて事もあるし、はたまた嫌がらせを受けていると言った側の自作自演であったなんてものもある。
ロクな証拠もなく婚約破棄からの断罪をしようとした側が大体ロクな目に合わない話の方が圧倒的に多い。
過去には王子がやらかし廃嫡された、なんてオチもあるし、王族をたぶらかした女は反逆罪の疑いありとして牢へ入れられたりだとか、修道院などに送られるだけならいざ知らず最悪の場合は処刑なんてものもあった。
勿論中には悪役令嬢が断罪されるべき話も含まれていたが、これらを読んだ者の感想は大体一つ。
卒業パーティーで婚約破棄するとかロクな目にあわないからやるもんじゃない。これに尽きる。
そもそも婚約破棄するにしても、こんな大勢の前でやるべき事ではない。関係者だけでやるべきではないだろうか。大体そうやって目撃者増やした結果、婚約破棄を告げた側が引くに引けぬ状態に陥ってずぶずぶと沼に沈むが如く落ちぶれる結果になるというのに。
とりあえず周囲はあーあやらかしたな王子、という目を向けている。
ちなみに本だと大体その被害者となっているらしき令嬢は婚約破棄を告げた男の横に寄り添うか腕に抱き着くかして全力で庇護欲そそる感じを装っていたりするが、レオンハルトの横には別にマリエッタらしき女はいなかった。
むしろ少し離れた場所でふるふると顔を真っ青にしながら首を横に振っている令嬢ならいる。
言うまでもなく彼女がマリエッタ男爵令嬢だろう。
その様子を見れば周囲も大体理解する。
本だと場合によっては男を複数手玉にとってたりすることもある自称被害者令嬢だが、レオンハルトの周囲には特にマリエッタを守ろうとして、という様子のその他の男はいない。
いやまぁ、マリエッタの様子を見れば彼女が複数の男を手玉にとれるといった感じはしないのだが。確かに小動物めいた可愛らしさはある。あるけれど、学園におけるマリエッタ男爵令嬢は本に記されている自称被害者令嬢のように男の尻ばかり追いかけた結果友人らしき相手がいない孤立した存在などではないし、ましてや積極的に王子に近づいたというわけでもない。
マリエッタの隣で友人だろう令嬢が慰めるように肩をポンと叩いていた。
マリエッタは若干涙目でその友人を見ている。
「レオンハルト第二王子、一つよろしいでしょうか?」
「なんだ、言ってみろ。ただしくだらぬ言い訳であれば容赦はせんぞ」
レティシアはレオンハルトが一通り言いたい事を言っただろうと判断して、改めて口を開く。
こちらの言い分を何一つ聞くつもりがない、というわけではないようだ。
「何故、王子が婚約破棄を?」
「何故? 何故だと!? 言うに事欠いてなんという……! これだけ言えばわからぬなどとは言いようがないと思っていたというのに見損なったぞレティシア」
「つまり王子は陛下の代理である、と?」
「父上は今関係ない!」
その発言で、あ、やっぱこの王子の暴走なんだな、と周囲は既に理解していたがより理解度を増す。こんなところで解像度上げるとか無意味すぎてどうしようもない。
「速やかに己の非を認めてマリエッタ男爵令嬢へ謝罪をするのであればまだしも、そなたそこまで心根が腐りきっていたという――ぶべらっ!?」
最後まで言う事なくレオンハルトが倒れる。上から降ってきた人によって蹴倒されたためだ。
上から……? とレティシアが思わず上を見ればシャンデリアが普通そうはならんやろ、ってくらいに揺れていた。案外あれだけ揺らしても気付かないものなのだな、とまるで遠い異国を眺めるような気持ちでいたが、数歩レティシアは移動した。
いや、落ちてこないとは思うけれど、それでも何かの拍子にあのシャンデリアが落下したらレティシアはその下敷きになってしまうのだからちょっと移動するのはある意味で当然と言えた。
「随分とゆかいな事をのたまっていたようだな。愚弟」
はは、と今しがたシャンデリアを経由して上から降ってきたとは思えないくらいに爽やかな笑みでもって蹴倒したレオンハルトを靴底でぐりぐりと踏みにじっているのは、この国の第一王子アレクシスだった。
「あ、兄上……一体何を……!?」
結構ガチで蹴りが入った挙句倒れてぶつけただろうはずなのに、思った以上にレオンハルトは元気である。とはいえ現在顔面を容赦なく踏まれているのだが。
「一体何を? 何ってそりゃあ、愚弟が愚弟たらしめた以上、もうお前に価値はないなと判断した上でせめてどうにかひとかどの価値を見出してやろうと思って。
とはいえまだ玄関マットの方が有能かな」
ふふ、と笑うアレクシスの顔は大変良い表情をしていた。
言っている言葉が聞こえない範囲で、ただ彼の微笑む顔を見ているだけであればきゃあアレクシス様素敵とか頬を染める令嬢がいたかもしれないが、いかんせん彼の言動はこの会場の大半の人間に伝わってしまっているので、すっかりギャラリーと化した令息令嬢たちはそっと距離をとった。露骨に目をそらさず、だが決して目を完全には合わせないように、そしてこちらに余計な注意を向けないようにじりじりと下がるその行動は、どう見ても野生動物に警戒するそれと同じであった。
「さて愚弟。お前が父上の代理であるというのならまだしも、そうでないのならなおの事問おう。
何の権利があってレティシアの婚約を破棄するなどと言えるのだ?」
「ぐっ……それは、彼女が貴族としてあるまじきぅぐっ!?」
「あぁ、愚弟と呼んだ割にまだ理解できていなかったか。もう少しわかりやすく言ってやろうな。
お前に何の権利があって、私とレティシアの婚約を破棄だなどと言えるのだ?」
「…………は?」
どうにかアレクシスの足をどかそうとしていたレオンハルトだが、その言葉に思わず動きが止まった。
何を言われているのかわからない、とぽかんとしたままどうにかアレクシスを見やる。
そんなレオンハルトに対してアレクシスは踏みつけていた足の踵部分を更に渾身の力で持って押し込めるようにして踏みつける。
「ぐぉおっ!?」
痛みに藻掻く弟の姿を見ながら、アレクシスはそこでようやく足をどけた。
「レティシア」
「はい」
「君の婚約者は誰かな?」
「アレクシス様ですわ」
「そうだよね」
「わたくしもそこが理解できずに問いかけていたのですが……」
「むしろ理解できる方がどうかしていると思うよ」
「いやあの……レティシアはわたしの婚約者では……?」
「何私の婚約者とろうとしてるんだい。全く浅ましくも卑しいとはこのことだよ。いいかい、お前のその空っぽの脳みそが入っていない空洞によく響くように伝えてやろう。
レティシアの婚約者は昔からずっと私で、愚弟ではないのだよ!」
よろよろとした足取りながらも立ち上がったレオンハルトへ、アレクシスが拳を打ち込む。咄嗟にそれを掌で受け止めようとしたレオンハルトだが、完全には受け止め切れず後ろへ数歩分吹っ飛ぶ形となった。
「ふと思ったのだけれど。
愚弟、お前実はうちの子ではないのではないかな? 母上も父上もとても賢く日々その知恵や知識を国の為に役立てているというのにお前ときたら……実は猿が人間の振りをしているだけではないだろうね? それはそれで言葉を操る事ができているという点において猿の中では優秀ではあるけれど。けれども生憎言葉を操るだけでは人間社会ではやっていけないのだよ。わかるかい?
わかったのなら早く群れへお帰り。今なら慈悲だ。見逃してやろう。だがしかしこれ以上ここにいるというのなら、害獣は駆除せねばならない。どうするのが最良か、それくらいはわかるだろう? いくら畜生とはいえ、それでも一時は弟として接していたのだ。素直に本来の故郷へ帰るというのであれば、今回は見逃してあげようじゃないか」
「実の弟に対して辛辣すぎではありませぬか兄上ッ!」
「畜生相手なら破格の対応だろう」
即答であった。あまりにも即答すぎてレオンハルトは思わず言葉に詰まる。
下手に言い返せばその言葉は刃となって倍以上で返ってくる。
心なしか自分を見ているその目が本気で身内ではなく動物を見ているような目に思えてきた。気のせいですよね兄上……と問いたいが、問えば恐らく「その程度は理解できているのだね。畜生にしては賢いじゃないか。所詮畜生だけれども」と言われそうなので下手に藪に突っ込むような真似はしない。
ちなみにアレクシスの態度で勘違いされそうになるが、アレクシスもレオンハルトも正妃の子である。
どちらかが側妃を母として……というのではなく、二人とも正妃が生んだ子だ。アレクシスの態度からレオンハルトが側室の子という誤解を受けそうではあるけれど、ちゃんとした正妃の子であるというのは貴族の間では常識である。
「それで」
「?」
「この茶番はまだ続けるのかな? 正直卒業パーティーの余興にしても三文芝居甚だしいし、見せられてる側からしても時間の無駄でしかないと思うのだけれど」
「っ!? そういえば兄上は何故ここに? 今日は卒業パーティーであって、学園を既に卒業した兄上には関係ないでしょう」
「そうは言うけどこの後父上が卒業生に向けて祝辞をおくる事になっている。私も卒業した立場ではあるけれど、先輩として激励の一言くらいは、と思って来たに過ぎないよ」
卒業パーティーは、茶会とは異なり夜会に近いものではあるが、夜会のようにパートナーを伴って会場に入る、という事はない。卒業式を兼ねているので婚約者を伴って……となるとそれこそこの会場では手狭になりかねない。同年代の婚約者がいるのであればまだしも、貴族間での政略結婚など最早常識。そうなるとパートナーを伴ってだとか流石に無理がある。
「あの、しかし……本当にレティシアの婚約者はわたしではないのですか?」
「勘違いもここまで来ると憐れ極まるね。レオンハルト」
「何でしょう」
「現実見なよ」
「ぅぐっ!?」
長々と言われるよりも一言で言われた方が言葉の刃が鋭いのはどういう事だろう。いや、長台詞なら心理的なダメージが少ないというわけでもない。
「し、しかし以前婚約者候補としてレティシアの名が確かにあがっていましたし」
「あぁ、あれ」
「王家からの打診であれば断りにくくもありましょう。であるからこそ、レティシアがわたしの婚約者となったのだとばかり」
「その話が出る十分前に私が直接レティシアの家に赴いてプロポーズしたからね。そっちでその話が出た時点でもう手遅れだったんだよ」
「なん……だと……!?」
王命での政略結婚となると、余程の事がない限り断りにくい。だからこそレオンハルトにその話が出た時点でもう決まったも同然だと思っていたのだが、その時既にアレクシスの婚約者となっていたのであれば確かにレオンハルトの婚約者にはなり得ない。
しかもアレクシスは直接グランフィード家へ行き自らプロポーズをしたと言っている。
レオンハルトの婚約者にどうだろう、という話が出たとして、そこから使いを出して話を通すとなるとやはり多少なりとも時間はかかる。けれども既にその時点でアレクシスとの婚約が成立していた、と。
「そもそもお前は別にレティシアの事などなんとも思っていなかっただろう。グランフィード家という後ろ盾を得て王位につこうという目論見があったならともかく」
「む、それは……」
「そもそもこの国の王として跡を継ぐのは私だ。私が余程の事をしでかさない限りはね。
まぁ今回の事でお前が王位につこうとなると強力な後ろ盾を得る以外にも必要な事は多々あるから絶望的。素直に自国にしろ他国にしろ婿入りするのが無難というものだよ」
第二王子を御輿として担ごうという者がいるのか……面倒な争いの火種は早々に潰すに限るなと思いながらもアレクシスはいくつかの疑わしい家の存在を脳内でピックアップする。
余程の事がなければアレクシスが次の王だ。第二王子であるレオンハルトが王になるためには、彼の妃となる相手の後ろ盾がなければ少しばかり厳しい。そういう意味で家柄含めその他の条件も非の打ちどころがないレティシアが候補にあげられたのだろう。
その次に妃としてふさわしい候補となるべき令嬢をあげよ、となると少しばかり難しくなるのだから。
これもレティシアが他より群を抜いて優秀だったからこそ、というわけだ。
「大体、婚約者だと思っていたにしてもレティシアに対するお前の対応は雑すぎる。
茶会などを開いて招き二人で会話をするだとか、はたまた手紙のやりとりをするだとか、誕生日に贈り物をするだとかそういった事を何一つしていないくせに婚約者面とは……そこまでいくと逆に婚約者だと思い込める妄想力が激しすぎて正直気持ち悪い」
「きっ……」
身内、それも実の兄からの真顔での気持ち悪い発言に、流石にレオンハルトも傷ついた。外見が、という話ではなく内面が、という話だ。
確かにレオンハルトはレティシアに対してそういった事を何一つしてこなかった。けれども、妃教育として王城へ足を運び学んでいる姿を何度か見かけていたし、彼女が妃となるのは知っていた。
そして、その妃教育が中々に大変そうだというのはちょっとだけ覗いたレオンハルトにも理解はできた。ならば、下手に話しかけて集中力を途切れさせたりするのは逆効果だろうとレオンハルト的に気遣った結果……であったのだが。
それ以外の交流に関して言われると確かにな、と今なら納得もできたし理解もできる。
てっきりレティシアが婚約者となり妃となるのであれば、その婚約者である自分こそが次の王だと思っていたわけだ。実際は違ったわけだが。
「そもそも、仮にお前の婚約者だとしてそれで? 婚約破棄してお前はどうするつもりだったんだい? お前が手を差し伸べて正義のヒーローゴッコに巻き込んだマリエッタ嬢を新たな妃とする、とでも宣言するつもりだったのかな?」
「それは……」
「でもマリエッタ嬢にも婚約者がいるから、そんな事言ったらお前、ますます国での立場なくすだけなんだけど。本当にお前の頭の中に脳みそが入っているかどうか疑わしくなってきたよ……脳みそもないくせにどうやって動いているんだろうね? 実はお前、人間じゃないのかな? だとすると魔導士長あたりに差し出すと面白くなりそうだけれども」
「当然のように人体実験の素材として弟を差し出そうとせんでくださいッ!!」
「? 何か問題でも? 国は将来的に私が継ぐわけだし、別にお前いらないだろう。優秀であればまだしもこれだけ馬鹿を晒しておいて何を今更。実験素材とする以外に何かお前に有用な価値なんてあったかな? 討伐隊で魔物をおびき寄せるための囮とか? でもあれ別に疑似餌で充分だし……無駄に活きが良いだけが取柄ではあるけれどそれだけとなると……やはり魔導士長の元で新薬の実験とかに付き合った方が良いのではないかと思えるのだけれど」
うっわぁ……
周囲で見ていた令息令嬢たちは声に出さずとも全員がそう思っていた。
容赦がない。いや、ここで下手に甘やかされて更に暴走されても面倒な事になりかねないからバッサリやってくれてるのは良いのだけど、あまりにも容赦がなさすぎて第二王子の人権とは……? という状態になっている。
確かに過去、婚約破棄をやらかした愚かな王族の中には最終的に廃嫡されたり国外追放されたり平民として市井で暮らすとか色々あったけれど。場合によっては幽閉の後毒杯による病で亡くなった事にされるパターンもあったけれど。
魔導士長のところで実験素材とか、新手の毒杯みたいなものだけれども。
ちなみにどうでもいい情報だが魔導士長は大変優秀な人物である。ただし天才は変人が多いという言葉に違わず、人格と倫理観と常識が割とぶっ飛んでしまっているので、彼の元でマトモにやっていける人間は案外少ない。メンタルがとても強いかはたまた己もぶっ飛んでいるかのどちらかでないと、上手くはやっていけないだろう。
レオンハルトはメンタルこそ強いかもしれないが、それでもあの魔導士長と……と考えると多分最初はともかく最後まで付き合いきれるはずもない。
ちなみにアレクシスはメンタルも強いが内面もそれなりにぶっ飛んでるのでとても上手くやっているどころか唯一無二の親友と言って憚らない。これだけで魔導士長がどういう存在であるか、この国の貴族がわからないはずもない。わからないのは余程の馬鹿くらいのものだ。
「し……しかし、ではッ! レティシアっいた……失礼しましたレティシア嬢がマリエッタ嬢へ行ったとされる嫌がらせの件はどうなるというのですか」
お前がレティシアを呼び捨てにするな、とばかりにパァンと小気味よい音を響かせてビンタされた事でしぶしぶ言い直したものの、レオンハルトの目にはまだ若干の敵意がある。
本になっている馬鹿がやらかす婚約破棄の中では婚約者に近づく小娘憎しで嫌がらせをした悪役令嬢も確かに存在してはいた。
レオンハルトは別にマリエッタを新たな妃に、などと宣言はしていない。実際先程声高に宣言した時も別に真実の愛を見つけただとかそういう事は言っていないし、もし断罪がスカッときまった後で宣言する予定だったとしてもだ。
現時点で口に出していないのでそこはセーフではある。マリエッタにも婚約者がいる時点で、その宣言をしたら尚の事滑稽の極みみたいになるオチしかなかったわけだが。
もしかしたらやらかす可能性は高かったんじゃないかなぁ……と周囲が思っていたとしても、現状レオンハルトは貴族としてあるまじき行いをしていたことを責めているだけだ。お前が一番あるまじき存在だよなどと言ってはいけない。実の兄からお前に存在価値とかあったかな? なんて言われているのでこれ以上はオーバーキルになりかねない。
「わたくしは何もしておりませんが」
「そもそもレティシアには王家の影をつけている。ついでにお前が無駄に付きまとっていたマリエッタ嬢に関しても周囲を調べさせたけど……マリエッタ嬢、真実を明らかにしても?」
「は、はい……それは勿論。わたくし、レティシア様に虐げられた事など一度もございません……! 勿論、そのような事を口にした事も……!」
アレクシスの言葉に周囲の視線がマリエッタに一斉に向けられて、一瞬だけマリエッタの身体が強張ったが、マリエッタは確かにアレクシスの目を見て毅然とそうこたえた。
「マリエッタ嬢! しかし」
「何がどうなってそんな勘違いをしてしまったかはさておき、これから告げるものが事実であり真実だよ、愚弟」
すっ、とアレクシスが片手をあげると、令息令嬢たちの中に紛れていた一人がすっと近づき、数枚の紙を差し出した。王家の影からの調査報告書である。
「まずはマリエッタ嬢の教科書が台無しになった件だけれど。
これはマリエッタ嬢が机の上のインク壺を引っかけてしまい教科書にかかり読めなくなっただけだ。学園の教科書は一部を除いて無料で配布されるもの。それによりマリエッタ嬢はインクで台無しにしてしまった教科書の処分を後回しにして先に新しい教科書をもらうべく担当教師の元へ。
そのわずかな間でお前がそれを発見し、嫌がらせを受けているのだと勘違いしたに過ぎない」
「なっ……!?」
「ちなみにマリエッタ嬢はお前に問い詰められた時にきちんとこう答えている。虐めなどは受けていませんとね」
これを聞けば確かに事実虐めは存在していない。だが、目の前にインクでどろどろに読めなくなった教科書、という現物が存在したのであれば、まぁ勘違いしても仕方ない事もなくはない……のだろうか。
婚約破棄のあれこれが掲載された本にも相手の令嬢を悪役に仕立て上げようとして自作自演で虐められている風を装った女の話もあったけれど、これは自作自演というよりはただのうっかりミスだ。
事実マリエッタはその教科書をレティシアにやられたなどと一言たりとも言っていない。
むしろ自分のうっかりです……などと流石に口に出すのは少しばかり恥ずかしいだろう。友人相手ならまだしも、よりにもよって王族。それも第二王子だ。自分の失態を口に出して、お前は無能なのだな、みたいな印象を与えるのは今後に差し支える。
「次に、マリエッタ嬢のハンカチズタズタ案件かな。彼女が刺繍を施した渾身のハンカチが見るも無残に裂かれてしまった事だけれど。
これもたまたま手の甲を学園の中庭で低木に引っかけてしまったマリエッタ嬢がハンカチで出血を止めようとした事によるものだ。
ただ、その時普通に巻いただけでは上手く巻けなかったというのもあって仕方なく切れ込みなどをいれ包帯のようにした上で巻いた、と本人の証言だ」
「その、刺繍は渾身の出来だったんですが、それはまた、他の布に施せばよいだけですし……」
二連続で自分の失敗談を暴露され、マリエッタは両手で自分の頬をそっとおさえた。
「それでその、怪我の方は大丈夫でしたの?」
「はい、おかげさまで」
レティシアの言葉にマリエッタはしっかりと頷く。
これもレティシアにやられたなんて一言も言ってないのにレオンハルトはあいつに引っかかれたのだろう、とか思いこむし、しかもその思い込みが直せないしで大変だった。
むしろ否定すればするだけあいつに脅されているんだな、とか思われる始末。
ちなみに先程レオンハルトがレティシアにマリエッタに謝罪しろとかのたまった気がするが、実際謝罪をしたのはマリエッタである。
王家の影というよりはアレクシスの使いがやってきて当時の状況などを確認した際に、マリエッタは何故か自分のうっかりミスでの怪我がレティシアがやった事になっているというどうしてこうなった案件に関して手紙を書いた。
そのまま出してもレティシアの元に届くのが果たしていつになるのか……と思ったので、洗い浚い当時の状況などを使いの者に話した時に恥も外聞もないとばかりに使いの者にどうかこの手紙をレティシア様に! と頼み込んだのだ。
だって下手したらレオンハルト第二王子のせいでレティシアに迫害されている悲劇の令嬢、みたいに話を周囲にばらまかれたらと考えたら。
男爵家など公爵家からすればその気になれば簡単に潰せるようなものだ。自分だけならいいが家族にまで、と考えたら確実にすぐさま手紙を届けてくれる相手に託すしかなかった。それがとんでもなく不作法なものであったとしても。
実際マリエッタは悲劇の令嬢と言えるだろう。レティシアのせいで、ではなくレオンハルト第二王子のせいで。
「あと、水かかってびしゃびしゃになった時の件か。これはたまたま確認していたレポートが風に飛ばされかけてそれを取ろうとした結果、バランスを崩して噴水に自分から突っ込んだ、と。ギリギリでレポートは無事だったけれど、本人がびしょぬれになった、と。これはマリエッタ嬢の友人複数名が目撃している」
「お恥ずかしい……」
「まぁ、風邪などは引きませんでしたか」
「頑丈さだけが取柄なので、問題ありませんでした……お気遣いありがとうございます、レティシア様」
「次、階段から突き飛ばされた件。これは次の授業が移動教室であったという事を忘れていたマリエッタ嬢が急いで移動していた時に、足を滑らせて階段から落ちたやつだね。たまたまその下に愚弟がいて受け止めた、と」
「淑女に対してあるまじき行為とは思いつつも、遅刻したらレポート倍に増えるという話だったので……」
「結果としてレオンハルトに保健室に運び込まれて授業は欠席」
「レポートは倍に増えました……」
頬を手でおさえていたどころか、今はもうマリエッタは両手で顔を覆っていた。
レオンハルトがどうして勘違いをしたのかというくらいに、レティシアのレの字も存在しないくらいに自分のミス。
マリエッタは男爵令嬢とはいえ、身分的には限りなく平民に近い。だからこそ、多少そういった面があっても特に周囲も気にしていなかった。もちろん、公式の場できちんと淑女としての行動ができているからこそ、というのもあったが。
だがそういった場以外の場所でのレオンハルトとの遭遇率よ。そしてそこで何故か始まる勘違いスパイラル。
「…………まったく、これのどこを見てレティシアが関与していると思えたのか。まったくもって疑問だね。そう思いませんか? 父上」
アレクシスが言って向けた視線の先には、この国の王にして二人の王子の父親が立っていた。一体いつの間に、と思ったが通常の状況であれば気付けただろうけれど、流石にこういった状況下ですぐさま気付けという方が無理だった。
「ち、父上……!」
「全く……お前は昔から思い込むと中々考えを改めない部分があったがまさかここまでとは……流石にこれだけ大勢の前で醜態を晒した以上、勘違いでしたで済むはずもないのはわかっておろうな?」
「そ、それは……」
「レオンハルト、そなたには今後トラウム砦への着任を命ずる。そこでしばし己を鍛え直すがよい」
「そんなっ!? お考え直し下さい陛下!!」
「ならぬ。これはそなたに対する罰でもある。しっかり励めよ」
「……そんな」
さながら糸を切られた操り人形のようにレオンハルトは崩れ落ちた。
別にこの国の情勢は危ういわけではない。周辺諸国とは基本的に上手くやっているし、トラウム砦がこの国の辺境というわけでもない。最果てに行けと言われたわけでもないが、ただ一つトラウム砦について言える事は――
幽霊が出る、という事くらいだろうか。
レオンハルトは物理や魔法でどうにかできる事はそこまで恐れないが、いかんせんこのトラウム砦の幽霊はそういったものに対してあまり効果がない。これといった対処法がない場所での生活。それを言いつけられ、レオンハルトの表情は可哀そうなくらい青ざめていた。いっそ廃嫡や国外追放の方がまだマシだと言わんばかりである。
せめて別の罰を! と言えば多分アレクシスが嬉々としてじゃあ魔導士長のところに、とか言い出しそうなのでレオンハルトは何も言えなかった。
生きてるけど常識が通用しない奴とツーマンセルか、死んでて常識が通用しない幽霊。どっちがマシって言われたらまだ死んでる幽霊の方がマシに思えてくる。だって死んでるもの。死んでるから生きてる人間の常識が通用しなくてもそれは仕方ないのでは? でも魔導士長は駄目だ。
あいつ生きてて言葉通じるけど話通じないもん。そう考えると、トラウム砦で必死に己を鍛える方がマシだと言える。
とはいえ、レオンハルトは知らない。
同じくトラウム砦に配属されている騎士や兵士たちが幽霊? 何それ見えないから知らね、というタイプと極度の怖がりで幽霊じゃなくてもちょっとした物音に殺気飛ばすタイプ、見えてても平気でスルーできるタイプが上手い具合に混ざり合って、とんでもなく混沌としている事を。しかもそこに配属されている者たちの大半が愉快犯の素質を持っている事を。
数か月後、トラウム砦にてレオンハルトは語る。
人生において最も必要な物はその場限りの勢いなどではなく思慮深さであると。
正義とかいう以前にまずもっと落ち着いて物事を見据える冷静さであると。
そう語った彼は、日々の暮らしの賜物か、年齢以上の落ち着きを見せるようになっていた。よく言えば落ち着いたと言えるが、どちらかといえば枯れ果てた、という方が近いかもしれない。
レオンハルトは知らない。
彼がトラウム砦に着任と同時に、今回の事を新たに書として残すべくアレクシスが筆をとった事を。
そして今回の婚約破棄騒動が馬鹿がやらかす婚約破棄改訂版に載せられる事を。
婚約破棄された可哀そうな令嬢はいなかったけれど、それ以外に微妙な被害が出過ぎている。
後世に伝えるには王家の恥でもあるけれど、だが残さない事で後の王族が同じことをやらかすかもしれないと考えれば反面教師として残しておくべき話である、となったのをレオンハルトが知るのは――
彼がトラウム砦から王都へ戻った数年後の事だ。
そして彼は後にこう語る。
「改めてこの馬鹿がやらかす婚約破棄を読んでみたが、当時のわたしは何故もっと早くこの書物に目を通さなかったのだろうか。もし読んでいたのなら、あのような愚行はおかさなかった。
読んでいたのであれば、あのような大勢いる場で婚約破棄などせず関係者だけを集めての話し合いをしていたはずだ。そうすれば、その時点でレティシアが自分の婚約者などではないと知っただろうに……大勢の前で婚約者ではない女性を婚約者扱いしあまつさえそれを破棄するなどと……今思い出しても顔から火が出てしまいそうだ。あの頃のわたしは無知だった。だからこそ、厚かましくもあの状況で平然とした態度でいられたのだ。
今となっては思い出した時点で叫びだしたくなるほどだというのに……!
ともあれ、もうあのような婚約破棄など決して行わぬ。あの一件でわたしが学んだのは安易な行動は身を滅ぼすという事だ」
本の中の馬鹿王子は廃嫡されたり死んだりしたので、それに比べればまだマシだろうけれど、レオンハルトからすれば確かにあの時に彼は滅んだようなものだろう。更には本になってしまったせいで、彼のしでかした黒歴史はこれから先も残されたままだ。永続式公開処刑とかわかった上でやらかしたのだからアレクシスもえげつない。
ちなみに。
その頃には既に新たな王となっていたアレクシスはレオンハルトのその言葉を聞いてこう返した。
「婚約破棄はこりごりだも何も、今も昔もお前に婚約者などいないのだから破棄も何もないだろう」
――と。
かくして、今回の一件は幕を閉じた。
王子が婚約破棄宣言した結果、婚約者などいなかったという大恥を大衆に知られる形となって。
めでたしというには程遠い話である。